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お昼休み。
わたしたちは手芸部の部室に渡辺くんを呼び出した。
「もう一度、サヨコやろう」
赤いスカーフを掲げて、わたしは言った。
渡辺くんは意外そうな顔をして、わたしと容ちゃんを交互に見た。
うなずくわたし。容ちゃんも微笑んでいる。
でも、渡辺くんは唇を固く結ぶと、うつむいてしまった。
わたしは容ちゃんと顔を見合わせた。どうしたんだろう…?
容ちゃんは肩をすくめて言った。
「どうしたの、渡辺くん。わたしたちは祝福を受けたんだよ。もう、向こうを本物かもしれないなんて言って、怖がる必要はないんだから──。あ、そっか。ひょっとして、言い出しにくいんだ?もう一度サヨコをやらせて、なんて。ね?そうでしょう」
容ちゃんが笑うと、渡辺くんもそれにつられるように少し笑った。
「…それはあるね」
「確かに、あれだけわたしたちのサヨコを否定しといて、またやりたいなんて、ちょっと虫がよすぎるもんねー」
「容ちゃん〜」
調子に乗っている容ちゃんに、わたしは慌てた。
余計なことを言って、渡辺くんが怒っちゃったらどうするの?
でも、渡辺くんはあまり気にしていない様子だった。笑って言う。
「あいかわらずだな、藤井さんは…。でも、まさか、またサヨコに誘ってくれるなんて思わなかったよ」
「いろいろ、心境の変化があったのよ」
恥ずかしそうに、容ちゃん。
「そんなこと、どうでもいいじゃない。今、問題なのは、渡辺くんがサヨコをやるか、やらないかってことなの」
「ああ、確かに。そうだな…、まずは、これを見てくれないか」
渡辺くんはそう言って、持ってきていたバックから、A4サイズの茶封筒を取り出した。

「これ…!」
わたしたちは息をのんだ。
「そう。サヨコの台本さ」

封筒の表紙には、『七番目の小夜子』と、書かれていた。






「どういうこと…これ」
わたしと容ちゃんはショックを隠しきれなかった。
存在しないはずのものが、ここにある。

「昨日の朝、ポストに入っていた。切手は貼られていない。直接、誰かが僕の家まで持って来たんだろう」
 直接、渡辺くんの家まで…?いったい誰が?
「君たちの台本じゃないんだろう?」
「わたしたちの台本は形にもなってないわ」肩をすくめて、容ちゃん。
「ごめん、容ちゃん」

夏休みには、3年生にとって最後の総体があるのだった。
朝と夕方の部活は厳しさを増し、頭のなかはバスケでいっぱい。
そんなわけで、わたしはなかなか台本に手をつけられないでいた。
「小りさが謝ることじゃないよ。今はバスケの方が大事でしょ?」
「…うん」
次が最後の試合になるかもしれない。その前に、できるかぎりのことはしときたい。
「いいわ。台本はバスケ部が優勝してからゆっくり書くから」
あのね、容ちゃん、優勝ってとっても難しいんだよ?
そんなわたしの思いを差し挟む間もなく、容ちゃんは渡辺くんに向き直っていた。
「わたしたちの台本かもしれないって思った?」
渡辺くんはうなずいた。
「うん…。思った。とうとう、僕のサヨコも終わりかってね」
「本当はサヨコ、やりたいんだね」
「ああ」
渡辺くんは観念したように、そう言って肩から力を抜いた。






「渡辺くん…」
「認めてしまうと、楽になるもんだね」渡辺くんは笑った。
わたしも容ちゃんも笑顔になる。
そうなんだよね…。
わたしも身に覚えがあった。認めて、楽になったこと。きっと、容ちゃんも同じように思ってる。
「渡辺くん、じゃあ、この台本はまだ…?」
「そうだね。読んでない」
容ちゃんが聞くと、渡辺くんは封筒を見つめながらうなずいた。
「これを読んだら、もうサヨコには戻れないと思って…。本当はやりたかったんだね。自分だけのサヨコを。でも、『もう一度やりたい』って、君たちに言う勇気もなかった…」
渡辺くんの言葉から一番強く伝わってくるのは後悔だった。
ふがいない自分に対する憤り…。
容ちゃんはふぅ、とため息をついた。
口許に優しい微笑みがある。
「それだけわかってれば、十分でしょう。さあ、答えてもらいましょうか。いっしょにやってくれるよね、サヨコ」
持ち前の明るくて、強い口調で聞く。
ここで渡辺くんがうなずいて、すべて丸く収まる。
わたしはそれを期待したし、そうなるって思っていた。

ところが──。

渡辺くんはうつむいていた顔を上げると、決然と言い放ったのだ。
「サヨコは…できない」






「そんな…。どうして?」
思いがけない答えに、わたしは聞き返さずにはいられなかった。
サヨコやりたいって、言ったばっかりなのに…。なんで、できないなんて言うの?
「台本が二つあるからさ」
渡辺くんは苦渋に満ちた表情で答えた。
「…どういうこと?」
「台本が二つあるとき、どちらを文化祭で上演するか決めるのは、委員長の役目だっていうのは、知ってるよね?」
「うん。六番目のときはそうしたって…」
設楽先輩の得意げな顔が思い浮かんだ。
「でも、もし委員長がサヨコだったら、どうなる?」
「あっ…。そういうことか…」
わたしはようやく渡辺くんが何に悩んでいるのか、わかった。
もし、委員長がサヨコなら、自分の書いた台本と、他の台本を比べることになる…。
「つまり、公平な判断ができないってこと?」
容ちゃんが言う。
「うん。もちろん僕はなるべく公正でありたいと思うけど…先入観や思い入れまでは、どうにもならない気がするし、仮にそれが公平な判断だったとしても、後味の悪さは残るんじゃないかな。どっちの台本を選んだとしてもね」

わたしは考え込んでしまった。
確かに…そうだ。
わたしたちの台本が選ばれても、選ばれなくても、なんかイヤな感じが残る…。
渡辺くんは何も悪いことをしてないのに、ううん、頑張れば頑張るほど、後で苦しむことになるような気がした。
「どうしよう。なんか、わたしたち、大変な失敗をしたんじゃ…。そうだ。祝福されたのはわたしたちなんだから、他の台本は失格…っていうのは…やっぱ、ダメだよね」
二人の表情は重かった。
わたしは容ちゃんとのやりとりを思い出していた。
祝福してくれたのは誰か──。
やっぱり、六番目が終わって小夜子の魔法はとけてしまったんだろうか。
手に持った赤いスカーフを握り締める。
戸棚の鍵も、赤いスカーフも、もうわたしたちが本物だって証拠にはならないんだ。
ホンモノとニセモノ…。二つの言葉が意味を無くしていく。
今、いるのは二人のサヨコ。ただ、それだけなのだ。






「祝福はサヨコ本人にしかわからないものだからね。二つ台本が提出されたら、やっぱり僕はどちらかを選ばなきゃならないだろう」
渡辺くんが言う。

うーん、そっか…。これは、ほんと難しい問題だ。
もうひとりのサヨコが現れなければ、こんなことにはならなかったのに…。
考えていくと、どうしてもそこに戻ってしまう。
「僕が始業式の朝感じたのは、そういうことだったのかもしれない」
渡辺くんの目には憂いがにじんでいた。
「サヨコが僕たちだけなら、何の疑問もなく自分のことを本物だって信じられたんだろう。
でも、ガラスの花瓶を見たとき気づいたんだ。僕たちを支えるものなんて、何もないってことに。なにしろ、鍵も花瓶も、自分で用意したものなんだからね…。黒川先生はもういない。それがとても怖かった」

 『向こうは本物かもしれない』

確かにあのとき、渡辺くんは何かに怯えてるみたいだった。
そっか、それでサヨコを抜けたんだ…。
「サヨコを復活させるなんて、僕には荷が重かったのかもしれないね」最後には自嘲的な笑みを浮かべる。
「違う。そんなことないわ。きっと、何か方法があるはずよ」
容ちゃんは渡辺くんを叱咤すると、考えに沈んだ。
わたしも必死になって考えた。
渡辺くんがサヨコをやる方法…。沈黙のまま時間が過ぎていく。
予鈴が鳴った。決断を促す、鐘の音。
「ありがとう、藤井さん、石部さん。もういいよ。僕は委員長として、サヨコを見守っていくから」
渡辺くんはそう言って、封筒をかばんのなかにしまいこむ。
「本当にそれでいいの?」容ちゃんはまだあきらめていなかった。わたしも、まだ。
サヨコは台本を書く。希望や不安、自分の思いを精一杯こめて。
そのとき、気づいた。
彼女はどんな思いを台本にこめたんだろう?
「見つけた…」わたしはつぶやいた。
「小りさ?」
わたしを怪訝そうに見つめる二人。
「まだ方法はあるよ」
もうこれしかないと思った。
「もうひとりのサヨコを見つけるんだよ。見つけて、いっしょにやろうって誘うの。ふたつのサヨコをひとつにしちゃうんだ」
「ふたつを、ひとつに…?」
どちらか一方を切り捨てるんじゃなくて、ふたつの思いをどっちも台本にこめたら──。
そうすれば渡辺くんが台本を選ぶ必要はなくなるし、いっしょにサヨコだってできるはずだ。
これなら、うまくいく。
わたしは闇のなかで、かすかな光を見つけたような気がしていた。
でも、渡辺くんはつらそうに首を振った。
「ごめん…。やっぱり僕は少し距離を取った方がいいみたいだ。君たちのサヨコが成功することを祈ってるよ。あと、台本選ばれなくても、恨みっこなしだぜ」
渡辺くんは部屋を出た。
容ちゃんはもう引きとめなかった。
「恨むわ…」代わりに、そう小声でつぶやく。
「数学、遅刻だね」
チャイムが鳴り響くなか、容ちゃんは言った。






太陽の光が低く差し込む夕暮れ。
窓の外には橙色の世界が広がっていた。
反対に、影で満ちた校舎を、わたしは歩いていく。
自分が許せなくて、一番遅くまで練習した。でも、やっぱり身が入らなかった。
渡辺くんとのやりとりが頭から離れてくれない。
こんな面倒なことが、最後の大会と重なるなんて、ついてない…。
正面玄関で靴を履き替える。掲示板を見つめていると、赤い花の幻影が見えた。
「石部」
名前を呼ばれて振り返る。
「ユキ…」
逆光のなかに、いっしょにサヨコをやろうとしていた男の子の姿があった。

「どうなってる?サヨコ」
ユキはそう聞いてきた。
わたしは七夕の祝福のことや、送られてきた台本のこと、渡辺くんが悩んでいることを話した。
「大変そうだなー」ユキは天を仰いだ。
「おれなら先に送られてきた方をやるな。考えるの苦手だからさ」
「ユキならね」
わたしが笑うと、ユキは優しい微笑を浮かべた。
「災いは、まだ起こってないんだな」
「ユキ〜。あんまりそういうこと言わないで。怖いでしょ!?」
ユキは笑った。
「起こんないよ、災いなんて」
言いながらも、心に沈み込んだ思いをどうしても払拭できない。
ひょっとしたら、災いはすぐ近くに迫っているのかもしれない。
渡辺くんとのやりとりで気づいたんだ。きっと、あの二人も…、伊原さんだって気づいてる。
でも、誰もそれを言葉にはしない。
「おれさ、災いを怖がってただろ?あれ、今がすごく楽しくて、うまく行ってるからなんだ。それが壊れるような危険なことしたくなかったんだよな。実際、勉強も部活も順調だし、あすみとだってうまくやってる。だから、サヨコをやめたこと、間違ってなかったと思うんだ」
「そっか…」
そうだよね。サヨコが必要じゃない人もいる…。あたりまえのことだ。
「石部も面倒だったら、やめちゃえよ」
わたしは笑って首を振った。
無言で歩いていくと、交差点に出た。
「じゃあ、がんばれよ」
「うん。男バスもがんばってね。目指せ、全国大会」
「おう」
わたしたちは手を振って別れた。
太陽が燃え尽きて、空は青く透き通っていた。星が輝き始めている。

 もうひとりのサヨコ…。
 あなたはいったいどこにいるの?何を伝えようとして、わたしたちの前に現れたの?

わたしの意識はいつしか姿のない『彼女』へと向けられていた。


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