如風のまったりパキスタン今回、神戸から船で中国へ渡り、中国を東から西にひたすら横断し、中パ 両国をつなぐ大動脈「カラコルム・ハイウエイ」を通ってパキスタンへと抜け て来た。それは3年前、チベットを旅行した時、70代、60代、50代の3 人連れの旅の達人から聞いた「クンジュラブ峠は、すばらしい」の一言がそも そもの始まり。 「クンジュラブ峠?どこにあるの?」 「中国とパキスタンとの国境にある峠」 「えー?中国とパキスタンってつながってんだ」 と、とんちんかん。 「じゃあ、中国とパキスタンに行くしかルートがない!」 と、当然なことに気がついた時はガックリ。2回の中国旅行では、良い思い出 がなかったし、パキスタンは、政情不安定で国内中どこも渡航自粛勧告以上の 危険地域。どちらの国にも行きたくない、ない、ない。でも「クンジュラブ」、 されど「クンジュラブ」この響きが私の旅心をくすぐり続けた。 更に追い討ちをかけるかのように、昨年、タイの空港で一晩一緒に過ごし た1年余りアジアを旅した若者が、「6月のフンザは、最高だ」と聞き、また パキスタンかい?これは、行くしかない。しかし、パキスタン側から行くべき か、中国側から行くべきか決めかねていた今年4月、ふらっと立ち寄った旅行 会社で1週間後の船の予約がとれるという。これは、旅立ちの時期だと自分に 言い聞かせ、4月28日、旅行保険の明細と「何かあったら、保険を請求して ください」と言う置手紙の残して、自宅を後にした。当初の予定では、2ヶ月 ほどで帰国するつもりだったのだが、月日は流れ、結局、10月1日に帰国、 5ヶ月にも及んでしまった。 今回は、クンジュラブ峠越えから始まるパキスタンの旅について紹介した いと思う。
1.クンジュラブを超えて<いざクンジュラブへと、気合が入ったのだが?> カラコルム・ハイウエーの出発点でもあり、私にとっては、中国最後の町 タシュクルガンにたどり着いたのは、日本を出てから25日目の5月23日。 前の町のカシュガルからのバスは、途中崖崩れで2時間の足止めというハプニ ングに見まわれ、通常10時間のところ13時間かかり、十二分に最後の中国 バスを満喫させてもらった。 すでに、中国上陸から5000kMを移動していた。やはり中国はでか い! 翌翌日の25日、10時30分発パキスタン、ススト行き、ホテルの窓 から下を見るとすでにバスは客の荷物を積み込み始めている。はやる気持ちを 押さえきれず早々に荷造りを終え、バスの屋上へ荷物を預けた。防寒対策のパ ッチは履いたし、手元には寝袋、食料のビスケット、ポットにはお湯、準備は 万端だ。しかしまだ1時間余り時間があったので、最後の中国を惜しみに町に 出る。 タシュクルガンの町といっても、T字にメインストリートあり、そこをゆ っくり歩いても30分で歩き回れる。ここまで来るとさすがに漢族よりも民族 衣装をまとったウイグル族の姿が目に付く。でも、ここも中国なんだ・・・と、 ひたすら移動を続けた中国の旅を懐かしみながら町をプラプラ。そろそろ時間 だと思いバス停に引き返すと、 (バスがいない!!) (うそー。なんでー?まだ、10時じゃん。) 慌てて道に出ると、バスがそこに停まっていた。聞くと、そのバスは、10時 発のカシュガル行き。全くの反対方向である。 (しまった!) そう言えば行き先を聞かずに、勝手にススト行きと思いこんで荷物を預けてし まったのである。それからが大変。中国語会話集を広げている余裕はない。 「my luggage,upper,upper・我去ススト・give me my luggage」と、ある ったけの身振り手振りと、知っている単語の羅列で訴えた。そして、無事荷物 をもらい事無きをえたのであるが、もう5分遅かったらと思うと冷汗ものであ った。 バス停に引き返し、仕切り直し。今度は慎重に行き先を確認してバスへ乗 り込む。確認するまでもなく、タシュクルガンから出るバスは1日1便、カシ ュガル行きとススト行きだけなんだけど実は。でも、用心に越したことはない。 乗客は、私の他にオランダ人の女性といっぱいの荷物を持ったパキスタン人、 そして後でわかったのだが韓国人の中年の旅行者をのせ数名、席には余裕が ある。バスは、10時30分定刻通りに出発、カラコルムハイウエーへと続く 左に向きを変え走り出した。<中国出国>500mほど走ると、バスは建物の中に入った。そうだ、まだ出国手続き を終えてない。そそくさと、荷物を担ぎ建物の中に入り出国検査を受ける。オ ランダ人の女性は、パキスタンビザを持っていない。彼女は、パキスタンのイ ミグレで通過ビザがもらえると聞いてやって来たのである。出国検査でやはり これが問題になり多少のやり取りがあったようであるが、無事出国スタンプを もらった。「だめだったら戻るだけよ」と言ってはいたが、もしパキスタンに 入国できず引き返きかえし、一旦出国してしまっった中国、中国ビザがないと なったらどうするんだ? 慎重な私にとっては無謀な行為に見えた。 手続きを終了して外で待っていると、昨日から何かとツアーを世話しよう とた通称ガイドの中国人男性が、中国元からパキスタンルピーへの両替をもち かけてきた。パキスタン人に彼の交換レート(1元=6.06R)について聞 くと、悪くないというので両替してもらう。待つこと1時間余り、結局イミグ レを出発したのは12時近かった。いよいよ、本当にいよいよ、3年間温めて きたクンジュラブ、 「あーあー、憧れーのクンジューラブ峠♪♪♪。」(古い!年がばれる) バスはクンジュラブへと走り始めた。<クンジュラブ、それはシルクロード>そして、ゲートは開いた。パミール高原のど真ん中を分け入るようにどこ までも、どこまでも一本の道が伸びている。右を見ても左を見ても万年雪をか ぶった山、山、山。待ちに待ったこの瞬間、一つも逃すことなく見てやろうと ばかり、窓からじっと、外を見続けた。バスはハンドルを切ることもなく舗装 された一本の道を走り続ける。 「すっごいね!」 と、左側の座席に座っているオランダ女性に声をかけたかったのだが、彼女は にこりともせず外を見ている。車内を見渡すと、皆うんともすんとも言わない。 この感激を分かち合いたいのに、私の隣にいるのは寝袋だけ。私がどれだけこ の瞬間を待ち望んでいたかなんて誰も知る由がない。私の日本で熟成された理 性が邪魔をし、「ブラボー」と叫ぶ勇気もなく、一人静かに彼らの一人にな った。 イミグレを超えたといっても、石造りの家もあるし、荷をつんでロバを引 く人や、羊を放牧する人々の生活がある。荒野にしか見えないこの地でどんな 暮らしが営まれているのだろうか?いったいここは、中国なのかパキスタン領 なのか?建物に書かれた漢字が、まだここは中国なんだと主張していたが、そ れがなんとも空々しく見える。 国境のあるクンジュラブ峠までは、120kMほどの行程だ。かつては、 国境近くにイミグレーションがあったそうだが、密輸や密入国者に手を焼き、 現在の場所に切り替えたとのことである。バスは次第に緩やかな勾配を登り始 めた。 「え?今何か動いた。」 時折、黄色い毛の小動物が、巣穴から出たり入ったあり。あるものは、ちょこ んと後ろ足で立って過ぎ行くバスを見送くっている。そして、‘Welcome to Pakistan’のボードの前でバスは停まった。(クンジュラブ峠だ!)標高4703m、割に広い平地である。思ったほど寒くはないし、高山病 の症状もない。さっそく外に出て写真、写真。でもここでも写真を撮ってはし ゃいでいるのは私だけかと思いきや、中年の男性がもう一人写真を撮っていた。 聞くと韓国人とのことであった。ふと、隣に立ったパキスタン人が 「ここは、歴史的な道シルクロードだ。ここから、生涯忘れられない景色が ある。」 と誇らしげに語ってくれた。彼もこのクンジュラブ峠越えに魅了された一人で あった。 (え?ここから?) すでに、十分感激していた私は、もっとすばらしい景色があるのかと期待に 小さい胸は膨らむ。 そして、今までの自分のたどってきた道がシルクロード だったことを改めて認識し感慨深いものがった。天竺(インド)を目指し求法 の旅に出た、法顕(399年インドへ出発)や三蔵法師玄奘(629年出発) のルートとは違うがこのパミールを超えたと言う。しかし、当時のパミール越 えは、「昔の人が千尋の断崖絶壁を、足がかりになる棒を打ちつけた剣道を超 えること七百余ヵ所、奔流する河を吊り橋で渡ること数十余ヵ所」と言うから なんとも過酷な行路であったようだ。決死の覚悟でこのルートを超えた旅人に はこの景色はどう映ったのであろうか? そして、ゲートが開きバスはいよいよパキスタン領に入る。なだらかな平 地を過ぎるや、いろは坂もまっちゃおなつづら折りの急な下り坂となる。中国 側の道とは打って変わって、バス1台が通れるくらいの道幅で舗装もされてい ない。後部座席から先ほどのパキスタン人が「あの山の雪渓を見ろ。すばらし いだろう。」と話しかけてくる。 「Yes、Yes」 と答えてそのらをチラッと見たものの、先ほどから、窓のすぐ下(右側)は断 崖絶壁、ガードレールもない道をバスは無謀とも思えるスピードで下って行く のであるからたまったものではない。進行方向から目が離せない。 (そんなに、急がなくてもいいのに) と思いつつ、目をそらして上を見上げても下って来た道が下からは見えない。 ずっと下に見える谷底は、今も目に焼き付いている。されど、クンジュラブ。 さすがクンジュラブ。これぞクンジュラブ。 その恐怖心にも次第に慣れてきた時、まさに大自然が造り上げた生涯忘れ られない景色があった。これはどう表現したらいいのか、自分の表現力のなさ を嘆くしかない。つい先ほど轟音をたてて地中からそそり上がってきたように、 天に向かって山々がそびえているのである。そして無事バスが谷底の川沿いの 道を走り始めた時は、これで生きて帰れると言う安堵感もあったが、もう一度 引き返してみたいという思いに駆られた。窓の外には薄いグリーンのかかった なんとも美しい雪解け水をたたえた河が流れ、気分は最高である。チェックポ ストで簡単なパスポートチェックを終えバスは走りだしたのだが。
クンジュラブ峠<それじゃ、台無しだよ>再びバスは、小さな小屋の前で停まった。小屋の前には、「外国人4US ドル、パキスタン人20ルピー」とボードに書かれている。 (これがうわさの、パキスタンから抜けてきた日本人が言っていた訳の解らな い料金徴収か。) 早速係員が来て外国人は小屋の中に入るように促される。仕方がないので入っ てみると、長々と英語で書かれた料金徴収の趣旨説明らしきものが渡され、今 まで払った旅行者の領収書らしき控えまで見せられた。私は、USドルは持っ ていないと突っぱねたが(現金がなければ払わなくて済むと聞いていたので)、 USドルがなければルピーでも良いといい、換算すると230ルピーだと言う。 えーパキスタン人の10倍ジャン、と思ったが、まあしょうがないと私は払 うつもりになっていた。しかし、オランダ人の女性は 「それは不公平だ。Andこの料金徴収も疑わしい。ボスと話がしたい。ど こにいるんだ。」と、がんとして譲らない。彼女がそのつもりなら私も譲るわ けにはゆかないと、さっさとバスに引き返した。しかし、彼らも諦めない。そ うこうしている内に、先ほどのチェックポストのポリスまで登場して、払うよ うにと言われ、二人はしぶしぶ小屋に引き返し、交渉の末、200ルピーにま けてもらい支払った。まけてもらえるというのもまたまた怪しいのだが。二人 はぶっちょうズラをして再びバスに乗り込んだ。 更に腹がたったのは、韓国人のおっさんだ。我々に手を焼いて、誰も彼の 存在に気が付いていない。それを良いことに彼は、黙ってバスに座ってこちら とは目をあわそうとしないのである。「彼も外国人だ」と言ってやろうと思っ たのだが、彼の生き方に口もはさみたくもなかった。その上、よくよく考えて みると10数名のパキスタン人も料金を支払った様子がない。 そんなこんなで、今までの最高の気分も吹っ飛んでしまったが、バスは何 事もなかったかのように走りだし、現地時間の3時過ぎ、やっと目的地のスス トに到着。バスは、乗客を乗せたままイミグレーションのある建物の中に入っ た。
<パキスタン入国>バスが停まった中庭を見渡せる開けパーパーのカウンターがあり、あそこが イミグレーションと言うので、なんともイミグレーションらしくない。私はビ ザを持っていたのですんなりと入国スタンプをもらい早々に手続きを済ませた。 次ぎに問題の彼女である。パスポートを預け、係員が別室にそれをもって入っ ていった。「係員は何て言ってた?」と彼女に聞くと「何も言わなかった」と いう。私も自分のことのように緊張した。なかなかその係員が出てこないので、 バスを探してくると私はその場を離れた。帰ってきてみると、無事2週間のト ランジットビザがもらえたとのことで一安心。そして、長―い、長―い、パキ スタン滞在が始まった。 (彦坂如風)2.グルミット <どうする、一泊目>パキスタン入国手続きを無事終え、イミグレーションを出た。(さて、こ れからどうしようか?)現地時間の3時過ぎ、ここスストに宿を決めこむには まだ早い。辺りを見まわしてもなにやら殺風景。それもそのはず女性の姿がど こにも見えない。それは、一種異様な光景である。初めて踏んだパキスタンの 地、勝手がわからないし用心に越したことはない。 先程、イミグレーションの前に停まっているハイエース(これがここの交 通手段)との交渉で、ギルギット行きの客が多い場合は、そちらを優先するた め、途中のグルミット、パス―行きの客は乗せられないとのことだった。ギル ギットまでは行くと日が暮れてしまうので、移動するなら手前のパス―かグル ミット(ここまでなら1〜2時間で行ける)までが限界である。日が暮れるま でに宿を確保することは、女一人旅の鉄則である。何て大げさなものではない が、今までの経験で暗くなってからの宿探しほど心細いものはない。結局、そ のハイエースに乗ることが出来、オランダ人の彼女がグルミットまで行くとい うので、私もそれに便乗させてもらうことにした。旅は道ずれ、世は情け。 グルミットまで、150パキスタンルピー(日本円で約300円)、高い のか安いのか。そして、ハイエースはぎゅうぎゅう詰めに客を乗せて、すでに 濁流となった川沿いのカラコルムハイウエ―をこれまた、えっらい勢いで走り 始めた。同乗していた男性が、「グルミットのホテルはどこも高いが、イシュ パタインは安くてきれいだ。」と教えてくれたので、車を降り、早速二人でそ のホテルを探しに、山手のほうに伸びていうる道を上がって行った。 イシュパタインは、その道沿いにありハイウエーからも見えていた建物で 簡単に見付ける事が出来た。コの字になった2階建ての建物は立派である。( なんか、高そー)中に入り、宿を探している旨を伝えると少年が部屋を案内し てくれた。な、な、なんと。少年は「一泊ツイン、100R」 「じゃ、一人50R(日本円約100円)?!」安い!!。その上、部屋も掃 除が行きとどいてきれいだし、総タイル張りの美しいバスルムームに、ホット シャワー出るとあっては、二人に依存は無かった。オランダ人の彼女は、シン グルで泊まりたいというので、別々に部屋を取った。それでも、100Rなら 安いものである。(パキスタンって、物価が安いんだ)と、その時は勝手に納 得していた。 無事宿も確保でき、一安心すると、無償にお腹がすいてきた。思えば今日 は朝からろくに食事というものをとっていない。簡単な食事なら準備できると いうのでお願いし、食事ができるまで、部屋に戻り荷をほどく。カーテンを開 けるとそこには鋸の刃ようなカールー・ホーが望めた。でも、電線が一本邪魔 していた。ホットシャワーが使えると言われたが、半信半疑で、タブをひねる と「出るわ 出るわ」がんがん出る。途中で水になってしまうのではないかと 冷や冷やしたが、シャンプーしてもまだまだ出続けるお湯に、貧乏旅行者の性 (さが)、「もう、これでもか」と言うほどホットシャワー浴び、ここ数日の たまった垢を落とした。 食事の準備がされ、二階の食堂に案内された。今日の客は我々二人だけで あった。食事中、マネージャーなる人があらわれて「実は、・・・」「実は、 部屋代は500Rなんです。少年はあまり英語が得意ではないので。しかし、 あなた達は、good person なので、オーナーに話してなんとか少年の言った料 金で泊まれるようにお願いしてみます」どひゃー!やっぱり!100Rで泊ま れるようは部屋ではなかった。 「100Rではこちらも申し訳無いと思うので、後でゆっくり料金の件は話し ましょう」と、それ以上この件についての具体的に話す気にはなれなかった。 食事は、野菜カレーとご飯。オランダ人の彼女とは、ここではじめて自己 紹介。彼女の名前はモカデス、オランダ人のモスリムである。フィリピンから インドネシア、マレーシア、タイ、ミャンマー、中国を回りパキスタンから本 国へ戻るとの事であった。彼女の旅も5ヶ月に及び家族が恋しくなったから早 く帰りたいと言っていた。彼女の旅の中で一番気に入ったところは香港だとい う。なんとも私には理解できなかった。 食事を終えた時、マネージャーなる人に「dinner は何がいいか?」と訪 ねられたので「肉は食べられない」と言うと「vegetable cure and rice でい いか?。」といわれたので「OK,OK.」と言って何の気無しに答えて部屋に戻 る。すでに5時を回っていた。ベッドに横になっていると、いつのまにか眠り 込んでしまい、パキスタンの一泊目の夜は静かにふけてほしかったのであるが。 「dinner!」え?当初何の事かわからずほっておくと、再び「dinner!」と 呼ばれ、やっと彼が尋ねたのが今日のdinnerを意味していたことに気づいた。 (しまった!)私にとっては、先程の食事がdinnerで、今日はそれで十分であ ったのだが今更断ることも出来ず、食堂に上がって行くと、一人分の料理が用 意されていた。「彼女は、dinnerは要らないそうだ」ごもっとも。私は、すい ていないお腹に無理やり詰め込んだ。満腹のお腹を抱え少々気持ち悪かったが、 クンジュラブ越えの長―、長―い1日はこうして終わった。
<実は、ぼったくり宿?(貧乏旅行者には)>翌朝、二人で朝食につくとモカデスから再び驚きの発言。「朝食100R 、昼食170R、夕食200R」えー!!!。三食で470R、日本円で約10 00円。アジアを旅する者には1000円は大金である。日本で三食1000 円もすると言って腹を立てたら、「出てケー」と言われるのが関の山だが、「 ここはパキスタンだ。Do at Pakistan as the Pakistan do!」と思いつつも 、量と味もまずまずだし、食後にはコーヒー、紅茶も出してくれる。食べたく なかったら他で食べればいいやと自分を納得させた。しかし、グルミットには レストランいや食堂らしきものが見当たらず、結局ホテルで食べるしかなかっ たのだが。(旅行者から1軒シシカガブ屋があると聞いたので要確認) さらに、後日ラワールピンディで出会った日本人旅行者に出会ってとんで もないことが判明した。彼もこのシュパタインに泊まろうとしたが、喧嘩にな り宿を変えたと言うのである。それが、最初少年が出てきて部屋代は100R だと言うので泊まる事に決めたが、後でマネージャーと言う人が現われ、部屋 代は500Rだと言われたが交渉の末150Rで泊まることを承諾した。食事の 段になって、食事代が高すぎると言う話になり交渉が決裂。結局宿をその日に 移ったというのである。まったく、我々と同じパターンじゃん。あの少年に最 初の交渉に当たらせることは彼らの手口だったんだと、二人で大愚痴をこぼし た。しかし、パキスタンで後にも先にも後味の悪い経験をしたのはここだけで あったことをパキスタンのために付け加えておこう。<氷河トレッキング>翌翌日、モカデスの体調不良が回復したのでグルキン氷河のトレッキング に出かけることにした。イシュパタインのマネージャーがガイドをしてくれる と言うの、ガイド料400R+ジープ代300Rでお願いする。 朝食をとり6時30分、イシュパタインよりジープに乗り込む。ジープは、 カラコルムハイウエ―をススト方面に戻り、途中から道をそれ山手へと登り始 めた。道と言っても木々に囲まれた日本の林道とは違い、木一本無いゴロゴロ 石の斜面を右に左に揺られながらの登りである。ジープ一台がやっと通れるゴ ロゴロ、ズルズル道。登りはまだ良いが、下りたくはない所である。 当初、 ジープのお兄さんとの交渉では、この登りに入る手前まで300Rで、そこか ら目的地のボリドレークまで登ると料金は更に高くなると、この登りを渋った 意味が良く分かった。しかし、このジープのお兄さんは料金の値上げを要求す ることもなくボルドレークまで行ってくれた。 そしてジープが停まった先に突如、湖が現われた。ボリドレークだ。ここ は、渡り鳥の中継地として有名とガイドブックにあるが我々が行った時は鳥一 羽いなかった。レイクサイドにある一軒の宿屋には人影も無い。辺りはシーン と静まり返り、湖面は波一つ立たず周りの山々を映している。その宿屋のテラ ス?に座り一日ボケ―っとその静寂の中に入って旅の疲れを癒したいところで ある。が、まだそこまで疲れていない。ガイドのマネージャーが、どこからか 店のおばちゃんを連れて来た。宿は客がいないので閉めているがこの近くに住 んでいるといので驚きである。モカデスはいつから置いてあるあるかわからな い水を買う。 ジープのお兄さんをそこに残し我々3人は氷河へと向かう。歩くこと30 分あまり、そして現われた黒い壁。近づいて見ると岩の斜面に見えた黒い壁は は氷であった。 これを氷河のサイド・モレーンと言うそうだがその時は、サ イド・モレーンなんて言う専門用語も知らず、唯、唯、ガイドに従って這い上 がって一息。そして、ついに銀箔に輝く白い氷河がとは問屋がおろさない。見 渡す限り瓦礫が広がっているだけだった。「これが氷河って?」氷河と言えば、 そう、氷の河である。私の頭の中は勝手に白い氷の上を歩くことを想像してい た。山手にを見える白い氷河を指差し「あれが、氷河だよ。こんなの氷河じゃ ない。私は氷河を歩きたいの」とガイドに言うもののガイドは「軽装備で行け る場所ではない」と、一笑。しかし、そんな思いとは裏腹に表面は黒い土で覆われているものの、亀裂 が入り、所々巨大な氷の割れ目を覗かせている。時折静寂を破って石がゴロゴ ロ、しばらくして地の底からドーンと響いてくるわ、ギシギシと無気味な音も 聞こえる。ギシギシ言うのは氷河が動く音だと聞かされると、私の不満も感動 へと変わった。なんと単純な奴だと思われる前、私は単純ですと言っておこう。 この季節は氷河が gold を含んだ石を運んできて、川辺には砂金取りのテント がはられると聞いては、二人の顔はにんまり。目をぎらぎらさせて足元の石に 注意を払うが、これはどうだ、これはどうだとガイドに見せるものの「NO」と、 むなしい返事ばかり。(やはり、お金は汗水たらして稼がにゃいかん)と自分 に言い聞かせるものの、もしや、もしや、一攫千金、タイのbeautiful be ach で優雅なリゾートライフ。なーんてどうも諦めが悪い。それもかなわぬ夢と悟 り始めると、疲れがどっとやって来た。出来るだけ近道をとるために氷の壁を よじ登ったり、滑り落ちたり。やっと反対側のサイドモレーンを登りきった時 にはすでにお昼を回っていた。そこから眼下にあるグルカン村に下り、ガイド は彼の姉の嫁ぎ先の家へと我々を案内した。
<パキスタンお宅訪問> 彼女の家はこの辺りで見られる石造りである。そして、居間兼、客間兼、 台所兼、食堂兼寝床兼、兼とトイレ以外の機能を全て備えた優れものの12〜 13畳ほどの部屋に通された。その部屋の中央には煙突の付いた釜戸兼暖房の ストーブがある。ストーブを中心とした四角い6畳ほどのスペースから一段上 がって回り3辺が夜には寝床となり、昼はたたまれた寝具やトランクが背もた れや肘掛の役割を果たす。もう1辺には台所用品が並べられて、そこから奥に 続いているようにも見える。 この家にいや、この一部屋に、妹夫婦家族と兄弟夫婦の家族とお父さんお 母さんが暮らしているとの事である。先程から子供も何人か出たり入ったりし ている。木製の船のようなゆりかごには、生後間もない赤ちゃんが、身動き一 つ取れないようぐるぐるにくるまれて寝かされている。ロシアだったかどこか の国でも乳飲み子をこの様にしているのをテレビで見たことあるけど、あまり にも窮屈そうである。そのうち泣き始めた赤ちゃんのゆりかごを兄ちゃん坊主 がグワングワン揺らすものだから、おいおい大丈夫かい、もう少しやさしく揺 すったらとこちらが気が気ではない。 このお宅にはテレビもあった。インド放送かパキスタン放送かわからない ニュースが、何度となく繰り返えされるのだが、特に会話が弾むこともがない 我々を取り持ってくれた。そんな我々に、家人は子供にミルクを買いに行かせ、 まずは紅茶とパンを出してくれた。パンは、小麦粉を練っただけで甘みはない 上、硬くて分厚い。しかし噛めば噛むほど味がある。その後何軒かのお宅を訪 ねたが、必ずこのパンが出された。紅茶に入れる砂糖も出されたが、岩塩を溶 かして塩茶で飲むのが一般的である彼らにとって砂糖は貴重品である。昨日ガ イドのお宅をおじゃました時、彼は塩茶を飲んでいたが、もちろん私には砂糖 を準備してくれたのだが、今日はお客とばかり砂糖をドバドバ入れて甘いお茶 をすすっているのを目ざとく観察。さらに、昼食のまで用意してくれというの で、恐縮至極である。しかし、出されたカレーには肉、肉、肉が。実は私、肉 が食べられない。彼らに取っては最高のもてなしに手をつけないわけにはいか ず、有り難くスープの部分だけにナンに付けていただく。私は、砂糖はダメ、 肉もダメというもてなしがいのない客人である。突然の珍客にもかかわらず、 この様にもてなしてくれた家人にお返しする物もなく、モカデスと話し、妹さ んに小銭を渡しておいとまする。もう一山超えてグルミットまで戻ることも出 来るが、モカデスが「もう歩きたくない」と言うので近道をしてといっても1 時間余りかかり、ホテルまで戻った時にはぐったり、ベッドに倒れこんでしま った。 氷河と言う響きに大それた幻影を抱かなければ、青空に映える7000m 級の山々を目の当たりにししながらのトレッキング、取らぬ狸の皮算用であろ うが一時の夢も見させてもらえると言うお楽しみ付き、是非機会があったら皆 さんにお勧めである。しかし、ガイドブックにはガイド無しで行けるコースと あったが、道標となるものもない上、昨年このグルキン氷河で亀裂に落ちて日 本人が亡くなっているという話も聞いたので、決して侮れるコースではない。 (如風)もどるつづき