火 - 3月 21, 2006

休日の過ごし方。 


 サンリオピューロランドにいってきた。
 まさか自分が休日にサンリオピューロランドにいくようになるとは思っていなかったのだが、人生思いもよらないことが色々起こるものである。しかも結構楽しかったりしたのが驚きである。……いやもちろん、妻と娘との家族三人でいったからな訳だが。 

 キティちゃんランド(ピューロランドといってもイメージのつかめない娘のための我が家内呼称)に行くにあたって娘は大変ハイテンションで、前夜からお弁当の中身を指折り数え、当日もばっちりおしゃれした上に、ご自慢のキティちゃんのバッグにおやつのリンゴを詰め込んでの出発となった。向かう途中の電車の中ではちょっとぐずったりはしたものの、到着したらもうお目めぱっちり、大はしゃぎ……と思ったのだが、なぜかアトラクションでは「こわい、こわい、おうちかえる」を連発しての半泣きになってしまった。どうも、暗くて大きな音が鳴る状態が苦手なようで、四十分待って乗ったボートライドでは乗っている間中、両脇から妻と私がずっとなだめつつ盛り上げつつという有様であった。
 もちろん四十分待つ間もおとなしくしている訳ではないので、妻と代わる代わるだっこをし、ぐずるのを色々やってごまかし……という連続である。我が娘は同年代の子供と比べてもかなり小柄で軽量な方なのだが、親の方も小型(軽量かどうかはおいといて)なこともあって、抱っこし続けは、最近少々厳しくなってきているのであった。私の左腕は、一時期治まっていたのだが、またぞろ腱鞘炎が再発しているっぽいし。

 子連れでレジャースポットに行くのはほんとに大変だと思う。そもそも私自身、あまりそういうところに行くのが好きではないし。それに加えて、自己主張の激しくなってきた娘を連れていくのは、なかなか苦行のようにも思える。

 ……でも、自分でも不思議なほど、楽しかったのだ。娘はびーびー泣くし、妻も私も疲れ果ててしまって帰りの電車では二人とも居眠りしてしまったほどだったけれど、でも、楽しかったのだった。どうして、と言われるとちょっと説明に困る。ただ、アトラクションをみたりするのより、妻と娘と三人ででかけて、お弁当食べたり、他愛もないことをおしゃべりしたり、ぐずる娘をあやしたり、お土産を選ばせたりするのが、なんだかすごく楽しいのだった。

 なんというか、この年になってようやく、ああ家族で過ごす休日って楽しいんだなあと、改めて発見したのだった。
 独身だったとき、休日は文字通り休む日だったように思う。いやもちろん、そのときはそれで楽しんでいたのだが。それが結婚して、いきなり色がついたように、違う「楽しむ日」になった。でも娘が生まれてから、夫婦二人のときのように休日は楽しめなくなっている。映画だっていけないし、ゆっくり外食だってもちろんできない。そもそも二人だけででかけることがほとんどできない。それに対して、もう手に入れられないんだろうなあ、寂しいなあと思っていなかったというと嘘になる。
 もちろん今だって、二人でゆっくり時間を過ごしたい、という思いは強くある。でもその一方で、自分たちがとてもとても貴重な休日を過ごせるようになっているのだ、ということに、今更ながらだが突然気がついたのだった。

 たいへんだたいへんだ、といいつつ家族でレジャースポットに繰り出す人たちの気持ちが、今になってやっとわかったように思う。
 だから、「もうちょっとキティちゃんダンス(なぜランドでなくてダンスなのだ)にいきたい」という娘よ、心配しなくても大丈夫。母も父も、多分君が楽しかったと思っているのの百倍くらい、今日が楽しかったんだから。またきっと、みんなで一緒に行こうね。 

Posted at 12:34 午前     |

土 - 3月 11, 2006

念願の一つ。 


 一年半前のエントリ で書いた望みがようやく実現した。  



 ちょっと肌寒かったけれど、妻と、娘と、ワンコという家族全員で、私はMoyaPakをしょって、とってもいい天気の中、お散歩に行ってきたのだ。
 はじめてワンコのリードを持たせてもらった娘ははしゃいではしゃいで、笑顔をくしゃくしゃにしながら妻と私の間を歩いていく。
 最初ちょっと勝手が分かっていなかったワンコもすぐに状況を理解して、娘の顔を見て、その歩調にペースを合わせて歩く。
 人通りも車も少ない道路を、三人と一匹で横に並んでゆっくり歩いていくのは、なんというか、想像していたのよりずっと楽しくて、幸せなことなのだった。

 毎日いろんなことがあるけれど、自分の立脚点だけは忘れないようにしようと思う。  

Posted at 11:00 午後     |

日 - 10月 9, 2005

宿題のひとつめ。 


 やんなきゃやんなきゃと思いつつずーっとできずにいた、昨年末のプーケット旅行記をようやくアップした。
 普段の記事とは違って、旅行中につけたメモをもとに、出来事をずーっと書き連ねるという形をとっている。至ってココノネらしくないのであるが、乳児を連れての海外旅行がどんなものかを伝えたかったのと、元のメモがそもそもそういう形で、それから記事を起こし直そうとするとあと二年くらいはかかりそうなので、ちょっと妥協臭いのであるがこのようにした。 

 ある意味恥をさらすような旅行記を記事として公開するのは、正直少し悩んだ。しかし、自分が0歳児を連れて海外旅行に行こうと思ったとき、一番参考になったのが他の経験者の方々のウェブページだったので、おこがましいようだがこれが今から乳幼児を連れて海外へ行こうとしている方々の参考になればと思い、公開することにした。
 嗜好や視点が違うとあまり役に立たないかもしれないが、これが少しでも参考になれば幸いである。ご質問があれば、可能な限りお答えしたいと思いますので、ご一報ください

 書いた記事をどういう形でアップしようかというのでまた少し悩んだのであるが、せっかくblogの形をとっているのだしと思い、実際の旅行日のエントリとして追加することにした。なので、新規エントリなのだがトップにはでず、アーカイブからでないと参照できないという変なことになっている。しかし、これを今の日付のエントリとして登録すると、あとで訳が分からなくなりそうだし(どのくらいの時間さぼってたのかが一目瞭然わかるが、あまりうれしくない)、やむを得ずこういう形にした。……もちろん、ちゃんとリアルタイムに近いタイミングで投稿しておけばこんなことに悩まないですんだ訳であるが。

 ちなみに、2004/12/15から19までのエントリである。さらにちなむと、ARCHIVESの"Browse archives by date"から参照するより、CATEGORIESの"a favorite day"を選択していただく方が(今のところ)早く見られて便利である。それはつまり、今年一年間でそれっぽっちしかエントリを追加していないということで、うーん、なにをどうやっても墓穴を掘ってしまうな。

 とまれ、これで自分の中で宿題だった一つが片付いた。二つめは、さて、いつになるかな。 

Posted at 12:36 午前     |

土 - 8月 20, 2005

メモとは少し違う。 


 Kokonone@iBlogの更新もなかなか進まないのになんなのであるが、もう一つblogを始めてみた。Kokonone Notes である。こちらは今のところ結構マメに更新している。そのかわり、あんまり中身はない。(じゃあKokonone@iBlogのほうはあるのかと言われると、本人はあるつもりでやっているのだが胸を張れるほどではないので多少辛い) 

 Kokonone@iBlogは、iBlogというツールを使っているのでblogの形を取っているが、作っている人間はあまりそういう意識はない。過去の記事もそのまま移したのでもおわかりいただけるように、一つ一つ、気に入ったものについて、一つのまとまりになるまで自分の中で寝かせておいて、納得のいったところで記事を書いている。一晩で書けるときもあれば、一年前から書きかけのままでまだ進んでいないものもある。ある意味、blogという形式に似合わない、古風なことをやっているともいえる。

 しかし、妻に愚痴を聞いてもらって精神バランスを保つように、自分の中でまとまっていない、汚いものや無駄な高揚感や抑鬱を、文章にしたいときだってあるのである。それはある意味、毒素をはき出すのに似ている。そうしないと自分のバランスがとれないのだ。しかしそれは、Kokonone@iBlogではできない。いやもちろん、自分のサイトなんだからコンセプトを変えて始めたっていいのはわかっている。だが、ちゃんとしたところも私にとっては必要なのだ。自分が拠って立つところは、たとえ生まれ故郷のように滅多に帰らないところでも、きちんとなければならないのである。

 そういうわけで、自分のもう一つのバランスを取る場所として、Kokonone Notes を始めてみた。サイト名の意味は、Kokonone@IBlogの記事にするほどではないが書き留めておきたいことを忘れないように書く、備忘録というような意味でつけた。でも本当は、備忘録というよりはチラシの裏というほうが近い。チラシの裏に、その時その時の気持ちを書き殴っている感じだ。だから一貫性がないし、浮き沈みがある。それでも、それが私という人間の一部分なのは確かだ。それがこの数日、記事を更新してみてわかった。あとついでに、サーバ側に執筆環境があるというのは思うように弄れないもどかしさがある一方で、internetに繋がる環境さえあればどこからでも書けるので便利だなあということも。
 もう一つ。私はNewton MessagePadを常用していたとき、一番使ったアプレットはNotesだった。会議の議事録も、その時に思いついたことも、帰りに買って帰らなければならないトイレットペーパーのことも、なんでもNotesに書き込んだ。その時書き込んだデータは今でも取ってあって、時々読むといろんなことを考えさせられる。もちろん、今となっては滅多に読み返しはしないのだけれど、それでも決して消したりはしない。そんな感じになればいいなあと思っている。 

Posted at 11:44 午後     |

日 - 8月 7, 2005

今年のみどり。 



 途中経過は書いていなかったのだが、今年もフウセンカズラを育てている。
 去年とれた種のうち、人に譲らなかった70%くらいの分を蒔いてみた。数で言うと、去年のだいたい四倍くらいの量である。それを三つのプランターにおおざっぱに蒔いた。去年とはえらい違いである。ちなみに去年はプランター二つだったので、懐かしのSimCityだったらあっという間に市民からの支持率が下がるくらいの人口密度だ。

 そんな感じで五月の連休中に蒔いた種が、今はこんな感じになった。


 四倍蒔いたし、実際芽も三倍くらいは出たのだが、なぜだか緑のカーテンの密度は去年とたいして変わらないのであった。娘にかかる手間が増えたために、フウセンカズラにかけられる時間が減ったせいであろうか。

 ちなみに、去年ミニトマトを育てた場所では、娘の誕生記念で区から貰ったブルーベリーを育てている。実がなるまでには何年かかかるのだろうなあ、と思っていたら、今年から早々にいくつか実がなっている。


 既にいい感じに色づいてきている。なんせ初めてなので食べ頃がよくわからないのであるが、もうちょっとしたら収穫して、家族みんなで一粒ずつでも食べてみようかなと思っている今日この頃。 

Posted at 02:09 午後     |

金 - 6月 24, 2005

元気玉。 



 先週末の体調不良は、結局持病の流性食道炎の悪化だった模様。確かにここしばらく、薬を飲むようになってからあまりなかった胸やけが増えていたのでおかしいなとは思っていたのだ。
 2000年から通っている病院にいったところ、「まあ、胃の調子はすぐ変わるからね。いつもの薬出しとくからね、それで様子みて」ですまされてしまい、しかも私が診察室に入ったときに(つまり私の病態を聞くより前に)処方箋を書き終えてあるのをみてしまった。最初の頃見てくれていた主治医の先生が退職してから、来る度に対応が悪くなってはいたのだが、いくらなんでもこれはあんまりだ。さすがに嫌になってホームドクターを変えようかと思い、最近家の近所にできた、割合評判のいい病院に行ってみた。初診料がまたかかってしまうし、なによりまた「じゃあ確認のために内視鏡やりましょうか」といわれるかもしれないとはわかっていて、それはできうる限り避けたい事態であったのだが、さすがにもう我慢ができないのでしかたがない。
 新しい病院はなかなか内装もきれいで、先生の対応も親身でとてもよかった。しかしなにより、「内視鏡やりたくないですよねえ」「できる限りやりたくないです」「じゃあ、なるべくやらないようにしましょう」という会話が成立した時点で、私はなんの未練もなく前の病院には二度と行かないことを決断したのだった。
 内視鏡はさておき、直近の問題であった吐き気の方も、無事H2ブロッカーからプロトンポンプ阻害薬に変薬してもらえ、その上とにかく気持ち悪いとなにもできないでしょうからと吐き気止めまで処方してもらった。おかげで少なくとも吐き気は収まり、翌日からはなんとか普通通りに生活できるようになった。

 とはいえ、胃の調子が悪いことには変わりがなく、ちょっと油ものや香辛料の強いものを食べるとたちまち胸やけか吐き気が(場合によってはペアで)襲ってくる。また、そうでなくても食欲がわかないので、どうしても食事の量が減ってしまう(そしてそういう時でもお約束のように体重は減らない)。
 もともと瓶底に張り付いたのを浚って凌いでいるくらいの体力しかないので、吐き気はおさまってもなかなか元には戻らない。ちょっと活動するとすぐ顎が上がってしまう体たらくで、情けなくって仕方がない。もっと体力つけないと、と思いつつ、疲労が抜けないと運動もできない。運動の前に片づけなければいけない仕事も家の用事も、体が思うように動かないというだけで進まず、日々途方にくれてしまう。

 昨夕も、娘を寝かしつけた後、少しは家の用事でもと思ったのだが、もうそこから体を動かすことが全くできなかった。気がついたらルーズソファで眠りこんでしまい、目が醒めたらもう深夜だった。
 自己嫌悪に陥りつつ、娘が寝ているベッドに潜り込んで、昿日の朝には少しは体力が戻っているよう祈りながら改めて眠った。

 今日、朝の六時。私の体をとんとん、とんとん、と叩くものがいる。「ぱぱ、ぱぱ」という声に目を開けると、座った娘が私の顔をのぞき込みながら肩を叩いていた。私と目があうと、にいっと笑って、「ぱぱ」という。

 ずるいなあ。どうしてきみだけ、こんなに簡単に僕を元気にする力を持っているんだろう。
 早く起きた方がいいのは百も承知だったのだけど、しばらくの間一緒に遊んで、僕はもうちょっとだけきみから元気を分けてもらう。

 きみに「ぱぱ」にしてもらえて、本当によかった。 

Posted at 04:47 午後     |

日 - 6月 12, 2005

君のチカラ。 



 実は昨夕から体調が今ひとつだったりする。
 元々あまり体が強い方ではない、というか有り体に言うと脆いので、体調を崩すのはしょっちゅうのことだ。しかし、週末に調子が悪くなるのはちょっと辛い。遊んで欲しい娘は元気いっぱいだし、少しずつ進めている家の片づけ兼小規模な模様替えは何も進められないし、溜まった仕事をこそっと片づけておくこともできない。
 昨夕からの吐き気のおかげで食欲はわかずにほとんど何も食べられない(しかしそれでも体重は減らない、なぜだ)。それでもまだ横になっていれば我慢できたのだが、今日になって頭痛がするようになってしまった。横になっていても頭が痛いので、眠ることも出来ない。
 それでもなんにもない週末ではかわいそうなので、頑張って娘の手を引いていつもの公園へ遊びに行く。すっかり慣れた娘は段差のあるところ以外では私の手を握ろうとはせず、心配性の父親の言うことなど聞かずにとてとてと走り回る。危ないところへ近寄る娘を抱き上げると、その度に頭の奥が痛む。結局一時間ほどで娘より先に私が音を上げて、もっと遊びたがる娘を抱き上げて帰宅することになった。

 遊び疲れた娘がようやく眠ってくれたので、頭痛対策で冷えピタを頭に乗せて私も横になる。でも頭の芯のほうでずきずきとする痛みは消えないし、仰向けで眠っているとまだ吐き気がする。眠れずにいると、マイナスの思考ばかりが空回りして、明日から始まってしまう新しい一週間のことを考えてまた憂鬱になる。

 そうやってしばらくしているうち、娘が目を覚まして泣き出した。一人で置いて行かれた、と思ったのだ。ここにいるよ、と声をかけて側に行く。だいじょうぶ、君を置いてどこかにいったりはしないよ。娘は半べその顔で私をじっと見上げると、とことこと歩いてきて、膝をついて座っていた私の腿によじ登り、首に手をかけるとぎゅっ、と抱きついた。寝汗で風呂上がりみたいになっている頭を、私の胸にぐいぐい押しつけてくる。少しでもぴったりくっつこうとでもいうように。

 ありがとう。もうちょっとがんばってみるよ。
 君から与えてもらうチカラをオイルにして、もう少し自分の背中を押していってみようと思った六月の夜。 

Posted at 07:44 午後     |

土 - 6月 11, 2005

惜別。 



 PalmOS搭載の携帯情報端末を使っている人なら一度は訪れたことがあるだろう、muchy.com の更新停止が発表された。仕方がない、と思う反面、やはり寂しさは如何ともしがたく残る。

 ご存知の方もおられると思うが、私はずうずうしくも自作の小説をmuchy.comに掲載してもらっている。muchy.comでは作者ごとのインデックスがあったりするものだから、そしてまた私が厚顔にも本名そのまんまで出してたりするもんだから、自分で見に行くと実は悶絶するほど恥ずかしいような状況になっているのである(あとで気がついて死ぬほど後悔したがもう遅い)。しかしそれでも、あのmuchy.comに自分の作品が掲載されているというのは、(自分で掲載依頼しておいていうのもなんだと我ながら思うが)結婚式で一人だけアロハを着ているような大変場違いな感が拭えないものの、やっぱり嬉しいことであるのである。

 ココノネは、一日一桁アクセスが普通の静かなサイトであるが、ご覧いただいている方の中に、ときどき、他からリンクを辿って来てくださる方がいる。参照元はほとんどの場合、ステーショナリープログラム か、muchy.comか、なのだった。
 自作小説、などというニーズが大変限定されていそうなジャンルでさえ、muchy.com経由のアクセスは毎月必ずあるのである。ましてや、Palmwareであればその影響力は推して知るべし、というところであろう。今更、しかも私がいうようなことではないとは思うのだが。
 そうしたサイトを運営維持管理していく、ということは果たしてどれほどのことだったのだろう。

 それが収入の代価になっていてさえ、一つのことを続けるのは大変なことだ。そんなことは、日ごろの自分の仕事を考えればすぐに想像がつく。さまざまな要素と、それを支える情熱の、どれか一つでも欠けたら途端に継続は苦行になる。
 今回の更新停止の背景に何があるのかはしらない。だが、世界の一ヶ所で、そういう決断がなされたということ、大事な要素のどれか一つが欠けてしまったのだろうかと思うこと、それはやはり、考えても栓無いことなのだが、寂しいのだった。

 願わくば、これが再び、ご本人にとっての新しい始まりへとつながりますように。 

Posted at 12:34 午後     |

金 - 6月 10, 2005

Open the door. 



 保育園には連絡帳というのがあって、毎日毎日なにを食べて何時にトイレがあって、どんなことがあったのかというのを書くことになっている。毎日毎日なのでほとんど日記状態で娘がその日にしでかしたあれやこれやを書いていく。大変は大変なのだが、おおよそは毎日何かしでかしてくれる娘のおかげでネタには事欠かないのと、保育園の先生がコメントを書いてくれたり、妻が読んでウケたりしてくれるのが結構励みになって毎日せっせと続いている。書くのが楽しいので、それ専用にステッドラーのシャープペンシルと消しゴムを買い揃えてしまったほどである。これがなかなか使い勝手がよろしいので、また一生懸命に書くという好循環スパイラルに突入中である。
 そんなわけで、ココノネに書きたいと思うようなネタがあっても、大体は先に連絡帳に使ってしまうので、なかなかココノネの更新が進まないのであった。って、(妻を除けば)読者が被っているわけではないので(たぶん。100%被ってたらやだな)別にネタかぶりしても構わないわけだが、そこはそれ、世間が許しても私のハートがなんとなく許さないのである。ココノネの方を先に書くというのも考えなくはないのだが、やはり少ないながらも反応がある方が書き甲斐はあるわけで、このあたりは目の前の小さな幸せにすぐしがみついてしまう小市民としては、なかなかそうもいかないのであった。
 そうもいかない、と思っているなら平気な顔していればいいものを、久しぶりの更新の時にはこうして言い訳から入ってしまうあたりもまたいかにも小市民的ではある。
 ……さて、長い前振りはこの辺にしておいて。

 はいはいまでは早かったのになかなか歩かなかった娘が、先月くらいからみるみる歩く距離が増え始め、気がつくとわが家の愛犬を追っかけ回して走り回るようになっていた。なかなか五歩以上歩かないねえ、とあんなに気にしていたのが嘘のようである。
 今は歩くのが楽しくて楽しくて仕方がないようで、先週末大人の足だと歩いて十分ほどの近所の公園まで出かけたときは、途中で抱き上げられるのを断固として拒否し、てこてこてこてこと一生懸命、三十分かけて歩ききった。途中、道ばたに石が落ちているとそれをつまみ上げてじっくり吟味し、植木の葉っぱには一つ一つさわって確かめ、マンホールの隙間から不思議な音のする中をのぞき込み、花を拾うとなんとか指につけられないかと四苦八苦していた。すれ違った工事のおじさんから「一生懸命歩いてて偉いねえ、いくつ?」と声をかけられると恥ずかしがって私の足にしがみついて顔を隠し、犬が歩いてくると興奮して「わんわん、わんわん」と叫ぶ。私にとっては毎日歩いている、見慣れた駅へ通じる道でしかないそこが、娘にとってはたぶん、どんなテーマパークより楽しい世界だったのだろう。

 もちろんそれはいつまでもは続かず、最初に歩いたときは私の手をつかんで離さなかったのに、二日目にはもう一人で一生懸命、昨日はあれだけ夢中になった石ころには目も向けずに歩いていったりする。毎日毎日、娘は小さな階段を一段一段上り、扉を開けて、自分の世界を広げていく。脇で見ているこちらは、次々新しい世界を広げて喜んでいる娘がうらやましくもあり、あまりにもすごいスピードで駆け抜けていくのでもったいなくもあり、何だか複雑な心境である。

 先月までは、「窓の外を見てごらん」というと素直にそっちを見て、(何度見ても毎回)「うわぁー」と口を開けて驚いてくれたのに、今月はもう一応見てはくれるけれど特に楽しそうでもない。握りしめていたものをほうり投げるときに「ぽいっ」と毎回口に出していたかわいい効果音も、いつの間にかいわなくなってしまった。(毎日聞いていたせいでこちらの口癖にまでなってしまったのに)
 それはもちろん、少しずつ成長しているということではあるのだけれど、喜ばしいことではあるのだけれど、あの時の娘がもういない、というのはなぜだかちょっとだけ寂しかったりする。

 一日の起きている時間のほとんどを娘は保育園で過ごしているから、娘が毎日出会って驚いて身に付けているだろうほとんどのことを、その瞬間を、私は自分の目で見ることができず、連絡帳を通して知ることしかできない。仕方がないことではあるのだけれど、娘が新しい扉をどんどん開けていく瞬間をずっと見ていたいという欲求はずっと私の中にくすぶっている。それが満たされていないから、次々進んでいってしまう娘を見て、まだ今の君を十分に見ていないのになあ、と思って寂しくなってしまうのだと思う。

 一歳四ヶ月になったばかりだというのに、今からこんなことでこの先大丈夫なのだろうか。我ながら不安でいっぱいである。
 まあともかく、先々少しでも後悔しないですむよう、精いっぱい目を開いて見ていこう、と思うのだった。 

Posted at 11:42 午後     |

土 - 4月 2, 2005

まっすぐな歌。 



 気がつけば2005年も三分の一がすぎていて、近所の桜の樹もすっかりつぼみがふくらみ始めている。娘の一歳の誕生日も、記念写真を撮ったりiPhoto5で一歳記念のブックを作って 悦に入ったりしているうちに、あっという間に二ヶ月前のことになっている。
 娘が生まれてから、一日一日の過ぎていくのが本当に早い。何も出来ないままだという焦燥を感じない日はないが、そんな父親にお構いなしに、娘は毎日一つは新しいことが出来るようになり、自分を主張するようになってきている。

 次世代育成支援ということで、国を挙げて子供を産み、育てることを推進していこうという話があちこちで目につく。しかしどんなに労働環境を整備しようと、周りの理解があろうと、働きながら子どもを育てる困難さは解消されないと思う。
 働くことと子どもを育てることを両立させるだけならば可能かもしれない。だが、子供を持つ前と同じように仕事に力を注ぎ、かつ愛情を注いで納得がいくまで子どもと一緒にいようと思ったら、一日が四十八時間になったって、それはそもそも不可能なのだ。結果として、かつて出来ていたのより質的にも量的にも劣る仕事しかできず、仕事を中途半端にやっているという自責の念は常に消えることがない。それでも可能な限り努力しようとすると、子どもに費やせる時間と活力は目減りしていく。全部で1しか乗せられない天秤の両方に1のものを乗せて、納得のいくバランスを取ることが出来るはずがない。
 私の職場は子育てに関しては支援制度も充実しているし、なにより周りの理解があるばかりでなくとてもサポーティブだ。環境面では恐ろしく恵まれていて、おかげで何とか仕事が出来ている。だがそれでも、仕事にも子育てにも自分が中途半端だという意識からは、それが自分の裡にあるものであるだけに、逃れられる時がない。仕事に対しても、家庭に対しても中途半端だという意識は私の胸の奥底にいつもいて、だからおまえはダメなんだと、聞こえるか聞こえないかの声でいつもささやいている。

 自分の中の問題だけに解決のしようがないなあと、行き詰まり感を感じつつ、ビデオに撮った教育テレビに娘のお守りをしてもらって朝の支度をする。もうじき一歳二ヶ月の娘はアニメには興味がないが歌と踊りが大好きで、「おかあさんといっしょ」の踊りや体操のコーナーになると一生懸命曲にあわせて叫びつつ体を動かす。子どもが好きそうなのをさすがによくわかってるねえ、と感心しつつも、実は最近、一生懸命見ているのは娘よりむしろ私かもしれない。

 子ども向け番組で歌われる歌の中には、私が普段照れや気恥ずかしさや懐疑があって絶対に言えなさそうなことを、でも心の内でぐずぐず思っていることを、ど真ん中剛速球ストレート一本勝負で歌っているものがいくつもある。例えば、毎朝のように聞いている「ぼくときみ」という歌では、こんなことが歌われている。

 ——初めて会ったぼくときみがいっしょに散歩していたら、一つの木の実を見つけた。僕はおいしそうだって言ったけど、君はきれいだっていった。ぼくときみは違うんだね。違うから、ぼくはきみを好きになるのかな。

 自分と外見や年代や考え方が違う人を、ものや習慣を、それだけで敵だとしてしまうのが当たり前の世界で、私は一体どうやったら娘に、違うことを大事なことだと思い、それを受け入れることを身につけさせられるだろうとずっと悩んでいた。それをどうやったら伝えられるだろうと。そんな私の悩みを鼻で笑うように、「ぼくときみ」は実に軽々と、そしてまっすぐに、そのことを歌いかけていた。
 この歌を当たり前に聞いて、それが当たり前だと思って育ってくれたらいいと思う。そしていつかどこかで自分の問題として直面したときに、子ども向け番組で歌われていたことなんか所詮子供だましなんだなどとは思わず、それを心のコアとして逃げずに問題に対処できる人間に育てたいと思う。

 そんなことを思いながらも、でももちろん、そのまっすぐな歌に一番元気づけられているのは自分自身だ。絶対にバランスのとれない天秤を担いで四苦八苦している時にその歌は、バランスを取ることなんかよりもっとずっと大切なことを思い出させてくれる。そしてそのことをよしと思える自分がいるうちは、まだ少しがんばれるような、そんな気はしているのだ。 

Posted at 03:54 午後     |

水 - 12月 29, 2004

遙か南の島へ。 



 スマトラ沖の地震の被害が、日がたつにつれて大きくなってきているのを聞くと胸が痛む。
 まるで作り話のようだが、我が家は親子三人、12月15日から20日までの6日間、今回多くの被害者が出ているプーケット島・パトンビーチで少し早い冬休みを満喫してきたばかりなのだった。とてもとても楽しかったその旅行の様子を、日記を元に旅行記としてまとめようと思いつつ、休み明けと年末の仕事の忙しさにかまけて延ばし延ばしにしているうちにこの地震が起きてしまった。

 パトンでできた友人は無事だろうか。旅行中、娘を構ってくれた売り子の人たち、トゥクトゥクの運ちゃんたちは大丈夫だろうか。ほんの十日前に何度も何度も通って食事をしてお茶を飲んで遊んだ場所のあまりの変わり様を見るたび、苛立たしいほど心配になってしまう。

 初雪の降る東京から遙か南の島へ、何の役にも立たないけれどひたすら皆の無事を祈る。 

Posted at 02:57 午後     |

日 - 12月 19, 2004

乳児連れプーケット旅行記:最終日。 


 早起きして海に行くと決めていたら、一番早起きは娘だった。妻の体調はひとまず収まったようで安心。
 六時半、少し明るくなったところで砂浜へ。波打ち際で海を見せると、びっくりしてみている娘。娘をだっこしたまま少し海の中へ入ってみると、おっかなびっくり海の中をのぞき込んでいた。海で遊べるようになるのはもう少し先かな。 

 帰り際、海岸に設置してあるブランコに娘をだっこしたままのったところ、娘は怖がったのか泣き出してしまう。
 いったん部屋へ戻ってから、最後の朝食へ。おかゆとブロッコリー、魚にバナナが娘の朝ご飯。妻はラーメンがメイン、僕はずっと同じなんだけど、チャーハンとチュロスがメイン。飲物は日替わりのジュースが何種類もあるんけど、どれも甘い。この辺がタイで、ノンシュガーのコーラでさえとても甘い(そして三十年前の日本と同じくいかにも体に悪そうな色彩)。それでもいろいろ食べて飲んで、部屋へ戻ってパッキング開始。一時間くらいでおみやげをのぞいて完了。ここで、ちょっと疲れた妻が寝てしまう。娘は少し咳があるけれど至って元気で、ベッドの上でご機嫌で遊んでいる。
 出発前に充電してきたデジカメのバッテリに警告がでたので、パッキングの間充電。ここまでで512MBのSD二枚切をほぼ撮りきって初の警告なので、DSC-J1のバッテリはかなり優秀。
 四苦八苦してパッキング完了。蓋を閉めるときになんかばきばきと音がしたのが気になるが、チェックのために開けたら二度と閉められそうにないので諦める。おみやげにカップ麺なんて買い込むんじゃなかった。
 12:00ちょうどにチェックアウト。すっかり人気者になった娘のところに、ツアーデスクの女性がわざわざ挨拶に来てくれたりする。
 海側出口からでてトゥクトゥクを拾ってパトンへ。オーシャンプラザからはじめていくつかお買い物。昨日、授乳時や娘の温度調整に使う大判のスカーフをトゥクトゥクから降りるときに落としてなくしてしまったので、その代わりのを探してあちこち回る。何軒目かで、やもり柄の可愛いのを見つけたのでそれとグラデーションのきれいなものをあわせて260Bで購入。早速パトンに来てからずっとねていた娘のベビーカーにかけてあげる。

 食事の時間にはまだ間があるので、今日もスターバックスでお茶。ここで娘が起きたので妻が店内で授乳。プーケットは日本みたいに授乳やおむつ替えの場所がないので、パブリックスペースでせざるを得ない。娘のためとはいえ、妻には本当に頭が下がる。
 スタバでの休憩の後、少し露天を冷やかして、Tシャツを一枚購入。帰りの飛行機の中で着るようにしようと思う。

 そろそろ時間なので、オーキッズへいってPさんと再会し、プーケットで最後の食事。食事の間中、娘は店員さんにかわるがわる遊んでもらって終始ご機嫌。みんなで記念写真を撮って、最後にオーシャンで買い物をしてから、トゥクトゥクでホテルへ戻る。
 集合時間まではまだ間があったので、ホテルのロビーで娘のおむつを替えたりして待つ。涼しいなあと思って見たら、29.9度だった。
 少し時間より早めに迎えが来てくれたので、送迎車に乗り込んで空港へ向かう。途中「ビックシー」でもう一組ピックアップするというので、そんなホテルあったかなと思っていると郊外型の大型スーパーだった。集合時間より早く着いたので僕らも車から降りて見物してみることにしたが、とてつもなく大きなスーパーでびっくりする。こんなところがあったとは。飲み物やシリアル、娘のお薬用のヨーグルトなどを買ったが、種類が多くて安くて驚く。でも、車がないととてもこれないところだ。
 時間になったので車に戻ると、無事もう一組の人たちも来ていて合流。もう帰るのかあと思いながらプーケット空港へ。娘が眠くなってきたのかちょっとぐずって、おっぱいをあげたりしていると到着。
 ところがチェックインカウンターへ向かうとやたらと混んでいる。こちらはなんとかスクリーン前の席を確保したいのにちっとも搭乗手続きが進まないので苛々していると、ついにはシステムダウンしたとかで全面停止。結局出発が一時間近く遅れることになってしまった。
 しかも待っている間、妻のバッグに蟻が大量にたかっていることが判明。一生懸命潰すが潰しても潰しても出てくる。どうやらホテルで預かっていてもらったときに、床に直接置いてあったのだがその時に鞄の中のパンや離乳食をねらって入り込んだらしい。この蟻は結局、バンコク空港の乗り継ぎの時に妻が鞄を全部ひっくり返して退治するまで、ずっと居座り続けたのだった。
 来たときと違ってプーケット空港では先に乗せてくれるなどの優遇はなし。まあ遅れているしなあと思っていたら、時間が遅くて眠いせいか、娘がぐずり出す。結局、バンコク空港までの一時間ほどの間、ずっとぐずりっぱなしだった。
 乗り継ぎのバンコク空港では免税店に目もくれず、まっすぐ搭乗口の前に移動して妻はそのまま蟻退治。僕は汗にぬれたTシャツを、パトンで買ったものに着替えたかったのだが結局できず、そのまま搭乗。(ここでもまた、先に乗せてくれるなどの優遇はなし)
 座席は、スクリーン前は確保できなかったと聞いていたのだが、乗ってみたら来たときと同じスクリーン前だった。しかも隣は空いている……だったのだが、離陸直前に無理矢理席替えをしてきたカップルにとられてしまった。帰りはおむつも一枚だけだし、ベビーフードもよくわからないなんかおいしくなさそうなのだったし、全体になんか今ひとつな感じだった。
 夜の飛行と言うことでどうかなと思っていたのだが、三人とも疲れ果てて寝てしまう。娘も今度はバシネットで寝てくれて、助かる。

 帰りは行きよりずっと早く、五時間ほどで成田へ。空港の中でもつくづく寒い。降りるとき、あまりに薄着な娘を見てかわいそうに思ったらしいスチュワーデスさんが、タイ航空の毛布をくれた。どうもありがとう。
 スーツケースが出てこないと冬服が出てこないので、焦って荷物受取場所へ向かう。着替える分くらいは手荷物にしておくんだった。荷物受取場所へはとても早くついたが、チェックインしたのが終わりの方だったので全然出てこない。結局最後の方になってやっと出てきて、脇の方で三人で細々と着替えをする。つくづく日本は寒いなあと思う。
 帰りもスーツケースの宅配を手配してあるので、そこまでえっちらおっちら運んでいくが、ベビーカーに対してもみんなよけてくれるでもなし手伝ってくれるでもなし。プーケットでは当たり前のように、よけてくれるし段差があれば持ってくれるし娘には構ってくれるしだったので、つくづく冷たい国だなあと思って寂しくなる。一面識もなくても、娘を見るだけでみんなで遊んでくれた国と、同国人なのにじゃまくさそうにされる国と、この違いはいったい何だろう。
 京成のモーニングライナーという電車があったのでその切符を買い、日暮里周りで帰宅することにして、地下のホームへ。空港から出ると一段と寒い。毛布でてるてる坊主のようにくるまれた娘は、しかし疲れたのかベビーカー上ですうすう寝ている。モーニングライナーは車両指定という変な指定方式だったが、座席指定じゃないおかげで四席を向かい合わせに確保することができた(全体に座席に余裕があったので助かった)。車両の中はさすがに暖かく、疲れが出た妻もうつらうつらしている。僕も時々ふっと意識が遠くなりつつ、日暮里で山手線へ乗り換え。
 最寄り駅で降りて、自宅までの道のりを歩く。朝方の街は葉っぱの落ちた街路樹が寒々しく、半日前までは真夏の楽園にいたことが信じられない。
 ちゃんとした朝ご飯も食べていないので何か食べたいのだが、十時半というのが中途半端な時間でどこも空いていない。暖かいものがいいなあ、ということになって、結局唯一開いていたモスバーガーでブランチをとってから、ようやく家へ到着。寒い家ではあるけれど、留守番していた犬とウサギも無事で、三人とも鼻風邪引いたりしているけれど、とにかく無事に帰ってこれてなによりだった。でも、帰って来るなりもうプーケットが懐かしくなっていたりするのだけれども。 

Posted at 11:24 午後     |

土 - 12月 18, 2004

乳児連れプーケット旅行記:四日目。 


 終日いる日としてはプーケット最終日。昨日遅くまで部屋で飲んだせいか、ようやく体がこちら時間にあってきたせいか、起きたのはちょっとおそめ。しかし娘は昨日よく寝たせいか、四時に起きて妻のおっぱいをずっと飲んではぐずっていたそうだ。
 ちょっとおそく、今日は八時ちょっと前から朝ご飯。きょうは娘の食べられるものがいろいろとあったので、お粥にお豆腐、野菜炒めに白身魚の焼いたの、とバランスよく食事をとる。 

 部屋へ帰って少し寝た後、十時すぎから全員でプールへ。ぱしゃぱしゃはしゃぐ……かと思ったらはっぱに夢中の娘。それでもうきわに乗って泳いだり、浅いプールでぱしゃぱしゃしたり、一時間くらい遊ぶ。
 部屋へ戻ってシャワーを浴び、娘はお昼ごはんとおっぱいを飲んで、疲れたのかお昼寝。妻と私は昨日買ったカップヌードル(ちゃんと日清のやつだがフォーク付きで1切で大丈夫)をお昼代わりに食べる。なかなか美味しく、おみやげに買って帰ることに。食後、娘と一緒に昼寝。プールで遊んだせいも疲れがたまってきたせいもあって、三時過ぎまでみんなでお昼寝。とてもいい気持ち。
 お昼寝が終わってから、まずホテル前の海岸へ。娘にとっては人生で初の海である。きれいな砂浜の上にたった娘は、初めての感覚にびっくりした様子。まだ日差しが強かったので長時間いるわけにはいかず、ちょっとだけ波打ち際へ。少し波と遊んでみる。びっくりしてよくわかってなかった感じだけれど、あまり日に焼かせるわけにはいかないので今日はこれで退散。

 海岸からトゥクトゥクを拾ってパトンビーチへ向かう。オーシャンにいった後、前回プーケットに来たときも寄ったシーカーという小物の店に寄る。今回はスプーンとフォークを少しまとめて購入した。日常使いにいい、ちょっとしゃれた感じのもの。
 スタバでの休憩を挟んでバングラ通りのオーシャンでおみやげのナッツやお菓子を買い込んで、本日は終了。トゥクトゥクでホテルまで戻る。

 最後の夜はホテルのディナーチケットをもらっていたのでその予定だったのだが、妻が腹痛を訴えたので中止にした。やむを得ず先に娘にご飯を食べさせ、おっぱいをあげてもらって熟睡させてしまう。今更外にいけないので、ホテル前のベーカリーでパンを買い込んできて、我々の夕飯にした。このころには妻の腹痛は大体治まっていて、ひとまず安心。旅行前の私のような食中毒でなくてよかった。
 交代でシャワーを浴びて、就寝。 

Posted at 11:11 午後     |

金 - 12月 17, 2004

乳児連れプーケット旅行記:三日目。 


 六時半起床。 今日は娘も一緒に朝ご飯を食べるべく朝食会場へ向かう。ところが昨日あった娘向けの食材がなくて、やむを得ずパン、ヨーグルト、バナナなど炭水化物中心に食べる。栄養が偏るなあ。昨夜哺乳瓶からはいやでもコップから水を飲んだので試してみたら、ちょっとだけだが飲んだ。
 食事が終わってから、娘だけ水着に着替えて、二十分ほどプールで水遊びをした。ぱしゃぱしゃやってはしゃぐ娘。 

 そしていよいよ、エレファントサファリに出発だ。
 途中他のホテルでも参加者をピックアップしながらサイアムサファリへ。有名なところらしくロゴの入ったTシャツなども売っている。
 周りにいる象を見ても、娘はたぶんあまりの巨大さに認識できなかったようで、思っていたようにははしゃがなかった。しかし初めて乗った象は下り坂では思ったより揺れるものの比較的安定していて、ジャングルの間を抜ける風が吹くととても気持ちいい。あまりの心地よさに娘は途中で寝てしまったほどだ。あああああ、それでは意味がないのだけれど。
 娘は結局、その後もしばらく眠ったままで、目を覚ましたのは施設見学中、子象のトレーニングを見ていた時だった。ぼーっとした表情のままで一緒にバナナをやったりしたけど、覚えてるかなあ。

 ツアーバスでホテルへ戻って、娘のご飯。象の背中で気持ちよく寝たせいか、えらくご機嫌がいい。
 汗をかいた娘を洗面で軽く洗ってあげて(洗ってる最中も大はしゃぎ)、日焼け止めを塗りなおした後、だっこひもで抱いてパトンビーチへ出発。
 オーシャンプラザから始めて、屋台も含めていろいろ冷やかして歩く。二年前に来たときに売っていた怪しいDVDとかはあまり見なくなった。プレステ2のゲームやXBOXも少しはいってきているが、メインは相変わらずゲームボーイのよう。ハードも売っていたが、相変わらず高かった。怪しいゲーム以外は大体高いのは変わらず。
 デパートでの買い物は、どうしたって娘メインになる。自分のものを買いなよといっても、妻は娘のものばかり探していたし、私もなんとなく娘のおもちゃになるものにかなあと見てしまう。結局気がつけば、子供服ばかり買い込んでいた。娘は相変わらずご機嫌で、店員さんや他のお客さんにニコニコと手を振って、大人気である。途中休憩して、オーシャンプラザの一階のベンチで授乳と娘の夕食。その後におもちゃのワゴンセールを見ていたら、気に入ってがしっと握りしめて放さないおもちゃがあるのでそれを購入。レジの時にも放そうとしないので、お店の人がタグだけ切り取って精算してくれたくらいだ。そのおもちゃを握りしめたまま、娘はお休み。15Bなのにとてもとても気に入った模様。
 くうくう寝ている娘をだっこしたまま買い物を継続。お菓子やビールを買い込んで夜に備える。お店や通りの雰囲気がなんとなく変わっていて、こぎれいになった分怪しい感じはずいぶん減った。それでも相変わらずオーシャンでコピーのPCソフトを売ってたりするわけだが。
 夕食はタイに来ると必ず日参するバーガーレストラン……と思ったら名前が変わって、「オーキッズ」になっていた。でも、経営者も何も変わっていなくて、観光客対策だそうな。妻と最初にプーケットに来たときからのお友達、ウェイトレスのPさんとも無事再会。味も変わってなくて、大変美味しくいただきました。妻がとってもうれしそうにPさんと話していて、それだけでも来てよかった。表通りの生け簀が並んでいる店のような派手さはないけれど、相変わらず安くて美味しい店だった(なんせ三皿食べて飲んで370Bですよ)。ミスターグッズがあんなだったので、心底安堵する。帰国までにまたくることをPさんに約束して、ホテルへ。娘と一緒だと、昼はともかく夜は外食は難しく、これまでのようにしょっちゅう来づらいのが残念。
 ホテルへの道すがら、プーケットで初めて見た焼きとうもろこしを買ってから、トゥクトゥクを拾った。とうもろこしはあまりあまくなくて、これは日本のものの方がいいかもしれない。

 日本時間だと十二時近いせいか、娘はぐっすり寝ていてシャワーを浴びさせても起きない。脱水症状にならないようにたっぷり母乳を飲ませて(寝てても母乳は飲むから不思議だ)、本式のお休み。大人はシャワーの後、妻が疲れているのに今日着た服の洗濯をしてくれた。終わってから買ってきたビールを飲んで、就寝。

 日程に関係ないのだが、思いついたのでここにメモっておく。アンダマンには日本語が使えるinternetに接続されたPCがあるらしい(使わなかったので確認はできていない)。部屋のテレビにはAV端子はついてなかった。バンガロータイプの部屋では蚊がいっぱいでる。部屋には備え付けの蚊とり線香があるが、あまり効かないので日本のを持ってきた方がよかったかも。
 瓶詰めのベビーフードはいろいろ売っているが、どうも完全なペースト状態のものがメインらしく、日本で見るようなのが見つけられなかった。見つけられなかっただけかもしれないが。離乳食はある程度準備してきた方が良い感じ。
 購入したパンパースは、おむつとしての品質は日本のと同じような感じだった。ただ、おしっこサインはでない模様。 

Posted at 11:10 午後     |

木 - 12月 16, 2004

乳児連れプーケット旅行記:二日目。 


 体がまだ日本時間なので、ゆっくり寝ても六時に起床。少し調子はよくなったが、娘が38度くらいの熱がある。でも元気はあるようなので、ベビーフードと野菜がゆで朝食をとったあと、大人の朝食会場へ。
 朝はよくあるバイキングのだが、種類がなかなか豊富。タイヌードルやチャーハンもあるので大喜びでいろいろ食べる。娘も食べられそうな物があるので、明日からは一緒に食べることにする。
 食事会場の前は庭になっているのだが、これがとにかく広くてきれいでびっくり。しかも鳥はわさわさ飛んできて勝手にコーヒー用のミルクを飲むわ、犬猫もいっぱいいるわ、朝食の間娘は寝ていたのだが、起きていたら大喜びしたろう。 

朝食後、部屋戻っておでかけの準備。入念に日焼け止めを塗る。娘の熱も多少下がってきた。
 本当だったら涼しいうちにプールにと思っていたのだが、全員体調が思わしくないので、今日プーケットタウンへ買い物にいくことにする。旅行会社のシャトルバスのでているパトンメルリンまで、トゥクトゥクで100バーツ。初めてトゥクトゥクに乗った娘はびっくりして怖がって妻にしがみついていた。パトンメルリンで少し待っているとシャトルバス(普通のワゴン)が到着。そこから一路プーケットタウンへ。ちなみにシャトルバスには我々の他には誰も乗っていなかった。どうもどうも日常的にそうらしいが、子連れだとあまり気を使わなくてよくなるのでありがたい。
 到着場所は今回の代理店であるA&Aのオフィス。涼みがてらタウンの説昿を聞く。二年ほどこない間に新しいデパートができたらしいが、他のと比べて離れているのと高めだというのでいかなくてもいいかな、という感じ。結局何度も来ている、ロビンソンとオーシャンをメインにすることにしたら、少しそこまで距離があるというのでシャトルバスで送ってくれた。大人二人だけならともかく、今回は娘もいるので、この暑さの中では天の恵のようだった。

 ちなみにタイのデパートでは、授乳室はもとよりおむつ替えベッドなどはないのが普通だそうだ。見た記憶がなかったのでそうかなと思ったが、やはりそうだった。おむつは、パブリックスペースのすみっこで換えてしまっていいそうで、おおらかである。そのいっぽうでパブリックスペースでは禁煙が法制化されているのだから、少なくともその精神においては、日本よりよほど健全な感じはする。

 歩いて到着したロビンソンでは、まず哺乳瓶を購入。ちなみにピジョンので、オーシャンでもそれしかなかったからこれがスタンダードのだろうか。ガラス製はなく、プラスチックのみで240cc入るものが78Bだった。激しく汗をかいていた娘が脱水状態になるのを避けるため、持参してきたイオン飲料粉末とミネラルウォーターですぐ飲物を作ったのだが、乳首が気に入らないらしく一口飲んだだけ。離乳食は好き嫌いがないくせにミルクは本当に嫌いで(というよりいわゆる普通の乳首が嫌いで)、困った。
 哺乳瓶からの水分補給が難しそうなので、母乳を与える方向に切り替える。前述の通り授乳室などはないので、適当な場所を探しつつデパートの中をみて歩く。
 数年ぶりのロビンソンでは、お気に入りのタイのブランド、A2Zがベビー服を始めていたり、オシュコシュが安かったり、楽しい。ただ、おもちゃを買ってあげようとしたら売ってるもののほとんどは日本製で、日本語のパッケージのまま売られている(黒髭危機一髪もそのまんま)のでちょっと残念。
 昨日もそうだったけどタイの人は子供好きなのか、娘をみるとみんな話しかけたり遊んでくれたりする。昨日より機嫌のいい娘はちょっとだけ愛想を振りまいて受けたりしていた。
 最上階のフードコートへあがると、なんとか授乳できそうな感じだった。すみっこのテーブルを借りて、朝食会場でもらったパンとキユーピーのレトルトで娘に昼食をとらせ、そのあとスカーフで隠しつつ、娘に授乳。やはり喉が渇いていたらしく、長い時間飲んでいた。
 授乳後、折角なので我々もフードコートで食事することにする。シーフードヌードル(35B、でも具に竹輪が入ってる)とホットスキ(40B)、オレンジシェィク(20B)。これだけ食べても100Bいかない。もちろん具が豪勢なわけではないが、軽くすませるランチならこれで十分な感じ。
 ロビンソンデパートを一通り見た後はオーシャンへ。しかし前は入っていたA2Zがなくなっており、入っている店舗もなんだかぱっとしない。(十代向けの店が多い)しょうがないのでロビンソンへ戻って、子供服なんかをお買い物。(帰り際に、A2Zは近所のビルにまるごと移転していたことが判明。しかし時間がなくていけなかった……)
 一通り完了した後、今回のタウン遠征の目的の一つ、ゴールドアクセサリーを三軒ほど見て歩く。
 三軒見て、結局最初の一軒目で可愛いブレスレットを購入。妻と娘用のアクセサリをタイで買う、という念願がやっと果たせた。
 休憩のため入ったミスタードーナツで、微妙に見慣れない(ポンデリングにフルーツソースがかかってたりする)ドーナツと巨大なコーラや昔の味がするファンタオレンジを飲んでくつろいだあと、悪路をベビーカーで走るのは困難、ということでだっこ用のネットをロビンソンで買って、プーケットメルリンホテルのA&A事務所へ。シャトルバスでパトンビーチへと戻る。

 ホテルに戻ったところでツアーデスクへ向かう。オプショナルツアーはほとんど頼まない我々だが、今回は動物好きの娘のために、エレファントサファリを申し込むことにした。長時間だとちょっと厳しそうなので、短い時間の方のコースにする。
 ホテルでの手配だと、もしかすると少し高めなのかもしれないが、仮にそうだとしても安心料と利便性(支払いがまとめられる)だと思うと気にならない。それに、少なくとも旅行前のパンフレットにあったオプショナルツアーよりは割安だ。もちろん代理店のツアーだと日本語ガイドがつくなどの利点はあるが、プーケットであればほぼ英語が(我々の下手な英語でも)通じるので、こちらで十分である。

 もう一つ、毎回プーケットに来ると楽しみにしているのがタイ式マッサージである。これまでであれば、毎日のように通って二時間ずつやってもらっていたものだが、今回は娘がいるのでそうはいかない。マッサージを受けながら娘をあやす訳にもいかず、こちらは泣く泣く断念。
 しかしなんにもないのはさすがに寂しいので、その代わりに妻のためにホテルのスパを予約した。ホテル内であれば、待っている方は部屋で遊んでいたりできるので、比較的安心だ。というわけで、うまい具合にすぐに予約が取れたので、私と娘はお留守番して、妻はスパへ。
 妻を見送った後、ずっと部屋でゴロゴロしているのもつまらないので、娘をだっこしてプールサイドへ行ってみる。水辺でばしゃばしゃやって喜ぶ娘だが、まだ少し熱があるし、水着でもないので短めに切り上げて、今度は朝食のときに見た芝生の庭へ。素足で地面に降り、はいはいして動き回ったりはっぱをむしって喜んだりしていたが、やがてぐずりだしたので切り上げて部屋へ戻る。

 ベッドの上で遊びつつ、明日の象のためにビデオカメラをチェックする。こう言うときにとらないと使うチャンスがなかなかないのだから、いざというときに使えないというわけにはいかない。
 七時からレトルトのうどんと野菜がゆで娘の晩ご飯にする。うどんはお気に召さなかったらしく、途中で残してしまう。どうしようかなと思っていたところに、予定より三十分ほど早く妻が帰還した。どうも、スパの人が時間を間違ったらしい(本人は時計を置いていったので、帰ってくるまで気づいてなかった)。電話でフロントに連絡したところ、担当者が勘違いせいたせいらしく、時間の短いコースの金額を適用してくれることになった。なんかすっきりしないなあと思っていたら、あとでフロントの日本人女性とスパの担当者がおわびに来てくれて、10%引きにしてくれるとのこと。また、お花のフローティングキャンドルもくれた(あまり使う機会がなさそうだが、気持ちということでありがたくいただいた)。
 ご飯をあまり食べなかった娘のため、妻の発案でウェルカムサービスで部屋に置いてあったバナナを食べさせてみる。小降りのバナナだったのだが、いきなりかぶりついて食べだしたのにびっくり。大人と同じようにして、半分くらい食べてしまった。
 食事が終わってシャワーを浴びさせたら、一緒に入った妻のおっぱいを飲みにくるという。そんなに喉が乾いているなら哺乳瓶で飲んでくれてもよさそうなのに、頑として飲もうとしない。
 お風呂上がりに妻が授乳したら、娘は一発で寝てしまった。熟睡しているので出かける訳にもいかず、大人の晩ご飯はルームサービスですませることに。電話でオーダーしたのだが、こちらの英語も怪しいとはいえあちらの英語もだいぶ怪しくて聞き取れず、なんども確認する羽目になってしまった。それでも七年前に汗だくで電話したのよりは、話が通じるところまでは持っていけた分、ずいぶんましになっているか。
 食事の時にミニバーのシンハビールを一本あける。今回の旅行で初シンハ。うまい。食後、二人とも早々に就寝。 

Posted at 11:10 午後     |

















©