足音も気にせず、タイルの上を歩きしゃがみ込む男子生徒の後ろに立った。 胡乱な表情で振り返った生徒は、そのまま雲雀の顔を見て、目を見開いた。 脅えた。表情。 「ひ、ばり、さん……!」 問答無用で殴りつける。 「ねえ。ここがどこか知ってる?」 倒れた生徒の襟首を掴んで、持ち上げる。 「知ってて、吸ってたの?煙草。それとも知らなかったの?」 八つ当たりだ、と自分のどこかから声がして、一瞬だけ息を止める。 瞬きをして、落ち着きを取り戻す。 「どっち?」 「すみま、せ…!」 「まあ、どっちでも変わらないんだけど」 そのまま殴り倒して、溜息を吐く。 入り口で固まっていた生徒は、雲雀に気付くとやはり脅えたような暗い目つきで、道を開けてくれる。 何か言いたそうで、でも絶対に言葉にはならない瞳を無視して、そのまま男子トイレを後にした。 一瞬頭をよぎった嫌な予感。 当たるだろうと思ったけれど。 「よお」 応接室のドアを開けて、雲雀はそっと溜息を吐いた。 お気に入りのソファに、勝手に腰を掛けている男。 「何してるの」 声をかけるとわざとらしく振り向いて、いつもの笑みを浮かべている。 たしか、山本なんとか。 「雲雀を待ってた」 「不法侵入?」 鍵がかかっていた筈なのに。 どうやら図星らしく頭を掻きながら、曖昧に笑う表情に苛立ちを覚えて右腕でトンファをなぎ払う様に仕掛ける。 空気を切る音。 「あぶねっ……」 無意識に左腕が前に出た。 1。2。 3撃目で漸く当たる。 そのまま床に落ちて頬を擦る男を見下ろして、息を付く。 少しずつ、少しずつ。当たらなくなっている。 そのことが、気に喰わない。 「うわっ」 おまけだというよにトンファの先端を射るように山本の顔の脇を目掛けて放っておいて、一人掛けの椅子に音を立てて寄りかかる。 落ち着くはずの場所が、台無しだ。 「ねえ。なんなの、君」 溜息混じりに呟く。視線を向ける価値すらない人間を何故相手にしなくてはいけないのか。 「だから雲雀を待ってたんだって」 「僕は君に用なんてないんだけど?」 気持ち悪い位挫けた様子も無く、山本は雲雀の横まで歩いて来て、引き出しを塞ぐように勝手に座る。 態度が不快で、殴ってやろうかと思ったけれど、それも面倒でやめた。 肘掛に肘をついて、頬を預ける。山本から僅かに遠ざかったけれど、そのせいで笑っている口元が目に入ってしまった。 授業開始のチャイムが鳴り始める。 けれど、山本は動く気配もない。 「授業出んの?」 立ち上がると声がかかる。 声を無視して歩き出して、ドアを開いた。 一番後ろの一番窓側。教室の中から取り残されたような、隅の自分の席。 開いたノートには太陽の光が斜めに模様を作っている。反射した熱が肌を少し焼いて、その温かさにほっとする。 授業にそれほど意味は感じないが、静かな教室は嫌いじゃない。不思議なほど私語も無く、快適ではある。 応接室も、少し前までは音のない居心地の良い場所だったのに。 最近、妙に自分の視界に入ってくる、山本。 1ヶ月程前からだろうか、急に自分の前に姿を現すようになった。最初はリベンジでもしに来たかと思い、少しは期待もしたのだけれど、そのつもりは無いらしく、ただ雲雀に殴られる一方という日々だ。 何がきっかけなのかすら雲雀には解らない。 特別何かをしたという記憶もなかった。 なのに。 殴っても、無視しても、全く気にしない様子で、自分の前に現れる。 鬱陶しい。 どうすれば消えてくれるだろうか。 考えては見るものの、これといったアイディアは思いつかないままだ。 ふと。 窓の外から聞こえる声に、視線だけ動かす。体育の授業のようだった。何か囃し立てる様な声と、歓声とが交互に聞こえる。 その、輪の中に見つけてしまった姿。 表情までは見えないが、きっとあの顔をしているのだろう。笑った、裏の無いあの顔。 輪の中に居るのが好きなのだから、さっさと群れに戻って二度と目の前に現れなければ良いのに。 授業を終えて、迷いながらも、やっぱり応接室へと戻ってきた。 開いたドアの先には今度こそ誰の姿もなくて、雲雀はほっと息をつく。上等な革張りのソファにどかりと腰を降ろして、背もたれに頭まで預けて、雲雀は目を閉じた。 気分が悪い。 気分が、重い そう。あいつのせいだ。 あいつが近くに現れてから、調子が狂う。 一番の原因は、理解不能だということだ。 全く解らない。 自分に付きまとう理由が。 解らない事が、気持ち悪い。 吐き気すらする。 それが頭痛の種になって、頭に根を張り出しているのだ。 「眉間に皺、寄ってるよ、先輩」 額に感触を覚えて、瞬時にそれを振り払う。 気がつかなかった。最悪だ。 「なんなの、本当」 「だから、雲雀に会いに来たんだって」 また。 喉がぐっと絞まる。不快さのせいで。 頭に一瞬光が走って。 そのままトンファで殴っていた。 倒れた身体を踏みつける。 このまま気絶するまで傷つけてやろうか。 そんな考えが頭を過ぎる。でも。きっと意味が無い。それが解っている。 また明日くるだけのこと。 何度でも。 きっとこいつはここに来る。 「何の用」 「だから会いに…痛っ」 「何の用事で会いにきたわけ、僕に。こうやって踏みつけられるためなのかな」 「会うのが、用事だよ」 「君は、頭おかしいの」 足に触れられて、びくりとする。 そのことにまた頭にきて、蹴りつける。 「さわるな」 「本当に、雲雀に会わないとって、思ったんだ」 「だから、何で」 「わかんね」 そういって笑う表情を見て、初めて顔をまともに見たことに気付く。 「あ、やっと俺のこと見たな」 「解らないって、なんなの」 「お前が気になって。会わないとって思ったんだ」 「君、変態?」 「ちげえよ。いや、でもそうかな。やばい気がするから」 困ったような表情を向ける、山本が酷く不可解だった。 大体言っていることが解らない。 それに、なんでこんなに苛つくのかも解らない。 「とにかく、もう僕の前に現れないでくれる。目障りだから」 「そのうち目障りじゃなくなるって」 「日本語、わからないのかな」 「だって、俺絶対また来るし。お前のとこに」 「それをやめてって言ってるの」 「無理」 即答されて、面倒になる。 やっぱり、相手にするんじゃなかった。 余計に苛立ちが増す。 何で、こんなに感情を動かされなければならないのか。 足をどけて、トンファを仕舞って、窓に近づく。 外には生徒の姿が見えた。 背後に近寄る気配を無視する。 「やっぱやばいな」 そう呟いた瞬間身体に衝撃がはしる。 「っ…!」 身構えるのが遅れて、拘束される。 じわりと、身体に伝わる体温に、眉を顰めた。 「……何がしたいの」 「わかんね」 首元に落とされた低い呟きにぞわりとした感触が走る。 「……離してくれる」 静かに言うと、拘束が緩む。 隙を縫って、そのままこめかみを容赦なくトンファで打つ。 気絶するかと思ったけれど、しぶとくも、山本は屈んでうめくだけだ。 「やっぱり、だめ、だな」 小さな声を無視して、鞄を手に取る。 早くここから出て行きたかった。 「手遅れみたい。雲雀が、好きみたいだ」 「へえ。僕には関係ないけど」 頭を打ちすぎただろうか。 応接室のドアを閉めて、寄りかかって、息を吐き出す。 「知らない」 知りたくもない。 理由なんて関係ない。 でも理由は解った。 本当に下らない理由だけれど。 ふと、頭を締め付けるような苛立ちが消えていることに気付いた。 |