「じゃあ、それ使いきっちゃって。新しいの持ってくるから。」
妻はそう言うなり立ち上がって台所へと向かった。食卓に息子と二人、残された私は途方にくれた。夕食が私の大好きなポテトサラダであると聞いたのは夕刻間もない頃であった。私は大変喜んだが、同時に「待てよ、そういえば…」と冷蔵庫の様子を想像し、愕然となった。ポテトサラダと言えば欠かせないのがマヨネーズ。それはまるでSMAPにおける香取シンゴのような存在。昨日、ビールを飲もうと冷蔵庫を空けた時、残り少なくなったマヨネーズが冷蔵庫内の棚に横たわっているのをはっきりと覚えていたのだ。
(残り少ないということは…)。私は残り少ないマヨネーズを絞っている自分を想像し、思わず「あっ!」と叫んでしまった。3歳になった息子がいぶかしそうにこっちを向いている。
私がこの30数年にわたる人生において最も避けたいもの、それはマヨネーズが余命いくばかりになった頃に発するあの音なのである。それを聞くくらいなら、最後に残った10ml
程度のマヨネーズを無きものとして別離の言葉をかけることさえやぶさかではないと考えるのだ。
「ぶひ。」
それは笑いとして吸収するには明確すぎる周波を放ちながら私の耳に突き刺さる。それに加え、まさに食べようとする食事時に発せられるから始末が悪い。私はまるで不発の可能性を廃した確実なる時限爆弾に着火するかの如き緊張感でもってマヨネーズの容器を絞る。そして更に恐ろしいのは、その音を聞いた時の息子の反応なのだ。
「ぶひ、だって。」
純心ゆえ、容赦が無いとはこのことか。そのセリフに対して私はどうリアクションをとれと言うのだ。冷や汗を流しながら、その音が我々の記憶から早く消失してくれることを祈るようにして待っているところへ最後の一撃。
「パパちん、もいっかい。」
それはないだろう。
そこへ妻が戻ってきて、新しいマヨネーズを、封を切りながら私に渡す。
「全部かけないでよね、あたりまえか、あは。」
何気ないジョークが愛おしい。そして私の心配とは裏腹に、家族は何事もなかったかのように食卓を囲み、おいしそうにポテトサラダを食べている。大事に至らなくて本当に良かったと、私は心の中で涙を流しながらポテトサラダをいただく。
日本全国2000万世帯のうち、マヨネーズが食卓に上がっているのは一日平均20万世帯。そしてその中でマヨネーズのぶひ出現率の高いものが約1割。つまりおよそ2万世帯の家族が「ぶひ」を恐れながらチューブを絞っていると推測することができる。統計データの消失により1972年以後のデータになるが、この2万世帯のうち、「ぶひを鳴らすぐらいならいっそのこと捨ててしまいたい」という意見と「そんなことぐらいでビビってんじゃないわよ、最後まできちんと使い切りなさい」という意見との相違から傷害事件にまで発展したケースが、年間に約126件の割合で発生している。政府としてはそういった事件を未然に防止するという意味からも、各メーカーに対して「ぶひと言わない容器」の開発に関しての補助金を認可する方針らしい。
「ぶひ」を回避する手段としては、丁重に少しずつゆっくりと様子をみながら絞っていく方法が考えられる。しかしこれとて万能ではなく、「ぶひ」よりもダメージの大きい「ぷす」の発生率が劇的に高まってしまう。チューブを思い切りすばやく絞れば確かに「ぶひ」「ぷす」は殆ど発生しなくなるが、飛散現象など、別種の問題が発生する恐れも懸念される。またこれは稀にしか発生しないが、「ぶっぷしゅ〜」というように言語化することをためらわさせるような音の出現する危険性もあるのだ。
次に容器の形状に目を向けてみることにしよう。200円弱で売られている中型・小型のタイプは、逆さに置くこと、つまりキャップを下にして静止させておくことが困難である。したがって必然的に横に倒して保管することになり、まだ中身が充分入っている段階においても「ぶひ」の発生する危険がある。逆さ置きの可能な大型の容器では、使い切る最後の一瞬にだけ気を付ければ良いし、また発生しそうなタイミングもある程度は予測することができる。よって、ぶひ未然防止協会としては、逆さ置きの可能な大型チューブを強く推奨する。