7月7日








僅かに薄く空を覆う雲を心配しているのだろう。
リビングの窓の外をいつものようにじっと眺めている手塚は、もう1時間もガラスと向き合ったままだ。

町内の笹の飾りに短冊を書いて、少し先の祭用に揃いの浴衣を仕立ててもらい、夏までのカウントダウンを日々待ち遠しく過ごしていた。今日は天の川が見れるかもしれないと、楽しみにしていたのだ。

だけど、今は耳も伏せられ、尻尾もへたりと垂れている。
ここ数年、七夕はずっと曇り空で、今年も晴れた夜空は期待できそうない。

リビングのテーブルに広げた仕事を眺めて、不二は溜め息をついた。星が見えるはずの山まで車を飛ばしても良い。明日は休みなのだし。
しかし、実際星空を見れるのは夜中で、それまで手塚が起きていられるとは、思えなかった。


「ぜったい、がんばって起きてる!」


そうは手塚は拳をにぎりしめて言うけれども。


「でもね、本当に遅いんだよ?多分1時とか、2時とかになると思うし」

不二の話に、手塚は既に嬉しそうな顔をしている。言葉どおり、自分が寝てしまうとは微塵も疑っていないようだ。だが、まず間違いなく起きていられない。普段9時には布団に入るほどなのに、急に夜中まで起きているというのは無理な話だ。 だからこそ、逆に見れなかった時に落ち込む姿が目に見えて、不二は心配になるのだ。


「本当に起きてられる?」
「うん」
「絶対?」
「ぜったい!」


力強く返される頷きを信じてはないのだけど。


「ちゃんと頑張って起きてるんだよ?」


まあ仕方ないかと思ってしまうのは親バカだからなのだろう。


「ありがとう!ありがと!ふじ!」


そういって首元に抱き着かれてしまえば、不二は絶対に断れない。

抱きしめて頭をなでながら、不二はそっと苦笑を漏らした。

出掛けるのは夕飯の後ということにして、不二は明日の分まで精力的に仕事を片付けた。やる気よりも目標があったほうが、格段に効率が良いらしく、めどがたったのは予定より1時間ほど早い時間だった。せっかく出来た余裕は夜まで起きているための仮眠に変えることにした。
日課の昼寝をしている手塚の横に移動する。温かい日差しに温められたラグに横になると、思いの外早く睡魔が訪れ、夢も見ず満足な睡眠が取れた。





肩に何かあたる感触で目が覚めると、手塚が自分の昼寝用のバスタオルをかけてくれていた。
「起こしたか?」
「ううん、全然。ありがとね」
手招きしてバスタオルの端を少し持ち上げてやると、耳をぴんと立てて手塚が潜り込んでくる。起きたばかりだからか、幼い体温が酷く心地良い。


「無理、しなくていいぞ?」
「ん?」


そのまま少しうとうとしかけていると、手塚が心配そうに不二のTシャツを掴んでくる。
出掛けるために無理をしていると思ったのだろう。見上げる瞳が揺れている。
そっと目尻にキスしてやった。


「ありがと、大丈夫だよ」


まだ伏せられたままの耳にふれ、そのまま喉元を撫でると、手塚は気持ちよさそうに目を閉じた。
無防備な仕種に、癒される。


「それよりも、手塚が本当に起きていられるかが僕は心配だけど?」


意地悪そうに呟くと、目がぱちりとひらき黒い瞳が睨むように向けられる。


「ぜったいって、言っただろ」


うそつけ、と思い不二はつい苦笑してしまうと、なにをかを察したらしく、ぷいと手塚は横を向いてしまった。


「ごめんごめん、ちゃんと手塚が起きてられると思ってるよ?」


まあ嘘だが。
謝ってみせても手塚は機嫌が直らないらしい。そんな姿すら自分には可愛くて仕方ないだけなのだが。


「夕飯はどうしようか。寒いからシチューでも作ってもっていく?それからおにぎりと、ウインナと」


不二の言葉に耳だけがぴくりと動く。


「あとデザートにこの間もらった、さくらんぼも持って。ああでも買い物に行かないとな。一人で行ってこようかなあ、淋しいけど、手塚が怒ってるならしかたないよね。すごくすごく淋しいけど」


ちらちらと視線を向けてくる手塚に、わざとらしく溜め息などついてみる。


「淋しいけど、手塚はお留守番を」
「行ってやっても、いいぞ」


口調とは裏腹に、窺うような弱気な手塚の視線に、笑顔を浮かべてぎゅっと抱きしめてやる。


「うん、じゃあ一緒に行こうね」
「ちょっ、と。ふじっ!苦しい!」
「だって」


可愛すぎるとは言えず、ごまかす。


「一人は淋しいからね。一緒に行けるなら嬉しいでしょ」


勿論疑うわけもなく、というよりは腕から抜け出そうともがいてそれどころではないらしく、手塚はばたばたと暴れる。
力を緩めて謝ると、仕方ないと腕を組みながら許してくれる手塚がまた可愛かったのだが、どうにか顔にはださず平然としてみせた。
近くの商店街まで歩いて、弁当の材料とそれから日本茶のティーバッグを買って帰り、風呂に入り、準備を終えるともう日が落ち始めていた。


「夜は寒いかもしれないから、長袖の上着ももっておいで」


自分もハーフサイズの毛布を2枚とカメラを準備する。


「準備できたぞ」
「こっちもオッケ。それじゃあ、いこうか」


わくわくとした面持ちの手塚の頭を撫でて、手を繋いで家をでた。

道路は帰宅ラッシュとは反対車線だったため、さほど混まずに、高速へと入ることができた。


「眠かったら寝てなね?今のうち寝ておいたほうが楽だから」
「うん」


車の助手席でさっきから外を眺めてばかりの手塚は、興奮からかしっかりと目をあけている。

それもそうだろう。


山に向かうにしたがって雲の晴れていく空。

滑らかな道路と時折見える山の影。

美しいラインで並ぶオレンジのライト。


わざわざ車内でTVやDVDなど見なくても、手塚は十二分に楽しそうだ。

連れて来て正解だったなと、不二は思う。

日課の散歩や来客があった時には、一緒に過ごすが、家に居ても立て続けに入っていた仕事を片付けるばかりだったのだ。忙しそうにしてると思ったのか、もともと大人しくはあるが、手塚はわがままを言うことも無く気遣って良い子にしていた。

もう1匹猫がいれば良いのだろうけれど。

考えて、溜め息をつく。

新しく手塚の友達を連れて来た方がきっと良いだろう。
でも。それだと自分が嫌なのだ。

一人放って置かれたら逆に淋しい。

手塚を好き過ぎるのが良くないのだろうけど。
そう思いつつ決断できず何ヶ月もたっている。


「どうかしたか?」


いつの間にか向けられていた瞳に気付き、微笑み返してやる。


「やっぱり、つかれてるんじゃないか?」


自分が無理を言ったからと少し気落ちしているらしい。


「手塚こそ、長く車に乗ってて疲れない?」


「オレは大丈夫だ」
「僕も、大丈夫だよ。ちょっと考えごとしてただけだから」

「かんがえごと?」
「そ。どこのサービスエリアに寄ろうかな、とか、ご飯どこで食べようかな、とかね」

不二の言葉にどこかほっとしたように手塚がはにかんだように笑む。
猫だからなのか、それとも手塚だからなのか、みょうにするどいところがある。自分の事にはおどろくほど無頓着なのだが、人の気分、とくに沈んでいる時などに、そっと近くに寄ってきたり、言葉をかけてくれたりする。
どちらにしろ無意識なのだろうけれど。


「お腹すいた?」


シートに行儀よく座り直して、手塚が首を傾げる。
どちらとも言えないということだろう。それならばきっと先に食べて少し眠らせた方が良いだろう。食後に眠くなる手塚の体質が思いもかけず役に立つとは。

高速道路を降りて直ぐにみつけた道の駅に車をとめて、シートを倒して夕食を取ると、案の定手塚はうとうとしはじめ、そっとバスタオルをかけてやるとそのまま眠ってしまった。
起こさないように前髪にそっとふれるだけにして、車を発信させた。

小さく音楽を流し、静かな道を走るのがとてもここち良かった。




途中休憩を挟み、目的の山についたのは1時をまわるころだった。

助手席の手塚はまだ夢の中で、小さく口をひらいたまま気持ち良さそうに眠っている。


不二は一人開けた草原に足を下ろした。
思い切り伸びをすると空気が美味かった。
辺りには人影もなく、静かに風が葉を撫でる音だけが聞こえる。
空を見上げて、そのまま倒れ込んだ。嘘みたいな星空が広がっていた。

プラネタリウムの様だと思うのは普段星を見る機会がないからだろうか。
気持ち良い。
そう思えることが嬉しかった。

腕時計を見て、もう少ししたら手塚を起こそうと決めて、不二は目を閉じた。

きっと喜ぶだろう。何よりその顔を見られるのが嬉しい。

サンルーフをあけたまま今夜は眠って、明日は美味しいものを食べて、珍しいものをみて、それから帰ろう。お土産を買ったらでかけがてら友人を訪ねて。

きっと、喜ぶ。

やっぱりそれが嬉しい。





肩に何かが当たる感触で、意識が浮かび上がる。

昼と同じ感覚に一瞬惑わされたが、肌の感触で今いる場所を思い出した。

あたりはまだまだ暗い。

そして肩には毛布。


「…………手塚?」


どうにか起き上がって目を凝らすと、数メートル離れたところにぴんとたった耳が見えた。その表情を見たくて、毛布を片手に手塚のところまで歩く。
直ぐに気付いた手塚が振り返って駆け寄ってくるのを、腕に抱き上げて毛布でくるんでやる。


「よく起きれたね」


気持ち良さそうに寝てたのに、というと、手塚が得意げに笑う。


「めざまし、かけたからな」


ぽけっとから小さな時計を取り出して、不二に見せる。なるほど、と思うと同時にそれだけ楽しみにしていたのだなと思う。


「なかなかやるなあ。手塚のほうが一枚上手だったか。それで、どうですか?星空の感想は」


問われて、手塚は空を見上げる。その横顔は正しく魅入っていて、暗いはずなのに頬が紅く見える気がした。


「天気雨ににてる」


不二を振り返って手塚がにっこりと微笑む。


「きらきらして、おちてきそうだ」


手を伸ばして、掴もうとする星を不二も見上げた。

瞬く、という言葉が相応しい位本当に輝く星。それらが沢山集まる様は、川のようだ。


「雨がいつか川の水になるのと同じだね」


空だけを眺めていると、どこにいるのかを忘れてしまいそうだ。


「そういえば、短冊には何をお願いしたの?」


内緒だといって、その中身を見ることは叶わなかったのだ。


「ないしょって言っただろ」
「教えてくれてもいいのに」


クリスマスではないけれど、出来る事なら叶えてやりたいから。

「ふじこそ、なんて書いたんだ」
「手塚が教えてくれないから、僕も内緒」


別に言ってもよかったのだが。


「こどもみたいだぞ」
「まだまだ中身は若いからいいの」


よしよしと手塚にあたまを撫でられて、苦笑する。小さな手がとても優しくて。


「でも、星見られて良かったね」
「ふじのおかげ、だ。ありがとう」
「どういたしまして」


直ぐの距離で頭を下げあい、それからどちらともなく笑い出す。


「さ。冷えてきたから、車にもどろう」


再びシートを倒して、助手席に手塚をおろすと黒い瞳がじっと見つめている。夜だからかいつもより大きな瞳にすいこまれそうだ。


「どうかした?まだ星見てたかった?」


頬にふれると、くすぐったそうに首をかしげられる。


「そうじゃなくて」
「うん?」
「いっしょに、寝てもいいか……?」


うわめがちに問い掛けられて、断るわけもない。頷きを返すと、いそいそと不二の方へと寄ってくる。


「ちょっと狭いけど、良い?」


助手席と運転席の間を埋めて横になる。
いつになくくっついている体勢に気恥ずかしさを覚えるが、腕に抱え込まれた手塚はとても満足そうだった。


「眠くなった?」
「すこし……」


瞬きの回数が増えて、それが強がりだとわかる。


「明日もあるし、良く眠りな」
「うん……ふじ?」


殆ど眠ったような状態で、手塚が不二にすりよる。


「何?手塚」


肩肘を枕にして、頭を撫でてやる。


「ありがと」
「いえいえ」
「お願い……、……た」
何を言おうとしたのかと言葉を待ったが、聞こえてきたのは、寝息だった。


「おやすみ、手塚」


いつもより頑張って起きてたけれど、やはり眠かったのだろう。
暫く手塚の寝顔をながめる。

まだ幼い顔。

いつかもっと大きくなるのだろう。当たり前の事だけど、想像は難しい。

でも、その時まで。その後も。
ずっと一緒にいられると良いと思う。
星に、そう祈りながら、目を閉じた。