手のひらより。
私の携帯情報端末遍歴はソニーのPalmTop
PTC-300から始まり、Newtonで最初のピークを迎えた。このあたりの話は以前書いたことがあるが、この時点までは私は、携帯情報端末というものにPCとは違う未来の可能性をみていたのだと思う。
その後、ジョブズによるNewtonターミネートを経て、極めて実務的な理由からPalmVを使いだした。その後大変長い間、何度か機種を変えつつも、私はPalmを使い続けてきた。使用目的はとてもシンプルで、Outlookの予定表の持ち運びと英語学習だった。当時から私の勤務先ではExchangeServerによるメールと予定表の管理が行われていて、会議招集はOutlook上で行われるのが普通だった。しかし一方でNotePCも無線LANも普及していなかったから、例えば会議の終わりに次の会議の予定を決めようと思ったら、みんなおもむろに手帳を開かなければならなかった。生来ものぐさな私には予定表をいちいち書き移すのは苦痛以外のなにものでもなく、HotSyncボタン一つで予定表を持ち運べるPalmは奇跡のように便利なツールだった。
気に入った道具には愛着があるし、かわいい。それからしばらくの間、私はPalmにべったりだった。 一方で、増田式で一晩でタッチタイプを覚えて以来キーボードというものに人一倍愛着のある私にとって、Palmのグラフィティ入力はあくまで緊急時のメモでしかなく、そのため外付けキーボードなどにも手を広げたが、モビリティが著しく下がってしまうのは本末転倒に思え、結果としてキーボードつきデバイスを捜し求めることになった。
そこで最終的に出会ったのが、PSION revoである。今から考えてもrevoはいいマシンだったと思う。デザイン、キーボードスライドのギミック、内蔵アプリの出来の良さ、両手で持って親指タイプするのにぴったりのサイズ。一時期は、なんとかしてOutlookの予定表を同期させ、こちら一本に絞れないかと思ったほどだ。しかし結局、Palmと比べたときに手間がかかりすぎることからそれは断念せざるを得なかった。それでも、テキスト入力マシンとしてはかなり長い間、持ち運んでは使っていた。 それほど惚れ込んでいたrevoを諦めたのは、隙間時間にこつこつ入力していたデータを何度も何度もすっ飛ばされたからだった。悪名高き充電池問題である。私のrevoは何度完全放電とフル充電を繰り返しても、充電残量を残したまま飛んでしまう現象が収まらなかった。何度もバックアップとリストアを繰り返し、しかしとうとう疲れはてて、私はrevoを手放した。もし充電池問題がなかったら、きっと今でも使っていただろうと思う。そのくらい、気に入っているマシンだった。 仕事がだんだん忙しくなって、複数のマシンをいじるのに時間が使えなくなってきたことと、キーボード付きマシンの便利さが忘れがたかったので、私はそれまで使っていたマシンを、オークションでたまたま落札できてしまったCLIE UX50に一本化した。曲がりなりにもキーボードがついているこのマシンで、私は予定表のチェックだけでなく、出張報告やプーケット旅行記を書いたりもしてきた。PalmVほどにはいじらなかったし、revoほどに愛着があったわけではない。(特にそのキーボードは、使えば使うほど何とかしてほしいと思わざるを得なかった)それでも、辞書として、ボイスレコーダーとして、カメラとして、そして写真のビューワーとして、気づけば結構長い間使ってきているのだった。 そのUX50も、最近はほとんど使うことがなくなってしまった。理由ははっきりしている。職場のPCのセキュリティ基準が厳しくなって、Palmを接続することができなくなってしまったからだ。Outlookの予定表を持ち運べなくなったとき、UX50の用途は半減してしまった。そしてそれでも、この数年の間に無線LANとNotePCが普及したオフィスでは、なんとかなってしまうのだった。 それはそうだ。私のような普通の事務職の会社員にとって、携帯情報端末がなければ仕事ができない、という状況はほとんどないだろう。なければ多少不便だが、仕事はできる。当たり前だ。 むしろどちらかといえば、携帯情報端末があることで(意味もなくいじって遊んでしまったりセットアップに時間をとられたりして)浪費していた時間がなくなったぶん、仕事という面ではむしろよかったかもしれない。 でも。仕事用の鞄の、ぽっかり空いた隙間をみる度に感じる妙な寂しさは、ではなんなのだろう。 Newton以外の携帯情報端末なんか、所詮ちょっと便利なツールというだけだと思っていたはずなのに。 話が急に飛ぶが、私は万年筆が好きで、許されない場合を除いて文字はロイヤルブルーのインクを使って、万年筆で書く。 文字を書く、という行為についてだけいえば、万年筆は例えばボールペンやシャープペンシルに比べて使い勝手がいいとはいえない。消せないし、インクが乾くのに時間がかかるし、インクの補給だって換え芯を入れるようなわけにはいかない。 でも、文字を万年筆で書くのは楽しいのだ。クレジットカードを使って、サインを渡されたボールペンで書くとき、万年筆で書きたいなあと思う。文字を書くだけならもちろん万年筆である必要はない。でも、万年筆でないと得られないものもあるのだ。ただの自己満足とは少し違う、小さな充足感。それがなぜ得られるのか、うまく説明できないのだけれど。 そんなわけで——いや、自分でもなにが「そんなわけで」なのかよくわからないのだが、ともかく今、私の手元にはiPAQ
h4350があるのだった。ActiveSyncだったら使える職場のPCで、これなら予定表を持ち出すことができる。 しかしそんなことより、この小さな機械とまた仕事ができるということで感じる、この満足感は何だろう。 中古の、ハードウェアキーボード付きの、英語版のデバイスというところが、我ながらいかにも自分らしいなあと笑ってしまうのだが、またしばらくこいつと一緒に仕事をして、自分が求めているものが何なのかを確かめてみたいと思う。
Posted at 04:03 午前
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