みんたまあな日々

旧暦1月20日 二十日正月

2月26日 旧暦1月20日
正月二十日の祝い日。
ウワイ正月(終わり正月)というところもある。
正月の残り物の塩漬けの豚肉などを
仏壇に供えて二十日正月であることを報告し
正月の終了を表す家族中心の行事。
南部や那覇方面の行事のようだ。

フューチャーダイレクションVol.4に行ってきた

25日7時から名護プラザ4FのROOTS CAFEで行われた
フューチャーダイレクションVol.4に行ってきた。
美容室サンクチュアリの主催するイベント。
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サンクチュアリの浦崎さんのデモンストレーション
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会場はこんな雰囲気
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若い美容師さん8人による花をテーマにしたコンテストがメインのイベント。
観客の投票により優勝が決まる。
他にレゲエダンスやドラッグクイーンのショーなどエンターテインメントあふれるイベントでした。

旧歴1月18日 十八夜

2月24日。
十八夜は別名観音拝みともいう。
1月5月9月の各18日。
年に3回ではなくそのうちのどれかの月というところもある。
健康祈願のまつり。

門中あるいは村でもやらないところが多い行事。

初めての年度末

ギャラリーのメンバーは、ギャラリーがオープンしてはじめての年度末を体験しています。
どの仕事もそうだと思いますが、年度末は忙しいですね。
確定申告があったり、年度末進行の仕事がブッキングしたりで、
時間的な余裕がほとんどありません。
けっこう、ヘトヘトだったりします。
なので、ちょっと休みがちな2月の「みんたまあ」なのです。
怠けているわけではありませんが、いろんな方に「開いてないけど」と心配していただいてます。
3月は幸い?にもさまざまな展覧会が決まっています。
3月をお楽しみに、って来週じゃないですか!。
ほんとに大丈夫なのでしょうか。
ちょっと心配です。

それから、大きな声ではいえませんが、ギャラリー運営をサポートしてくれる方募集します。
だれかおねがい!!
手伝って!


旧暦1月16日 十六日ジュウルクニチ

昨日、2月22日は旧暦1月16日。ジュウルクニチは、この日行われる先祖供養の行事。あの世(後生)の正月、亡くなった人の正月ともいわれる。
この行事は、首里文化の影響の少ないところほど盛大なまつりとなり、逆に首里文化の影響の強いところは清明祭が盛大になっているそうです。
八重山や宮古島では、このために島外に住んでいる親戚も帰ってきて行事を行うそうです。また小中学校も午後は休校になると、ラジオのニュースでやっていました。
地域によって、墓参りをするところ、仏壇を拝むところ、ミーサ(新仏:一年以内に亡くなった人)のある家のみ墓参りするところ、などさまざまな違いがあります。
現在このジュウルクニチは、新暦で行う家もあるそうです。

旧暦 1月4日 ヒヌカンウンケー

2月10日(旧暦1月4日)は、ヒヌカンウンケー(火之神迎え)。
旧暦12月24日にヒヌカンは昇天し、天の神に家庭の一年を報告する。
この仕事を終えたヒヌカンは、年の明けた旧暦1月4日に再び地上へ降りてくる。
このヒヌカンを迎え、新しい年の健康と繁栄をお願いするのがヒヌカンウンケー。
とモノの本にはある。

大抵の家庭にあるヒヌカンは、天(宇宙)とつながっているらしい。



ハチウクシー

旧暦の1月2日、3日におこなわれる仕事始めの儀式だそうです。
一年の豊漁や豊作、安全を祈願しておこなわれる。
漁業の場合はフナウクシー(船起こし)、農業の場合は、ハチバル(初原)といい船や道具を清め嘉例をつける。
大漁旗
画像は、名護漁港で大漁旗をつけた漁船の様子。
このようにして船霊を祀り、豊漁を祈願する。


辺野古の一里塚

辺野古の一里塚
非常勤で通っていた学校の今期最後の授業の日、見つけてしまった。
ずっと草ぼうぼうになっていたところが、きれいに刈り取られて、それは姿を現していた。
こんもりとした円形のもの。よくみると石を積み重ねてつくってあるようだ。
標識の杭には復元とある。別の場所にあったのを移築したのか、なんらなかの理由で壊されたものをなおしたのかわからない。
くわしい人に後日聞いてみようと思う。

場所は国道329号線の辺野古の信号のそばです。辺野古の集落へ入る信号のところなのでわかりやすいと思う。

説明板にはこのような説明がかかれています。

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一里塚とは、街道沿いに一里ごとに築かれた塚のことで、織田信長・豊臣秀吉の時代に初めて築かれ、1604年(慶長9年)以降、江戸幕府によって全国に設置されました。
 沖縄県立図書館の比嘉春潮文庫の中に保存してある「正保三年琉球国絵図帳写(1646年)」に「壱里山」という記載があり、少なくともその頃には、沖縄にも一里塚(山)があったことがわかります。

20080207083「正保国絵図」

そのとき作られた「正保国絵図」にも、道をはさんだ黒丸印で一里塚が記載されていて、ちょうど「辺野古の一里塚」のあった場所にも、その印が見えます。

20080207083-1「正保国絵図」部分

さらに辺野古では、その場所を「イチリヅカ」と呼び、かつては、塚と塚との間を旧道が通っていたそうです。
 平成5年(1993年)の発掘調査の結果、この一里塚は、ちょうけい4.5m短径4.0mの楕円状に、60cmの高さで石積を巡らし、その中に約2.0mの高さで土を盛った塚で、それが対をなし、塚と塚の間は、やく14m離れていることがわかりました。しかし、その間を通っていたという「宿道」(すくみち)の後は確認できませんでした。
 現在、国の史跡に指定されている一里塚が全国に17件、県内では恩納村にある「真栄田の一里塚」が村の文化財に指定されていますが、ほとんどの一里塚が姿を消しています。ここに復元された「辺野古の一里塚」を、近世の歴史を知る貴重な資料として大切に保存し、地域の教育に活用していきましょう。

平成9年(1997)3月
北部国道事務所
名護市教育委員会

トゥシノユルと旧正月

もうすぐ日付が変わってしまいますが、
今日2月7日は、旧正月。旧暦のお正月です。
ちなみに昨日は旧暦の大晦日 トゥシヌユル(年の夜)です。
旧暦には31日はないので、12月30日になるそうです。
旧正月は以前ほど重要な行事にはなっていませんが、
漁業に携わる地域ではいまでも盛大に行われています。
潮の干満などと密接に結びついた旧暦を重視するためのようです。
農村部では作物によっては収穫期と重なるので簡素にすませるところが多いようです。