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上沢先生の話を聞いてちょっと経った頃、伊原さんはわたしたちの教室にやってきた。 「どうしたの、クッキー」 彼女は何かを迷っている様子だった。 「わたし、見たの」顔を上げ、意を決したように言う。 「何を…?」 これは、何かある。わたしは身構えた。 「図書室から出てくる上沢先生」 「ええっ!」 身構えても意味ナシ。わたしは思いっきり驚いた。 「花瓶を受け渡した後のってこと?」 それってとんでもないことだよ! 「覚えてない?3月1日って、わたしたちが花瓶を用意した日だよ」 「うそ…」 二重の驚きだった。そっか、3月1日っていえば…。 まだ2年生だったわたしたちは、あの日、一階の階段裏に集まって、陶器の花瓶を戸棚に入れたんだ。すっかり忘れてた…。 「あの後、わたしと渡辺くんはまだ資料の整理が残っていて、委員会室へ戻ったの。その途中で、図書室の前を通りかかって…」 そのドアが開き、なかから上沢先生が出てきたという。 「暗かったけど、間違いないわ。先生はわたしたちには気づかずに行ってしまった。そう…その前に鍵をかけてた。音が聞こえたから間違いないと思う。それと、手に大きな紙袋を下げていたわ」 「それ、花瓶が入ってた…!」 伊原さんはうなずいた。「そうだと思う」 わたしたちはそれから、渡辺くんにも何か気づいたことはないか、聞きにいった。(渡辺くんは、サヨコがひとつになるのを首を長くして待っている。こういう情報提供なら、喜んでしてくれる) 「伊原さんの言う通りだよ。なんでこんな時間にって、二人で不思議がってたのを覚えてる」 「どうやら、上沢先生の話は本当みたいね」 「うん」 矛盾してるとこはない…と思う。 「わざわざ鍵を使うほどの用事が他にあるとも思えないし、紙袋っていうのも、花瓶を入れるためって考えれば自然かな」 「やっぱり、図書室に花瓶は置いてあったんだね」 近づいてる…。彼女の後ろ姿が見えた気がした。 「司書の先生に、話を聞こう」 わたしたちは次の目標を定めた。 司書の先生は、あの日のことを覚えていた。 「ええ、確かに上沢先生に鍵を貸したわよ」 48歳。高齢の先生だった。この学校へ赴任したのは、去年のことだったと思う。 「その日なんですけど、図書室を出るとき、戸締りは確認しましたよね」 「何?」先生は笑って、「もちろん、毎日ちゃんと確認してるわ」 戸締りはオッケー、と。 わたしはすぐに問2を放った。 「図書室って鍵、いくつあるんですか?」 「二つあるけど…。あの日はわたしがもうひとつを持ってたの。ねえ、なんなの?探偵ごっこ?」 「ちょっと、気になることがあるんです」 さらに、第3問! 「あの頃、ガラスの花瓶をここら辺で見ませんでしたか?」 「んー。ガラスの花瓶は使ってないし、見てもいないわねー。他には、何かある?」 先生はしかたないわねぇ、という笑顔で問い返してきた。 わたしは苦笑い。あー、でも、よかった。怒らせてしまったらどうしようと、ちょっと心配だったんだ。 「じゃあ、他に何か気づいたことなかったですか?3月くらいに。何でもいいんです」 落ち着いたところで、さらに聞いてみる。 「さあ…。特に変わったことはなかったわねぇ」 司書の先生は困った顔。 「上沢先生に鍵を貸した前の日とか、次の日とかはどうでした?」わたしは食い下がった。 「あっ、そういえば」 おっ、何か思い当たったらしい。 「次の日、鍵が開いてたって、警備の人から報告があったのよねぇ。上沢先生、閉め忘れちゃったのかしら」 「鍵が開いていた…」 「ねえ、図書室で密室殺人でも起こるの?」 興味津々で、先生。 「はは…」わたしは笑ってごまかすと、「ありがとうございましたっ」頭を下げて、逃げるように図書室を出た。 「犯人がわかったら教えてねー」 先生はにこやかに手を振っていた。 夏の陽は長い。 久美子はまだ明るい放課後の廊下で、容子との会話を思い返していた。 「問題は、警備の人が調べたとき、図書室の鍵が開いていたってことだと思うの。クッキーと渡辺くんは、なっちゃんが鍵をかける音を聞いてる。おかしいよね?」 おかしい。確かにわたしは見たのに。どうして図書室の扉は開いていたんだろう。 理由がわからず、不気味だった。 「司書の先生が嘘をついてるんじゃない?彼女が、花瓶と指令書を送った張本人だって考えれば…」 黒川先生になろうとしてるのは、司書の先生。そう考えれば花瓶の謎は解ける。 あの日、図書室が閉まる時間になり、生徒たちは部屋を出る。 ひとりになった彼女は、持ってきていた花瓶を机の上に置き、鍵を閉めて立ち去ったのだ。 「だからって、鍵が開いていたなんて…。そんな嘘、意味ないと思う」 容子は冷静に反駁する。 「そうね…」 久美子も認めた。そう、この場合、やはりそれがわからない。 「その嘘によって疑いが晴れるかって言ったら、そういうわけでもないし。とりあえず、司書の先生は本当のことを言ってる、そう考えていいんじゃないかな」 「じゃあ、誰が鍵を開けたっていうの?」 容子は唇に指先を当てると、少し間をとって、切り出した。 「クッキーはなっちゃんが図書室を出るのを見たんだよね?」 「ええ。だから、あれは鍵を開けた音じゃないわ。確かに上沢先生は鍵をかけたのよ」 開いている扉の鍵を回したのだから、彼女が立ち去るとき扉は閉まっていた。その逆はない。 あの時点で鍵が閉まっていたのは確実だ。 容子は、話が次の段階に進んだことを示すように、うなずいた。 「鍵は二つ。ひとつは司書の先生が、もうひとつはなっちゃんが持っている。二人が隠し事をしてないなら、二人は図書室には戻っていない。ということは、鍵は外側から開けられたんじゃないってことになる」 外側から開けられたんじゃない…? 「可能性はひとつに絞られるよね」 「内側から?」 「そう」 久美子は納得できなかった。 「ちょっと待って。司書の先生はちゃんと戸締りをしたって言ってるんでしょう?彼女が部屋を出た後は、上沢先生以外、図書室に入ることはできなかったのよ?亡霊でも現れたんじゃなきゃ、内側からだって鍵は開けられない…」 何かおかしい。久美子は言いながら思う。 鍵を開けるために、戸締りのされた図書室に入る?それでは、本末転倒だ。 そうじゃない。 内側から鍵を開けるためには、誰かが図書室のなかにいなければならない。そこまでは間違いない。わからないのは、その誰かがいつ図書室に入ったのかということ。 疑問をぶつけると、容子はあっさりと答えた。 「まさか…。そんな」 信じられなかった。本当にそんなことを? 「でさ、ちょっと、ためそうと思ってるの。そんなこと、できるのかどうか」 容子は覚悟を決めた目で言ったのだ。 久美子は手首を返して腕時計を見た。 4時30分──そろそろ、時間だ。 目の前に位置するドアに視線を移した。 曇りガラスに人影が浮かび上がって、慌てて目をそらす。 ドアが開き、現れたのは、司書の先生だった。 「あら、こんなところで何してるの?」 「ちょっと…待ち合わせを」 「図書室の前で?変わってるわね。なかにはもう、誰もいないわよ」 久美子はあいまいに微笑んだ。 「部活じゃないんでしょう?はやく帰りなさいね」 言いながら、先生は鍵をかけた。 「それじゃ、さようなら」 「さようなら」 遠ざかる背中を意識はしても、見ないようにする。 角を曲がったのを目の端で確認。ほっと息をつき、肩から力を抜いた。 一度左右を見る。廊下に人影はなかった。 校舎のなかは本当に静かだった。運動部のかけ声が遠くで聞こえた。 久美子はドアに近づき、二回ノックした。 曇りガラスに再び人影が浮かび上がる。 鍵が開く。扉が横へスライドして──容子は、自然な動作で図書室を出た。 扉が閉まる。 「机の下って、けっこう見つからないものねー」 容子は疲れたように笑った。 「でもこれ、一世一代の大博打だわ。ホント、二度とやりたくないな。こんなかくれんぼ」 久美子は何も言えなかった。どうしてここまで…。 「なんでここまでしなきゃいけなかったの?」怒ったような声が出た。 「なんとなくわかる気がする。サヨコはひとりのためのゲームだから」容子は落ち着いた声で答えた。 「ひとりのための…」 容子は首を振った。 「わたしが彼女の気持ちを代弁したってしょうがないか。直接聞いた方がいいよね」 直接…。その言葉に心臓の鼓動が早まる。「これから…どうするの?」 「あすみちゃんに会うつもり」 久美子は顔を上げた。容子の優しい顔がそこにあった。 なんでそんなに強くいられるの?久美子は思った。 わたしは彼女の背中を追っていく。 暗闇に手を伸ばせば、触れることができる。 お願い、届いて── わたしの手が、彼女の手をとった。 驚いて振り返った彼女に、わたしは笑いかけた。 「みーつけた」 何のことだかわからず、きょとんとする彼女。 「何?」笑って聞き返してくる。 「もう、隠れてなくていいんだよ」 冷たい手の感触を感じながら、わたしは真剣に彼女の目を見つめた。 それで伝わったみたい。 あすみちゃんは、肩を落とした。 「見つかっちゃったか」うつむいて、つぶやく。 やっぱり、そうなんだ。 恐れていた可能性。わたしたち七人のなかの誰かが、指令書を送ったんじゃないかっていう…。 それは現実のものになった。 「どうして、黒川先生にならなきゃいけなかったの?」 わたしたちを裏切り、上沢先生を操って。もし失敗したら何もかもを失うような賭けだ。 わたしは理由を聞かずにはいられなかった。 あすみちゃんは悲しそうな目をした。 「サヨコを助けたかったの…」 そこまで言って、窓の外、遠くの空に視線を移す。 「みんなを集めてもらえるかな。そこで答えるから」 そして、わたしの手をそっとほどいた。 呼びかける間もなく、あすみちゃんは、廊下の人の流れに溶け込んでいた。 「小りさ、フライング」 気づくと、容ちゃんが隣りに立っていた。 「1対1の方が言いやすいかな…なーんて。…早く、確かめたかったから」 「ときどき、行動力あるんだよね」容ちゃんはあきれ顔で言って、 「みんなを集めよっか」 「ユキも…?」わたしは聞いた。 「ユキも、なっちゃんも」容ちゃんは、そう決めていたんだろう。さばさばと言った。 つらいだろうな。たぶん、ユキが一番…。 わたしは彼女の消えた廊下へ視線を向けて、思った。 |
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