clear no clear 昼前の昇り切った太陽が、綺麗に磨かれれた廊下を鏡のように照らしているのが、少し眩しい。 生徒の話し声が聞こえてくる昼休みもあと僅かという時間。 青春学園は大規模の私立校の例に漏れず、そのクラス編成も1学年につき12クラスもあるせいで、その分の音は無遠慮に拡散してフロアを飽和するかのようだ。 おかげで隣を歩くクラスメイトの声は、あと僅かでも小さかったら聞こえなくなりそうである。 それ程のざわめきだったが、五月蝿いはずのそれに何故か不快感は感じ無い、と手塚は思う。 5限に授業のある音楽室をめざして手塚は人の間を抜けながらあるいていた。 昨日見た面白かったと言うテレビ番組の話を聞かせてくれる声に、それとなく返事を返しながら進むのはH字の廊下だ。バラエティ番組を自分自身見る事はほとんどないので、いつもその話題で盛り上がる事がないのだが、そうとわかっていてもこうして喋ってくれる友人が少し手塚は不思議に思えなくも無い。だからといって、お互いに意気投合などしてはなせる共通の話題が有るのかは、解らないが。 それにそういう時間は嫌ではないから、問題はないのだけれども。 廊下の途中にある角を曲がるとそこは渡り廊下になっている。 両側とも等間隔で窓ガラスが続いているために、光を充分に受け若干狭い通路は先程よりも一層明るい空間ができあがっていた。中庭で何か遊んでいる生徒を目の端に捕らえながら、割と長く設けられたその一本道の先に目をやると人陰が一瞬通り過ぎるのが見えた。 教材を持っているところをみると、同じく移動中の生徒なのだろうか、とぼんやり思う。 そしてその人陰が見覚えの人物であるのに、一瞬おくれて気付く。 突き当たりを通り過ぎたのは、不二だった。 そしてその隣にいるのは、いつもなら菊丸だと想像がつくが今は違う、と思う。 何やら話しているであろう二人の姿は、数秒で見えなくなり当然こちらに気付く事は、ない。 別に異様でもなんでもないその光景。 だけど、いつもと違う状況でみたというだけなのに、おかしな感覚になるを手塚は感じた。 こうして第3者としてのたちばで見る不二の姿を見たと言うだけなのに。 なんだか、酷く、落ち着かない。 そう、まるで知らない人のようだ。 クラスが離れているせいか、部活以外で顔をあわせる事は意外に少なく、こうして顔をみることは稀だった。休み時間に菊丸と供に遊びにくる事がなければ、全く会わない事も有る。 だがそれは異常な事では無い。 実際例え今のように一瞬相手を見つけても、手塚は自分から話す事は先ず無いし、それで平常だ。 なのに、ただ何故かその姿が特別に見えた。 それだけ、なのだけれど。 「なあ、聞いてる?手塚」 ぼうっとしてしまったのか呼ばれる声にはっとして横を向くと、少し呆れたような口調で聞いてくる友人が冗談まじりだとわかる怒った表情をしていた。 「すまない……聞いて無かった」 正直にあやまると、返ってくるいつも通りの苦笑に、手塚もつられる。 そう、なんでもないはずだ。 感じる違和感をそのまま放っておき、授業へと向かった。 そう、何でも無い、はず。 その日の放課後は、天気予報で若干危惧されていた夕立ちに会う事も無く問題なく、練習が出来そうだった。手塚は歩きながら朝練のときに乾が大丈夫だと自信ありげに言っていたのを思い出す。 教室からまっすぐとテニスコートの方へと向かう。 テニスバッグを肩に掛け、既に空けられている部室の扉をひらいくと中にはレギュラジャージ姿が一つだけ。他の者はもうコートにいるのだろうか。 こちらに気付き少し微笑む姿に、なぜか覚えるのは不思議な感覚である。 昼間のものと、同じそれ。 「今日は早かったんだね、手塚」 穏やかに響くのは聞きなれた不二の声だ。 自分こそ、といってやると座ったままで静かに笑みが返ってきた。 いつもと変わらない、その姿なのに、昼間の事を思い出してしまったのか、何処か落ち着かない感情が沸き上がってくる。 「手塚?どうかした?」 なんとなく手持ち無沙汰に立ったままになっていると、不二が少しだけ首をかしげた。 「……いや、別に」 「そう?」 本当に何でも無い。そう自分でも思うのに、どうもまた、このおかしな感覚にとらわれているようである。 兎も角はやく着替えてしまおうと、荷物を下ろし制服に手をかけた。 バッグから取り出したポロシャツに袖を通す。 「今日昼休みに手塚みたよ」 「え?」 着替えながら少し振り向くと、不二はテニスシューズの紐を結び直していた。 「ほら渡り廊下のところで、同じクラスの戸田君だっけ、一緒にいたでしょ」 今日の移動教室は1度だけだ。 多分言っているのは、手塚が不二に気付いた時だろう。 だが。 「俺に気付いていたのか?」 「うん。あれ、でもそうやって聞くってことは手塚も気付いていたの?」 もっといつものように驚くかと思ったのに、と不二は冗談まじりに残念そうな声音だ。 「ああ、遠目だったが」 自分も気付いたのだと応えると、へえ、と目が楽し気に笑うかの様に一転する。 「だけど不二は、俺の方を向かなかっただろう?なのに……」 「『何で気付いたか』?」 可笑しそうに不二に言葉の先をとられる。 自分の方に彼が気付いたようには見えなかった。だけれど、当然のように知っていたというのが、手塚は不思議でならない。 「ああ、それはね」 「それは?」 ついまじまじと見つめてしまうと、不二はすこし考えるように間を置き、神妙な表情をつくってみせた。 何と答えるのだ、と待っていると。 「超能力です」 そんな答えが返ってきた。 「何だそれは……」 期待はずれの答えに手塚は一つ溜め息をつき、不二に背を向けると、後ろから聞こえるのはわざとらしい声だ。 「あ、なんかその反応傷付くなあ。手塚、本気にしてないでしょう」 「するわけがないだろう」 呆れて視線を向けると、不二は組んだ膝の上で手を組んでこちらをむいていた。 「まあ、それはすこし冗談だけどさ」 少しって何なんだと思ったが、それは口に出さずに置く。 「でもそれに近いようなものだからね」 「近い?」 「うん、なんていうのかなあ…………、根拠とかなくてさ"なんとなく"ってやつ」 こんどは静かな口調で、応える。 あまり真剣ではなさそうだけれど、そう言う声を出すときは、本音、もしくは本音が大分混じっている事を手塚は知っている。 「なんと、なく……」 言われた言葉を反復して、手塚は少し考え込む。 見もせずになんとなくで気付くものであるのか、ということよりも、その一言が自分の中に有るものに似ているということに、手塚の思考は奪われた。 なんとなく。 同様の感覚には覚えが有った。 そして、その答えになぜか嬉しいような気分になっている自分に、少しだが驚かずにはいられない。 さっきまでの変な感覚も消えているようだ。 形の見えない、多分見た事のないものが、自分の中に存在している。 頭の大半を感覚のことにとらわれて考えていたところに、不二は再び口を開いた。 「あとは……」 「あとは?」 振り向いて座る姿をみると、人さし指をゆっくりと唇の前に持っていく。 「企業秘密です」 内緒だと言うジェスチャは、幼い子供のそれではなく、スマートで多分、格好良く見えた。 「なんだ、それは」 だけれど、なぜかその口調が可笑しくてつい手塚がくすくすと笑いだしてしまうと、つられる様に不二も笑っている。酷く機嫌が良いのか、その表情は無邪気にも見えた。 「うん、まだ解らない方が、面白いからね」 不二の言葉は時々意味が深くて、手塚には瞬時に察することが出来ないことがある。 きっと不二もそれを見越していて、手塚が変に考え込み過ぎてしまう時には、道が見えなくならないように言葉をくれるのだ。 人を試しているのではなく、きっと自分で気付くようにと。 まだ、というのもそのせいだろう。 「ねえ、練習始まる前に軽く打ち合いしようよ」 立ち上がりながらそう誘う声にうなずいて、手塚もラケットを手にする。 そうして目の前にいる不二を改めてみると、なんだか違ってみえるようなそんな、気がした。 なんとなく、という不二の言葉がすとん、と音をたてて自分の中に落ちる感覚。 行こう、という足音に続きながら、聞こえる鼓動は誰のものだろう。 何かが、浸透する。 そんな感覚におかされる。 とらえられない、何か。 きっと大切な感情。 これは、なんだろう。 |