2009年5月2日

がんばれ未曾有

2008年11月12日、学習院大学の日中青少年交流行事で、OBでもある麻生太郎総理はあいさつをおこなった中で、「頻繁」をハンザツ、「未曾有」をミゾーユーと誤読してしまいました。

ハンザツは痛恨事にちがいありませんが、未曾有はどうでしょう。


語源由来辞典で未曾有を引いてみます。

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未曾有は、奇跡の意味のサンスクリット語「adbhuta」が漢訳された仏教用語で、仏の功徳の尊さや神秘なことを賛嘆した言葉であった。 日本では「未だ曾て有らず(いまだかつてあらず)」と訓読され、本来の意味で使われていた。

鎌倉末期には原義が転じて、善悪の両方の意味で用いられるようになり、現代では「未曾有の事件」というように悪い意味で用いられることも多い。

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漢語は、呉音なら呉音、漢音なら漢音、どちらかにそろえるのが基本だと教わりました。ミ、ゾウ、ウは呉音。無理に漢音で読むなら、ビ、ソウ、ユウとなります。なお、ウがふたつ重なるためミゾウと簡略化されていますが、元はミゾーウだったと書かれています。インターネットでは盛んに。


多くの人が麻生さんの誤読「ミゾーユー」をあざけりました。でもわたしは人ほど笑わなかったと思います。「麻生さんて漢字が読めないんだねえ」、そう嘲笑できるほどわたしは漢字を知りません。だって漢字検定一級の過去問がまるで解けないんだもの。

上の語源によれば、未曾有は本来、悪いできごとには使わないと言います。奇蹟というのは好事にあてるのが通例ですものね。首相の誤読を笑った人のうち、用法の不適切まで知っていた人はどれだけいたでしょう。

もうひとつ。読みまちがいを指摘された総理は、「そうですか、それは単なる読み間違い、もしくは勘違い」と答えましたが、かなり多くというかブログも含めたほとんどすべての情報発信が、そのときの総理の表情を「憮然」と形容しています。しかし麻生さんが「もしくは勘違い」と述べた様子をテレビで見るも、とてもがっかりしているようには見えません。ムスッとしてはいましたよ? そう。「憮然」は「がっかりするさま」が正解で、「ムスッ」はまちがい。他人がおかした漢字の誤読を批判する文中で、漢字の誤用をおかすとは片腹痛い。目くそが鼻くそを笑っておるよ。と、目くそと笑ったわたしも耳くそ風情ですがね。


さて、麻生さんは「遂行」をツイコーと読む誤読もおかしましたね。無論ただしくはスイコーと読みますが、ではツイコーはありえないかというとそうでもないようで、高島俊男先生の著書「お言葉ですが…」に、戦中戦後の世代にはツイコーと読む人が多いとあります。理由は、時の総理大臣東條英機が「聖戦完遂」をセイセンカンツイと読み上げたところ(無論ただしくはセイセンカンスイ)、教師までもが大真面目にツイと発声するほど一般化してしまったと。

ほう、「未曾有」の読みがミゾーユーに変わりはしなかったが、「完遂」は、総理の発声によって読みがカンツイに変わった顛末があったのですね。では麻生総理と東條総理の差は何か。本人の資質よりも、隔世の時代差が大きいかと思われます。さらにつきつめて国体に原因があるのか国民性なのか、はたまた単に情報量が違っただけなのか。戦中を体験していないわたしには解りません。


未曾有はなるべく吉事に使ってもらいたい。最近の紙面を眺め、つくづく思います。



せきと進