おばあちゃんはmojoが腰を下ろそうとした時に、すっと抱えていた荷物を自分の方に引き寄せ、なるべく広いスペースを作ろうとしてくれた。
その動きはとても自然なもので、なんだかそれだけでとてもいい気分になれた。
しばらくすると、隣から何やら話し声が聞こえてきた。ボソボソと小さな声。なぜだか、その小さなはずの声が耳に引っかかる。
最初は意味がわからなかったのだが、どうも外国語に聞こえるのだ。見た目はどう見ても日本人なので東南アジアから来た人たちなのだろうと想像した。聞こえてくるのは中国語ではない。といって韓国語なのかと言われると、似ているようで似ていない。
その引っかかりのせいか、買ったばかりの文庫本のページを開きながら、その内容はぜんぜん頭に入ってこなかった。代わりに、ついつい隣の会話に耳を傾けてしまう。
さらにしばらく経つと、意外なことに気がついた。話はおばあちゃんが中心になって進んでいるようなのだが、それに相づちを打つ50代の女性の言葉は日本語なのだ。聞き取れない部分もあるが、注意深く聞いていると確かに日本語である。
「えっ、ひょっとしておばあちゃんが話しているのも日本語なの?」
あまりの聞き取れなさに驚いたが、一方が日本語でもう片方が外国語で会話するということもあるまい。とすると、やはりおばあちゃんの言葉も日本語なのだろう。
そうして、もはや文庫本も閉じ、周囲の騒音もカットし、集中して聞いていると、ところどころにわかる単語が混じっていることに気づいた。
「田んぼが…」
「○○さんの…山が…」
それに対して50代の女性が、
「ああ、そうなの」
「○○さんは元気?」
などと返している。ああ、やっぱり日本語なんだ。
おそらく東北弁。山形なのか青森なのか、秋田なのかわからないけれども、言葉に北の匂いがする。
東北でもある程度若い年齢の人とは話したことはあるが、このおばあちゃんほどネイティブな東北弁を話す人とは会話をしたことがないので、ここまで聞き取れないとは思わなかった。
それにしても身の回りの近況を話しているらしいおばあちゃんのポツポツとしたしゃべり方が、なんとも可愛くて、すっかり気に入ってしまった。そのリズムもイントネーションもとても魅力のあるものだと思った。
近頃はテレビの影響か方言も濃度がずいぶん薄まってきたと聞く。
もうこのおばあちゃんのような会話を耳にすることもなくなってしまうのだろうか。そうだとしたら、なんともつまらない世の中である。
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