歴史
辺野古の一里塚
2008/02/08 金曜日
非常勤で通っていた学校の今期最後の授業の日、見つけてしまった。
ずっと草ぼうぼうになっていたところが、きれいに刈り取られて、それは姿を現していた。
こんもりとした円形のもの。よくみると石を積み重ねてつくってあるようだ。
標識の杭には復元とある。別の場所にあったのを移築したのか、なんらなかの理由で壊されたものをなおしたのかわからない。
くわしい人に後日聞いてみようと思う。
場所は国道329号線の辺野古の信号のそばです。辺野古の集落へ入る信号のところなのでわかりやすいと思う。
説明板にはこのような説明がかかれています。
一里塚とは、街道沿いに一里ごとに築かれた塚のことで、織田信長・豊臣秀吉の時代に初めて築かれ、1604年(慶長9年)以降、江戸幕府によって全国に設置されました。
沖縄県立図書館の比嘉春潮文庫の中に保存してある「正保三年琉球国絵図帳写(1646年)」に「壱里山」という記載があり、少なくともその頃には、沖縄にも一里塚(山)があったことがわかります。
「正保国絵図」
そのとき作られた「正保国絵図」にも、道をはさんだ黒丸印で一里塚が記載されていて、ちょうど「辺野古の一里塚」のあった場所にも、その印が見えます。
「正保国絵図」部分
さらに辺野古では、その場所を「イチリヅカ」と呼び、かつては、塚と塚との間を旧道が通っていたそうです。
平成5年(1993年)の発掘調査の結果、この一里塚は、ちょうけい4.5m短径4.0mの楕円状に、60cmの高さで石積を巡らし、その中に約2.0mの高さで土を盛った塚で、それが対をなし、塚と塚の間は、やく14m離れていることがわかりました。しかし、その間を通っていたという「宿道」(すくみち)の後は確認できませんでした。
現在、国の史跡に指定されている一里塚が全国に17件、県内では恩納村にある「真栄田の一里塚」が村の文化財に指定されていますが、ほとんどの一里塚が姿を消しています。ここに復元された「辺野古の一里塚」を、近世の歴史を知る貴重な資料として大切に保存し、地域の教育に活用していきましょう。
平成9年(1997)3月
北部国道事務所
名護市教育委員会