2009年10月15日
みずの塔が被弾したのはどの部位か
今年2009年2月19日、区立哲学堂公園が東京都の名勝に指定されました。また、みずの塔の愛称で親しまれる野方配水塔について、現在区は国の有形文化財へ登録の申請をしています。さらに、区は今後哲学堂公園周辺について景観計画を策定する意向を示しており、これから中野区北東地域が来るな、などと独り悦に入っております。なお、「哲学堂公園周辺」にはみずの塔も含まれます。
みずの塔は空襲時の弾丸の傷跡を残す中野区の平和史跡でありますが、被弾した場所について、「廃墟徒然草 -Sweet Melancholly-」さんが「野方給水塔 弾丸跡の謎」という記事で、幼稚園側ではなく公園側、ふすまの穴を補修したような幾つかの白い正方形こそが真の被弾箇所ではないかと言っております。しかも中野区教育委員会に問い合わせた回答であったと。
被弾箇所の真相が以前から気になっていたので、10月1日の決算特別委員会で取り上げてみました。
教育委員会の生涯学習支援担当に訊いたところ、教育委員会として銃撃を受けた場所を特定しておらず、幼稚園側とも公園側とも言い切ってはいないはずだととの回答がありました。
平和担当は説明板について、2005年3月に、実際に空襲を体験された近隣住民から話を聞き取った上で作成したと答えました。
「野方給水塔 弾丸跡の謎」に掲載されている順序が前後しますが、みずの塔が塗り直される前の三十数年前の写真を見ると、区が指している幼稚園側の二か所は銃痕とおぼしき傷は見あたらばかりか、区が指し示す点からわずかに外れた場所に、小さな丸い傷が十個ほどついており、こちらの方がよほどそれらしい、現在の銃痕は、塗り直した際に銃痕らしくつけた模造ではないかという、「廃墟徒然草 -Sweet Melancholly-」さんのご指摘について質しましたが、何しろ区が塗り直し前の写真を持っていないので、残念ながら結論は出ませなんだ。
最後に、有形文化財に指定されると補修が施されるようだが、補修を機に銃撃の跡を特定するとともに復元して露出させ、文化価値をいっそう高めることはできないかと聞きましたが、復元は設立当時の姿に戻すことであり、傷跡は埋めるだろうという返事。私は、被弾した事実は証言によって明白であるし、区も物証ではなく証言をもって平和史跡としているのだから、銃痕の復元をなお望むが、叶わずに埋められるとも平和史跡の位置づけは存置してほしいと要望しました。
この質問の数日後、37年住み暮らした江古田一丁目2-3を離れ、江古田二丁目6-2に引っ越しました。引っ越しても哲学堂公園やみずの塔は地元に変わりありません。今後も取り上げていきたいと思います。

