アナログ回帰


 最近メモ帳がよく減る。これには実はわけがある。

手ごたえのない不安感

実は以前から気になっていたのだが、パソコンを使って文章を書いていることに違和感がある。それは"漢字が書けなくなった"というレベルのものではなく、脳への伝達が希薄になっているような違和感である。脳がだんだんブヨブヨになっていってしまうような不安感とでも言おうか。

もちろんパソコンを複数台所有し、Blogなどをやっているのだから、デジタルの世界が嫌いなわけじゃない。いや、むしろ好きなんだと思う。それでも頭の中にある違和感をぬぐいきれない。その気持ちは以前からあるにはあったが、それほど強いものではなかった。ボンヤリしていたものが、なぜかここ数年で急に確信に変わってきたのだ。

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人間は絵や文字を紙(粘土でも板に彫るのでもいいのだが)に書くことで、脳に何かを伝えているのではないか。それはパソコンのキーボードを叩いたのでは伝わらないものなのではないか。

たとえばmojoの仕事に「文字校正」という作業がある。自分が、あるいは誰か違うライターが書いた文章を校正する作業で、まあ簡単に言ってしまえば間違い探しみたいなものだ。AdobeはPDFを普及させて、「紙を使った校正作業なんかなくそうよ」と声高に訴えているが、パソコンの画面上で文章を直そうとすると、どうも見落としが多いのだ。

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同じ文章を紙に印刷されたもの(校正紙)で読むと、「なんでこれを見逃しちゃったのかなぁ」というような簡単な間違いがボロボロと出てくる。

同じように仕事で取材する時には、音声も拾うけれど取材ノートに手書きでポイントを記すことも平行して行なうのだが、取材ノートをあまり残せなかった場合には、なぜか原稿を書く時に頭の中で簡潔に整理出来なかったりするから不思議だ。

新聞はもう要らない?

そういえば去年、どこかで「新聞なんか要らないんだ」という文章を読んだ。場所をとるし、ネットに比べて速報性は劣るし…といったような論調だったが、mojoはそうは思わない。朝、ぼんやりした頭でコーヒーを飲みながら新聞のページをめくる。いろんなニュースを読みながら、少しずつ頭が覚醒していく。

こういう行為って大事なんじゃないかな。ただ場所をとるからとか、速報性とか、それだけじゃないものが紙の新聞(媒体)にはあると思う。もちろん子供の頃からパソコンとつき合ってきた世代は、mojoが感じるような違和感はないのかも知れない。そしてニュースなんてネットだろうが何だろうが、とにかく読めればいいのかも知れない。

でも、<なんか違うんだよなぁ>と体と頭の奥底で何かが訴えている。

そしてmojoは「このアナログとデジタルの間にある歪み」を矯正したいと思った。それにはなるべく自分の手で文字や絵を書くのがいいんじゃないかと考えた。あまりにも単純だし、これが正しいかどうかは分からない。ただしばらく続けてみて、意識して自分の手で文字を書くことは「心地良い」ことなんだと再認識した。

copy用紙の裏側に落書きしたり、手帳にいろんな色のペンを使ってメモをとったり、Blogの下書きをしたり…。時代を逆行しているのかも知れない。でも、楽しい。近頃ではわざと電卓を使わないで計算したり、計算式を書いてみたり。日常の中に転がっている落とし物を拾っているような感じ。

だからもうしばらく…もうちょっとだけ、アナログな生活を意識してみよう。意外なものが見えてくるかも知れない。


Posted at:2005年08月26日 (Fri)at 07:04 午前