平成15年夏 第26回日本プライマリケア学会での特別講演の内容から

電子カルテとインフォームドセルフチョイスについて説明します。

   

 

 

電子カルテの有用性ー全人的情報の再統合ツールとして

ーインフォームドセルフチョイス実現のためにー

      Effective usage of electronic medical chart systems

as a device for informed self choice.

      医療法人 聖岡会 新逗子クリニック石川眞樹夫

 
     
 

内科、小児科、心療内科を標榜する医院を神奈川県逗子市で開業して6年になります。

開業当初から午前は外来、午後は往診という診療スタイルを継続しながら、この5年は外来でも往診でもデータベースOpenBase上で稼働する電子カルテ「 WINE 」(現在はWineStyle) を使用してきました。

本日は、私が電子カルテを使いながら理解した、

「全人的回復をもたらすためのツール」としての電子カルテの使い方をご報告します。

 

私は認識論と心理学、力動精神医学を学んでから心療内科を標榜しました。

そして臨床経験と思索の結果、「すべての病(やまい)は心身相関的病理で説明することが可能である」と認識するようになりました。

 私はこの仮説を、電子カルテをもちいて、患者さんの「出生状況」、「生育歴」、「職業歴」、「既往歴」、「家族歴」、「夫婦関係」、「過去と現在の家族内力動」、「生活履歴と生活状況」、「経済状態」、「宗教的心情」、「現在の感情状態と身体症状の相関関係」、「血液生化学データの変化と心理的変化、肉体的変化の相互関係」などを集積、分析することで臨床的に確認し、理解しました。

 

今学会の特別講演3の中で、北大教授の前沢政次先生がプライマリケアのための新しい診察学として、

1)            患者が症状に関する自分の思いを物語る

2)            医師は患者の背景と感情変化を想像できる

3)            患者が自分の健康を変化させた誘因に気づく

4)            医師は病気のからくりを説明できる

5)            患者は小さな目標を立てる

6)            患者医師相互の成熟による生活回復をめざす

7)            患者は予防的セルフケア能力を高める

の7段階のアプローチを提案しておられます。

私はこのアプローチ、つまり

「患者さんと医者の相互コミニュケーションにより病理プロセスを解明し、ライフスタイルの変容を手助けする。」というアプローチを確実にし、そのプロセスを促進するツールが電子カルテであると考えています。

 

上に述べたような、総合的な患者さんの情報を

1) 集積統合し、

2) 分析理解し、

3) 患者さん本人にフィードバックする

そのための道具として活用してこそ、電子カルテは本来の有用性を発揮します。

 

医療システム全体も、そのサブシステムとしての電子カルテも、

「患者さんが自分自身を理解して、自らを癒すシステム」の補助となることが理想です。

 

複合的かつ総合的な患者情報を短時間に獲得することが可能な「往診」において、電子カルテは特に必須の道具となります。一般的に言って、急速に集積するデータを分類整理し、立体的に認知する手助けをこそ、現在のコンピューターは得意としているからです。そして、極めて確実に特定の患者さんの時系列データを保持することで、患者さんの来訪が断続的でも、その患者さんを連続的に変化する存在として認識することを、電子カルテは可能にしてくれますから、外来でも電子カルテが極めて有用な道具であることは言を待ちません。 

 

「すべての病は心身相関的病理で説明することが可能である」という視点から病気と患者さんの状態を見つめた時に理解される重要なポイントは、病気を含む患者さんの状態が、実は患者さんが自分について抱いている、「間違った自己像」と「病気との自己同一化」に由来しているという点です。

「不完全な自己認識」と「病気のレッテルとの同一化」と言い換えても良いでしょう。ここに至って、「全人的自己認識の回復」と「病気のレッテルからの脱同一化」つまり、「プロセスの逆転を生じさせること」が、回復の導き手としての医師の役割になります。

具体的に言えば、医者が「患者さん自身が無意識で行っている情報の操作、自分に対して行っているネガティブなフィードバック」をコンピューターの画面に表示説明し、自己変容を促すという事です。これにより、「病気のレッテルを貼る医療」が「病気のレッテルを剥がす医療」に変化します。

この変化は電子カルテを用いる医師の内部と患者自身の内部で同時に生じて初めて効力を生じる事柄ですが、このプロセスが十分に行われるなら、すべての「自己不全感覚」から患者と医師がともに救われることになるでしょう。

 

内科診断学と治療学は、

1) 総合的かつ系統的な患者情報の獲得の中から疾患のサインを見いだし、

2) 演繹法と帰納法を駆使してそこに存在する病理的状況を同定し、

3) 病名を確定し、

4) 患者にこれらの情報を説明し、

5) 同意を得た上で、疾患に対応した治療薬、治療方法を用いる。

 という手順を提唱します。

簡潔に言えば、

1) 診察して病気を想定し、

2) 病名をつけて言葉で説明し、

3) 薬を渡す

という日々の診療でのルーチンワークになるわけです。

しかし、このプロセスは、患者さんに対しての医師の認識が逆転すれば、

ルーチンワークとしても逆転され得るプロセスです。

具体的には、

1)医師が回復の道筋と、回復後の状態を想定理解したうえで、

2)回復と減薬が自己の選択により可能である事を医師が言葉で説明し、

3)患者自身が、新しいライフスタイル、補正された生き方を選択して、

4)病者としてのあり方から離脱し、

5)より拡大した自己認識があれば薬がなくても健康でいられる事を患者自身が経験し、病名が削除され、

6)ともに健康を楽しみながらこれを維持する。

という事になります。この患者−医師関係の望ましい姿を

 

「インフォームド・セルフチョイスによる回復モデル」と私は名付けます。

 

少し具体的例をあげて説明すると、

まず私は、患者情報を集積統合することで描かれた患者像と、想定される病理的プロセスを、電子カルテの中に書き出します。いわば電子カルテという仮想現実の中にその人の写しを取るわけです。その人の雛形のようなものです。そしてこの情報を患者さんと医者が共有して、その自己イメージ、過去の経験や環境条件への反応様式などの中で、何がその人の病や疾患状況を作り上げ、それを維持しているかを一緒に解明します。そして、その情報を患者さんにフィードバックする。その上でなお、患者さんが病気の自己像を抱えたままでいたいと言えば、私はその選択を尊重して「では、お薬をお出ししておきましょう」と言うことになるわけです。その一方、「でも、私は先生と話をして、自分の生活と思いを振り返って、自分の頭痛と肩こりの原因が夫の浮気に対する怒りに由来するとわかりました」と患者さんが言えば、「では旦那さんに対する怒りを水に流したり、旦那様ともう一度向き合ったり出来ますか」とお尋ねします。「今は無理です」と言う返事があれば、そこからさらにその人の怒りや悲しみの底にある「自己像」を解明し、患者さんがその人なりのプロセスをたどりながら、より全人的な自己像を再形成するお手伝いがはじまる訳です。それは、不完全な自己認識、たとえば人を許す事ができない自分、人から攻撃される自分、夫に裏切られると女としての誇りが傷付いてしまう自分、そういった自己イメージ、孤立した不完全な自己認識との同一化、を消し去るプロセスです。要するに、健康な自分、元気だった頃の自分を思い出させてあげるのです。病気になるには、やはりきっかけがあります。それを家族歴の中に見いだすか、個人の遺伝的な要素に見いだすか、生化学反応に見いだすかは、つきつめて言えばどうでもよいのですが、人間は複雑なモジュールの協調的な集合体として成り立っており、いずれかのモジュールを主なる説明に利用することで治癒プロセス開始のきっかけ、回復の糸口をつかむことができます。このモジュール、「遺伝的要素としての家族歴」や「生育歴に由来する心理的トラウマ」「家族構成によるストレス」「電解質バランス」「運動と娯楽の頻度」などをクリアカットに把握し、描き出すことを可能にする道具、それが電子カルテです。

 

このようにして「病気のレッテルを剥がす作業」を進め、「健康で全人的な自己像」の回復をはかることが、病状の消失、病名の削除、ついには内服薬の減量、不必要な検査の省略、などにつながります。

 

私は、医療システムが、患者さんの自己不全感覚を強化することも、また医療者側に無意識的な罪の意識を生じさせる事も望みません。―「医療者側の罪の意識」という言葉は耳慣れないかもしれませんが、いわば「医者の自己不全感覚」です。現代の医療が感染症のコントロールなどで長足の進歩をとげ、一部で華々しい成果をあげてからというもの、「医者は患者さんの命を預かり、左右する者」といった立場に押し上げられています。そのような責任感を抱いて仕事に取り組むことは良いのですが、いつの間にかそれは「のような者でいることが望ましい」、ではなくなり、「患者さんの命を預かり、左右する者でなければならない」というパターナリズムに毒され、患者さんの自己選択と自己回復の機会を奪うばかりか、患者さん自身が自分で病気をつくっている場合でさえ、一方的にただ症状を隠す薬を押し付け、その医療行為に自ら苦しむという「自己不全の医者」さえ生み出しています。

「風邪のようです」という訴えを聞いたときに、機械的に反応して、「ああ、それでは総合感冒薬をおだしし ましょう」と言ってしまうのではなく、患者さんの病の原因に取り組み、ともに人間性を回復しようとする 医療が行われれば、医者にも患者さんにも笑顔が戻ってきます。

 

私自身もこのプロセスの逆転が可能であるという事実に気がつくまでは、カルテを「健全な自己像を形成し、その自己の再統合を促す道具」としてではなく、逆に「不完全で間違った自己像を押しつけ、病名をつけて、薬を出す」道具として用い続けてきました。ここで言う「不完全で間違った自己像」という言葉は、患者の自己像であると同時に、「患者さんを癒すことが出来ない恐怖」を保持している医師自身の自己像でもあります。「私は薬を出さなければ貴方の手助けになれません」という間違った自己像に同一化してしまっている医師も多いのではないでしょうか。

 

繰り返しになりますが、医者が普段している行為はしばしば「病気のレッテルを貼る」行為になりさがっています。医者が病気を想定し、その内容を患者さんに言葉で説明し、最後に薬を出すというルーチンワーク。患者さんは医者の説明を聞き終わると「私は病気だ」と納得してしまうわけです。そしてお薬が出される。「このお薬を飲まないと死んじゃうよ」と。患者さんは本当に「飲まなければ死んでしまうかもしれない」と思う訳です。医療経済の現場では、このプロセスを繰り返して病院経営が成り立っていたりします。

しかし、医者の役割は産業としての医療経済を維持する事ではなく、癒しの助け手になることです。回復の導きとなることです。ですから、このルーチンワークを逆転させる必要があるのです。患者さんの回復の道筋と回復した状態を医者が想定する。その目的のために患者さんを理解しようと努める、なぜその状況が生じたかを把握する、そのための優れた手立てが電子カルテです。そして、原因が患者さん本人に把握されれば、減薬も可能であること、あるいは服薬が病状の固定につながる可能性があることを説明し、ライフスタイルの変容を中心にすえた、いくつかの治療選択を提示し、患者さん自身に選択して頂く。

その上で実際に「先生良かったです、血圧の薬が減ったのに血圧も体調も良好です」となれば、患者さんにも医療者にも笑顔が回復するわけです。これが「インフォームドセルフチョイス」による良き治療と回復の例です。

 

電子カルテに記録されたデータは保存が容易で、紛失の危険も少なく、長期間の保存が可能です。ある患者さんの生涯にわたる情報は言うにおよばず、ある家族の世代をこえた関係性さえ記録可能です。そして、町医者がこれを用いるなら、家族歴を含むその人の人生の記録を、患者さん自身にいつでもフィードバックすることが可能になります。この点で、電子カルテは世代をこえた治療のサポートにもなり得ます。私たちは電子カルテを用いて1人1人の患者さんを丁寧に拝見することで、患者さんと私達自身に輝く笑顔をもたらすことが出来るのです。−病気のレッテルを消し、全人的な統合を促す道具として使うこと。これこそが、プライマリケアにおける電子カルテの望ましい使い方ではないでしょうか。