いつの間にか眠り込んでしまっていたらしく、肩を軽く揺すられて目を開けると、跡部の顔が近くに見えた。 電車の中で眠ってしまっていたようだ。 ホームに下りると、会社帰りらしい人の姿がちらほら見える。 「肩、痛く無かったか?」 いつのまにか寄り掛かってしまっていたらしく、手塚は少し心配になって顔を窺う。女の子なら大したことはないだろうが、自分が寄りかかっていたのならば十分重量があっただろう。 だが、跡部は全く気にしていない様子で。 「まあ役得って事で」 そう嘯いてみせた。 広い間隔で設置されている街灯が、少し寂しげに辺りを照らしている。 あまり人通りがないいつもの道は、これで民家が無かったら深夜などは怖がる人もいる程に薄暗く静かだ。だが、一軒家が立ち並び、その窓からもれるカーテンを通した色とりどりの光は、どこかほっとさせるものがある。 そんな光景をぼんやりと眺めながら、帰路についた。 アパートに着くと、跡部はキッチンへとまっすぐ進んでいった。酒でも探しにいったのかと思ったけれども、違うらしい。 「なにしてるんだ?」 作り付けられた棚を物色しなにかを探しているようだ。 背後から様子を眺めているとどうやら目的のものが見つかったらしく、跡部は手塚に向き直る。 手にしているのは大きな銀色のバケツのようなもので、いつだったかやっぱり跡部が買ってきたワインクーラだった。 「そんなもの何に使うんだ」 「これを花瓶代わりにすればいいだろ。大きさも良いし、見た目も悪くないしな」 そういって水をはり、包み紙を取らずに銀色のバケツに花を入れる。 どうだ、と跡部は満足そうだが。 「何か、物凄い恥ずかしい光景だな」 光を反射するシルバーの上に大輪の赤い薔薇。色の取り合わせと言ったらいいだろうか。とにかくもの凄く気障な感じがして、見ていて恥ずかしい。 「包みくらいとればいいだろう」 花に手を伸ばすと、その手を跡部に取られる。 「そんなの後でいい」 手を握ったままリビングに連れられてしまった。 ソファに腰を降ろすように言われ大人しく従うと、跡部は薔薇を取りに行き窓辺にそれを飾ると、今度は冷蔵庫からビールやらチーズをとりだして小さなテーブルの上に並べた。 プルトップを空けた缶を差し出されて、迷いながらも手塚は受け取る。 きっと、もし深く酔ってしまっても、後は寝るだけだ。 跡部は手塚の横に腰を下ろすと、ビールを開けて乾杯の変わりに缶を軽く触れてきた。 いつの間にか付けられたテレビでは、芸人が何かのゲームをしているらしい画面が見えて、作り物の笑い声が聞こえた。だが数秒でチャンネルは変えられてしまう。 いくつか選局をして、何かのドキュメンタリ番組でリモコンがおかれる。 あまり騒がしいエンタテイメント番組を見たい気分ではないので、丁度良い。 どこかの国の人の手の入らない湿地の映像だ。 水の音と、鳥の声が心地よい。 行儀悪いと思いながらも気だるくて、手塚はソファに膝を抱えるような格好に座りなおす。 体育座りのようなこの格好が実はとても楽で好きだ。 時計を見ると。あと2時間もすれば日付が変わるのがわかる。 酷く。眠かった。 まだ深夜というには早い時間なのに、瞼が重くて仕方がない。目が乾いているように瞬きがし辛かった。 テレビに映る原色強い自然の映像。 本当に夏に出かけるのならば、こんな清清しいほど派手な色を見に行くのかも良いかもしれない。一時期そんなCMもやっていたな、と思い出す。 車を借りて、ドライブをする。 言葉どおりのような極一般的のデート染みた雰囲気ではなく、ただぼんやりと静かに同じ時間を過ごすのが、自分にとってはとても贅沢だと手塚は思っている。 跡部にしてみればきっと物足りなく思うこともあるだろう。普通にアミューズメントパークに行ったり、有名な店にご飯を食べに行ったり、良く見られる恋人の光景だが自分にはいまいち興味が持てずに、もしかしたら我慢をさせているのかもしれない。 横に座る跡部をそっと窺い見ると、ぼうっとしているのか真剣にみているのか解らない。ただじっと画面を見ているようだった。 「夏に、こういうところに行きたいな」 小さく呟いた言葉に、跡部は僅かに驚いたように振り向く。 別に罪悪感とか、我慢させていた侘びだとかいうことではなく、そう口にしていた。 喜ぶ顔が見れるなら、良いかと思っただけだ。 そんな手塚の心境は知らないはずだが、跡部はうれしげに頷きを返してくれる。 たしかに。 プレゼントをあげる喜びもあるな、と手塚はぼんやり思う。 自分を認めてもらうとか、株をあげるとか、そういう打算は一切なしで、相手に喜んでもらえる事がうれしい。それが跡部の言っていたことならば、自分にもそれは良く解ると思った。 そしてそれが嬉しい。 酔って機嫌がいいだけかもしれないけれど。 「なに笑ってんだ?」 笑みが零れてしまっていただろうか。 何でもないと首を振って手塚は視線をテレビに戻す。手の中の缶を空にして、ソファに深く座りなおす。 「手塚?」 ふと手を伸ばしてきた跡部に前髪を後ろに梳かれて、気持ちよさに目を瞑る。甘やかされてると思ったが、意外とこういうのも悪くない、かもしれない。 「眠いだけだ」 ぼそりと呟くと同時に眼鏡が取られる。 視界がぼやけて、余計に意識が朧気になる気がする。 もう目を閉じてしまいたい。 早く立ち上がって寝室に行かないと。 そう頭では考えているのに、体は動かない。 体を引き寄せられて、跡部に寄りかかる格好になる。 右肩に広がる温かさに、誘われる様に目を閉じた。 「寒くないか?」 「ん……」 ああもう駄目だ。眠い。 瞼の裏が暗くなり、額にやわらかいものが触れる。それが髪だと気付くと同時に額に感触が走る。だがそれは直ぐに離れてしまった。 「おやすみ」 タバコの匂いが僅かにして、手塚はぼんやり思い当たる。 だから唇にしなかったのか。 別に良いのに。 そう思ったけれど、口に出す前に意識は沈んでいってしまった。 ふ、と意識が覚醒する。 湯の中を漂うような心地良さに引きずられながらも、瞬きを繰り返して目を開けた。 ぼんやりと視界に映るのは、見慣れたベージュの天井に天窓。 差し込む光を眺めながら今日は何曜日だったか、と思いだしながら寝返りを打とうとするが、身動きが取れない。隣にぬくもりがあることに気付いた。 そうか。 昨日跡部とあったのだと思い出して、それから土曜日だということを思い出す。 だきぐるみよろしく、しっかりと腕の中に抱え込まれて寝ていたようだ。 いつも寝辛くないかと、手塚は不思議に思うのだが、跡部はこうして眠るのがすきらしい。 今日は何をしようかとぼんやり考える。 いくつかやらなければならない事もあるのだけれど、どうしてもやらなくてはいけない事はない、気がする。 土曜日だからもし何か忘れていたとしても日曜日がある。この安心感があるせいか、手塚のなかでは一番贅沢な休日だと認識している。 「あ」 土曜日は、ゴミの日だ。 はっとして体を起こす。 眼鏡は定位置におかれていた。 時計を確認するとまだ時間には大分余裕があることがわかり、手塚は肩の力を抜く。これだけは今日やらなくては、また火曜日までゴミがたまることになるのだ。 窓に目を向けると、カーテンの向こうから強い光が透けていた。 ぐっすりと眠っているらしい跡部を振り返って、一瞬二度寝に誘惑されたが少し迷って、やっぱり起き出すことにする。 リビングは跡部が片付けたらしく、つぶしたアルミ缶だけがキッチンのシンクにならんでいた。 頭を掻きながら、風呂に入っていなかったことを思い出す。 そしてふと窓の近くにある大きな塊に目が行った。 「そうだった……」 昨日前触れも無く渡された花束。 それが寂しくおかれている。 まだ紙に包まれていた薔薇を持ち上げると、予想外の重量が腕にかかった。 本当にこんなものを持ち歩いていたのかと思うとなんだか可笑しい。 キッチンまで運んで、シンクにそっと寝せてから綺麗にラッピングされたリボンを外した。何重にも巻かれた盛大なリボンは、薔薇に負けないようにと花屋の店員が試行錯誤した結果なのだろう。 先端にあてられたアルミ箔と、和紙のような包み紙をとると、輪ゴムで止められた薔薇の茎が露になる。 しっかりと棘が処理されて障っても平気そうだ。 「?」 その茎の間になにかが挟まってる。 白い。封筒のようなもの。 「なんだ、これ」 とりだしてみると。それは妙に重みのあるプレゼントカードだった。 昨夜はそんなものがあるなんて一言も言わなかったのに。 なんだろうと思って開くと、カードとが見える。 取り出してみるとキーホルダーが出てきた。 「鍵……?」 不思議におもってカードを開く。 そこには見慣れた筆跡で、短いメッセージが添えられていた。 "返却したらお前の部屋に住み着く" そうつづられていた。 きっと、これは。 合鍵。 「あの、馬鹿」 だからか。 昨日の跡部の様子を思い出して納得する。 薔薇は、カモフラージュだったのだ。 どうしてやろうか。 見なかった振りをして包みをもどしておこうか。 それとも何も無かった振りをするか。 しばし、手塚は考えこむ。 そして。ふと。 全く別の思考に至る。 渡された部屋の鍵。 これは跡部のマンションのもの。 自分の部屋の鍵は、勿論渡してない。 何も書いていないけれど、何か期待を込められているように感じるのは、気のせいだろうか。 もし。 そうだとしたら。 自分はどうすれば良いのか。 こんな恥ずかしいまねをされて。 でも、嬉しいと思っている自分がいることが、何よりも悔しかった。 嬉しい、好きだと、実感させられる。 与えられる愛情を改めて教えられる。 ああ。 だから。 そう、だから嫌なのだ。 真綿で包まれるような。 綿菓子の上を歩くような。 不快ではない不安定さに、体が埋め尽くされる。 どうしていいのか。 わからなくなる。 だから、嫌なのだ。 熱をもつ頬に手の甲を当てて、花束を睨む。 全く、憎たらしい。 あいつが起きてくる前に、シャワーを浴びてこなくては。 平然と知らぬ振りを、少しの間だけ偽るために。 |