front line this week
すべてぼくのカラダの欠点の所産さ。完璧に生まれなくて感謝している。 --Bob
Fosse
誰が見てもピカソの絵はピカソとわかるように、フォッシーの振付はすぐにフォッシーとわかります。指先で帽子のつばをなぞる仕種、背中を丸めた内股のステップ、フレックスしたままのキック、お尻を突き出し、顎を上げ、肩や手首を誇張した動作は独特のもので
“フォッシー・スタイル”と呼ばれています。でも、そういう見かけのスタイル以上に、フォッシーは踊るときになにを考えているか、振付の背景にある役の性格や意味を重視していました。だから、ステップやポーズを真似るだけでは似て非なるものにしかなりません。服を脱ぐだけではセクシーに見えないように、内面に訴えかける“なにか”があるから、観客は色気を感じるのです。それこそが
“フォッシー・スタイル”の真髄ではないかという気がします。 もともと“フォッシー・スタイル”は、髪が薄いとか、猫背ぎみだったとか、バレエのターンアウトが完璧にできなかったという彼自身のコンプレックスからうまれました。劣等感の強さは理想が高いことの裏返しでもあって、そんな葛藤を昇華させたのがフォッシーの踊りなので、クリエイターとしてリスペクトされていても作風の好き嫌いは大きくわかれるでしょう。実際、作品は評価が真っ二つに分かれるものが少なくありません。この『オール・ザット・ジャズ』もそうだし、来日中の『CHICAGO』も初演当時はいまほど受け入れられませんでした。ただ、人間の心の闇をここまでコミカルかつ美化したダンスシーンで表現した映画はそれまでありませんでした。この映画を嫌いなひとや苦手なひと、戸惑うひとはいるでしょう。でも、この映画を観て「なにも心に引っかからない」なんてひとはそりゃあ、お子ちゃまかウソツキってもんですよ。
フォッシーはどこかでつねにひけめを感じていた。商業主義的で品がなく、俗っぽすぎると悩み、バーレスクやヴォードヴィルの持ち味を恥じていた。しかし、彼はすべてを吸収して別のものを創造した。彼が振り付けた踊りをみると、誰もが心を奪われるはずだ。人間の体の強さと美しさに感動させられるだろう。娯楽性と芸術性の双方を極めた傑作だ。 --Roy
Scheider (映画『オール・ザット・ジャズ』について)
本日のオマケは極めつけのフォッシー・スタイルということで、映画『星の王子さま』からボブ・フォッシー自身によるヘビのダンス。 この頃、フォッシーは40代後半、カラダのキレは20代の頃には及ばないけれど、強烈な個性はヘビそのもの。バックスライド、すなわち後年マイケル・ジャクソンの“ムーンウォーク”として一世を風靡するステップもみられます。“In
the
Closet”は、このシーンに捧げるオマージュらしいのですが、脚が細くて長〜いスタイル抜群のマイケルを昔から「うまい!」「凄い!!」とはおもうけど、わたしにはキレイキレイすぎてどうも・・・・(以下自粛)、ファンのひと、ごめんなさい。 スタンリー・ドーネンの『星の王子さま』も賛否両論ある作品ですが、わたしは好きです。いまだに最後まで観たら涙がとまらなくなってしまいます。で、外に出て星を眺めながらまた泣く(笑)。原作も好きだけれど、それはそれとしてこの映画が描く世界も好きです。 高慢なバラの役は『コーラスライン』のキャシーのオリジナル・キャスト、ドナ・マッケクニーがすこぶるセクシーに演じています。
Tue - November 10, 2009
第4回湘南国際マラソン大会で走りました
すっかりご無沙汰ですが、何ごともなかったかのように、こんにちは。 いろいろおしらせしたいことも多々あったんですが、まあね、これがいわゆる“リア充”ってやつなんでしょう。 さんざん吹聴していた湘南国際ですが、10kmの部、無事完走いたしました。初レースでしたが、ラ会のメンバーの助言もあって大会そのものを充分満喫することができました。経過はTwitterでもぽろぽろと呟いていたとおり。応援してくださったみなさま、ありがとうございました。
お家を出てから帰り着くまでが遠足といいますが、ホントこの大会はのっけから遠足ムードです。なにしろ最寄り駅から会場までが遠い、遠い。わたくしみたいな軟弱ランナーはレース前に3.2kmも歩くのかよとおもうと、それだけでもう心が折れそうになりましたけどね。iPhoneのマップで現在地と会場までの距離を確認しつつ、黙々と歩いてるまわりの参加者のみなさんにつられて歩いてるうちに会場に到着。
どこになにがあるのか、案内図をみても人だかりにまぎれてわからない。スタッフに尋ねても担当以外のことはわからない。それでもラ会の管理人モカどのとなんとか合流でき、荷物を預けるところまで漕ぎ着けました。荷物にはゼッケンとおなじ番号シールが貼ってありますが、なんかゴミ袋みたいですね。というかゴミ袋ですけど。 あ、だいじなことなので更衣室の話をしておきましょう。もちろん更衣室は用意されています。でも、その辺でジャケットとパンツをパパッと脱いで準備完了て方も多いです。会場案内をみると女子の更衣室なんていっちばん奥でしたからね、人ごみも並んだり待たされたりするのも嫌いだし、ダンスなんてやってると稽古着の上にウォーマーを着込んで、シューズやらウェアやらを詰め込んだ大きなバッグを肩に、あっちのスタジオ、こっちのワークショップと渡り歩くの常ですから、わたくしがどうしたかはご想像におまかせします。だいじなことなのでもう一度いいますが、脱いだのはジャケットとパンツだけです。全部じゃありませんよ、なにせコレ着てますから。
というわけで、ラ会T、レース仕様はこちら。ノリさん 、さんきゅ♪ グッジョブな仕上がりでしょ?
さあ、いよいよスタートの時間が迫ってきましたよ。10kmの部だけでも1万1,000人参加してるそうなので、わりと前のほうにいたはずですが、スタートゲートは遥か彼方(笑)。ヨーイドンの号砲から何分もしてからようやく走りはじめます。 わたくしはいつものヨタヨタ走りですから、どんどん追い抜かれていきます。で、2.5kmくらいに差しかかったあたりで、もう先頭集団が折り返してきてるわけですね。「速ぇ!」「スゲェ!」と一斉に拍手が起こります。「がんばれ〜」とかけ声もかかります。いや、アチラはもう残り3kmほど、これからあと7km以上走らなきゃならないワレワレこそ、がんばらなきゃなんですけど。 3kmを越えたところで女子の先頭を発見。長距離になると男女のタイム差は小さくなりますね、むろんトップランナーに限りますが(今大会でも10kmの部の優勝者で3分も違わない。すごいね)。 およそ4.5kmで折り返しです。それまでは1kmごとに距離の表示があったのですが、折り返し後は表示がなく、いちいち沿道のボランティアのみなさんに「あと何キロ?」と尋ねることになりました。レースがキツくなるのは後半なので、このへんは改めていただきたいもの。
走っていると、正直つらいです。なんでこんなシンドイ思いをして走らなアカンねん、とおもいます。まして参加費まで払って走らせてもらってるなんてアホちゃうか、とおもいます。そりゃもう足指はじんじん痺れてくるし、上り坂になると膝が軋みます。でもそんなとき、湘南の海が目の前にサーーッとひろがると、一瞬、ほっとするんですね。冷静になって周囲を見渡すと、ふだんはひとりで練習コースを走るだけですが、レースだとまわりにウヨウヨ人がいて、荒い息づかいが聞こえ、どうやらシンドイのは自分だけじゃないらしいことがわかります。
そんなこんなでかろうじてフィニッシュです。ゲートでは1時間14分くらいでしたが、ネットタイムはもうちょっと速いでしょう。Nike+に記録された平均ペースは6'45"/kmだったので、みごとにいつもとおなじ。よくいえば平常心で走れた、悪くいえば代わり映えのしないタイムでした。でも完走メダルをもらえたから、まっいいか♪
ちなみにフルマラソンの完走者にはゴールドメダルが、上位入賞者にはクリスタルのメダルが贈られたようです。
さいわいゴール地点でラ会のほかのメンバーにも会えました。全員完走、なかには1時間を切ったひとも。モカどのは自己ベストを更新したようで、さすがです。 朝日新聞特別号外をチームのみんなで申込みました。もちろんメダルをみせびらかして撮影です。1ヶ月後には無料配布してもらえるそうなので、いい記念になるでしょう。
さて、レース後のカラダほぐしにナイキ主催のダイナミックヨガのWSにも参加。東京までもたないとばかりに大磯駅前の喫茶店で、モカどのといっしょにカツ丼をペロリ。3.2km歩いて、10km走って、30分ヨガしたあとですから、カロリーなんか気にしない、気にしない。 というわけで本日の戦利品はこちら。
レースに参加して感じたのは、想像以上に中高年どころか高齢者が多いということでした。マラソン大会はダンスでいえば発表会のようなもの。ひとりひとりが主役です。以前はトップランナーのレースしか知らなかったので、マラソンは孤独で単調な競技だとおもってましたが、違うんですね。記録にこだわるひと、完走に意義を見出すひと、仲間と楽しむのが最優先のひと、大会のお祭り的な雰囲気がすきなひと、それぞれのレベルで達成感を味わえるフトコロの深さがあるんです。だから若いひとだけじゃなく、高齢者も自分の体力に応じて無理なく続けられるんですね。むしろ年季の入ったシニアランナーはリタイア後、練習時間をたっぷりとれるのをいいことに、走りはじめたばかりのメタボなオヤジやひ弱な若造を置いてきぼりにするくらい速かったりして。かくいうわたくしめも8kmあたりで銀髪も麗しいエレガントなマダムにすぅ〜っと抜いていかれました。いつまでも真っ白なウェアが似合う、さっそうとしたフォームがまぶしい60代、70代なんて悪くない未来だとおもいませんか。 てなわけでラ会は引き続き会員募集中です。年末には忘年会も企画中。みなさまの入会を心よりお待ちしておりますです。 *追記1:ネットタイムは1:12:10でした。目標は1時間を切るより、10km走ってる最中に、どこも痛くならない強くてしなやかなカラダになること。 *追記2:昨今問題になっていますが、今大会でも急性心不全による死者がでてしまいました。ご冥福をお祈りします。
Tue - October 20, 2009
Run Run Run
ここ数年、空前のランニングブームですね。第4回東京マラソンの応募総数はついに30万人を超え、当選確率8.9倍とまぁ、とんでもないことになっておりますです。もちろん落選しまして、いまや完走するよりレースに出るほうが難しいw わたくしもノロノロと週に2回くらい走っているのですが、ダンスのためのカラダづくりというか、スタミナづくりが目的なのでレースにはほとんど関心がありませんでした。でも、がんがんレースに参戦している40ラ会(正式名称:40がらみのランナーの会 *注)のメンバーにちょっと触発されまして、湘南国際でレースデビューとなりました、10kmの部ですけど。 その練習会の折、以前から懸案だった「ラ会オリジナルTシャツ」のデザイン案をみせたところ「せっかくなら湘南国際に間に合わせられないか」といことになり、急遽、制作が決定。
22日にデータ渡しなので、21日朝までにメンバーからの希望を募集しています。 noriさん が大盤振る舞いしてくださったので、2タイプともつくってしまえということになり、あとは色をどうすべかなってところ。メンバー外のみなさんからの意見も参考にさせていただきたいので、ご意見お待ちしておりますです。今回は無理でも、もしリクエストがあれば増刷時に反映させたいとおもってます。
てなわけで、ラ会は巷間標榜されているようなストリーキング集団ではございません。ちゃんと服着て走ってますので誤解なきよう。 ときどき皇居周辺で練習会やってます。mixiにコミュがありますし、twitterにDMを入れてくだされば次回の練習会のご案内をいたします。あ、ちなみにTシャツの購入は強制じゃありません。 最近、体脂肪率が気になるかた、とりあえずハヤリには乗ってみたいかた、なんでもいいからちょっとスッキリしていみたいかた、どうです、あなたもいっしょに走りませんか?
Run Run Run / Velvet
Underground and Nico(1967)
The Velvet
Underground
ドラッグから抜けようとする、ランニングとはかけ離れたおよそ不健全な歌ですが、ほどほどに壊れたグダグダ感が、わたくしのモタモタ走りに妙にフィット。あんまりペースがあがりすぎたら、The
Bandの“The
Weight”でさらにトボトボと走ります。でも街走りの際は、イヤホンをしないほうが好きです。
*注 以前はメンバーがライターばかりだったもんで、40がらみでライターでランナーの会、略して「40ララ会」と名乗っていたのですが、メンバーの増加とともにライター以外の職業のメンバーが増え、「ラ」はひとつに。そういえば某パソコンメーカーも疑似携帯電話やら小型音楽再生器やらが主力機種になって社名からコンピュータを外した事例がありましたねぇ(違)。
Tue - October 6, 2009
D'où venons-nous? Que sommes-nous? Où allons-nous?
一昨年、仕事で鳥取に出かけた折、砂丘まで足をのばしました。子どもの頃、家族旅行で訪れたはずですが、あまり記憶にありません。 素足で砂を踏みしめながら、家に帰ったら聴き直そうとおもった曲がありました。デヴィッド・ボウイの“Quicksand(流砂)”です。 「砂丘やから流砂かいな」——はい、いかにも発想に飛躍がありませんね。でもわたしのような神をも畏れぬ不届き者(笑)でさえ、砂の頂きに佇めば、これほどの造形ができるまでにいったいどれだけの時間がかかったのかと想像するだけで、大いなる自然の摂理に敬意を払わずにはいられなくなります。 “Quicksand”はボウイ4枚めのアルバム“Hunky
Dory”の1曲です。比喩が多く難解な歌詞は、東洋思想の影響を受けているなどとまことしやかな説がありますが、実際のところは定かではありません。ただ、個人的に忘れがたいのはこのフレーズです。 Don't
believe in yourself. Don't
decieve in belief. Knowledge
comes with death's release.
歌詞カードなどの邦訳はアテにならないものもあるのですが(*注1)、これを「人間の論理など信じるな、死ねばすべてわかるのだ」と訳したひとがいます。最近になってAmazonのレヴューでロッキングオン誌の元編集長・山崎洋一郎さんだったと知りました。 ボウイがどこで、どんな心境で書いたのかは知りませんが、この歌詞には大自然に包まれたときに感じる無力さというか敗北感のようなものを思い起こさせるものがあります。なんというか、圧倒的な大差で負けるとわかったら、むしろすがすがしく「思いわずらうな」「くよくよするな」という投げやりではない諦観に達する、あの感じです。
D'où
venons-nous? Que sommes-nous? Où
allons-nous? ・1898/ Eugène
Henri Paul Gauguin
さて、死ねばすべてわかるとすれば、もっとも解き明かしたい疑問はなんでしょうか。 思春期の頃は誰もが哲学者です。アーティストはある意味で、その頃の感受性を永遠にもちつづけるひとびとなのかもしれません。だからゴーギャンは畢生の大作にこんな表題をつけることができたのでしょう、つまり——「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」——と。 高さ1.4m、幅3.7mの大画面には、タヒチのさまざまな世代の女性たちが描かれていて、それらをあるひとりの女性の誕生から死までと読み取ることもできますし、あらゆる人間の一生であると普遍的なテーマに置き換えて解釈することもできるでしょう。さらに人類の誕生から消滅までと発展させることも。 絵画のユニークな点は、タイムラインや世界観をひとつの画面に凝縮してみせられること。たとえば曼荼羅がいい例です。曼荼羅とは仏の悟りの世界をヴィジュアル化したものといわれますが、わたしにはこの絵が現世を描いた曼荼羅のようにおもえます。実際、ゴーギャンは死の決意のもと、自身の集大成として描いたことはよく知られていますし、手法の面でも画面の右1/3が最初の問いかけ「我々はどこから来たのか」、中央が「我々は何者か」、左が「我々はどこへ行くのか」について描かれていて、画面を三分割することができるなど仏教曼荼羅ほど複雑ではないにせよ、ゴーギャンなりの法則性のなかで秩序が形成されているようです(*注2)。 ただし、曼荼羅を見ただけでは悟りの境地に達することができない凡人のわたしには、ゴーギャン渾身の作を見たところで彼の問いかけに答えることはできません。絵を前にして、そうだよね、ちょっとは背筋をたださなきゃねと、いいきかせるのが精いっぱい。美術館をあとにすれば、またすぐに煩雑な日常のなかに埋没してしまうのです。 ゴーギャンは不遇のまま、タヒチよりさらに1500km離れたマルキーズ諸島のラ・ドミニック島で世を去りました。しかし彼の作品は残り、死後1世紀以上たっても後世のひとびとに謎を投げかけています。生きている間にこの疑問を解明することは、おそらく誰にもできないでしょう。でも解明できないと知ったうえで、必要以上に思いわずらわず、くよくよせず、できることをすればいいのでしょう。なにしろひとは驚くほど無力なもの。それに人間の論理など信じなくとも、死ねばすべてわかるのだから——。
Quicksand(流砂)
“ Hunky Dory ”・ 1971 / David
Bowie Live '97, The Capital Theatre,
Port Chester, NY
* 注1:あんまりエラソーに指摘したくはないのですが、たとえばこのアルバムに収録されている“Life
on
Mars”を『火星の生活』と訳すなど。火星の生命体、ですよね。 *注2:現在、通説となっている解釈はこちら をご参考に(名古屋ボストン美術館
開館10周年記念 ゴーギャン展/「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」徹底解説)。まあ、ゲイジュツは好きなようにみて、好きなように解釈すればいいとおもいますが。