*ひよこ*








 珍しく3つ並ぶマグカップ。
 いつもの指定席には座らず、手塚は不二の隣でというよりもしがみついて、初対面の客を珍しそうに眺めていた。


「ゆ、た?」


 耳をぴんと立ててそう聞いてくる。


「そう、裕太。僕の弟だよ」
「こんにちわ、不二裕太です」


 口の中で裕太の名前を不思議そうに手塚は呟いている。


「でもどうしたの、珍しいじゃない。裕太が家に来るなんて」
「本当は来たくなかったんだけど。姉貴に頼まれて仕方なく、な」


 そう嘯くのに、不二は苦笑を返す。
 決して仲が悪いわけではないのに、自分と弟の間柄は変な線がある。お互いに侵食している部分がある、きっと波のような一線が。

 それを指摘しないのは、兄としての優しさだ。

 これ、とテーブルの上に滑らされた箱を不二は受け取る。
 一体何だと裕太に視線を向けると、姉から預かったのだと言う。


「土産だって」
「土産って……なんでこれなの?」
「さあ。姉貴の考えてることは全然解んないから」


 まあ、あの由美子の頭の中は自分でさえ理解に苦しむ事があるのだから、仕方ない。

 土産だと言われた小さな箱は、見慣れた黄色い包装紙に包まれ、表には平仮名で商品名が記してある。きっと都内在住ならば知らない人はいない、菓子だろう。


「ひよ、こ?」


 不二のセータを引いて手塚は興味深げに箱を見ている。多分お菓子だということは、わかるのだろう。
 きっと姉は自分、というよりも手塚のためにこの土産を買ってきたのだろうと、手塚をみて不二は思い至る。手塚が喜ぶからという事以上に、きっと似合うだろうからとか、そんな理由な気がする。
 そんなに遠からず、だろう。

 姉の思考が解る自分に、ちょっと呆れてしまうけれど。きっと裕太には理解不能だろう。


「そう。ひよこっていう和菓子。甘くて、美味しいよ?」


 甘い、という不二の言葉に尻尾を少しだけ振る手塚に、裕太も苦笑する。


「食べるか?」


 箱に手を伸ばすのに、手塚は服に左手でしがみついたまま不二の太ももに手をついて少しだけ体を乗り出す。

 裕太が包み紙を器用にはがすのをじっと眺めるのが、可愛い。きっとわくわくとしているのだろう。
 少し頬を撫でてやると、体を動かして、不二の足の上に全身で乗ろうとするのを、抱き上げる。足を投げ出すように座らせてやって、落ちないように左腕で輪を作るように不二は体を支える。


「はい、手出してごらん」


 裕太に言われるままに、手塚は両手を揃えて出す。

 そっと、載せられる鳥の形をした黄色いお菓子を、慎重に顔の近くまで持っていって、色々な角度からひよこを眺めている。
 時折尻尾の先を動かしているのは、嬉しい証拠だ。


「よかったね、手塚」


 首元を撫でてやると、手塚が首を捻って見上げてくる。
 大きな目が瞬くのに、気付いて不二は微笑む。


「僕の分も、裕太の分もあるから、大丈夫。それは、手塚の」


 言われて手塚はにこりと笑う。


「うれしい」

「良かったね」


 やりとりを見ていた裕太が、苦笑している。


「親馬鹿だな。ちょっと気持ちも解る気がするけど」


 手を伸ばして手塚の頭を撫でる裕太に、不二も苦笑を返すしかない。
 何も否定できないからだ。


「前に大石も言ってた。同じこと。不二は手塚馬鹿だって」


 手塚の言葉に裕太は噴出す。

 意味も解らずに手塚は言っているのだろう。というかそうでなかったら大変だ。

 だが。
 事実確かに自覚はあるのだけれど、自分の知らないところで、大石に迄言われていたのは、ちょっとなんだかあれな気分だ。


「あ、ゆうたも不二なのか?でも、ゆうたのことじゃない、と思う。ゆうたじゃなくて、不二のことだからな」


 不二の心中など勿論知らず、手塚は注釈を付けてくれる。

 本当に言葉の意味をわかっていなくて、ほっとする。


「二人とも不二だもんね。そしたら裕太がいるときは周助て呼べば、間違えないよ」

「しゅすけ?」

「しゅうすけ」


 手本を示してやると、手塚は何度か名前を繰り替えすが、発音がし辛いのかどうも上手く言えないようだ。


「しゅう」


 面倒になったのか、そういって満足げに頷く手塚に、まあいいかとも思う。普段はきっと呼ばないだろうし。


「うわあ……なんか兄貴……」
「何?」

「見てるこっちが恥ずかしいよ本当……」
「だから何」

「すげえ、嬉しそう」


 言われて頬を擦る。そんなつもりは無いのだけれど。


「うれしい?しゅう」
「ああ、えっと、うん。嬉しいよ」

「また時々呼んでやると、喜ぶよ。特別な時とかな」


 こそりと呟くと、手塚が真剣に頷く。


「裕太」


 変な事を言うな、というと悪びれず、嬉しいくせにと返されてしまった。


「俺も食べようかな」


 裕太が箱に手を伸ばして、ひよこを取り出す。
 すると手塚のしっぽがぴんとたって。

 そのまま頭から裕太がひよこにかぶりつく。


「手塚?」


 力が抜けて、甘えるように不二にしっぽを擦り付ける。耳もくたりと下がっていて。

 まずい、と直ぐにわかった。


「裕太ちょっと、ここでじっとしてて!いい、絶対動かないでよ!」


 首からしたの無くなったひよこを手にした裕太は、急に慌てた自分を怪訝そうに見返す。

 とにかく。
 寝室へ行かなくては。

 抱きしめて走って、ベッドにつくと、腕の中にあった体が重みを増す。


「手塚?手塚?どうしたの?」


 僅かに零れた涙を拭ってやると、顔を歪めて肩に額を擦り付けてくる。
 その背を撫でてやると、小さな声が返ってきた。


「ひよこが……」

「ひよこ?」

「いなくなった」


 手の中にはまだ手塚のひよこがいるはずだ。


「裕太が、食べちゃったから……」


 ああ、それでか。と思って少しだけ不二はほっとする。


「それはお菓子だから。いなくなったわけじゃないんだよ?」


 言われても、首を振るだけで手塚は顔をあげない。

 でも、その気持ちは少しだけ解るような気がした。子供の頃に同じ事を思ったから。

 頭を撫でてやると、直ぐに落ち着いたようで手塚はごめんと呟いた。
 泣いて、大人の姿になると、少しだけ中身も大人になるからだろう。
 でも明日、また元の姿に戻ったら、きっと悲しむに違いない。
 そう思うと、少し胸が痛まなくも無いのだけれど。


「裕太に、悪い事した」


 そっと体を起こす手塚は少しだけ目が赤い様だった。
 耳を伏せて、手の中のひよこをじっと眺める手塚に、不二は微笑んでやる。


「大丈夫。絶対怒ってないよ」

「本当か?」
「本当」

「じゃあ、謝ってくる」


「駄目!それは!」
「どうして?」

 当然の問いに、不二は悩む。
 裕太は手塚が大きくなれる事を知らない。というか知らせてない。

 惚れたりすることは無いと信じたいが、もしそうでなくても、絶対に面倒な事になるのは間違いない。

「ええと……、ほら、まだ涙の跡があるから、裕太も心配しちゃうし、だから、また近いうち遊びに来てもらうからさ。そうそう、裕太もテニスしてるから、今度遊んであげて。そうすればきっと喜ぶから」

 不二の言葉に、手塚は頷く。


「どうしたの?」


 それでもまだ心配そうに見上げてくる瞳に、不二は僅かに顔を近づけて覗き込んでやる。


「周助は?」
「え?」
「周助は怒ってないか?」


 つい。口を押さえて、視線を逸らす。


「周助?」


 なんていうか。
 凄く、犯罪だと思う。

 まだ少したどたどしい言葉で、呼ばれる名前と。
 薄暗い寝室。
 自分を写す瞳は潤んでいて。

 馬鹿だと言われるのは百も承知だが、それでも、どうしようもなくなる。

 まずい。


「ちょっと、待ってて!!絶対出てきちゃだめだからね!」


 そういって振り返らず不二は、寝室の外に出る。

 むしろ犯罪を犯しそうなのは自分じゃないのか、と閉めたドアに寄りかかって溜息を吐く。いや、犯罪ではないのだけれど。

 とにかく。
 裕太には悪いけれど、今日は帰ってもらおう。

 不機嫌になるかもしれないけれど、きっとひよこの話をすれば、すんなり変えるだろう。
 この埋め合わせはきっとすることになるだろうけど。

 そんなことより。

 ああ。どうしようか。
 寝室に戻って平静でいられるように、心から、心から祈りながら、不二周助はリビングへと足を踏み出した。





















裕太を帰そうとしている時点で無意識に欲が働いている不二周助でした。