ぼんやりと、しばらく眺めてしまう。本当にきれいだなと思った。
視線を道路に戻すと、携帯電話のボタンをすばやく打ちながら画面から目を離さず歩いてくる大学生くらいの年齢の女の子。
その画面の向こうには、世界がつながっていて、とてつもなく広いのかも知れないけれど、顔を上げればもっと果てしない宇宙が広がっている。
携帯電話やパソコンは無限の世界につながっているように思ってしまうけれど、実際に自分が把握できている範囲なんてとても狭くて、意外とちっぽけなものなんじゃないのかな。
MacやiPhoneをいじりながら「ウッキッキー!」と喜んでいるヤカラには、あまり人のことも言えないけどさ。
思えばmojoは見上げる人であった。子供の頃からずっとそうだ。月だけでなく、朝日や夕日、雲、どれも見ていて飽きないから、家にいてもついベランダや窓から外を眺めている。
ただし、ただの見上げる人であって、天体の人ではないから、星のことも宇宙のこともぜんぜん詳しくない。ただ見てるだけ。
絵を描くある知人の作品の中に、濡れたアスファルトを題材にした絵がある。緻密に描かれた道路の一部。それが描かれた紙の中にまた同じ絵があり、無限に思えるほど繰り返されていくというものだ。
なぜ、こんな絵を描いたのかと尋ねたら、
「ちょっと重い病気をしてた時期があって、つらくて毎日下を向いてばかりいたから」
だと言った。濡れたアスファルトは確かに暗くて、湿っていて、陰鬱な気分にさせる。毎日、毎日下を向いて歩いていたのだろう。飽きるほど目に入ってきたアスファルトが、その頃のすべてだったと言った。
思えば、入院する前のmojoも"見上げる人"ではなかったのかも知れない。その濡れたアスファルトの陰鬱な気分がちょっぴり分かる。
退院して、気づいたらまた見上げる人に戻っていた。
夜の月を眺めながら、ずっと見上げる人でいたいなと思った。