シリーズ / ザ・仮説 そにょ1
「スクープ!あのちんぽみみずのルーツはアマゾンに隠されていた!」
 


 知ってますやろか?ちんぽみみず。あれま、恥ずかしいと言わずに聞いておくんなまし。…とまあ関西弁はさておき、おしっこをかけると翌日にはおちんちんが腫れるともっぱら噂の彼、つーか、みみずのことである。
 私、ドクターMにとって、それはそれは不可思議な現象であり、「なんで放出した対象となっている物体の影響を受けて、自分の分身(ぶんちん、とでも言おうか)が腫れるのだ?」と、その自問自答たるやは実に30年近くに及び、人生の大半をちんぽみみず研究に費やしたと言っても決して過言ではないほどの没頭ぶりなのであった。
 ある日、街を歩いている私の足が不意に立ち止まった。「それはなぁ、おしっこをかけとる時というのは、みみずとちんぽがおしっこでもってつながっているやろ?その時にみみずから(ちんぽ腫れ)細菌が伝わってしまうのだな。」60過ぎの初老の男性が子供達に向かって、(それはさも自信ありげに手振り付きで)話していた。。私は念のため、東京水道局も使用していることで有名な某メーカーの水流計とテスターでおしっこの放出速度を入念に計測した。すると、おしっこの水流というのは、細菌が鞭毛(べんもう)を使って泳ぎ得る速度の276倍以上の数値を叩き出していたことが判明したのだ。つまりその臨床結果は、細菌は間違ってもおしっこを伝わって(滝登りのごとく)おちんちんまで到達しえないということを証明していた。もっとも、Y氏のように、おちんちんをみみずにくっつけておしっこをしていたという状況では何とも言えないが、そういうことよりも、ズボンにしまうときに、ちんぽみみずも一緒にしまってしまいそうで、不気味だ。暗がりだとどっちがどっちなんだか。

---------数年後-----------------------

 夢を見ていた。熱帯雨林、うごめく物体。そして悲鳴を上げながら川に沈んでいく牛たち。
「アマゾンへ飛べ」
声の主は定かではなかったが、アマゾンという言葉は明確に聞き取ることが出来た。私は目覚めてすぐにスーツに着替え、午後からの仕事の予定を全てキャンセルし、リオデジャネイロの空港へと降り立った。私は休むことなく、パイパー・チェロキーをオリコのカードでチャーターした。パイパー・チェロキーとは低翼機で、小型機としてはわりとよく見かける機種である。
 あの夢に出た風景を探し求めて3日が経った。気が付くと私はアマゾンの未開の奥地に居た。ちんぽみみずにおしっこをかけて以来、ろくに休息もとらなかった私は、想像以上に憔悴していた。「少し休もう。」水を飲もうと、川べりに近付いた途端、私は足を踏み外し、アマゾン川に転落してしまった。
 牛が悲鳴を上げながら水中に沈んでいく夢の記憶が一瞬よみがえり、そして消えた。何か得体の知れない生き物が私に近付いてくる。私は川底から伸びた藻に足が絡まり、全く身動きがとれない。その得体の知れない生き物は私にいよいよ接近し、身を翻すかのような動きを見せた。その直後、激しいしびれが私を襲うと同時に、全ての結論は導き出されたのだ。

「通電」

 広告代理店じゃないって。つまり、電気が伝わるってことだ。そうなのだ。おしっこをちんぽみみずにかけている間、分身とちんぽみみずは一種の通電状態になっていたというわけなのだ。私の頭上からあぶくのように発生した吹き出しの中に40Wの電球が点灯した。
1. ちんぽみみずがおしっこをかけられてびっくり仰天
2. 電気を起こす
3. おしっこを伝わっておちんちんがビビビッ!!!!ってな具合に感電し、そのショックで腫れてしまう
 というわけなのである。私のちんぽみみず研究家としての人生が結実した瞬間、それは皮肉にも私の生命が消滅する時でもあった。電気ウナギによって感電させられた私は川底へと深く沈み、藻に絡んだまま力尽きた。朽ち果てた身体はいつしか電気ウナギの養分となり、同時に私の崇高な精神を宿した電気ウナギが誕生した。私と似た人生の末路をたどった多くの魂は電気ウナギの群となってアマゾン川を下り、太平洋を横断。そして日本の河川へと入り込み、さらには住宅街の泥混じりの溝へと向かった。そして陸に上がるという壮大なる目標のもと身体の小型化に成功。少年達の前に現れたのであった。
「おい、あれってちんぽみみずやんけ。おしっこかけたらちんちんが腫れるってほんまやろか、いっぺんかけてみたろか。」
(ついにその日が来たのだ)。私は少年の発した生暖かい湯気の立つ小便を顔から浴びた。しかしそれは苦行僧の打たれる滝ではなく、喜びに満ちた歓喜の酒であった。私は思いきり身震いし、電気を発生させ、彼のおちんちんを腫れさせる。そして私は彼の夢にアマゾンの風景を描き出す。彼はきっと(私のたどったように)答えを求め熱帯雨林の奥深くへ、それはまるで何物かにとりつかれたかのように出かけ、その結果川に転落するのだ。
 命とは泡のように次から次へと生まれるのではなく、数量は決まっており、入れ物(=身体)だけを変えながら命をつなげていく。私は叫んだ、「やっと人間に戻れるのだ!」