あれから後も、舞人は日々言葉をどんどん覚えていっている。ときどき彼を見て「天才じゃないか?」とつぶやくというのは他ならぬ親バカの証明なのであろう。
ところで彼のトミカ保有台数は最近うなぎのぼりである。今日もステップワゴンをゲットして、「コッカ、プ、ゴン」と何回も連呼している。イプサムは「シュイッ、プ」だし、簡略言葉もはなはだしい。で、ボンゴフレンディというのがちょっと困りモノなのである。今までは「ボッ、ちぃ」と呼んでいたみたいだが、今朝起きていきなり「ボッ、キ、ボッ、キ」と叫ぶもんだから思わず股間を見てしまったではないか。仕事のギャラが全てトミカに消えているような気がしてならない今日この頃である(あ〜しあわせ)。
私がおよそ今後も使うことがないであろうロリエのCM(あたりまえか)。もう何年バイバイ・ブルーが流れているのだろう。思えば最初のヴァージョンは、サビの折り返し部分で「バイバイ、ブルゥー」とくる、かなりマイナー節でメロディアスな曲だった。好き嫌いはともかくとして、ひょっとすると売れそうな気がしたものだ。それがヴァージョン2ではちょっとクラブっぽいリズム・アレンジに変わった。そして今回のヴァージョン3である。私がこの経緯について興味を抱く理由については、説明口調ではなんとももどかしい限りなので、以下のフィクション形式でまとめてみることにした。
〜〜〜〜199×年某月 広報部課長:佐々木(以下S)「なんかね、こうブルーって感じで暗いわけだ。うちの娘などは、そういう日は口もきいてくれない。ほらレッツゴーヤングでアイドルなんかが手振り真似て踊っちゃうような、そんな歌ないのかね?」
雷通会社ロリ江新製品広告担当:日野(以下H)「(古いなこのオッサン、と思いつつも)じゃあ、『さよなら!ブルーデーッ!』てサビの歌作らせましょうか?」
S:「キミィ、『デー』まで言うと露骨じゃ。そうじゃな、ではバイバイ・ブルーって曲、早速作らせたまえ」 〜〜〜〜〜〜10日後〜
H:「アがりましたぁっ!課長聴いてみて下さい、これ絶対当たりますよ」
S:「(試聴を終えて)おお、バイバイ・ブルゥーの部分が覚えやすいじゃあないか。これなら200万枚ぐらいはいくんじゃあないか。小学生からおばあちゃんまで、み〜んなバイ、バイ、ブルーって振り付きで踊って、あコレっ、社会現象じゃ!」
〜〜半年後、いっこうにヒットの兆しが見えないバイバイ・ブルーに悩むH〜 H:「おかしい、絶対イけると思っていたのに…。そうか、アレンジを現代風に変えるともっと話題になるんじゃないかな!メロもほとんど変えちゃおう、ただし、バイ、バイ、ブルー、あれだけはイカシだ。課長は気に入ってるもんなぁ。」
〜〜さらに月日は経ち、相変わらず悩めるH氏。 H:「もう一回だけアレンジを変えてみよう。これでアたらなかったら私の立場も危うい」
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手を変え品を変えても、原因が特定できぬまま、目標が達成できないこともある。私はバイバイ・ブルーのCMを見るたびに制作側と関係者の思惑を想像し、同情の念すら抱くのである。
どうも気になるのである。キリン一番搾りのCMで、中山美穂が中腰になりつつ、わっとがぶつくシーンだ。"きんちゃくなすぅ"を手にして、一呼吸置けばいいモノを、予想よりも早いタイミングで口から"きんちゃくなすぅ"にカブりつくからたまらない。おかげであれを見るたびなぜかドキドキしてしまうのだ。こわい。
首の傾き加減と、目をつぶって"きんちゃくなすぅ"に吸い付く口の開け具合。決して中山美穂が嫌いなわけではない。NECのCMなどでは一種近寄り難きオーラまで感じられる高貴さ。それが、なぜなんだ…。
おかげで、一日一回は「きんちゃくなっすぅ〜〜〜!!!!」と言っては息子にクシャクシャにした顔で近づき怖がらせてしまう始末だ。だれかあのCM見て同じ感想もった人がいたらメールちょうらい。
今日、兄ちゃんが成田からチュニジアに旅立った。パリ行きモスクワ経由の飛行機に乗って、モスクワでチュニジア行きに乗り換えるということだ。
それにしても、あっという間の1ヶ月間だった。兄ちゃんは7月いっぱいで一人暮らしのアパートを引き払い、8月に我が家にやって来た。舞人とほんとによく遊んでくれたものだ。おかげで8月の緊迫した仕事状況は無事に乗り切ることができた。感謝カンシャ。
チュニジアに住んでいる日本人はほんとに数えるほどしかいないらしく、仕事で滞在している人も100人ぐらいという。なんといっても無政府状態のアルジェリアとカダフィ大佐のリビアに挟まれた国なのだ。そして想像がつかないのがイスラム国家ということ。ヨーロッパからの観光客が多いと聞いてちょっとは安心したけど。
血液型性格判断というのがあるけど、少なくとも宮脇ブラザーズにとってそれはあてはまらない。彼は生まれて多分一度も嘘をついたことがない。弟が言うからその信憑性は高い。遅刻で遅れたときの言い訳、仕事が遅れたときの弁解を常々考えながら行動している弟にとっては想像ができない。羽賀けんじよりも誠実だと想像してもらいたい。あの手この手を使って女をくどいたなんて経験はおそらくないと思うのだ。
宮脇ブラザーズを端的に言い表すと「アリとキリギリス」ということになる。もちろん僕がキリギリスだということは言うまでもない。中学の時、彼は腕立てを始めたことがあった。そして毎日一日も欠かすことなく1年間やりとげた。僕もいつの日だったか腕を鍛えようとしたことがあって、まずやったことといえば鉄アレイの購入。そして1ヶ月後、鉄アレイはほこりをかぶっていたのであった、ふぅ。
まあ、感慨深いことは色々あれど、兄ちゃんは行ってしまった。宮脇家全員とまゆたんの両親で兄ちゃんを成田で無事に見送れたことが何よりだ。そうそう、彼は自費留学が終わる2年後、何をするのか全く決めていないらしい。どうすんだろう、兄ちゃんと一緒に会社作ろうカナ。経理担当はもちろん兄ちゃん、僕はそうだなぁ、やっぱ営業か。。けど、おっぱいバーの領収書なんてなかなか通してくれないんだろーなぁ、きっと。とりあえず、「兄ちゃん、無事にな!」ってエールをおくっておこう。
| 大好き | でゅあピッ(←なんでやねん) |
| 服を脱ぐとき | ぬぎぬぎぬぎ |
| CCレモン | シィーシィーママ |
| (ジュースなどを)飲むとき | もっ |
おやまあ、気が付いたらもう夏ザンショ。
この夏はほとんど仕事べったり汗べったりの情けない時間を過ごしている。
やべーよ。
そそ、僕の兄ちゃんが8月いっぱいまで同居しているのよ。なんでかって?それはね、本田技研を退職してチュニジアへ自費留学するために。
ようわからんって?8月は旅費が高いので9月になるまで、「としろー、1ヶ月置いてくれ」って言われたのよ。
しかし、兄ちゃんこそジャンキーなヤツだぜ。ボーナスある人生をアッサリ棒に振って、チュニジアってか。
宮脇家で止めたのはオレだけ。「にいちゃん、ボーナスのある暮らしを捨てるなよ」って言って。なんだかな〜。
またまた、息子の話題で申し訳ないのだけど、最近ますます加速度的に交通標識を覚えやがってきた。
出かけるときには必ず交通標識の本を持って行けって、自分からまゆたんのバッグに入れる。
出先で知らないおねえちゃんと仲良くなったら、その本を取り出して、
「こぉ、すぃ、すぃっ(訳:なにか標語を言ってみてくれ、そしたらオレがそいつを指し示してやる)」
なるほど、知識をひけらかしたいわけだ。
というわけで、舞人が覚えた交通標識第2弾。といっても以下はあくまでピックアップしたものに過ぎず、もはやヤツは全ての標識を区別できるまでに至っていることを付け加えておく。
| 横断歩道あり | ほっ |
| 消火水利 | かっ |
| 止まれ | (無言のまま)標識に向かって手をかざす |
| 学校・幼稚園あり | こ |
あとね、舞人殿は日本とパラグアイとブラジルとチュニジアの国旗も区別して言えるようになったのよ。オレの予想では、ほぼ4ギガバイトのハードディスクに匹敵するデータ容量になってきたのではと思う。
1998年6月26日 舞人、ごめんな。近頃おまえのことそっちのけで。
ネットにくるまれて、ママ、ってずっと泣き叫んで。
ママがそれを見て泣いてた。パパも泣いた。
でも、診察室の外からおまえを見てるしかなかった。 前歯が1本無くなって、すまない。
3階のコンクリートの廊下でドカッと音がした時、
パパは荷物を持ってのらりくらりと2階の階段を上がっていた。
ママが取り乱していて、どうしていいかわからないみたいだった。
割れた歯をパパは拾った。 パパが悪かったと本当に思う。
でも、それを言うとママも「私が悪い」って落ち込むから、
これからはもう言わない。
だけど、今後どんな風に治療していくかはベストを尽くす。
それで許せ、とは言わないが、パパとママに今できるのはそれしかない。
歯が無くなった、ということをまだ理解できない舞人。
歯の抜けた後を舌で触っている舞人。
永久歯には問題ないそうだ。
3才になったら、差し歯が可能になるらしい。
その時は一番高いのを頼んでやる。
だからしばらくは我慢してくれ。 おまえは本当に強い。
泣きわめきながら、何十分もかかって歯を抜かれた後なのに、歯医者さんを出るときは恐かったであろう先生にバイバイしていた。
なんてヤツだ。 もっともっと、これからはおまえと遊ぼう。
今回しみじみとおまえが大事だということがわかった。パパもママもだ。
おまえがいなくてはこの家族はあり得ないし、そんなことあるわけがない。 オッパイをもっとあげてくれ、とママにはお願いしておいた。
しばらくは存分に飲めるぞ。 1998年6月26日 パパ
う〜む、2ヶ月間もおいとまじゃった。気が付けばワールドカップの真っ最中、そんでもって練馬ケーブルテレビなんかに入ってたりして。我らタンコロ家族はあいかわらず舞人王子にひれ伏す毎日。クラビノーバを献上したけど、そのイスにアンパンマンの磁石人形を貼り付けることに専心しておられる。余裕か?
そういえば近頃、彼なりの主張が芽生え始めてきたようだ。昨日なんか、ソフトクリームを奪われ、「ちょうだい、まいとくん、ひとくちなめさせて」って真剣に嘆願しても、「なぃっ、なぃっ!」と首を横に振って一口も食べさせてくれなかった。人間性疑うぞ、このやろ。
ところで最近彼が覚え始めたのは道路標識。以下はその抜粋。
| 一方通行 | ぽっ |
| 車両進入禁止 | にゃ |
| 徐行 | じょっこ |
| 信号 | しぃっ |
この調子でいくと来年には免許試験問題集も解けそうだ。
すべり台に続き、物置(10万もした)も買ってしまった。今や無用の長物と成り下がったセミダブルベッドも、分解して入るとはさすがヨド物置。これであとはガーデニング用のアイビーが生い茂ってくれれば言うこと無し!お暇な人はゼヒ!(唐沢風)遊びに来て下さいな。
→それほどまでにいうのなら見てやろうじゃないか、ヨド物置
ついにすべり台を買ってしまった。それもけっこうでかいヤツだ。黄色・ピンク・青に赤という超原色なので、きっと京都の景観保全条例には引っかかってしまうことだろう。それに加えて、なぜにこの年一輪車だ。どうしても欲しかったからまゆたんにおねだりしてゲットした!小学生の時からあこがれていた一輪車に明日から乗れる!!練習するぞ!
とまあ、仕事が一段落してこんな日常なのだが、そろそろホームページもヴァージョンアップしなきゃ。よし、今からやろっと。
→そんなにいうのなら見てやろうじゃないか、すべり台
年末からずっと仕事が続いていることにかまけて、すっかり月記(?)と化しているつれづれである。最近たてつづけに教則ビデオ出したりしているけど、やっと今月で本年の予定は終了だ。ふぅ。ま、それはともかくとして舞人はずっと成長し続けている。家中のドアは全て開けることを覚えてしまった。トイレに入ろうものなら5秒後にはドアのノブがガチャガチャ音を立てる始末だ。おかげで鍵をかける習慣がすっかりついてしまった。ああおそろし。
それはそうと、舞人は最近でんぐりかえりを覚えた。おかあさんといっしょの弘道お兄さんが体操するのを見て、いきなり横ででんぐりがえりを始める。横にこたつがあってもおかまいなし。もっと考えろよ。で、でんぐりをして真っ逆さまの状態になったところで横にこける。まだ前にはうまく回れないようだ。
彼が生まれてもうすぐ2年になる。親バカ度はあいかわらず上昇し続けていて、一日50回ぐらいはギュッと抱きしめている。
・・・と書いていたら舞人の顔が見たくなってきた。ということで。
まったくもって記録的な大雪である。幸いにも外出の仕事はなく、仕事もそこそこに自宅で舞人と遊んでた。
1984年3月16日。その日も東京は記録的な大雪に見舞われていた。兵庫県から前日に上京し、合格発表の掲示板を一人で見に行った。二次試験が小論文だけだったので自信は無かった。自分の受験番号を見つけた瞬間から、東京での生活が始まった。
掲示板から左へ少し歩いたところに下宿斡旋室みたいなところがあり、学芸大周辺の下宿のカードがたくさん置いてあった。母と一緒にアパートを探す人達の中に混じってなんとなく選んだ数枚のカードをメモし、大学を出た。
雪がすごかった。何度もこけそうになった。歩くうちに万年筆で書いたメモはにじみ、電話番号が読めなくなっていった。でも最初に書いた一枚だけなんとか読めた。とりあえずそこに電話を入れて下宿を見に行くことにした。
8畳一間、風呂無し、共同トイレ。大雪ということで、他の下宿を回るのがめんどくさくなってそこに決めた。大家さんと壁一枚を隔てた真四角な部屋。数カ月たってもカラーボックスとこたつだけ。そしてエレキ・ギターが一本。しかし別に貧乏というほどでもなく、バイクも乗ったし、大学はそれなりに楽しく過ごした。卒業して数年経った頃、前を通りかかると「矢崎荘」はすでに無く、新しいマンションが建っていた。
あの日、雪が降っていなければ別の下宿に決めていたかもしれない。知り合う人や、付き合う女性も違っていたかもしれない。今の家族はその時から続く偶然の延長の上で成立していることを考えると、あの時雪が降っていてよかったと、窓の外の雪をみながら思う。
最近はめっきり寒くなり、夜に外出することも少なくなってきた。原稿の仕事のペースが上がってくるのは夜12時を過ぎてから。安い電気ストーブを付けても部屋はあまり暖かくはならない。時々電子メールを取りにいってはまた仕事に戻ることの繰り返し。
午前4時半すぎ、玄関のポストに新聞が届けられる。いつもその音の大きさにびっくりしつつ、「あー、もう朝なんだなぁ。」と思う。新聞に目を通し終わった頃にはそろそろ眠気が増してくる。もうひとふんばり。眠け覚ましにコーヒーを沸かしても、その頃にはすでにペースダウン。
「寝よ。」 電気を消し、歯を磨き寝室へ。ベッドはあるが、なぜか我が家は傍らに布団を敷きそこに寝ている。布団をめくるとそこには最愛の妻と最愛の息子が仲良く熟睡している。そして彼はいつもママのおっぱいを飲む体勢のまま眠っている。ママとちょうど90度の角度になり、ママのおっぱいに吸い付いたまま眠っている。
こいのぼり。最高のしあわせを表しているその姿に微笑みつつ、彼の身体を持ち上げ、今度は自分も加わって川の字を三人でつくる。我が家の幸せの図はこれで完成となる。彼がもたらしてくれる平和。そしてたぶん明日も「今日こそが今までで最高に幸せだ!」と彼の寝顔を見つつ思うのだろう。
今日は大雪。ルーフ・バルコニーでまいとに雪だるまを作ってあげた。雪が食べ物だとおもっているらしく、ベンチに積もった雪を次から次へと口にほおばっていた。おなかこわすなよ!