「ゆきゆきて、神軍」再見映 画「ゆきゆきて、神軍」の主人公、奥崎謙三氏が先月18日に亡くなりました。享年85歳。 この映画、公開当時に2回ユーロスペースで観ているのだが、奥崎謙三氏が亡くなったのを知りこの機会にもう一度観てみる事にした。 私は公開当時にこの映画を2回観ている。今思うとそれだけ衝撃が大きかったのだと思うが、今回もう一度見直してみようと思ったのは、あのとき衝撃的に見終えた印象が18年後にどう変わるのか確かめたかったからだ。
奥崎謙三は映画の中で戦後の自身の人生をアナーキスト(彼の言う所の神軍兵)として、演出しきってみせている。 かれは同じ部隊にいた同僚の元兵士や元上官らのもとを訪れ、終戦23日後に戦病死したとされ実際は処刑された兵士の事件の真相を追求しようとする。突然目の前に現れた奥崎に対して逃げ腰になりその場を離れようとする元兵士たちに対してなぜ真実を語らないのかと鉄拳をあびせ、どう喝する。相手に暴力を振るった際に、自ら警察を呼び自分を逮捕せよという。 暴力で人を傷つけることは当然法に触れる、またそうでなくとも私は暴力に反対である。 しかし彼は人に暴力を振ったり、警察に捕まること自体を何とも思っていない。「自分と人類を良くする暴力であれば、それをおおいにふるっていくし、また自分にはそれしかない。」と奥崎謙三は語る。神の法の前で人間の作った法は全くの無意味であるから。 こう書くと単なる暴力的なシーンばかりを描いたドキュメンタリー映画ととらえられかねないが、映画の中で彼は暴力をふるっているだけではない。 戦死し自らが埋葬した戦友の実家を訪れ、戦友の墓前でその母親に一緒にニューギニアに供養に行きましょうと語りかける。 映画の中でかれは何度も神の法にたいして忠実であらねばならないと解き、自分が以前に人を殺す事になってしまったのも神の法に背いた為、天罰が当たったからであるという。 彼の行動は非常に過激であり、メッセージは非常にシンプルである。 間違った事をしたのであればその事に対し謝り、責任をとるべきだということだ。 彼は元兵士に語る、「我々は過酷な戦争から生かされて帰ってきた。それには意味があって、その貴重な体験を語るために神様が生かしてかえしてくれたと思うんです。」 彼の言う所の神とは何だったのか、いわゆる彼自身の内面にあるイノセンスを昇華し具現させる為のスイッチであったのではないだろうか? かれは映画の中で既に自分自身で出している答えに向かって突き進んでゆく…。 今回見直して印象に残ったのは奥崎が元上官らと対峙するシーンよりも彼が戦友の母に会いにいったり、飯ごうで炊いた白米を戦友の墓前に手向けるシーンだった。 この映画のパワーは18年前と変わらず衝撃的であった。 監督の原一男が当初ラストシーンに想定していた、かつての戦地ニューギニアを訪れた際にインドネシア政府情報省によって没収されたフィルムを含めたものも観てみたい。
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