鹿 港 レ ポ ー ト
     
鹿港民族文物館
鹿港(ルーカン)の嘆き
やはり鹿港はよいところでした
写真は筆者(台湾、真理線) 
  
   鹿港(ルーカン)の嘆き
  鹿港を汗を拭いながら歩いた8月が遠くに思えます。今日は私の台湾旅行
の一部を紹介しましょう。思い立ったのが7月末、8月15日発で帰国は8月
22日のチケットを4万8千円で購入。台北の離発着。高雄までバスや鉄道で
行きました。相変わらず、気になっている埔里を訪ねる。仮設の学校には暑さ
に対応するためエアコンの設置工事が行われていた。

  「再び訪れたい」と思っていた鹿港にはバスを乗り継いでいく。バス停を
おりると、「どこへ行くのだ」と声をかけられて「龍山寺」と言うと「天后宮
が近いじゃないか」と言われて中山路に出る。中山路は台湾の街の中に必ずと
言って良いほど存在していて、それは表通りの顔を作っている。私がはじめて
鹿港を訪ねたのは1994年の秋だった。小さな街にえらく感動したのである。

  「その思いを再び」、と勝手に自分で名前を付けたところに足を向けた。
『恋人の窓』、これは「意楼」と呼ばれる建物である。100年あまり前、新
婚早々の夫は大陸に科挙の試験を受けに行った。旅立つ前に愛する妻のために
1本の樹を植えた。妻は来る日も来る日も庭に出て夫の帰りを待ったが夫が再
びもどって来ることはなかった。とこういう話が伝わる。6年前、狭い路地に
ある煉瓦の飾り窓に寄り添うように夫が植えたと思われる楊桃樹が茂っていた。
「これは恋人の窓にふさわしい」と勝手に楽しいでいた。その想いを引きずっ
て再びきたのだ。

   『文人たちのときわ荘』これは「十宜楼」のことである。箏や詩をたしな
む者が集まり、杯を交わした場所である。互いの家に行きやすいようにか、2
階部分が回廊になっていそうなのだ。でも、それは外から見ただけのことであ
り、内側から確かめた訳ではない。趣のある佇まいは中山路をちょっと脇道に
それるだけで出会える。6年前には手づくりの道案内板が出ていて、街の人の
観光に寄せる思いを感じ取ったものだった。しかし、今回はそんな看板もなく、
ましてやそこを散策する人もなかった。細い路地でたらいで洗濯をしている人
にあった。「えぇ、どうなってるの。こんなんじゃなかった。ここにはカッコ
イイ扉があったじゃない」「この辺には小物を売る店があったじゃない」そし
ていくつかの家屋が無人になっていた。

   私は昨年の9/21台湾大地震の被害が埔里あるいは台中付近に集中して
いるとばかり思っていたが、この鹿港もおそっていたのだ。私の好きな路地は
わずかな距離である。しかし、「鹿港ってどんなところ、と訪ねられら『木曽
路の宿場町』と答える」と思い続けていたのに、その路地も天災にはあがらう
ことができなかったのだ。
                            

  
やはり鹿港はよいところでした


  鹿港の味わいのある路地はかなしかな廃れていましたが、やはり鹿港はよ
いところでした。さて、鹿港のどこが良かったかといいますと、今回は中山路
を見ることができたことです。日本(植民地)時代の建物がしっかり残ってい
ました。和泉商会と書いてあったのが読みとれました。日本では昭和初期の家
屋がなくなりつつありますが、台湾では結構見ることができます。といっても
いずれは消え去っていく運命でしょう。和泉商会の2階の窓の奥に家財道具が
散乱しているのが見えました。こんな家屋はいくつかありました。地震の影響
だったのでしょう。無人の家屋になっている様子でもありました。

  中山路といえば天后宮馬祖廟でしょう。馬祖さまを台湾で最初にお迎えし
たといいますが、お参りとお願いが終わったら、すぐに食べ行くことをお勧め
します。店は自分の好みで選べばいいでしょう?仔麺(この漢字でよかったか
な)を食べました。小さ目の牡蠣を揚げて、麺の上にのせているだけです。私
は麺を米粉にしました。40元、約150円です。店頭ではてんぷらも揚げて
いますから、関心のある人はどうそ。

  さて、馬祖廟を見て食事を終われば散策に出るわけです。馬祖廟からすぐ
のところに風月堂というお菓子やさんがあります。この店構えは台湾にないも
のです。ちょっと入ってみました。暑い時に冷たい水とゼリーを勧められ、感
激しました。パイナップルケーキに飽き飽きしている人には台湾の菓子を見直
すよいチャンスとなること間違いなしです。高粱酒入りのゼリーやウメの実入
りのゼリーはお勧めです。そして緑豆羹(落雁)も有名なあの店(ご存知○○
洋)のものより、しつこくなく、おいしくいただけました。「日本にもって帰
る」というと、製造年月日の新しいのを選んでくれました。台北にも店はある
ようですが、すごく私はこの店が気に入ってしまいました。大きな台北の街で
あの店を探すより、鹿港の中山路200号の「風月堂」を訪ねてみるのもい一
興です。

  龍山寺に行きました。ぱらぱらといた観光客はやはり有名な釘1本使って
いない山門の裏側をしげしげ見ていました。木造の寺はほっとさせてくれるの
か、台北の龍山寺の持つ雰囲気の図柄に自分が入っていけないものがあります
が、鹿港の同じ名前のこの寺では昼過ぎの暑い時間を涼みながらぼんやり過ご
すことができました。寺の横手にある線香やさんが線香を干していました。路
地に並べられた線香が今から思い出すと匂っていなっか気がします。

                             

  
鹿港民族文物館    中国人を知るにはここを観よ

  
  高雄にいる人に「鹿港に行って来ました」と言ったら「僕も行きました」
「街並みが壊れていた残念でしたね」「そうですか。民俗文物館だけ観てきま
した」という会話で終わってしまった。う〜ん、残念。でも、多くの人は鹿港
と言えばあの文物館へ行くでしょう。観光ガイドブックには鹿港といえば「ル
ネッサンス様式の・・・」と書かれている。私が初めてここを訪れたとき、ル
ネッサンス様式なる物が街にどのようにとけ込んでいるのか知りたかった。と
け込むの、とけ込まないの、表通りからはずれ、「我関せず」とばかりにあり
ました。今回、驚いたのはその前に高層の集合住宅(日本語のマンション)が
できていて、文物館の2階から観る風景が変わってしまっていたことが残念で
した。しかし、ここは台湾。新しい物が好きです。「街並み保存」そんなもの
を望む方が間違いなのです。文物館の説明に入ります。

  日本の台湾領有が決まり、抗日の動きのなか、台北への案内を買って出た
人が辜顯栄榮である。これを緒として彼は政商となり大成功を納めた。土地の
人々はこの文物館を「大和」とよぶという。これは樟脳・塩など、台湾の特産
品を扱う「大和商行」からきたものであろう。1934年、彼は貴族院議員に
勅任され、37年の帝国議会に出席するために東京にいたが、そこで倒れてし
まった。一代で築かれた栄華をこの建物は語っているように思える。

  この文物館のなかに興味深い物はいくつもある。「九龍盃」というのもそ
の一つ。もともと九つあった盃が今は七つしかない。これが遊び道具として使
われた。客人と亭主との問答で負けた者が酒を飲む。負けが続くと盃はだんだ
ん大きくなる。酒飲みは知ってて、負けるのであろうか。「?糢」というのも
おもしろい。お菓子の型。日本でも落雁や砂糖菓子の型がありますが、ちょう
どあれです。小さなものから大きなものまで、菓子型は観ているだけでも楽し
いものです。

  では、大きなもの見所と言えば、困ったな。私のしりあいに「紅床」とい
う名字の人がいる。この人、中国人に名刺を渡してしげしげ顔を見られると言
う。訳すると「赤いベット」となる。何か変じゃありませんか。「紅眠床」と
いう堆朱(朱の漆を厚く塗って、山水、花鳥などの模様を彫った細工)のベッ
トを観ることができる。「幸せな女性は紅のベットで眠る」という喩えもある
という。中国人にいる街の博物館には黒檀か紫檀のベットは必ずあると言って
よい。「紅眠床」というのもあることお忘れなく。ここでは写真は撮れません
から。

  さて、マラッカのニョニャババ博物館に行かれた人もおおいと思います。
中国人の暮らしや考え方を知ろうと思えば、台湾なら「鹿港民俗文物館」マレ
ーシアなら「ニョニャババ博物館」に行けばいいんじゃないだろうかと思うよ
うになってきました。
                            (マリポン)
もどる