天性の声を持つ男 ジョン・健・ヌッツォ


ウィーン国立歌劇場専属のテノール歌手。日本の音楽界の影にもまれながらも日本での声明を手にした現在、活躍の場を広げている。

幼少の頃からモーツァルトなどのいい音楽を聴きながら育ち、音楽は好きだったようだ。バンドを組んでロックのヴォーカルもやっていたそうで、音楽は体の一部のようなものだったのであろう。

アメリカへの留学は、経済を学ぶためであった。が、留学先の音楽クラブの教授から「経済の勉強はいつでもできるから、音楽の勉強をしてみないか?音楽がダメだったそれから経済の勉強をしても遅くはない。」と音楽学部で勉強することを薦められた。それからとんとん拍子にいろいろな賞に輝き、アメリカで知名度が高くなる。時を同じくして、ロスの治安が悪化。母親がジョンを日本へ呼び戻した。

「日本でもなんとか音楽界でやっていこう。」その意気込みもつかの間、自分を売り込みにいく先々で受けたのは「どの教授についているのかな?」「誰の紹介かな?」という洗礼。そう、日本では誰も相手にしなかったのだ。
イタリア系アメリカ人で英語が話せるという面を活かし、音楽に関係したいという意志もあり、しかたなくDJなどの仕事に就く。

しかし、徐々に自分の中ではどうしても音楽をやりたいという気持ちが大きくなっていった。
そんなある時、岩手県でオーストリアのコンクールが開かれるということを知り、出ることにした。結果は見事優勝。誰も知らない、教授も知らない馬の骨が優勝したのだ。それもそのはず、アメリカでもコンクールは軒並み優勝するほどの実力。そして、何と言っても天性の声が味方していた。

ここから成功への階段を上り、ウィーン国立歌劇場と専属契約をすることとなる。
天は見放さなかった。その声を人々に聞かせるために味方した。


とまぁ、ジョンの人生を振り返るとこんな感じ。日本の音楽界はこれだけの才能を見いだすことすらできなかった。どこの大学の教授だの、どこの音楽院だのがぶら下がっていないと門をくぐれないのだそうだ。ばからしい。
日本では、才能を引き出す術すら知らない教授らが、そこのけそこのけと大手を振るって音楽界を歩いているのだ。これなら世界に通用する音楽家が少ないのも分かる。明治、大正、昭和は過ぎ去ったという時代の流れに乗れない人たちが、この先数十年は権力を振るうのかもしれない。

その先に期待しよう。

そして私のジョン・健・ヌッツォ に関する第一印象は、「イタリア系の名前を持つ二世のテノール歌手か、なんかでき過ぎているな」であった。最近とある紙面んで知り、歌を聴いて失礼ながら本物なんだなぁと思った。テノール歌手の実力を判断する知識と聴力は持ち合わせていないが、聴いていて不快感を与えない歌い方、きれいな声が心に残る感覚を覚えた。
いい音楽を聴かせてくれる歌手だと思う。

そうだ、娘は英才教育でピアノにバイオリン。

そして音大に入れることにしよう...

かな。

Posted: (金) - 10 22, 2004 at 02:20 PM         |


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