Fri - January 20, 2012

「炎上、父さん」と聞こえたので、思わず振り返ったこと



すでに読者がついてきていない気がするが、書き続けられる本のこと。
魔法使いの不安を他所に本は本を読み続ける。
--円城塔『後藤さんのこと(想像力の文学)』


いや、それは円城塔が『道化師の蝶』で第146回芥川賞を受賞したというニュースだったんですけどね。

前回いろいろあったうえに、円城作品を高く評価していた池澤夏樹が選考委員を退任、「だいじょうぶかなぁ」というのが正直なところだったので、受賞はファンのひとりとして素直にうれしい。たしかにあまり読みやすい作風ではないけれど、彼の作品がもっと広く知られ、「こういうのもアリだよね」と受け入れられるようになってほしいと願ってます。

で、気になるのは選評です。とくに村上龍ですが、なんと欠席だったそうな。選考委員が偶数になったため、なかなか結論に至らなかったようで、結果的にそれが有利にはたらいたのかどうかはともかく、4.5点ギリギリ過半数の滑り込み受賞だったとか。

その内訳は採点表を見なければわかりませんが、島田雅彦と川上弘美が強く推したとのこと。当然、石原慎太郎、宮本輝は×(0点)でしょう。石原慎太郎が選考委員の辞意を表明したと報道されていて、一部では田中慎弥の記者会見がきっかけみたいな書きかたをしていた記事も見かけましたが、ここ数回の審査会の印象では、彼にとって円城作品のように理解できないものや全体にレベルの低い作品しか集まらないなら刺激にならないので降りる、という流れではないかと思います。足をすくわれるような新人の登場を期待していたそうですが、芸術やクリエイティブの世界において、常識を覆す新人の才能は、旧人類には見抜けないこともしばしば。そんなことより老兵はみずからの言説に足をすくわれないようにしなければならないと自戒をこめて。

受賞作『道化師の蝶』は未読ですが、2月21日に単行本が出版されるようです。次回作は亡くなった伊藤計劃の未完の作品『屍者の帝国』を完結させるということで、これもまた楽しみです(というか、こっちのほうが重要度高い)。最近の国内作家はあまり読んでいませんが、このふたりは別格で、もし伊藤作品を引き継ぐなら、円城塔しかいないでしょう。

そんなわけで田中慎弥の作品もまったく読んだことがないので、まずは『共喰い』から手をつけることにします。今回の受賞者ふたりはたまたま同い年(1972年うまれ)ですが、作風や経歴、キャラクターが対照的ということでも話題になっています。型破りな会見で表の主役になった感のある田中慎弥ですが、作品そのものは「古いタイプ(黒井千次の評)」らしく、ワインを引っ掛けて記者会見にやってくる無頼派っぽい態度を含め、伝統的な作家のイメージ上にあるような気がしました。一度も社会に出て働いたことがないといわれていますが、たしかに会社勤めはしなかったけれど、職業作家として社会にかかわってきたことが、なぜ斟酌されないのか不思議でなりません。会社=社会なんていかにもサラリーマン発想なんじゃないでしょうか。


それにしても、村上龍の「科学的に間違い」発言は結局うやむやになってしまったようです。あのあといろいろな噂が流れ、陰謀論めいたものまでありましたが、所詮は噂です。もう村上龍はこの件について二度と口を開くことはないかもしれません。個人的には「ごめん」ですむと思うんだけれど、それじゃあ甘いのかしら。

ところで世のなかに陰謀は存在します。
ひとはなんの悪気もなく、過ちを犯します。なにかのきっかけで、ないことをあたかもあるように誤認することがあります。それを基準に判断するようになると、陰謀論の世界で生きることになります。陰謀論でいわれるような陰謀はおそらく存在しません。いや、“おそらく”は外してもいいかもしれない。
もし、一般人に「隠蔽している」「謀略がある」と疑われた時点で、それは陰謀ではありません。陰謀は巧みに隠され、絶対に白日の下にさらされることはないからです。だからこそ“陰謀”なのです。マスでもSNSでもメディアを通してこぼれてくるような噂は、せいぜいスキャンダル程度。そんなスケールのちっこいものを“陰謀”と呼んでは正真正銘の陰謀に失礼です。

ひとはただ愚かなだけです。だからといって許されるわけではありませんが、スタートを間違うとゴールに辿り着くのは至難の業になるよという話でした。

そんなわけでわたくし陰謀論が嫌いです。というか「アホらし」と思ってます。
でも、ミステリーやSFとしては設定やキャラクター次第で、いけるかもしれません。『オブ・ザ・ベースボール』も陰謀論の視点で読み返したら、違うおもしろさが発見できるかもね。

では、わたくしたち一般市民がきょうも表向きには平穏無事に1日を過ごせるよう、秘密結社および地下組織の工作員の皆さまには知力・体力・精神力の限りを尽くしていただきますように。

以上、本日は予定を変更してお送りいたしました。


追記:書評家・杉江松恋による候補作全レビュー/芥川賞編はこちら 直木賞編はこちら
   受賞作発表を受けての感想レビューはこちら

杉江松恋ですら「もっと賢ければさらに楽しめるはずなのに」と感じていたと知って安堵しました。また円城塔自身も「書きながら考えるタイプ」で、日頃、読むことは考える作業であると思っているわたくし、大いにチカラをもらいました。
わからないものはわからないままに、ただ“鑑賞”するというのは美術、音楽、演劇、舞踊などでも抽象作品とかかわるときの、ごく自然な向き合いかたなので、アブストラクトとかコンテンポラリーが好きだから、なんとなくしっくりくるのかもと腑に落ちましたです。

追記2012.01.23:選考会の様子が、すこしわかりました。宮本輝は×に決まっていると書きましたが、どうやら選考委員になってほぼ初めて川上弘美が強力な演説をぶったらしく、それに絆されて翻意した模様。ちなみにそれに対して都知事は「この日和見主義者め!」と叫んだそうな・・・
それはそれとして宮本輝さん、あらぬ疑いをかけて申し訳ございませんでした。
以上、ニュースソースはラジオ日本『ラジカントロプス2.0文学賞メッタ斬り!スペシャル第146回芥川賞、直木賞【結果編】』(2012年1月22日)でした。
Podcastではラジオでオンエアされなかったことも聞けます・・・いろいろ味わい深いです。

それと『道化師の蝶』発売日が1月26日に前倒しになりました。『共喰い』は翌27日です。つまりどちらも次号の『文芸春秋』が発売される前に読めることになりました。ちなみにamazonベストセラーにおいて本日時点で『共喰い』は『骨盤枕ダイエット』に次いで第2位、『道化師の蝶』は45位です。

Wed - January 18, 2012

ときには気休めに救われるし、悲しみを忘れてもあなたの笑顔は忘れないよということ



きっかけは、ひさしぶりに会った知人が3月11日うまれだったことでした。それを嘆くでも怒るでもなく「まあしょうがないよね」とすこし困惑したように苦笑する彼女を見て、ぼんやりと抱いてきた違和感がくっきりしたものになりました。

大災害や大事故などを日付で差別化することにちょっとした疑問を感じたのは、同時多発テロが「キュウイチイチ」と呼ばれるようになってからです。最初、それはいいネーミングのような気がしました。“11”という数字は崩落したツインビルを想起させ、とりわけメディアでの視覚効果は抜群でした。直截的な名称だと傷が抉られるように感じるひとには、ワンクッション置く効果もありそうです。

一方で、9月11日がなんらかの記念日であるひとたちにとっては、困ったことになったんじゃないかという思いもありました。どのくらい困るかは、事件との関わりの度合いや思い入れ、感受性の違いによって異なるでしょう。それは365分の1の確率でたまたま巡ってきた不運な偶然に過ぎないのですが、もしも自分だったら、たとえばケーキのローソクの炎を消すとき、なんとなく申し訳ないというか、そんな思いがふと心を掠めるんじゃないかという気がしました。

いや、どの日にうまれ、どんな歴史的事件と重なったとしても、それとこれとは別ですから、誰だってそのときそう感じたり考えたりする必要はありません。むしろあってはいけないことです。逆にもし「考えたこともない」という当事者のかたがいらしたら、ぜひその信念をもって人生を邁進していただきたい。

誤解のないよう断っておきますが、彼らの代弁者を気取るつもりはないのです。目の前に当事者がいてもいなくても、日付を口にするたび、どうしても拭いきれないうっすらとした気まずさを取り除きたいのです。こういうのを取り越し苦労というのでしょう。でも、わたくし考えてしまうのです。性分なのでしょうがないのです。だから折合いをつけなければいけません。

そこで自分でも散々言ってきて今更ですが、これからは日付で呼ぶのはやめようと思いました。それっぽっちで3月11日うまれの彼女の戸惑いを軽減することはできないし、将来、自分の誕生日か、もしかしたらあるかもしれない結婚記念日に歴史的大事件が重なるのを回避する担保やおまじないにすらならないでしょう。
は? いつかオマエが結婚したら、そのほうが事件って? ああ、そうですか、はいはい。


まあね、ひとことでいえば気休めです。

自己満足だと言われたら、おっしゃるとおり。冒頭書いたように記号化することで救われるひともいるでしょうから「言うな」と誰にも強制しませんが、事件や事故や災害の象徴として、日付はもっともふさわしいのかどうか。事件の日時も記念日もそれらが起こった事実も、誰も変えることはできないわけで、自力ではどうしようもないことをネーミングされちゃうのはなんだか釈然としないから自分は使わないよ、という意思表明でした。


この際ついでなので書きますが、違和感の理由はもうひとつあります。日付で記号化すると削ぎ落とされるものがあるよ、ということです。たとえば「二・二六事件」ってどんな事件か覚えてます? 日本史で習ったでしょ。

大災害や大事件が起こると「忘れるな」とよく言われます。ひとも街も立ち直り、復興するには時間がかかるからです。でも悲しみを手放していかなければ、前に進めません。悲しみを忘れても、ひとはたいせつな誰かやなにかを忘れないし、想い出まで消えてなくならないでしょう。
忘れてならないのは人びとへの同悲、同苦の気持ちと被害や惨事から得た教訓であり学びであって、それは悲劇を繰り返さないためにも未来にわたって継承されるべきです。

出来事や事象は、その時代を生きた人びとが亡くなれば歴史の一部になります。知恵を埋もれさせないために同時代人として、個人でもいろいろなことができるし、実際に取り組んでおられるかたも少なくないでしょう。そんなに気張らなくても、家庭や職場や友だちどうしで話し合うのがはじめの一歩かもしれません。いざというとき、いちばんたいせつなのは身近な人たちですからね。じゃあ、オマエはどうなんだと聞かれそうなので、また前回とおなじ言葉で結びにします。たいしたことはたいしたことができるひとにまかせて、できることをつづけたいと思っています。

Tue - January 17, 2012

気分がいいのは、もう報われているということ



1995年1月17日、家財道具の下敷きになった父を引きずり出しながら、もう二度とこんな恐い目には遭いたくないと思っていました。

ひとが自力で選択できることは、じつはそう多くありません。偶然もまた一定の確率で発生するし、そこにはなんの意味も理由もなく、ただ受け入れることだけを余儀なくされます。

一方でアメリカンドリームのような、努力すれば報われる的お話がドラマになるのは、実際は報われないことのほうが多いからです。それでも個人的には(ささやかな)努力をつづけたいと思うのは、報われるためにではなく、たぶん、そのほうが気分がいいからです。

しかし困難や障害、成功や失敗、幸不幸、運不運などに対する感受性には個人差があり、過敏なひともいれば図太いひともいます。どちらがよいとかマシとかダメというのではなく、生きていく限り、自分にあった方法を見つけてそれらと折合いをつけていくしかしょうがないよね、という話です。なぜなら事故や自然災害は理不尽に起こるものだから。

折合いをつけるにあたって、漠然と抱いていた「報われるためではなく、そのほうが気分がいいから」という想いは、ずっと以前にケント・M・キースの詩を読んで、背中を押された気持ちになりました。マザー・テレサも座右の銘にしていたと知ったときはちょっと面映ゆい気がしましたが・・・一部を引用します。


人は不合理で、わからず屋で、わがままな存在だ。
それでもなお、人を愛しなさい。

何か良いことをすれば、
隠された利己的な動機があるはずだと人に責められるだろう。
それでもなお、良いことをしなさい。

人は弱者をひいきにはするが、勝者の後にしかついていかない。
それでもなお、弱者のために戦いなさい。

何年もかけて築いたものが一夜にして崩れ去るかもしれない。
それでもなお、築きあげなさい。

世界のために最善を尽くしても、
その見返りにひどい仕打ちを受けるかもしれない。
それでもなお、世界のために最善を尽くしなさい。


この詩(というか訓戒かな、そんな堅苦しいものとは思ってないけど)は『それでもなお、人を愛しなさい―人生の意味を見つけるための逆説の10カ条』として出版されています。ネットで検索すれば全文(原文・日本語訳とも)が読めますが、出版に至る不思議な経緯などもおもしろいので、興味のあるかたにはご一読をおすすめします(版を重ねているので、訳や本の内容がすこし変わっていたらごめんなさい)。

なにもマザー・テレサをめざそう、などと高い志があるのではなく、いつも気分よく、自分を嫌いにならないための指針といえばいいかもしれません。まだちっちゃな姪っ子たちに、「ぼらちゃんは報われると保証されなければ、努力しないような“つまらないオトナ”なんだ」と思われたくないだけなんです。
もちろん、たとえ善意でも方向の間違った努力は論外です。わたくし実子がおりませんので、なんちゃらのために子どもを守ろう的活動からは対象外のようなのですが、おもろいオトナであることで子どもたちから「なんや人生、楽勝やんけ」と思ってもらえたら本望です。


神戸の震災から17年たちました。東北の震災はもうすぐ1年。たいしたことはたいしたことができるひとにまかせて、できることをつづけたいと思っています、おもろいオトナのひとりとして。





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Published On: Jan 23, 2012 09:57 PM
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