東山のトップページに戻る / この月のカレンダーに戻る

前の日 / 次の日

韓国併合

2006年8月22日(火)

朝6時前起床。朝食は、バナナ、野菜ジュース、ヨーグルト。
7時半から8時半ぐらいまで、母は散歩に。
みんな起きてきて、雑炊。
10時過ぎ、母とお嬢ちゃんをプールに送り、そこから、奥様と義従妹を北野異人館まで送る。
12時過ぎ、母達を迎えに行く。
昼食は、ざるそば。
15時すぎ、駅へ奥様達を迎えに行く。バースデーケーキを求めて急遽シーアへ。ひどい夕立。
結局また駅前に戻る。アンプレシヨンは、15分待てば、作れるというので、頼む。
16時半過ぎ、帰宅。
夕食は、ステーキ。お嬢ちゃんの誕生日を祝う。
18時半、母を駅へ送る。
20時、ケーキを食べて、再度お祝い。


2005年8月22日(月)

朝7時半前起床。朝食は、かけうどん、バナナ、野菜ジュース、ヨーグルト。
母から、今日は来られないと電話。
Cさんから奧樣に電話。
昼食は、担々麺。
13時10分過ぎ、車で奧樣とお嬢ちゃんをシーアに送る。病院に回って検査結果を取る予定だったが、時間がなさそうなので、大学へ。
13時40分、学科の部屋に着く。M先生から、すでに高校生が来ているので行ってくれと指示があり、開始時間前にミニオープンキャンパス会場へ。目当ての高校生はおらず。結局、学科の部屋に向かったことを知り、そのまま会場で時間つぶし。
H先生、S先生と担当。教育のK先生とあれこれ話す。
二組ほど高校生のお相手。働いていたのは、専らH先生。
15時半終了。学科の部屋に戻ると、1年のゼミ生が。進路のことで悩んでいるとのことで、あれこれ話す。
話し終わって、H先生・M先生と学科にふりかかっている大きな問題についてあれこれ。
17時、帰途に着く。17時20分、シーアに着き、本屋へ。奥様達と合流。
本屋と同じ階にある喫茶店で、ケーキ。その後、買い物して帰宅、18時半。
20時過ぎ、遅い夕食。ステーキ。
半身浴。

お嬢ちゃんは、13歳。生まれたばかりの時に撮ったビデオを見る。


2004年8月22日(日)

朝5時半起床。カステラを少しかじる。
5時45分頃、出発。111路で灯市西口、6時頃、ホテルのロビーに着く。すぐに、一組また一組と学生達が下りてきた。
6時半、ホテルを出る。7時すぎ、空港着。すぐに全員ゲートに送り込む。
旅行会社の車に東直門まで送ってもらう。107路の電車で廠橋まで。8時半過ぎ帰宅。
内モンゴル行きの準備。11時半から1時間半ほど寝る。
昼食は、粥、牛肉の薫製みたいなもの、ふじっこ。
お嬢ちゃん達は、ピアノの練習に。13時45分頃戻る。
15時過ぎ、タクシーでヒルトンホテルへ。1階のラウンジで丸い小さなケーキを買って、2階のレストランで、お嬢ちゃんのお誕生日を祝う。
17時前、帰途に着く。向かいの食堂で、ご飯、青椒肉絲、青菜の炒め物をテイクアウト、夕食。
18時過ぎ、奥様、授業へ。
お嬢ちゃん、わたしとシャワーを浴びて、出発の準備。
19時過ぎ、出発。すぐ近くでタクシーがつかまらず、大通りまで歩く。
タクシーで北京西站まで。駅近くの渋滞は相当のものだが、車社会になるのを見越していなかった、明らかな設計ミスによるものだろう。
8時、2階の軟座待合室に入る。
約束の8時半になっても、合流目的の団体が現れない。40分近くになって、ガイドの携帯に電話。もうじき着くという返事。発車時間の10分前、8時50分近くになって、やっと一行が到着。意外なことに、一人の社会人参加者を除いて、今年は全部うちの大学生だった。
急いで列車に乗り込む。ハイテンションな二人組と同室になる。
定刻の9時に、呼和浩特(フフホト)ゆきの直快K89次は出た。別のコンパートメントの雲南出身の青年と少し話す。その後、英語での会話がそこそこ盛り上がっていたようだ。
11時前、お嬢ちゃんが寝る。横になってうつらうつら。
2時頃、下段の灯火がついているので、まだ学生が起きているのかと思ったら、点けたままで寝ていた。


2003年8月22日(金)

朝7時半起床。まず、桃だけ食べた。8時半前、お嬢ちゃんを塾まで送り、そのまま大学へ。懸案事項ひとつ済ます。学生寮に寄って、Hさんに録音の依頼。
帰宅後、朝食。粥、荷包蛋、昆布。
11時過ぎ、母を駅まで迎えに行く。奥様はジムへ。13時、奥様がお嬢ちゃんを拾って帰宅。
昼食は、蓬莱の豚まん、阪急梅田・宝梅の鯖棒寿司、穴子の押し寿司(いずれも母が買ってきてくれたもの)。
14時過ぎ、全員でシーアへ。お嬢ちゃんは、おばあちゃんから誕生日プレゼントを買ってもらう(ズボン2着)。
夕方、うつらうつらと。それにしても今日は暑い。やっと夏。
夕食は、ステーキ、サラダいろいろ。お嬢ちゃんの誕生日を祝って。食後はケーキ(これも母が買ってきてくれたもの)。
早く寝ようとしたが寝付けず、深夜までだらだらと。


2002年8月22日(木)

朝8時起床。8時半にホテルから出発。偶々ロビーでN先生と遭遇、しばらく同道する。
すぐお別れして、Hays Mall へ。両替商で日本円1万円、シンガポールドル25ドル、韓国2000ウォンをオーストラリアドルに替える。
Mall のカフェで朝食。カフェラッテとハム&チーズロール。値段は高め。しばらく店外の席で坐っていた。
スワン川沿いを散策してホテルに戻る。10時半頃、ホテルに帰着すると、ロビーにL先生がいる。S先生とアボリジニのやってる店に行くとのことなので、仲間に加えてもらう。
S先生も下りてきたので出発。L先生の両替のために、またさっきの両替商へゆく。ショッピングセンター内をうろうろしたあと、行人に目当ての店までの道を尋ねると、なんと店まで30kmはあるという。ホテルのフロントは、駅の近くだとL先生達に説明していたのだが。
とにかく店は断念、駅を通り抜け、図書館へ。Occupied Japan の写真展というのをやっていたので見学。日本に進駐していた退役軍人の方から写真の説明を聞いたり。
日本から来た高校の先生に声をかけられ、しばらく話す。
中華協会という建物あり。入っていくと、老人達がビンゴで遊んでいた。あれこれ話を聞く。
その近くのベトナム料理店で昼食。のんびり14時半頃まで食べていた。
スーパーマーケットで明日の朝食のパンや飲料を購入。15時半、ホテルに戻る。
ホテルのラウンドリーに行き洗濯しながら、授業の準備。
18時、ロビーに下りて、他の先生方と合流。外は寒い。S先生が体調不良で、すぐにホテルに引き返した。
残った4人で Hyattホテルのモール内にある JESSICA'S なるシーフードレストランへ。生牡蠣、ロブスターの刺身、おいしいワイン。
22時前、ホテルに戻る。寄ってしまったので、夕食後にカジノに行こうと思っていたのを断念。すぐに寝た。


2001年8月22日(水)

昨夜は寝付けず、3時過ぎまで起きていた。
朝8時過ぎ起床。朝食は、トーストにマーガリン、酢のドリンク、桃。
10時前、車で出発。郵便局に寄って用事1件。学校まで送ってもらう。お嬢ちゃんと奥様はそのままお嬢ちゃんの誕生日のプレゼントを買いに行った。
某研で頼まれ物のタイの即席ラーメンをお渡しする。某所に回り、出張中貸し出していた機材を返却、ラーメンも少々差し上げる。その後、学科の部屋にゆく。各所でタイのポッキー(ラーブ味)をおみやげに配る。
学科の部屋で出張を締める書類書き。L先生と話したりもする。12時、某所へ移動してオープンキャンパス。うちの学科だけ出動人数が多い。余剰人員となる。
1時半前、終了して蕎麦屋でL先生と昼食。K先生から組合の話を聞く。
学科の部屋へ戻り、雑務を完了、事務所に提出。3時過ぎのバスで下り、迎車で帰宅。4時半頃か、猛烈に眠くなり寝てしまう。6時前に起きて夕食。白粥、鯖の煮付け、さやいんげん・にんじん・キクラゲ・豚肉の炒め物。
北京で買った本が届いた。
7時過ぎ、お嬢ちゃんの誕生日を祝う。ケーニヒスクローネのケーキ。
雲南帰省中のビデオを見る。


2000年8月22日(火)

曇り、夕方スコール(飲み物じゃないよ)。
日本時間の2時10分頃、グアム時間の3時10分頃、無事着陸。緊張の米国第一歩を緊張感なく寝ぼけ眼で踏み出す。
入国審査を終えて外に出ると、現地の旅行会社社員が迎えに来ている。巨大なアメリカ式バスに乗ってホテルへ。安いツアーだから、 ホテルはタモン湾ホテル街の最果てにある。空港からはすぐに着いた。帰りの出迎えの説明などを受けた後、部屋へ。奥様は元気に風呂などに入ったとのことだが、 わたしは真っ先に爆睡。

9時半頃、みんなでロビーに出てゆく。この最果てホテルには、現地旅行会社のカウンターがあるのだが、係員は常駐しておらず、置いてある電話で連絡を取るようになっている。 で、早速電話する。これからでも間に合うオプショナル・ツアーということで、ジャングル・ボートとかいうやつに参加することに決定。続けて、サンセット・クルーズというやつにもゆくということに。旅行会社の本部が近くにあるので、散歩がてら歩いてゆき、クレジットカードで代金を支払う。朝食をとる場所を求めて放浪、DFSギャラリアとかいう巨大免税品店に入店。2分も滞在せずに出店し、向かいのビルの2階の食堂で朝昼兼用の食事を取る。和食も中華も朝鮮料理もあった。サンドウィッチなんか売ってた店の店員は中国人。みんな片言の日本語を話す。

ジャングル・ボート。12時半にホテルに迎えが来る。バスには既に3人程乗客が。いくつかホテルを回って、アメリカ式大型長尺バスはほぼ満員に。このツアーの運転手兼ガイドのベン(確かそう名乗ったような)さんは、なかなか日本語が上手で話も面白い。寒いギャグも多いが、間合いが抜群である。
ホテル街の物価の高さ(40セントのビールが4ドルする)に、「信じられないよ」といい、マッサージ室の存在に、「こんな小さな島にこんな店、信じられないよ」という。全部日本人のおかげといっていいことであろう。
  このベンさんに、われら父娘は、フィリピン人だと判定を受ける。(^_^; 何年か前に上海でマレーシア人であるとお告げを受けて以来のヒットである。 川をボートで上って降りて、チャモロ人部落の遺跡を訪ね、またホテルに戻った。横井さんの話題だらけ。日本人旅行客でも、若い人は横井さんなんて知っているのだろうか?
そういや、ベンさんもチャモロ人。ホテルの従業員もおおむねチャモロ人。ホテル街は日本人だらけ。中には中国人・韓国人もいる模様。アメリカに来た感じはしない。って、アメリカの準州なんだよなぁ。スペイン→日本→アメリカと支配者・所属が替わってきたわけだけど、独立なんかはしたくないのかな、チャモロの人達。

ちょっと部屋で休憩した後、サンセット・クルーズへ。湾内で揺れないので、子供も安心というやつだった。迎えのバスの運転手が滅茶苦茶不機嫌。ところが、この運ちゃん、船に上がるや、DJに大変身し、途端に陽気で友好的で日本語がうまい観光業チャモロ人。プロですな。
宣伝に出ている写真とまったく違う貧相な食事(チャモロ料理の味付けはだいたいわかった)。いまひとつ盛り上がらない歌と踊り、船を下りる頃に襲ってくれたスコール、バスに乗り込み運転手になるや、またもや超不機嫌な運ちゃん、で一日は終了。

あ、そうそう、今日はお嬢ちゃんの誕生日だった。この旅も彼女のお祖母ちゃんのプレゼントなのである。サンセットクルーズで、子供達が集められて、おみやげが渡されたとき、
お嬢ちゃんは船上の人みんなに誕生日を祝ってもらって、とても嬉しそうだった。


前の日 / 次の日
東山のトップページに戻る / この月のカレンダーに戻る