東海アマ地震予知情報 2006.9.2. 余談 めざすべきもの 1


人が必要とする生活は、人の意識が必要とする生活である。それは一緒に生きてきた他人との比較のなかで、「自分の位置はかくあるべき」と意識が定めた水準に規定される。生活の必要が決める水準ではないことに注意すべきだ。プライド、見栄が決める水準なのである。」

 余談 めざすべきもの 我々が獲得すべき理想的な生活水準、生命を維持するのに必要な最低の生活水準、子孫を維持し、社会を継承するのに必要な水準など、めざすべき指標となる社会水準、生活水準には多くの視点があり、人々の要求も雑多だ。 しかし、とりあえず最低限必要な生命維持水準について考えると、想像以上に安上がりである事実に驚かされる。 人間は、物理的肉体を維持するために何が必要か? 食・水・温・安全環境だけだ。 このコストを試算してみよう。平均的成人の一人あたり必要食は、穀類300グラムもあれば十分、あとは七草や水棲動物、蛇や蛙でも食べればよい。安い市販店で一番安い穀類は小麦粉、20キロ2000円程度で買える。筆者はカネのないとき、これを買って、毎日、自分でうどんを作って食べたが、さすがに飽きて食べきれず、かなり虫にやられ半分以上捨ててしまった苦い思い出がある。 一番安い小麦粉、1日分300グラム、30円である。上等品でも100円程度だ。テント・毛布・衣類などがあれば、月に1000〜3000円で生きてゆける。五人家族で月1万円もあれば十分だろう。これで命を維持できる。実際に、この程度の収入で生命を維持しているホームレスは、全国に数万は下らないだろう。 命を維持してみると、ヒマを持てあまし、いろいろ生産労働をしたくなる。野犬に襲われたくない、蚊に食われたくないから外部と遮断できる居住空間が欲しくなる。格好良く見せられる衣類が欲しい。移動手段として自転車や車が欲しい。性欲を満たしたいから異性と出会いたい。異性に注目されたいから、より派手な生活水準作りたいと、際限なく欲望が膨れあがってゆく。 ホームレステントを観察していても、時間とともに驚くほど豊かに変化してゆくのが分かる。日本人はホームレスに至るまで勤勉なのだ。 こうなると、月3000円では困る。異性にモテたい一心で見栄張り合戦が始まれば、際限のない費用がかかることになる。そこで、要求する収入、生活水準の基本的な根拠が浮かび上がってくる。 人々の要求する生活水準 ①最低限、命を維持できること ②異性に注目され、嫌われないレベルの生活水準 ③他人に見下されない程度の見栄を張れる水準 ということになり、現段階で日本人成人勤労者の平均年収は250〜350万円というあたりに落ち着く。もっとも、これでは家も土地も所有できないから、夫婦で年収700万円以上という、いわゆる中流生活水準が、目指すべき規範水準ということになる。 日本における「人に対する要求」は、この水準をめざせ! という、あらゆる圧力を生んでいることに注目する必要がある。これが、現代社会のあらゆる病根の根底に潜む悪魔なのである。

 人が必要とする生活は、人の意識が必要とする生活である。それは一緒に生きてきた他人との比較のなかで、「自分の位置はかくあるべき」と意識が定めた水準に規定される。生活の必要が決める水準ではないことに注意すべきだ。プライド、見栄が決める水準なのである。 人の意識は共有される。他の意識に馴致、馴化される。ここで、いわゆる常識が発生し、多くの人は、それを頑なに守って生きることで安心感、達成感を得る仕組みになっている。 常識は法に優先する人生最大の規範である。「赤信号、みんなで渡れば怖くない」の世界が出現するのだ。 こうした常識的価値観は長い歴史のなかで醸成されたものであり、一種の宗教といってもよい。ちょうど西欧キリスト教が西欧民衆を縛り付けてきたのと同様、日本人にあって、最善、最大の合理性は、常識を守ることであった。非常識を排除することであった。 いい意味でも悪い意味でも日本人を縛り続けてきた、こうした常識的価値観が十数年前あたりから至る所で崩壊しはじめた。万引きが横行し、それを反省せずに大人になった者たちは、平然と詐欺商売に邁進し、他人の財産をかすめ取ることに達成感を覚えるようになった。 なぜか? それは価値観要求悪魔のもたらした惨禍であった。 続く

Posted: 土 - 9月 2, 2006 at 10:12 午後          


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