Eccentric 1








 肩にかけた鞄を、人の波に持って行かれない様に体にぴったりと引き寄せながらホームを進み、手塚はどうにか駅の改札を抜けた。

 圧迫感から開放され、自然と息が漏れる。
 やっぱり満員電車はなれない。

 温度と湿度の上がった車内の不快な空気。そして乗務員の無駄な気遣いによりスイッチが入った冷房は、涼しいどころかただ頭部だけを冷やしてくれて、余計に気分が悪くなるだけだ。

 一度駅員も満員電車に乗るべきだ、といつも思う。

 金曜日の夜。
 人が尤も溢れる時間に駅に着く羽目になってしまったのは、偏に自分の予定が押してしまったせいなのだけれど、それでもどうにかならないものかと、意味無く願ってしまうほどに駅一帯の密度は半端じゃない。

 下がっていた眼鏡を指で押し上げて、天井から吊るされた案内板の矢印を見ながら手塚は歩き出すと、ドアの開け放たれた出口から、ひやりとした空気が流れてくる。綺麗な空気ではないだろうが、それでも車内の不快さよりはずっと澄んでいて気持ちが良い。

 駅ビルの中から外へと出ると、辺りはすっかり暗くなっていた。
 夜の街中をネオンとビルの明かりが照らしている。星は相変わらず見えなかったが、その代わりに統一感のないおもちゃ箱ににた雑然とした美しさが微笑ましくて、手塚はこっそりと微笑む。

 それにしても。
 待ち合わせに指定された西口に出てみたのは良いが、やはりここにも人が溢れている。
 本当にこの中から跡部を探せるのだろうか。
 首を軽くめぐらせてみるが、一見しただけではそれらしき姿は見当たらない。

 携帯で電話をしようかと一瞬考えてみるが、この喧騒ではきっと上手く会話も出来ない気がする。

 跡部も背丈は低いわけではないし、人ごみに埋もれるということもないはずなのだが。
 もしかしたら待ちくたびれて、どこか店にでも入ってしまったのかもしれない。

 自分の方へ向ってくる気配に振り返るが、人違いだったらしくそのまま脇を通り抜けて行ってしまった。


 どうしよう。


 昨日掛かってきた電話で遅くなるかもしれないとは予め言ってはおいたが、本当に遅れると少し気が重い。何度も確かめた時計を手塚は見た。

 もう1時間近く待たせている。
 落ち着かない。

 再びあたりを見回すと。
 ふと何かの動きを捕らえた。

 何だったのか解らぬまま、視線が捕らえた何かを注意しつつ見てみると、なにやら手を上げている人がいた。いや、手を振っているのか。

 あんなところにいたのか。
 焦点が合うとそれが跡部の姿だと認識できる。
 手塚、と唇が動くのを見て、ほっと息を付く。



 よかった。



 手を軽く上げて、合図を送った。

 跡部が立って居たのは、改札からは大分離れた辺りの簡易喫煙スペースだ。一応看板は立っているものの、自立型の無愛想な灰皿だけが置かれているだけの、明らかに喫煙者を歓迎していないおまけのようなスペースだったが。

 どうやら跡部も喫煙者に加わっているようで、口元に手を持っていくのが見える。

 時々思い出したように跡部は煙草をすう。
 でも口にするのは本当に稀で、実際前に吸っている姿を目撃したのもヶ月は前だったと思う。

 格好をつける為でもストレス故といったわけでもないらしく、一体どういったサイクルで跡部が喫煙をしているのか、未だ手塚は知らない。

 人の合間から、跡部の格好がちらりと見える。
 ブラックジーンズに暗い色のシャツとジャケットという一見地味なコーディネイトは、だが跡部の長身に良く映えていた。きっとその派手な顔立ちも一つの要因だろう。
 更に煙草を銜える仕種が加われば、まるでホストのようだ。

 少なくともサラリーマンにはとても見えない。

 跡部の持つ独特の、どこか浮いた雰囲気は昔からのものだったのだけれど、手塚には外見的な派手さが妙に似合っているようで妙に似合っていない気がしてならなかった。
 その事を友人に言っても首を傾げるだけなのだが、外見と中身とのギャップがかなりあるように感じている。


 本当は結構馬鹿なのに、とは勿論口にしたことはない。はずだ。


 煙草を灰皿に落とし、跡部が手塚のほうへと歩き出す。
 右手だけを僅かに振って歩く姿が、少し不自然に左右に揺れているのに気付いて手塚は首を傾げる。何か重い荷物を持っているのだろうか、左腕も垂直に下がったまま固定されているかのようだ。

 直ぐに人波を抜け露になるその全身が見えて。




 驚いた。




 自分でも目を見開いているのが解った。

 急に道の真ん中に止まって、人にぶつかられ舌打ちされる。謝らないととぼんやり思うが、頭が回らなかった。


 目の前の光景の異様さに思考を奪われて。




 なんだ。あれは。




 不可解の塊は、自分だけの勘違いではないようで、あからさまに周りから視線が集まっている。しかし当人は、気にしているようすは無い。
 いや、気が付いていないだけだろうか。

「早かったな」

 殆ど高さの変わらなくなった目線の先には、嬉しそうに微笑む跡部の瞳。
 その、いつもと変わらなさに手塚は戸惑う。


「ああ……」

 跡部を見つめながら、ぼんやりと普通に返事をしてしまってから手塚ははっと我に返った。

「っじゃなくて! ……おまえ……その恰好はなんだ……?」
「恰好? なんだよこの服、変か?」

 手塚の態度に僅かに驚いたように目を瞠る跡部は、とても不思議そうだ。わざと驚いているようにも見えない。

「違う」

 言いたい事を上手く言えず、とにかく跡部の持つ紅い巨大な固まりを手塚は指差す。
 すると漸く気付いたというように、そして何でもないように跡部は頷いた。
 だが、案の定返ってきた答えは、手塚を悩ませてくれる。

「綺麗だろ? そこで買ったんだ」

 跡部の指の先を見るとそこにはたしかに小さい花屋がある。
 確かにある、が。

 だが、自分はそんなことを聞いているのではない。

 衆目を集める明らかな原因。
 普通こんなの持っている奴なんていない。
 少なくとも自分は見たことがなかった。


 それは。花束だった。
 しかも、真紅の薔薇。

 両手で抱えたら男の手にも十分大きいだろう、常識外の本数でつくられた花束はあまりに花が多すぎて、葉や茎は欠片も見えない。

「お前にやろうと思って」

 明らかに通常サイズではない花束。だけど跡部の何にも気にしていないようすに、手塚はつい盛大に溜息をついてしまった。

 何で薔薇なんだとか。
 その大きさはおかしいだろう、とか。
 つっこむポイントが多すぎて、言葉がでない。

 いや、何よりもそれを手にしてこの人ごみに居られるというのが凄い。
 もともと周囲に対して関心の薄い質だというのは知っていたが。


 はい、と無邪気な微笑みとともに差し出されて、手塚は茫然と花束を見つめる。


 そういえば自分に、とか言っていた様な気がする。
 これを自分にプレゼントしようというのか。


 目の前の事象を反芻して。

 考えて。

 消化する。



 数秒して、かっと顔が熱くなる。
 思わず馬鹿かと怒鳴らなかったのは理性というよりは、体が上手くついていかなかったお陰だろう。

 ただでさえ目立つ跡部に薔薇というオプションがついて、しかもそれを男に差し出すなんて。普通の状況とはとても言えない。

 ここ数年で多少は常識はずれなことはしなくなったと思っていた自分の認識は、改めなければいけないらしい。

「ちょっと派手かもしんねえけど」

 続けられた言葉に、手塚は漸く我に返る。

「ちょっと……? どこがちょっとだ!」

 つい大きくなってしまった声に、周囲から更に視線が集まる。はっとして手塚はデパートの壁を利用した大きなウィンドウディスプレイのところまで、跡部の腕を引いて退避する。

 脱力仕掛けている手塚を訝しげに見て、跡部は首を傾げる。
 全く。首を傾げたいのはこっちだ。

「なんだよ。嬉しくないのかよ」

 跡部の子供のような、拗ねた口調。
 そうではないけれど、正直全開で喜ぶかと言われれば、否、だ。

「そうじゃない……。だけど、ものには限度というのがあるだろう」

 そうだ、こんなものを渡されても恥ずかしい以外何があるのか。訳の解らない羞恥の理由がわかって、手塚は嘆息する。

「大体、オレが花束なんかもってても気持ち悪いだけだろ」
「お前がこれもっててもすげえ可愛いと思うけど」
「…………………………そんなこと思うのはお前だけだ」

 そんな溜息混じりの手塚の言葉に、跡部は一瞬むっとした表情を見せる。

「じゃあ俺が持ってても気持ち悪いかよ」
「お前は別だ」

 跡部くらい薔薇が違和感ないやつも珍しいだろう。
 だがいまいち納得していない跡部に、手塚は少し考えて口を開く。

「大体、恥ずかしいだろ。…………それを持ち歩くのは」

 視線をおとして、どうしたものかと悩む。足元の幾何学模様のタイルが自分の心境を表しているようだ。

 悪気が無い。
 それは十分にわかっているだけに、何をどういったら良いのかが解らない。
 怒る事でもないだろうと菊丸あたりなんかは言いそうだが、そこはそれ、だ。

 自分には受け入れられない。
 何がそんなに嫌なのかは解らないけれど、とにかく恥ずかしいのだ。

 僅かに間をおいて、軽い衝撃とともに胸に薔薇が押し付けられる。
 何かと思って跡部に視線を戻すと、本の少しむくれていた。

 そして下から支えていた跡部の手が離れたらしく、胸元を滑って花束が落下しはじめる。

「あぶないっ……!」

 手塚は反射的に抱える。ずしりと、腕にあるまじき重量を訴える花にほっとしつつ、何事かと眉を顰め跡部をみた。

 だが間を置かずに、腕が軽くなった。

「え?」

 驚いていると、跡部が花束を脇に抱えていた。

「とりあえず、お前にやって、そんで重いから俺様が持ってやる」

 文句あるか、と顎をしゃくる仕種に手塚はぼうっと首を振ると、跡部は薔薇を重そうに抱えなおして歩き出した。

「腹減った。早く喰いに行こうぜ」

 はっとして後を追う。

 怒らせただろうかと、一瞬心配になる。
 きっと我侭を言ってしまったような妙な罪悪感があるからだろう。何にそこまで拒絶したのかは自分でも不思議だったが、どうしようもない羞恥心がこみ上げてきたのだ。
 顔に手を当てるとまだ熱をもっている感じがして、そっと息を吐く。

 とりあえず花束は跡部が持ってくれるらしいし、それで良しとしよう。


 隣を歩けば結局一緒だと後から気付いたが、それでも自分で持っているよりは幾らかましだ、と思っておくことにした。

 慣れた様子で人ごみを掻き分けながら歩く跡部の横顔には、不機嫌さは見当たらなかった。少しほっとしてしまう自分がおかしい。
 手塚の視線に気付いたように、顔を向けて跡部が何かと問うように僅かに目を開いてみせる。

「今日はどこに行くんだ?」

 考えていたこととは別の事を手塚は聞く。
 少し微笑んで見せると、跡部も笑みを浮かべる。

「この間美味い居酒屋を教えてもらったから、そこに連れて行ってるよ」

 魚が美味いんだ、と自慢げに教えてくれる声に素直に頷く。

「ちょっと駅から遠いのがネックなんだけどな。でも味は保障する」
「お前が言うんだから、本当に美味しいんだろうな」
「当然だろ」

 わざとらしく髪を掻き揚げる仕種に、手塚は噴出す。

「あ、笑いやがったな」

 跡部に睨まれて、手塚は素直に謝る。
 別に馬鹿にしたわけではないのだけれど。

「じゃあ、今日はおまえんちに泊まりに行くからな」

 仕返しのつもりなのか、そんなことを言い出すのに余計に笑ってしまう。

「全然関係ないだろう」

 だが何か勝算があるのか、跡部はにやりとしてみせる。

「でも、俺様がいないと困るんだろう?」
「何が」
「これ」

 抱えていた花束を跡部は揺らしてみせる。ゆっくりとした揺れ方が重みを良く表現していた。

「お前一人で持って帰るの嫌なんだろ?」

 言われて、漸く理解する。
 手塚が嫌がる役を買ってくれる、というわけか。

 さっきやけにあっさりと引き下がったのは、もしかしなくてもこうなるのを見越していたのだろうか。  そうならば、先ほどの素直な態度も納得できる。

 少し呆れてしまうが、一人で部屋まで持って帰るのは確かに遠慮したい。
 だから、跡部の言葉に乗ってやる。

「今日のお前の重要な任務だからな。大切な仕事は奪わないでおいてやる」

 そう嘯く手塚に跡部は肩を竦める。
 勿論それだけではないけれど、きっとそんなことは跡部もわかっているはずだ。

「はいはい、解ってますよ。その代わりちゃんと朝飯もつけろよ」

 駄賃代わりだという声に、手塚はと偉そうに腕を組んで頷いて見せると、今度は跡部が噴出す。

 そんな馬鹿なことをしながら、居酒屋に到着してしまえば、もう先ほどの不可解さも驚きもすっかりなりを顰めていた。

 ここだ、と立ち止まった目の前には古い家屋のような外装の店がある。
 馴れた様に声をかけながら中へと進む跡部に続いて、手塚も居酒屋の暖簾をくぐった。










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