ディータ・フォン・ティースのバーレスク・パフォーマンス
ディータ・フォン・ティース(Dita
Von
Teese)が来日し、日本で初めてパフォーマンスを披露しました(Jun.19,07)。
招聘したPJのおかげで知名度は多少上がったようですが、その後のキャピキャピなパーティ・レポートにどうしても違和感が拭えないので、彼女について改めてご紹介したいと思います。
本名:Heather
Renee Sweet
ヘザー・レネ・スイート
生年月日:1972年9月28日(天秤座)
出身地:ミシガン州ロチェスター(アメリカ)
身長:5'6"(167.6cm)
バスト:32C
(日本サイズでは85C)
ウエスト:22"(56cm)、コルセット着用時16"
(41cm)
ヒップ:33”(84cm)
靴のサイズ:6
1/2(日本サイズでは24.5cm)
自然な髪の色:ブロンド
瞳の色:グリーン
愛車:39'クライスラーニューヨーカーと65'ジャガーS-タイプ
ペット:2頭のダックスフンド「エバ」と「グレタ」、4匹のレックスキャット「リリー」「アレイスター」「エドガー」と「ハーマン」
現在の住居:ハリウッド
バーレスク・ダンサー、そしてフェティッシュ・モデルとして、またその美貌にくわえて美意識の高さから、ハイファッション・ブランドのミューズとして知られる。多彩な才能の持ち主で、最近でこそ、ヘアメイク(
自身もスポークス・パーソンを務めるM.A.Cチーム。チーフはグレゴリー・A)はプロにおまかせですが、スタイリング、ショーの構成、舞台装置の提案、パフォーマンスで使用する音楽のアレンジをすべてじぶんでおこなっています。理由はひとまかせにしなくても、すべてじぶんでできるからだそう。
●来 歴
機械工の父、ネイリストの母のもとに生まれる。
5歳の頃より、クラシックバレエを習う。
幼い頃から、母の好きなアンティークに囲まれて育つ。少女の頃から20〜40年代のミュージカルのファンで、女優のベティ・グレイブル、リタ・ヘイワース、ヘディ・ラマーに憧れていた。
ティーンエイジャーになると、ヴィンテージのピンナップ写真や古い雑誌、書籍などや1920〜50年代のドレスやランジェリーを蒐集するようになる。
12歳のとき、両親、ふたりの姉とともに、カリフォルニア州オレンジ郡に転居。この頃、両親が離婚、以後、母親のもとで育つ。
15歳頃から、放課後にヴィンテージのランジェリー・ショップでアルバイトをするようになり、最初のコルセットを手に入れる。大学ではコスチュームの歴史について学びながら、ランジェリー・モデルの仕事を開始。
19歳頃から、ベティ・ペイジを彷彿させる、ピンナップ・ガールとして、雑誌に登場するようになる。
おなじ頃、ストリップの世界に入り、あまりにも個性のない業界の風潮に愕然として、クラシカルでレトロな演出を加えたパフォーマンスをおこなうようになる。
1992年、公式サイト、オープン。インターネット最初期に開設されたモデルサイトのひとつといわれている。
1993年、本格的にバーレスク・ダンスのパフォーマンスを始める。当時は忘れ去られつつあった、古き佳きバーレスクの復活を謳い、アメリカ、ヨーロッパをツアー。
2002年、"girl in
the
glass"のパフォーマンスが絶賛されたのをきっかけに、映画『チャーリーズ・エンジェル・フルスロットル』のナイトクラブのパフォーマンス・シーンに関与することに(クレジットは“Special
thanks”) 。
一連のハリウッドでの活動が、PLAYBOY誌のヒュー・ヘフナーの目を引き、同誌のカバー(Holiday
Gala
issue)を飾るに至る(上)。
それまで彼女の名は、モデルによくあるように“Dita”とファーストネームだけだったが(無声映画の女優、ディータ・パロルが由来といわれている)、このときはじめて姓をつけて登場。
彼女が電話帳から選んだのは「Von
Treese」だったが、誤って「Von
Teese」と印刷されてしまう。しかし、このスペルミスを気に入り、ひょんなことから"DITA
VON TEESE”が誕生。
彼女のファンで、ウェブサイトのメンバーでもあったマリリン・マンソンは、自身のミュージック・ビデオに出演交渉した際に、初めて彼女と会うことになるが、実際につきあいはじめたのは、2001年、32歳の誕生日に再会してからといわれている。
mOBSCENE “The
Golden Age of Grotesque”・2003 / Marilyn
Manson
一般的に、彼女の名がひろく知られるようになったのは、やっぱりこのPVがきっかけでしょうか。3'08"あたりから、有名なマティーニグラスのパフォーマンスがインサートされます。
2005年、マリリン・マンソンとともに、ヴィヴィアン・ウエストウッドの春夏コレクションのイメージ・モデルに起用。
同年、ドイツの古城にて、5年間交際したマリリン・マンソンと結婚。ウェディングドレスは、ヴィヴィアン・ウェストウッドがデザインしたネイヴィのローブとコルセット(下)。
2006年、M.A.Cの“NocturnElle”コレクションアイコンおよび“Viva!Glum”のキャンペーンガールに。また、デザイナー、マーク・ジェイコブスによるセレブチャリティTシャツのモデルのひとりに起用される。タグホイヤーの企画、15カ国15人の女性ポートレイトのアメリカ代表に選ばれる。
片面はバーレスク、もう片面はフェティッシュの文化史と世界観をディタの写真とエッセイで紹介した、初めての著書“Burlesque
and the Art of the Teese/Fetish and the Art of the Teese
”を出版。
同年12月、マリリンマンソンと別居、離婚が報道される(現在、離婚係争中で、籍はまだ抜いていないといわれている)。
2007年1月、パリ・コレクションにおいて、ジャン・ポール・ゴルチェのショーにモデルとして出演。
同年6月、インナー通販『PJ』夏号のモデルとしてカヴァーに登場。キャンペーンの一環として来日を果たす。青山スパイラルにて、自身初となる写真展開催、日本で初めてパフォーマンスを披露。
M.A.C.
Lipteese
化粧品ブランドM.A.C.のエイズ基金プロモーション“VIVA
GLAM”に使用されたPV。リップスティックの長さは約3m。
Agent
Provocateurイギリスのランジェリー・メーカー、エージェント・プロヴォケーターのショウより。ヴィヴィアン・ウェストウッドとマルコム・マクラーレンの息子ジョセフ・コーレとパートナーのセレーナ・リースが1994年に立ち上げた。クラシック、フェティッシュ、セクシーなデザインにはファンが多く、ケイト・モス御用達ブランドとして有名。最近ではカイリー・ミノーグとのコラボレーションが話題になりました。●バーレスク・ダンスとはバーレスクとは、19世紀のイギリス、ヴィクトリア時代に発生した、ミュージック・ホールでの軽演劇やショウが源流といわれています。おもに、神格化が進むシェイクスピア作品をモチーフにした風刺精神あふれるコントや戯曲が多く書かれました。ロンドンにはバーレスク専門の劇場が何軒もあったようです。アメリカでは1920〜40年代に流行したバラエティー・ショウの形式のひとつで、短いパロディ劇やレヴュー、体の線も露な衣装をつけた女性の踊りなどをごった煮にした、労働者階級向けのエンタテインメントだったといわれています。人気が高まるとともに女性の露出度も高まり、いわゆるストリップティーズに発展していくわけですが、小道具の使い方やポージングなどで魅せ、決して全裸になることはなく、“焦らす”ことでエロティシズムを表現しました。現代ではバーレスクというと、一般にストリップティーズをさすことが多くなっています。ポルノやAVといったダイレクトな性表現に押されて衰退するものの、1990年代後半になってアメリカから人気が復活。ラスベガスに近いモハベ砂漠のまんなかに「エキゾティック・ワールド・バーレスク・ミュージアム」という世界で唯一の私設博物館が開設され、毎年、世界のバーレスク・ダンサーを招いて、「ミス・エキゾティック・ワールド大会」を開催しています。ちなみに2003年度の優勝者は日本人のミス・エロチカ・バンブーさん。また、最近では、リズ・ゴールドウィンによるドキュメンタリー作品『プリティ・シングス(Pretty
Things・2005)』も日本公開(アメリカではHBO制作のTV番組として放映)され、これまであまり語られることのなかったバーレスク・ダンサーについて知る機会も増えてきました。ディータ自身がバーレスク・ダンスを始めたのは、大好きな30年代のピンナップ・フォトでポーズをとる女性たちのほとんどが、バーレスク・ダンサーやストリッパーだったため、じぶんも彼女たちのような写真を撮ったり、パフォーマンスをすれば、次に伝承できると考えたから。ただ、始めて間もない頃は彼女のようなタイプのダンサーは異質だったけれど、「ひとと違うことに価値がある」と意志を貫いたからこそ、いまがあるのでしょう。「40年代の総天然色ミュージカル—とくにベティ・グレイブル主演の作品は、インスピレーションの源。
ショウをクリエイトするとき、これほどインスパイアされるものはないわ。当時の映画にあふれているファンタジーすべてを愛してやまないの」(In
Style UK.Sep.06)
パフォーマンス/回転木馬
舞台装置、衣装、小道具、音楽、振付、照明・・・すべてが完璧な調和を保つショウをひとつ作るのに、何年もかかるという。セットだけでも半年から2年とか。ほかに代表的なパフォーマンスとして、マティーニグラスやシャンパングラス、コンパクト、バードケージ(鳥かご)、バスタブなど。
●フェティッシュ・モデルとしてのディータ
バーレスク・ダンサーとして紹介されることが多いディータですが、彼女はフェティッシュ・モデルでもある。初めての著書“Burlesque
and the Art of the Teese/Fetish and the Art of the Teese
”をわざわざ両面構成にするくらいですから、ふたつのキャリアがいまの彼女をつくってきたといえる。フェティッシュなんていうと、それだけでビビっちゃったり、色眼鏡で見るひとがいるのも知ってますが、彼女自身の言葉が、もっとも核心を突いてると思います。
「フェティシズムというのも、すごく興味深いこと。ある意味、スウィートよね。その人の心理を考えたり、人々にとってフェティスズムとは何かを考えるのがとてもおもしろいと思うわ。私がフェティッシュに関心を持ったのは、フェティシズムが怖いものだったり危険なものではないということを見せたかったから。私にとってフェティシズムとはフェミニンの誇張表現なの。たとえば、コルセット、ストッキング、すごく高いハイヒール、ロンググローブ、赤いリップ、そして赤いマニキュア・・・これらはすべてフェミニンの象徴でしょ、そしてフェティッシュでもあるのよ」(GLAMOROUS,
Aug.07)
●ディータの独自性
多くのひとが、彼女の佇まいから、いわゆる“造作”を超えた美しさを感じることでしょう。
ひとつは、現代のモード感覚をもちあわせつつ、どこかレトロでクラシックな雰囲気を漂わせているからではないでしょうか。おそらく彼女が崇拝する40年代のピンナップ・ガール―たとえばベティ・ペイジや往年の女優ベティ・グレイブルなどのエッセンスを巧みに取り入れているからだと思います。
ルックスだけでいえば、彼女が体現する世界観は、カジュアル全盛のいまの時代にあっては失われつつあるもの。だからよけいに稀少性が高いともいえます。
「メークして、ストッキングやハイヒールを履く。ドレスアップする時間が私は大好き。そのことを楽しめば楽しむほど女性はどんどん美しくセクシーに、そしてグラマラスな気分になるわ。それが最高なのよ」(madame
FIGARO,8/20
07)
内面的な意味では、持って生まれた美貌に加え、さらに理想とする美しさに近づくため、相当の時間と努力を払っていることが、自信となって伝わってくるからでしょう。かなり若い頃の彼女の写真を見たことがあります。もちろん、かわいらしいのですが、現在のようなカリスマティックな存在感はありません。ありきたりな表現ですが、やはり「女はつくられる」ということなのでしょう。ただし、みずからの力によって。
Crazy Horse ShowParis in
LasVegas at the MGM Grand (Apr.16,07)
自毛のブロンドをわざわざ黒に染め、泣き黒子のタトゥーをいれることによって、ヘザー・レネ・スィートは、ディータ・フォン・ティースになったのです(参考までにへアカラーは、Revlon
High Dimension 10 Minute Permanent Haircolor, Bright Black
21。結婚していた頃はマンソンと共有しており、自宅にはつねに30箱くらいのストックがあったとか)。
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●ディータ、東京の夜に舞う
illustration
by Olivia de Berardinis
わたし自身が彼女を知ったのは、数年前、なにかのアワードかパーティのレッドカーペットだったと思います。
彼女がタダモノではないことは、すぐにわかりました。ネットで検索をかけたらオフィシャル・サイトがヒットし、プロフィールを知ったのですが、読んでいくうちに、ランジェリー・メーカー、エージェント・プロヴォケーターのモデルをしていたり、イラストレーターのオリヴィア・ディ・ベラルディニスの絵のモデルになっていたことを知って合点がいきました。気づかなかっただけで、すでに彼女の姿はどこかで見かけていたのです。ただし、コルセットやボンデージを身に纏った姿で。
ずいぶんとオープンな時代になりましたが、いわゆるハリウッドのセレブリティのなかでも、彼女はすこし特殊な存在かもしれません。バーレスクやストリップティーズ、フェティッシュといった世界はどうしてもアンダーグラウンドの匂いがつきまといます。かつてはあまり目にふれないところに押し込められてきましたが、すこしずつ市民権を得るようになりました。それにはディータ自身も大いに貢献しています。
性的な表現にも流行があり、最近はショウダンスもどんどん過激になってきて、やりすぎるくらいセクシュアリティを誇示するものもあります。ダイレクトに表現されればされるほど、想像力は奪われ、エロティシズムは貧しいものに成り下がっていくと思うのですが。
Birdcage
photo:dita.net
ある善意に導かれて、さいわいにも日本初披露となるパフォーマンスを観ることができました。ディータの踊りには卑猥さ、淫糜さは微塵もありません。優雅で上品、気高ささえ感じさせます。彼女はほんの2mほど先にいて、肌やリップグロスの質感までわかるほどでした。人はただ「美しい」という理由だけで感動することがある―そう言い切れるのは、鳥かごの踊りを観たあとのわたしが、まさにそれだったからです。
なにがそうさせたかといえば、おそらくそこに“女性美の極致”を見たからでしょう。
かつて平塚らいてうが「原始女性は太陽であった」と謳いました。太陽はいつも燦々と輝いている。人間の都合にはおかまいなく、空にあってただ光を降り注ぐだけ。誰かが文句を言おうが、天の恵みに感謝しようが、光の量を増やしたり、減らしたりすることはありません。
おなじように女性の美しさとは、ただそこにあるだけで、ひとをなごませたり、やさしさで包みこむものであるべきなのでしょう。彼女は全身で「女性は美しい性だ」と語りかけてきます。百万言を尽くしても語りきれないことを、ひらすらたおやかに彼女らしさを輝かせることによって。
Dita in Tokyo
Jun.21,07
パフォーマンスに使っているのは、本物のシャンパンです。日本酒は肌によくて、お風呂に入れたりすることもあるのですが、シャンパンはどうなのか、個人的に興味あったりして。
●ファッション・アイコンとしてのディータ
「ヴィンテージも大好きだけど、最近のデザイナーの服もよく着るわ。素晴らしい才能を持った現代のデザイナーたちは、私が愛するレトロでクラシックな時代の服の要素をうまく取り入れている。そういった意味でも、ファッションはずっと繋がっているから」(madame
FIGARO,8/20
07)
もし、バーレスクダンサーになっていなかったら、スタイリストになりたかったというディータ。30〜40年代のハリウッド・グラマーを彷彿させる彼女流の着こなしは、デザイナーが意図したものではないかもしれないけれど、かえって新鮮な衝撃を与えているようで、いまやランウェイショーのフロントロウの常連に。それどころか、乞われてキャットウォークを歩く彼女を目にする機会も増えてきました。
Gaultier Paris
Printemps-Ete 07
「ディオールやゴルチェ、ガリアーノのショーで繰り広げられたドラマに、目が潤んで泣き出しそうだったって評判なの。私も美に対して敬意を持つ人が集まっているそんな世界に感動しているわ」(Harpars
Bazar, Sep.07)
Harpers Bazaar Behind the
scenes
オーストラリア版ハーパース・バザーの撮影風景。日本版にも、このとき撮影された写真の一部が掲載されました。グラビアでもキャットウォークでも、ひっぱりだこに。
●ディータの未来
それでも彼女がいわゆる“アダルト”カテゴリーにくくられるひとであることは事実です。日本のメディアを見ていると、某民放の「フェロモン・セレブ」だとか、あまり例がないだけに紹介の仕方に苦慮していることがわかります。バーレスク・ダンサーとかフェティッシュ・モデルでは、意味がわからないひとも多いし、わかったとたんにほんとうに理解しようとせずに却下するひともいそう。
ディータは、インタビューでこんなふうに答えています。
「私はバーレスクを15年続けているの。自分の心に従って。世間で評価されるようにもなったわ。でも、既存のものにも従わない。ジプシー・ローズのような素晴らしいスターも映画に登場したけれど、内容はいつも彼女の生い立ちだった。今、いくつかの企画を検討中で、一つはレナード・コーヘンのドキュメンタリー『I'm
your
man』を監督したリアン・ルンソンが書いたバーレスクダンサーになる女の子の脚本。マタ・ハリを描いた脚本もあって、解釈できる自信があるわ」(Harpars
Bazar,
Sep.07)
オーケストラや生演奏をバックに従えた大規模なショウの企画も、2年後を目処に進めているとか。まだまだ新しい驚きを届けてくれるはずです。
いっしょにパフォーマンスを観た同行者は、3回めのショウが終わったとき、「天女が舞い降りた」と言いました。日本最古の踊り子で芸能の女神といわれるアメノウズメは、天岩戸で神懸かって踊ったと日本書紀にありますが、ディータの踊りなら天照大神でも覗き見てみたくなるでしょう。
■関連サイト/Dita Von Tesse
公式サイト(US)、Very Lingerie
Week
、Liz Goldwyn
公式サイト(US)■参考資料/Wikipedia.com
(US)、imdb.com
(US)、Radar Online
(US)Burlesque and
the Art of the Teese/Fetish and the Art of the Teese(US)、Victim
(IT,#06)、In Style(UK) 、Esquire (UK,Nov.06)、GLAMOROUS
(Aug.07)、madame FIGARO(8/20.07)、marie claire
(Sep.07)、荒俣宏の不思議歩記
(毎日新聞04.05.23)・・・and
special thanks to Dita Von Teese
OFFICIAL(mixi)すべてのエキゾチック・ダンスの芸術性が理解されますように。