まあバッグの名前はどうでもいいんだけど、気になったのはその中身。いや、別に覗き趣味があるわけじゃないし、覗く気もなかったんだけど(言い訳多過ぎ?)、目の端にとらえてしまったわけですよ、それを。
年の頃、25、6歳。髪の長い女性だった。そんな若い女性が持つには似合わないモノが、そのバッグには入っていた。
辞書である。しかも裸。背表紙が見えていた。
ここでたいていの人は理解に苦しむわけで、いや、そう思うんだけど、なぜこの女性は辞書を持っているのか。英語の勉強でもしているのかと、チラッと見れば、国語辞典のようだ。謎はさらに深まった。
訊いてみたいが、いったいなんて訊けばいいのか。
「あのぉ〜、なぜ辞書を持ってるんですか?」
いや、それはダメだろう。それを訊く時点で、相当怪しいおやぢになっている。しかも多くの人が信号待ちをしているという状況の中、それを訊く勇気は持っていない。小市民の“ちょいダメおやぢ”なのである。
[1]辞書が必要で今日買ってきたばかりである
[2]職業が校正者である
[3]辞書フェチである
新品じゃなさそうなので[1]はどうも違うみたいだ。買ってすぐに裸にもしないだろうし。まあ、誰かから借りてきたっていうのはあるだろうな。
[2]の校正者というのは、可能性がないわけではない。手書きで原稿を書いていた頃はmojoも辞書を持ち歩いていたし、専門職の校正者なら…とも思うけど、どうも若い女性=校正者という想像が出来ない。いや、若い女性の校正者もいるんだろうけど。
では[3]はどうだろう? おかしいと思われるかも知れないけれど、世の中には辞書フェチと呼んでもよさそうな人たちがいるのである。辞書ってのは編者によって相当癖があるし、用例なども違ってくる。そのあたりは最近タモリのジャポニカロゴスなんてテレビ番組も出来たので、一度見てみるとよく分かる。
しかもこういう番組がそこそこ受けているということは、辞書フェチの存在が認められつつあるということではないだろうか。
インターネットにおいては、ある分野の専門辞書から百科事典、Webデザインを助ける辞典まで、さまざまな辞書・辞典がある。
さらに辞書リンクなるものもたくさん存在していて、単語などを検索するのに利用している人も多いだろう。しかし辞書リンクは便利なのかも知れないけれど、デザインが美しくなく使い勝手もよくない場合が多いような気がするなあ。
インターネットの国語系の辞書でオススメなのはシソーラス(類語)検索だ。ある言葉を言い換えたいような場合に、とても便利。いろんな言葉を入力してみると、けっこう楽しいぞ。
そしてもちろん、紙の類語辞典やカタカナ辞典などが手元にあればもっと楽しい。“検索”という方法じゃなく、ペラペラと紙をめくるってのは案外いいものだ。
しかし辞書についてこんなに語ってしまった自分が本当は辞書フェチじゃないのかと自問自答。 いや、嫌いな方じゃないけどさ。
ところでこのエントリのきっかけになった“辞書女”。さて、みなさんはどう推測するか?