海外での食中毒
  旅にはトラブルはつきもの、人によってはパスポートを盗られた、交通事
故にあったとさまざまで、それはそれでそのめにあった人は大変な経験だけど、
私はそのような大きな事件には幸いにして今の所出会った事はないが、食中毒
は数回、経験している。なま水は飲むな、熱の加わっていないものは食べるな
と色々云われるが、それはそれで守るにこした事はないが、それでもなる時に
はなるものだ。要するに、そうなった時にそれに十分に耐えられる体力を日頃
から付けておく事と、また、疲れ過ぎないことだと思う。

  年代順と云うと大げさだけれど、罹った順番に書いてみよう。最初の経験
は香港であった。約2週間、仕事で出張した最後の日に起こった。出張先で今
日が最後なのでみんなで夕食を共にしようという事になった。そして、行き先
は相談の結果、日本食のレストランと決まった。私は海外に行ってまで日本食
を食べたいとも思わないし、1日経てばそこは、もう日本に着いている訳だ。
むしろ現地でなければ食べられない物が良いのだけれど、そこは付き合いで、
現地にいる日本人は出張者をダシにして自分たちが日本食が食べたいという事
もあるではないか。

  レストランに着いてウインドウに並べられているものを見てあれにしよう
か、これにしようかと相談が始まった。そこに並べられていた「さしみ」がと
てもきれいで、しかも美味しそうだったので私はつい「美味しそうだな、でも
、なま物はあぶないからな」と云ってしまった。そうすると回りで聞いていた
仲間が「これは日本から空輸されてくるものなので問題ないよ」という事にな
りその「さしみ」もとる事になってしまった。実はこれが問題であった事は終
わって自分の部屋に帰ってから始まった。猛烈な腹痛、それと吐き気に見回れ
た。日頃からそういう時にと持ち歩いていた正露丸を20〜30粒も飲んだが
一晩中苦しみ通した。翌日、疲れ切って飛行機に乗ったのは云うまでもない。
後で聞いた話しでは食材は確かに日本からの空輸だが、それをどのような場所
で「さしみ」にするかが問題で、調理台は現地のレベルでクリーンにされてい
るという事が原因のようであった。

  次ぎはマレーシアでも有名なリゾート地、ゲンティンハイランドの一流レ
ストランでの例である。いつものように一緒に食事をしようという時、日本食
でなければいやだという人が連れにいない限り、できるだけ現地食に近いもの
が食べたいと思っている私は、その時はハラルマークのあるレストランでマト
ンカレーを注文した。マレーシアのカレーは日本のカレーとはかなり違う香り
と味がするが、それが大好きである。おかげで今日の昼食はとても満足してい
た。所が夕方になってから腰の当たりが猛烈にかゆくなりだした。ふと、腕を
見ると蚊にさされたような赤い点々がたくさんあるではないか。すぐに蕁麻疹
であると分かった。直ぐにホテルの内部にある診療所にかけ込んで、その部分
を見せた。それを見た白衣の女性は錠剤の飲み薬と、白い塗り薬とをくれた。
どうやら、カレー味で全く気がつかなかったがあの時のマトンが古かったので
はないかと思う。食中毒の予防に対して、私は自分の鼻と舌は敏感だから大丈
夫と思っていたが、それは全くあてにならないものだと知らされた。

  もうひとつ、カレーの例である。それはマレーシアの工場のキャンティー
ンで食べたフィッシュカレーである。魚の名前は知らないが日本で見るニシン
のような魚であった。昼食に行くのがやや遅れてキャンティーンに入った時に
は従業員のほとんどが既に食事を終えた時分であった。食べる物はと見るとフ
ィッシュカレーがまだあるとの事、その大きめのニシンを3つに切ったような
もののシッポの部分が残っていた。その魚も非常に美味しかった。今回の症状
は食事後、直ぐに現れた。多分食べてから1時間も経っていなかったと思う。
猛烈に気分が悪くなって吐き気が出てきた。私の様子をみて付近の人は顔が真
っ青であるという。お腹も痛くなってきた。同僚の車に乗せられて直ぐに家に
帰った。それから猛烈な腹痛は夜中まで続いた。ただ、不思議なのはその魚は
一切れだけ悪かった訳ではなく同時に調理されたものは、みんな多かれ少なか
れ同じ様な状態になっていた筈である。実際に具合が悪くなったのは私だけで
あり同じ物を食べた筈の現地の人たちは誰もそのようになった話しはなかった
ようだ。

  この他にも台湾での氷水の話し、シンガポールでの寿司の話し、といろい
ろとあるが今日はこれぐらいにしておきます。でも、海外に出掛けたら、毎日
が日本食という豪の者もいらっしゃるようですが、やはり、現地に行ったら現
地のものを味わってください。このような目にあった自分も後になると楽しか
った想い出となって時々想いだされます。(それは死ななかったからだよ、と
誰かが云ったような気がしましたが) 
                             (松木まこ)
  
  とらぶるスーツケース
  海外旅行中の重要な持ち物として細心の注意を払うべきものは 1。自分
のいのち、 2。パスポート、 3。現金だとは何回も耳にすることばだ。そ
の次ぎに大切なのは勿論、持ち歩くスーツケースの中身ではないだろうか。そ
れぞれ旅行中の事を考えて真剣に考え選ばれたものが詰め込まれているはずで
ある。私はこれまでの海外旅行中、このスーツケースが3回もトラブルに巻き
込まれてしまった。


   香港の啓徳空港  自分の荷物が出てこない!

  古い順に書き出して見よう。まず、最初は香港の啓徳空港の到着時に発生
した。イミグレーションを無事に通過して次ぎはターンテーブルでまわってく
る自分の荷物を受け取るわけだがそれが何時まで待ってもでてこない。ついに
ターンテーブル上が空になってしまった。自分のがない。さては自分の待って
いた場所が間違っていたのか。かん違いしたのか。確認したが間違いではない
ようだ。その時、空港の職員がやってきて「何か問題か」と聞いてきた。荷物
がでてこないと話すとこちらに来いとのこと、そこにはやはり荷物がでてこな
かった人が他に3人ほどきていた。一人の若いビジネスマンなどは顔が真っ青
であった。そこでいろいろと書類に書き込みをしてそこをでた。空港の外では
私のでてくるのを待っていてくれた人たちが、なかなか私が出てこないのでさ
てはこの飛行機に乗っていなかったのかとかなり心配したようだ。結局、荷物
は当日の夜、発見されて手許にもどってきた。私もそれまではそのような体験
もなかったのですべての荷物はそのスーツケースひとつの中にそっくり入れら
れていた。当日の会議では資料がまったく手許にない状態で出席しなければな
らないという悲惨な状態になった。それからは万一、スーツケースを紛失して
も当座の行動には支障のないよう荷物を分けるようになった。


   台北の中正空港  スーツケースのカギがあかない!

  2回目は台北の中正空港のやはり到着時のものである。荷物であるスーツ
ケースも受け取り次ぎは税関検査である。列に並ぶ前にスーツケースのロック
をはずしておこうと思った。今回のスーツケースは何時も持ち歩いていたもの
ではなく、新しく買ったひとまわり小型のものだ。滞在日数もいつもより少な
いので荷物を小さくしようと考えて出発前に近所のカバンやで買ったものだ。
ロックは数字を3つ合わせて開ける方式のものだ。決められた数字をいくらや
ってもロックは解除してくれない。後ろに並んででいる人にどんどん先に行っ
て貰ったがその間、すべての努力は無駄であった。時間ばかりが過ぎて行く、
20〜30分もかかっただろうか。遂にあきらめて空港係官に事の次第を説明
した。係官は「分かった」と云ってそのスーツケースを持って奥に行った。し
かし直ぐにカギが開けられたスーツケースを持って出てきた。そして貴方の云
った番号ではなくこの番号が正しいのだといった。私の住居表示の数字部分は
「2−34−5」なのだが、番号の設定は買ったカバンやの親父にやって貰っ
たのだが、これが過ちのもとであった。親父は私が番号を云った時も自分の話
しに夢中で、間違った数字に設定したのだ。住居表示の数字部分は先に書いた
様に4桁だがロックの数字は3桁しかない。そこで私は「2−34」を指定し
た。ところが親父は「34−5」としてしまったのだ。これも私が4桁の数字
を云わずに最初から「2−34」とだけ云えば問題は発生しなかったかも知れ
ない。余計な事は云わない事だ。

 
   タイのドン・ムアン空港  カギはスーツケースの中だ!

  最後はタイのドン・ムアン空港である。この時のスーツケースはよくスチ
ュワーデスが引っぱって持ち運んでいるタイプのものである。空港内でスーツ
ケースのに入れているあるものが必要になった。開けようとしたら、そこでカ
ギは内部に入れたままである事に気がついた。よくホテルの部屋にカギを忘れ
たままドアを閉めてそのまま表に出てしまう話しを聞くがあれと同じである。
カギは南京錠タイプのものである。勿論、引っ張っても押しても開いてくれな
い。やはりさすがにカギであった。ほとほと困った末に或るアイデアが浮かん
だ。表面に付けられた別の書類などを入れる袋のファスナーを開け、中を手探
りで当たると全て布地である。後で直せばいいやと思い、手許のカバンに入れ
てあった小型のカッターナイフでその布地を切り開き、手探りで入れ忘れたカ
ギを探り出す事に成功した。表からは切り開いた部分は見えない。安全の為と
思いかけられていたあのカギは完全に泥棒には対しては無防備だという事を自
ら知った次第である。
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