東海アマ地震予知情報 余談 めざすべきもの
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「必ず帰属組織が必要だと思う。 ただ、それを利益主義の会社組織に求めてはならない。」
余談
人が生活するために必要だと思う水準は、何に規定されているか?
少なくとも物質的生命維持レベルは、想像よりはるかに安上がりだ、一日100円もあればよい。日本が経済的に完全に破綻したとしても、ただちに国民の多くが餓死するような状況にはならない。
しかし精神的欲求を満たすための生活維持レベルは、はるかに高くつく。それは見栄に支配されているからだ。一日100円の支給があっても、多くの人が餓死するだろう。安い小麦粉を、うどんやお好み焼きにして食べ、副食は七草・蛙という暮らしなら十分やってゆけるが、ほとんどの人は拒否し、最低でもインスタントラーメンということになり、栄養失調で餓死することになる。このことの意味を考えなければいけない。
人は物質的に生きていない、精神的に生きているということだ。生まれ落ちて、一緒に育ってきた仲間たち、交流してきた人間関係のなかで、自分のかくあるべき水準を無意識に規定している。だから十分生きていける物質的条件を与えられても、餓死してしまうことになる。みんなが普通に食べているものが食料なのであって、生命を維持できる物質が食料というわけではないのだ。
例えば、つい戦前あたりまで信州では飢饉が多く、農作物が不足したとき、民衆は昆虫を多食した。この名残がヘボ(蜂)やザザムシ・蝗など昆虫食文化だ。だが、現代日本人にザザムシや蝗が食えるか? それしか食べ物がなくなったとき、若者たちは拒否し餓死するだろう。ちなみに、筆者はうまそうに食べる。それを見た筆者の周囲の人間も食べられるようになり、生き延びられるだろう。
生活の絶対的必要水準、精神的要求水準の本当の意味を少しばかり理解していただけただろうか?
人の水準は心の水準である。それを規定するのは、人間関係における見栄である。だから、このタガを外してしまえば、人は一日100円で十分に生きてゆける。
社会水準を造っている正体は人の見栄である。見栄によって、人は死なずにすむ命をも失うことになる。もうすぐ地球規模の大変な大飢饉、大災厄がやってくる。異論を唱える者はいないだろう。
このとき、死ぬ人々の9割は、死なずにすむ人々である。見栄さえなければ・・・・。子供たちは見栄の文化に深くは犯されていない。だから生き延びてくれることだろう。今のうちに、ハエや青虫、蝗やミミズの料理を普及させておくか・・・・。
人類は、その歴史の大部分を母系氏族社会で過ごしてきたと繰り返し書いてきた。
人は一人では生きられない。必ず人間同士の繋がりを必要とするのである。ほとんどの民族で、歴史の大部分を母系(父親が特定できない場合、母系家族になる)氏族で、余剰資産(男性権力)が成立した後は父系氏族で一定の集団に帰属して生活してきた。その単位は、概ね20〜100名程度と考えられる。氏族社会が崩壊した後も、例えば青幇のような秘密結社や、山口組のようなヤクザ組織、普通は親族組織が取って代わることが多かった。近年にあっては藩・領主・領民・庄屋・五人組などの組織があり、戦後は会社組織がその役割を果たしてきた。
それは運命共同体であり、自分と家族の運命を帰属させる結社であった。戦後、日本人の多くは会社に帰属し、自我を殺して忠誠を誓い、組織に運命を託して一生を捧げた。退職後も会社を見る目は、わが親族、わが領主を見るようであった。
会社組織もまた、そうした帰属・忠誠に応え、帰属員を我が子、わが親族のように扱い、退職後も面倒を見るのが普通であった。何かの事情で会社組織を離れるとき、上司は我が子のように心を痛める人が多かった。
これが社会を支える基本単位(セル)であって、こうした組織が明確に機能している社会は非常に強力である。人生のすべての価値観は、帰属組織の存続に捧げればよいのだから迷いも少ない。ところが・・・・・・
バブルの頂点を過ぎたあたりから、帰属すべき、人生を捧げるべき組織、会社共同体の様子がおかしくなりはじめた。
会社は運命共同体、社員の面倒を見なくなった。金儲けに熱中するあまり、会社は利益を上げるための機械であると勘違いする経営者が多くなり、本来持っていた「社会構成のセル、人間帰属組織」としての役割を放棄し始めたのである。
その理由はたくさんある、例えば、会社創立者は十分すぎるほど帰属組織、運命共同体結社としての意味を理解し、社員全部を結社家族として扱っていたが、創立者を受け継いだ二世・三世には、そうした自覚が育たなかった。
会社組織が社員の人生の希望を託された運命共同結社であることが理解できず、利益マシンにしか見えなくなった。こうして、社員もまた会社を給与取得マシンとしてしか見られず、よりよきマシンを求めて彷徨う世相に変わっていった。
だが人間の本質が見えるものにとって、組織マシン主義が何をもたらすか、恐ろしいほどに予想がついていた。依存すべき、帰属すべき組織を失った人々は、社会をあてもなく彷徨いはじめた。規範を失い、目先の利益、詐欺に走り、犯罪に走り、社会の本質的崩壊を招く事態を作り出したのである。
筆者は、個人主義者だが、人間が一人で暮らせないことを思い知らされている。人は他人に甘えなければ生きてゆけないのだ。だから必ず帰属組織が必要だと思う。
ただ、それを利益主義の会社組織に求めてはならない。それは歴史の必然によって必ず崩壊するものである。だから繰り返し、農業共同体、キブツやヤマギシ会で試し見られてきた共同体を目指す必要があると書き続けてきた。
それは過去の失敗の経験の上に築かれる。キブツやヤマギシ、無数のユートピア試行の残骸の上に新しい未来が築かれるののである。
Posted: 日 - 9月 3, 2006 at 12:43 午後