分担




 結婚式があって、凄く凄く慌しい日々だった。
 でも。忘れるわけが無い。
 今日だけは。


「月くん、どうしたの?さっきから溜息ばっかりついて」


 振り返ると、いつも通り松田が微笑んでいた。本当に彼のこの顔を見るたびに、平和を信じたくなるから不思議だ。


「いえ、何でもありません」


 これでせめてもう少し頭がいいとか、人格が誠実であるとか、なにかこれという美点があればもっといいのだけれど。
 すくなくとも、今自分の抱えている悩みを話しても意味はないだろう。

「あ、今僕なんかに話しても仕方ないとか思ったでしょ」


 思わず頷いてしまいたくなる。


「でもさ、ええと、事件のことじゃなければ相談にのれるかもよ?俗っぽいことならさ」


 だからといって、話せるわけは勿論ない。
 恋人の誕生日なんですよ、なんていえるわけがないではないか。今更魅上とのことを隠そうという気があるわけじゃないけど、それでも松田に話してもろくな事にはならないに決まっている。

 というか今までずっとそうだったのだ。


「気持ちだけ、貰っておきますよ」
「うわ、なんか凄い冷たい。その顔。あーどうせ松田うぜえなとか思ってるよ。その笑顔は。だって目が笑ってないもん目が」

 まあその通りだ。
 別に松田が嫌いなわけではないから、こういうときに完全に無視できなくて困る。ノートに名前でも書いてやったら静かになるのだろうが。


「ちょっと人にプレゼントをあげようと思ってたんですよ」


 しかたなく回転椅子を回して振り向く。
 相手にされたのが嬉しいのか、自分も近くの椅子を引き寄せて松田はすっかり話し込むポーズだ。きっと女ならば将来は井戸端会議に参戦しているだろう。


「何?誕生日?それとも記念日かなにか?」


 キラキラとした瞳に、月はこっそりと溜息をついた。








 結局。
 それから2時間もお喋りをして、というか半分以上は松田の思い出話に付き合って、気付いた頃には帰宅時間になっていた。
 しかし、あまり実りがなかったかというと、そうでもない。

 仕事場を後にして、月は足早に駅までの道を抜けた。

 真新しい腕時計に目を走らせて、嘆息する。どれだけ時計が大切でも勿論時間は戻せない。

 もう魅上は仕事を上がってしまっただろうか。
 今日は夕飯を一緒に自分と取ると約束したのだから、決して遅れるようなことは無いだろう。
 不本意だけれど、携帯でメールを打っておくことにする。きっといつもどおり何十分も前から待っているに違いないだろうから。


「おくれます、先に店で待っている事、と」


 送信ボタンを押して、月は鞄に携帯を放り込んだ。






「美味しかったね」
「はい。月さんのお口に合ってよかったです」
「あはは、変なの。だって、照の誕生日なんだよ?照が美味しかったって言ってくれなきゃ駄目」
「私も、とても美味しかったです」


 少し酔ったな、と思いながら帰宅し直ぐに差し出された水に苦笑しつつ、月は喉を潤す。


「ありがと」

「大丈夫ですか?気分は悪くないですか?」


 心配そうに顔を覗きこんでくる魅上をじいっと見つめる。ほんの少しずつ、不思議そうにしているのを装って近づいて、ちゅ、と音を立ててキスをしかけてやる。


「驚いた?ふふ、驚いたでしょ?」
「……驚きましたよ。月さん、酔ってますね?」


 苦笑を浮かべながら、魅上は月の前髪に触れてくる。そのまま頬に滑る手にくすぐったさを覚えて首を傾げると、まるで魅上の手の平に懐いているような仕種になってしまう。


「うん。酔ってる。少しね」 「今日はもう寝てください。お水もう少し飲みますか?」


 正論を述べる魅上が可愛くなくて、月はむっとして睨みつける。

 今日は魅上の誕生日。
 なのに、自分を優先して、祝わせてもくれないつもりか。


「月さん?」
「あのね」
「どうしましたか」
「今日、照の誕生日でしょ?」
「はい」
「まだ何か足りなくない?」

「足りない、といいますと」


 月の言いたい事が本当に解っていない様だ。


「鞄、取って」


 玄関に放り出していた鞄は、魅上がきちんとリビングまで運んでくれている。

 がさがさと漁って、中から瓶を取り出す。


「ワイン、ですか?」


 透明な瓶に入っている僅かに色を帯びた液体。
 グラスを持ってくるように命じて、魅上がキッチンに言っている間に月はリビングのローテーブルの下に隠しておいた箱をとりだす。
 蓋を開けると、中からは如何にもな苺のショートケーキが表れる。


 戻ってきた照からグラスとオープナを取り上げて、ライトは液体を注ぐ。それとともに部屋に香る桃の香り。


「フルーツワイン。恋人に上げるのが流行ってるんだって」
「そうなんですか?」

「松田さんが言ってた」


 あんまり当てにならないけれど、自分よりは俗的な情報に秀でている彼の言葉に月は乗ったのだ。


「流行なんてどうでも良いんだけど、上等のワインよりも、こういうののほうが照には珍しいかなって思って」


 細身のグラスを差し出して、グラスを合わせる。


「ふふ、乾杯」


 上質のクリスタルの音が心地よく響く。


「あ、結構アルコール強いね」
「月さん、あんまり無理して飲まない方が」

「ちょっと、そんなことより!味、どう?」
「はい、凄く美味しいです」
「本当?よかった」


 口当たりの良い甘みが気に入ったらしく、魅上のグラスは直ぐに空になる。それが嬉しくて、月は上機嫌のままボトルを傾ける。


「月さんも飲んでください」
「うん……でもちょっと酔いが……」


 いつのまにか魅上に後ろから抱きしめられる格好で座っていた。
 背中から伝わる体温が気持ちよくて、眠りに引き込まれそうになる。


「あ、ケーキ食べなきゃ」
「明日でも大丈夫ですよ?」
「そうだけど、一口でも食べてよ」


 魅上の膝に手をついて、月は体を伸ばす。ホールケーキの真ん中にある、大きな苺。親指を人差し指でそっと掴んで元の体制にもどると、肩越しに魅上に苺を差し出す。


「はい、あーん」


 くすくすと笑いながらも魅上は口を開く。
 食べるのをじっと眺めていると、苺の先端を口から除かせたまま、魅上は月に顔を近づけてくる。


「なに?食べろって言うの?」


 仕方ないな、とつぶやいて月は苺の半分に噛り付く。
 甘い、果汁が溢れて口の端を伝う。

 果実を飲み込んだ魅上がそれに下を這わせてくる。

 絶対意図的だとわかる感触に、どこかうれしくなりながら月は小さな反抗として、黒髪をそっと引っ張る。


「だめ。ケーキちゃんと仕舞ってから。折角買ってきたのに駄目になっちゃうだろ?」
「………………わかりました」


 珍しく不服を露にした魅上が機敏な動作でキッチンに消える。


「うわ!」
「片付けてきました」


 戻ってきたと同時に、月を横抱きにかかえて魅上は寝室へと向う。


「照?」
「はい?」
「……酔ってる?」

「いえ」


 そうは答えるものの、何だか様子が変だ。


「なら良いんだけど」
「月さんは気分悪くないですか?」
「悪そうに見える?」


 冗談めかして首を傾げると、真面目に魅上が首をふる。


「とても綺麗です」
「こんな真っ暗な中で何が見えるのさ」

「あなたは輝いていますから、暗闇など関係ありません」


 真剣な声に、月は笑い出してしまう。やっぱり少し酔っているのかもしれない。
 でも、ちょっとどこかいつもと違う魅上も良い。


「あ。ちょっとまって」


 そっと押し倒されて月はまた少し魅上の髪を引っ張る。
 だが。甘えるように頬を擦り付けて、どこうとしない。


「もう待ちました」
「照、待ってって、ば」


 珍しく性急な手がシャツの上から肌を撫で、そのまま唇を塞がれ、抗議を無理やり棄却させられる。

 嫌なわけではなくて。
 ただ、言いたいことがあっただけなのに。


 どうしても今言わないといけないことが。


「ばか!や、め……!あっ」


 今までに無い乱暴さで服を脱がされ、肌に触れられる。
 いつも少し冷たいくらいの手が驚くほどあつくて、つられるように体温が上がっていくのがわかった。


「キラ……」


 呼ばれて熱に浮かされる。
 ただ一人、自分をキラと呼ぶことが出来る男。
 その腕の中の安心感は、眩暈がするほどだ。


「んんっ、て…る、ぅん」


 唇を息ごと奪われて、必死で魅上のシャツを掴む。もう、既においていかれそうだ。
 性急な仕種が、より理性を奪う。


「ま、……てよっ。ちょっ、と!こら!」


 そのままなし崩しになりそうになるのを、爪を立てて抗議する。


「不服そうな顔するなよ」


 すこし拗ねたような目元に小さく口付けてやると、案の定すみませんと謝ってきた。


「そうじゃなくて、ちゃんと言っておきたかったから」
「月さん?」

「誕生日だろ。おめでとうくらい言わせろよ」


 ちょっと照れくさくて、そっと照を窺うと、あんまりにも吃驚したようで、零れそうなほど目を見開いていた。
 まさか、気付いていなかったというのか。


「ちょっと!照?じゃあさっきのケーキとかお酒とかは一体なんだと思ってたわけ?」


 まだ口も付けられずキッチンで待っているホールケーキ。
 プレートも蝋燭もないけれど、りっぱな誕生日ケーキではないか。


 それらをもしやただのお土産だと思っていたのか。
 だとしたら、かなり不服だ。
 妻の自分だけが、出来る事なのに。これだけは魅上もできない、自分だけの役割なのに。

 でも。
 驚いたままの照の表情を見てしまうと怒る気は何処かへ飛んで行き、ただ呆れて笑ってしまう。


「まあ、いいけど」


 それこそ、照らしい気もする。


「だから、ちゃんとお祝い言わせてよ」


 幼い子の様にこっちを見上げてくる、自分の大好きな顔を両手で挟んで額をあわせる。それでも瞬きもせず自分を見つめてくる照がとてもいとおしかった。


「誕生日おめでとう」


 一瞬だけ唇に触れて顔を離す。
 手の平も顔から離そうとして、魅上の大きな手に捕らえられた。


「照?」


 そのまま顔を近づけてきて、キスするのかと思ったら、唇を舐められた。


「ありがとうございます」
 小さな微笑に、嬉しくなる。

 まだ酔っているからか、少し余裕の表情を浮かべている魅上はいつもと違うけれど、それでもいつも通りかっこよかった。

 そのまま白いシーツに大人しく押し倒されてやりながら、もう一度キスを求めた。


















 ふと目が覚めて、いつもどおりの朝、かと思ったら違った。
 魅上が、いる。
「ちょっとお酒飲ませすぎたかな」
 それでも少し口をあけて眠る姿は、とても安らかだ。
 今日は自分が朝食を作ろうかと体を起こそうとして、失敗する。
 腰が痛いのだけれど、それだけではなく。
「だっこちゃんみたい」
 自分をがっしりと抱きしめて放さないのだ。
 まあ、今日は有給をとってあるからいいのだけれど。

 魅上の腕の中から、そっと眠る人の姿を見つめる。いつも後に起きるから、こうしてゆっくりと眺めるのは本当に久しぶりだ。
 その姿はなんだか、可愛い。

 大の大人を捕まえて、可愛いなんて可笑しいだろうけど。

「可愛い、照」

 思わず、鼻の頭に小さくキスをする。
 くすぐったかったのか、僅かに身じろいで、月の髪に顔を埋めるようにして魅上がすりよってくる。


 起きて朝食を作ろうか。

 一瞬迷ったが、きっと目が覚めたときに自分がいた方が喜ぶ気がして、月は再び愛しい人の腕の中にもぐりこむ。

 あたたかい、どこよりも安心できる場所。


 直ぐに襲ってくる眠気に月は身を任せる。
 目を閉じていても感じる体温と、規則的な優しい鼓動にこの上ない喜びを感じる自分がいる。

 本当に今ここに居てくれる事に感謝を覚えながら、月は沈む意識で愛しい名を呼んだ。