「あ。花瓶がない」 案内された居酒屋で2杯目のビールを飲みながら、ふと手塚は思い出す。 すっかり忘れていた。 今は店で預かってもらっている巨大な薔薇を活けておくものが、手塚の部屋には間違いなくない。 もとから花瓶自体、あるわけがなく、花どころかせいぜい貰い物の観葉植物があるくらいだ。それも跡部が勝手に部屋に置いていったものである。 「あー……そいやそうだな。買うつってももう店もやってねえしな」 腕時計を覗きながら、跡部はそこまでは考えていなかったらしく、眉間に皺を寄せて考え込む。 「バケツならあるが」 洗面台の下にしまってある青の一般的なバケツを思い出す。 きっとあれならば入るだろう。 だが。 名案だと思った手塚の回答はお気に召さなかったらしく、跡部は軽く睨んでくる。 しかし、代用できるものなんて他にはない。 「あんな大きなものを入れておけるのは、あとは風呂くらいだ」 他にどうしようもない。 「そうだけどよお、バケツはねえだろバケツは。仮にも恋人からのプレゼントだぞ? バケツに入れるんなら風呂のほうがマシだ」 別に入れ物が何であっても、花に変わりはないし価値が変わる訳も無いと思うのだが、跡部は違うらしい。 「あ、そうだいっそのこと薔薇風呂にでもして入るか」 一緒にと更に声に出さずに続けられて、手塚は一瞬意味をつかみ損ねた。 あ、と漸く言葉を理解して、肘を付いてた右手で顔を覆う。 「なんだよ、照れてんのか?」 「そんなわけないだろう……呆れてるんだ」 作り物ではない溜息交ぜてに呟く。 「絶対にしないし、そんなことしたら部屋には出入り禁止だからな」 手塚の強い物言いに、少しは殊勝な顔でもしているかと思ったが、そんなわけがない。 むしろ笑みを浮かべている跡部に、手塚はどっと疲れが出てくるような気がした。 「とにかく、だ。あんなサイズの花束が入る花瓶なんてあっても困る」 だから買って持ってきたりもするな、と眉間に皺をきっちりと寄せて念を押しておく。 「そしたらまた違う花でも送るぜ?」 ビールを傾けながら、本気ともつかない顔で笑われて、慌てて首を振る。 大体そういうもんだいじゃない。 このご都合主義を一度きっちりと思い知らせてやりたいものだ。 「いらない」 「何だよ嬉しくないのかよ」 しかしそんな手塚の内心を知らず、跡部は拗ねた表情をみせる。 「いくらなんでもあの大きさはないだろう」 「じゃあ小さいのならいいのか」 「え?あ、まあどちらかと言えば……」 答えてからはっとする。 「解ったじゃあ今度からは小さい花束にす」 「まて。いらない。本当に。気持ちだけで十分だから、買ってくるなよ」 にこにこと話し始める跡部の言葉を中断して、手塚は断言する。 跡部がこういったものを送りたがる性格なのだった。 ちゃんと釘をさして置かないと大変な事になるのは良く知っている。 放っておけば部屋が花に埋め尽くされるのは時間の問題だ。きっとなにかにつけて持ってくるに違いない。 想像するだけで恐ろしい。 そんな恥ずかしい空間でなんて生活できるわけがない。 絶対に無理だ。 「何でそんなに嫌がるんだよ。たかが花じゃねえか」 跡部は首を捻る。 「別に身につけるものじゃねえんだし、誰がみるわけでもねえだろ?」 先ほどの駅前での一件をすっかり忘れているのか、それとももとより気にしていないのか。 だが、問題はそこではない。 「なら自分の部屋に飾れ」 「はあ?そんなん意味ねえだろ」 「オレに渡して、それをオレがお前の部屋に飾る。それでいいじゃないか」 「全然良くねえ。そんなんじゃ意味ないだろ。お前の部屋にあることに意味があるんだから」 それが困るのに。 「お前の部屋にあってもオレは十分嬉しい」 とにかく譲る気は無い、と手塚は腕を組んでアピールしてやる。 当然跡部は不服そうだ。 「でもあげる楽しみだって大きいんだぜ」 不機嫌さも意地悪さもない、素直な跡部の言葉。 添えられた表情は不思議と嬉しそうにも見えて、何だか手塚は居心地が悪い。 何故か言い負かされたような気分になるのは、どうしてだろう。 「ま、今日は素直に受け取れよ」 片肘をついて掌に深く頭を預けて、跡部は笑う。 まあ。 跡部の言葉に乗ってやっても良い。 とりあえず今日だけは。 本当に、嬉しくないわけではないのだから。 ふと思ってみれば、どうしてここまで自分が嫌がっているのかは良く解らない。無論、恥ずかしさが理由の大半を占めているのは間違いないのだけれど。 例えどれだけ人目につかない方法をとっても。 跡部が家まで届けに来るのだとしても。 それでも、素直に受け取る気にはなれない。 勿論花が嫌いなのではない。 でも、だとしたら何がこんなに、気になるって居るのだろうか。 考えてみても、直ぐには思い当たらなかった。ただ、何かがひっかかるような、すっきりとしない何かが蟠っているのだ。 ふと下がっていた視線を上げると、跡部が少し不思議そうな顔でこちらをみていた。どうやら考え込んでぼうっとしてしまっていたらしい。 跡部ならば何らかの回答を持っているだろうが、聞く気にはならない。碌な答えは返ってこないだろうから。 まあ、きっと大した理由ではないだろう、ということにして、手塚は考えるのをやめた。 「風呂には入れないからな」 ごまかすように眉を顰めると、にやりと跡部は目を細める。 「それは、そのうち、な」 ウィンクなんかしてきて、今度こそ冗談じゃなくげんなりして、視線を逸らしつつ虫を追い払うように手を振る。 「勝手にやってろ」 「ひでえな、俺様の愛のビームを交わしやがって」 馬鹿か、と言う代わりに、完全に無視して通り過ぎる店員に声をかけて水を頼む。 「無視すんなよ」 「聞いてはいるぞ」 聞く気はないけれど。 むっとしてふぐのように一杯に膨れる跡部に、噴出す。 声を抑えてはいるが、とても苦しい。 本当におおばかだ。こいつは。 「笑うなよ」 無理な話だ。 ああ、本当にばかなんだから。 少しアルコールが回ってきたらしく、少しだけ頭がぼんやりとする。眠気にちかい感覚だろうか。 意識ははっきりとしているし、跡部の話もしっかり聞こえる。 ただ、いつもより自分が饒舌になっているのは自覚していた。 小さなグラスに追加される日本酒をじっと眺める。 「だから、夏は時間作って旅行にでも行こうぜ。ああ、でも出来れば盆あたりは避けたいな」 言いながら眉を顰める跡部に、手塚も頷く。 絶対にどこもかしこも混雑のピークを迎える夏休み真っ盛りの時期に、態々その中に飛び込んでいくようなことをしたくないのは、自分も一緒だ。 「それか、夏は日帰りでどこか遊びに行くくらいにして、10月とかに旅行でもいいな」 何で旅行の話になってしまったのだったかを思い出そうとして、失敗する。 だが二人で大きな外出をすることは珍しいかもしれない。 1日だけ、ひとときだけ。会って食事をしてというパターンは幾度と無くあったのに。 ぼんやりと問うと、何がまずかったのか、じろりと冷たい視線を寄越されてしまった。 「時間が合わないってのもあったけど、大体お前が嫌がるんだろうが」 言われて手塚は首を傾げる。 そうだったような、そうではなかったような。 「忙しい、時間がない、別の予定がある、から始まって男二人だとおかしいとか、無駄遣いだとか言ってやがったのはどこの誰だ」 酷い言い訳だ。そう思ったのが解ったのか、跡部がお前の事だと額をついてきた。 たしかにそんなようなことを言ったような気がしなくもなくもない、ような。 「恥ずかしいってもの解らないでもないけどな。でも周りが思ってるほど俺らの事気にする人間なんて居ないんだから、もう少し位俺様の意見を取り入れてくれても良いと思うぞ」 「……すまない」 跡部の話が本当ならば、自分が酷く我侭を言っているような気がする。 仮にも付き合っているのだろうし、普通の恋人同士ならするような事を拒否されれば跡部が拗ねたくなるのも当然だ。 「へ?あ、いや……責めたつもりはなかったんだけどよ……」 何故か勢いを削がれた様に跡部が、乾いた笑いを浮かべながら頭を掻いている。 「てか、お前酔ってんのか」 「…………酔ってない」 本当はほんの少しだけ酔いが回っている自覚があったが、認めるのがなんだか悔しくて嘘を吐く。 こういうところが、恋人として駄目なのだろうか。 きっと可愛くないに違いない。 「本当かよ、少し顔赤いぞ」 心配そうな声。 何をしようというのか、いつのまにか腕を伸ばされて細い指が額に触れようとしていた。 吃驚して僅かに後ろに後退する。 「ちょっとトイレ」 微妙な空気に落ち着かず、思わず席を立つ。瞬間、体が揺らいだ気がしたが無視して手塚は歩き出した。 店内はいつの間にか客が増え、席の殆どが埋まっていた。金曜日は大体いつもこうだ。 笑い顔や時に真剣に話をするような顔が見える店内は、明るい微笑ましい賑わいを見せている。座敷の一室に目が行くと、頭にネクタイを巻いたサラリーマンが立ち上がって声を揮っていた。 古いテレビドラマのような風体に思わず笑みが零れる。 更に歩き進むと、どこからか女性の押し殺したような、だが興奮気味の声が聞こえてきた。 何かと辺りを見回すと、キッチンがあるらしく銀色のシンクが見える奥から声がしているらしい。きっと店員が何か噂話でもしているのだろう。 「…………そうそうあの黒い服の男の人。奥の席のA卓の」 わかるわかる、と息巻いて頷く声。なんとなく表情まで想像できそうだ。 「この花もさ、あの人のでしょ? やっぱ、恋人にあげるのかな。あ! それとも貰ったのかも!」 「あー、ありえるね。あんだけかっこいいんだもん。貢ぎたくなっちゃうよ」 花。と聞いて嫌な予感がした。 ほぼ間違いなく、自分達の、むしろ跡部の事を話しているのだと解る。あんな花を預けたのだから、十二分に興味を惹いたことだろう。 「あんな人なら花あげたい! 勿論貰うんでも良い!」 勝手に何を言ってるんだと周りから突込みが入って、わっと笑いが起こる。 はっとして、手塚は足早にその場を去る。十分に遠ざかって、女性の声が聞こえなくなってほっと息を吐く。 こういうことは珍しくない。 だが、良いのか悪いのか自分としては別に何の感慨もなくて、似たような場面に出くわす度に、もてるんだなとか目立つんだなとか、今更な感想を抱くだけだ。 「お前もう少し嫉妬するとか無いわけ?」 噂をたてられていることを喜ぶでもなく、戻って席についた手塚に跡部は嗚呼と盛大な溜息をつく。嬉しくないのか、と聞きそうになったが、前にそれを聞いて薮蛇どころかとんだ仕打ちを受けたのを思い出して、手塚は心の中に言葉を留めた。 「お前が褒められるのは嬉しい事じゃないか」 これは嘘ではない。 だが跡部は信じていないような目線で、手塚を窺っている。 「逆の立場だったら、嫉妬するのか?」 思いついて尋ねてみると、視線は更に細められ厳しくなる。 「する。………………あのなあ、俺がいっつも煩く言ってんのは何でだとおもってるわけ。不二に近づくなとか言ってたのは別に不二が嫌いだからとかじゃねえんだぞ」 嫌いは嫌いだけど、と苦虫を噛んだような表情になる跡部に、だが手塚は首を傾げるしかない。 「本当お前わかってねえな……まあ解られててあれだったらマジで困るけど」 跡部の言わんとしてることを掴み損ねる。 だが手塚がそれを問う前に、先に口を開かれてしまった。 「ていうか。さっきのその店員の話だっけか。それだって別に俺のことじゃねえと思うけど。注文取りに来てた女の顔みてなかっただろ」 「みてない」 だろうな、と跡部は肩を竦める。 「大体自分の服装を良く考えてみろよ」 促されて確認するように、自分の来ているものに目を滑らす。 黒のフード付きパーカにジーンズ。 それが一体なんだというのだ。 顔をあげると、言われた事を理解していないだろうな、という呆れにも似た視線を向けられる。 「ま、いいけど。それに、一応俺様への褒め言葉とも取れるからな」 「だからさっきからそういってるだろ」 色めき立っていた女性店員を思い出して言ってやると、違う即座に否定されてしまった。 「お前が言った言葉がだよ」 「はあ?」 益々訳がわからない。 女性店員が跡部を褒めていたと言っただけではないか。 いや、性格には黒い服の人と言っていたが、名前を知らないのだから固有名詞ではなくても不思議はない。 それでなんで自分が褒めたことになるのか。 「まあかっこいいと思われてるなら嬉しいけどな」 だから深く考えるなといわれても、素直には頷き兼ねる。 だけれど考えたくても正直あまり頭が回らない。考えるのが酷く面倒に感じているのも事実で。 不満を残しながらも、頷いておく事にする。 明日覚えていたら絶対に問い詰めてやる。そうでないと曖昧さが気持ち悪くて仕方ない。 それにしても。本当に酔いが進んできている。 トイレから戻ってきて飲んだものは、良く見てみると残りの日本酒だった。 もうアルコールは止めた方が良い。 「大丈夫か?」 手塚の様子に気付いたのか、少し心配そうに跡部が見つめている。 「……お前は?」 跡部は酒が弱くはないが強くもなく、今日の飲酒の量からすれば、既に大分酔いが回っていてもおかしくはない。 「いや、今日は全然酔ってねえ」 強がりでもなく答えているらしい跡部は、確かに顔も全く赤くはなくて、少し気分が明るいだけの様子で、言葉どおり酔っている様には見えなかった。 一人だけ酔っているようで、なんだか面白くない。 「珍しいな」 からかう様な手塚の言葉に跡部はふん、と鼻で笑う。 「いつもはうるさいのに、か?」 跡部が酔うと機嫌が良くなり、騒ぐと言うレベルではないが、良く喋り、そして妙にじゃれてくる。その時の事を思い出しながら、でも悪戯心も込めて手塚がわざと真面目な顔で頷いてやると、水を傾けながら跡部は苦笑を返す。 「緊張でもしてんのかもな」 「緊張?何にだ」 「お前と会うのに」 言葉の意味を掴み損ねて、手塚は首を捻る。 「なんだ、疚しい事でもあるのか?」 「お、嫉妬?」 「ばか。何でそうなる」 じっと見つめられて不思議に思う。 「たまにはそういう心境になる事もあるってこと」 妙な機嫌の良さだ。 グラスに残っていた日本酒を跡部が手を伸ばして奪う。動作を見守っているとそのまま跡部の口の中へと液体は消えてしまう。 「やっぱぬるいと不味いな」 ならば飲まなければ良いのに。 外食のとき意外にも跡部は食べ残しを嫌う。 どんなメンバで食事をしにいってもそれは勿論変わらなくて、初めてその姿を見る者は揃って不思議そうな顔をするのだ。 肘をついて顔をあずけながらぼんやりとしていると、その間にも皿の上が綺麗になっていく。時折差し出された箸に口をあけながら手塚もそれを手伝う。餌付けみたいで少しくすぐったい。 「何か親鳥みたいだな。すっげえ楽しい」 にこにこと本当に楽しそうな跡部は、食べさせ終えるとくちの端をぬぐってくる。ここまでするとむしろ園児と母親だ。 「やっぱりプレゼントはするほうも嬉しいんだな、絶対」 「これがプレゼントなのか」 笑ってやると、挫けずに跡部は頷きを返してくる。 「自分の手から何かを食べてくれる喜び、だな。そんで口を開けてくれるってことは懐いてる事だろ? それだって十分な好意だ」 「オレは猫じゃないぞ」 呟くとその反応は想像していたらしく。 「猫よりもお前の方が……」 「ああ、ああ、もういい。酔っ払いは黙ってろ」 何と続けられるかは想像できて、手の平で停止をアピールして言葉を遮る。臆面も無くくさい台詞が吐けるのも、一つの魅力だろうか、と思ったがその先を考えるのはやめておいた。 これになれたくもない。 「酔ってねえってば」 皿の上の最後の揚げ物を食べさせてもらって、食後のお茶を貰った。 「あー、なんか飲み足りねえ」 店員を呼び会計を済ませて花束を受け取った。 見送りをしてくれた店員を跡部に示され、そちらを向くと満面の笑みが見える。 「なんだったんだ?」 接客態度は申し分ないと思う。 「あ、知っている子だったか?」 「ちげえよ。あの子の嬉しそうな顔みなかったのか?」 嬉しそう。言われてみればそうみえなくもないけれども。 「やっぱいい。俺が悪かった。今の話はなかった事にしてくれ」 火照った体に僅かに涼しい空気が気持ちよい。 ふと思いつく。 「もしかして、さっきの店員が跡部をかっこいいとか言っていた子だったのか」 ぼんやり納得したのだが、跡部はなんとも微妙な表情を向けただけで何も答えなかった。 「さ、帰って飲みなおすか」 「まだ飲むのか」 「飲み足りねえの」 前に買った缶ビールがまだ冷蔵庫に何本か残っていた気がする。それを教えてやると、跡部は満足げに笑った。 つまみはないが、きっと冷蔵庫のもので跡部が勝手に作るだろう。 「あ。それでその花は何に生けるんだ?」 すっかり忘れていた。 「ああもうバケツでいい。そのかわりちゃんと水変えろよ」 選択肢がないのだからと不承不承呟いて、跡部は花に同情するように包み紙を撫でた。変な愛着でも湧いたのだろうか。だが、そんな姿が可笑しくて手塚はやっぱりわらってしまった。 「ちゃんとお前の変わりに可愛がってやる」 「それじゃ意味ねえじゃんか」 「え?」 「ちゃんと花じゃなくて俺を可愛がれよ」 よくわからなくて、手塚は言われた言葉を反芻する。 「違う! お前に代わって花を可愛がってやるっていったんだ」 「そんなんどっちだって一緒だ。花を可愛がる暇があるなら俺様に愛情を注ぎやがれ」 何て我侭な台詞だろうか。 呆れる以外にできる事がない。 まあ、それでも。ちゃんと明日にでも花瓶を買ってきてやろうと思ってしまうのだから、自分も自分なのだろう。 最初見たときあれだけ気恥ずかしかった花束も、今は不思議と愛しい。 きっと酔っているせいだろうと思いながら、手塚は跡部にこっそりと寄り添った。 next >> Eccentric 3 |