マッキーの
       “オーストラリア便り” (下)

                                                   竹内牧子
   授業がはじまりました   
 2  失敗からは学ぶものが多いです
 3  ロレインのこと      
 4  フェイシャル・パーティー参加
 5  裸足とハイヒール
 6  大きい!
 7  癒しのカプチーノ
 8  繊細な兄と豪快な弟
 9    働 く 人 々
10    ギターの調べ
11    朝 の 風 景
12    裁 判 傍 聴
13    映 画 へ GO !
14  チャリンコに乗った王子様
15  ギター・レッスン 続編 
16    日 本 語 の 力
働 く 人 々

    
  “普通に、その土地で暮してみる”―このことは、今回の私の渡豪・留学
の目的の大きな構成要素でした。言語を習得するためには、その言葉をつくり
上げ、常に影響を与え続けているもの、つまりその国の文化、習慣、人々の考
え方といった、言葉の背後にあるものを理解することが不可欠だからです。海
外滞在歴が今まで一度もない私にとっては、このことは大学で通訳・翻訳の勉
強をすることと同程度に意義のあることでした。大学の日本人講師に、教育者
として、通訳者・翻訳者として、あるいは人格的にも大変尊敬できる先生がお
られるのですが、その先生が先学期繰り返し強調されていたのもまさに、「通
訳・翻訳の勉強は机上の学習に留まるものではない」ということでした。言葉
は生き物、常に変化し続けるものだから、絶えず外に出て確かめることが肝要
である。また具体的な経験を経たことは、記憶にいつまでも残るものである、
というのが先生の持論で、私も全く同感です。

  前置きが長くなりましたが、一生活者として土地の人々と同じように物を
買ったり、食事をしたり、乗り物に乗ったりしなら、少しづつ言葉の背景にあ
る様々なものに触れているというわけです。

  生活者として様々なサービスを享受する際に接する人々、―店員さんであ
ったり、バスの運転手さんであったり―を見ていていつも思うのは、彼らが良
くも悪くもフレンドリーでリラックスしているということです。例えば、何か
買い物をしたとします。  それが昼近ければ、レジの店員は必ず、“ Have 
 a nice afternoon  !  ”と言いますし、金曜日であるなら、“ Have a nice
 weekend ! ”と言うでしょう。ほんの短い一言ですが、なんとも暖かい、気
の利いた一言だとは思いませんか?また、私は小銭入れ用に、極小のハンドバ
ック型をした小さな財布を常用しているのですが、この小銭入れ、とにかくこ
ちらの人々にウケが良いのです。レジで支払いをする際、今まで90%以上の
確率で店員さん達から、「あらまあ、かわいい!」的な反応をもらっています。
場合によっては、 私の次に並んでいる別のお客までもが、小銭入れ談義に加
わって来たりするのです。なんとものんびりしているではありませんか。私も
この頃は誉められるとつい気を良くして、「これは日本の銀座というところの
老舗メーカーのもので、、、」などど、調子に乗ってしまっています。

  近所を走る路線バスも決まった運転手さんが交代で運転しているので、す
ぐに顔なじみになりました。シティに出かける際など、行きも帰りも同じ運転
手さんだったりすることがあり、そんな時は「シティで何してきた?楽しかっ
たかい?」などど声がかかります。何か良いことがあった日なら、「あのね〜、
今日はシティで、、、」などと、まるで父親にでも語って聞かせるかのように
話し出している自分がいます。まあ、これは田舎だからでしょうね。

  これらはフレンドリーさの良い面。全ての物事に長短があるのは、この点
に関しても同様です。こちらに来た当初、家族や食べ物よりも強烈にまた切実
に恋しく思ったものは、日本の店員の正確で迅速な処理能力でした。こちらで
はほんのちょっとした用事を足すのにも、 長い長い行列 ( queue) に並ばな
ければなりません。そして、間違いもすごく多いのです。そして、お察しのと
おり、長い行列の一番の原因は上述のフレンドリーさ、悪く言えば「ちんたら
仕事をする」勤務態度です。店員は、列がどんなに長く続いていても意に介さ
ず、マイペースで処理をします。お客との間に上下関係や緊張感は殆どないと
いって良いでしょう。始めの頃は、「なんでこんな些細なことにこれだけの時
間がかかるのか」と、1日に何度もキレていたものです。

  そんな私でしたが、わずか4ヶ月でだいぶ変わってきたようです。今は逆
に日本の店員の寸分の隙もない態度に遅れをとるまいと、プレッシャーを感じ
てしまうかもしませんね。つくづく自分が順応性のあるタイプだなと、可笑し
くなってしまいます。周囲の知人や束の間出会う人々に接しながら、少しづつ
人々の考え方に触れているうち、日に日にこの国が好きになっています。好き
で来た国ではありませんでした。行きたい大学があり、学費と生活費が他国に
比べて安かった、ただそれだけの理由でした。なのに、不思議なものですね。
1年の予定の留学ですが、帰国の頃、一体自分はどんな思いでいるだろう、そ
もそも帰ることができるのだろうか、などど親が聞いたら気絶してしまうやも
知れないことを、ちらほら考えている、近頃のマッキーなのです。

                            (6月27日)

      
10    ギターの調べ

    
  一番のピークは、先学期が始まって一ヶ月が過ぎた4月初めだったと思い
ます。引越先の生活にも慣れ、ようやく落ち着いて勉強できる体制が整った頃
でした。

  ちょうど一番初めの大きな課題の締切りが目前に迫っていて、さあやるゾ!、
と毎日机に向かう日々が続いていました。なのに一向に筆が進まない、文献も
集まらない。初めはため息、それが絶叫に変わっていきます。こんな時は、思
いきって出かけたりすれば心身ともにリフレッシュでき、新しいアイデアも浮
かぶというものなのでしょうが、そこまで器用に立ち回れる程の余裕はありま
せんでした。何かしようにも何ができるか知らないし、何かするにはお金がか
かる。それで結局は毎日家に篭って机に向かうということになっていたのです。
日に日にウツの度合いが高まっていきました。

  そんな時、唯一の気分転換は音楽でした。日本から持ってきた数枚のお気
に入りCDを繰り返し聴いては、なんとか生き延びていたような気がします。
そして、「こんな時、何か楽器が弾けたらなあ」と思うに至ったわけです。私
は、以前バイオリンをやっていたことがありましたが、今回は楽器を持ってき
ませんでした。それに、近所の迷惑にならないような音量の楽器でないと困り
ます。お気に入りCDの中の、ジョアン・ジルベルトの名調子を聴きながら、
「ギターはどうだろう?」と、ギターの調べに惹かれていったのです。

  とはいえ、学期中は授業の準備と課題をこなすのとで精一杯。とても趣味
に時間を割くことはできませんでした。それでも水面下では着々と準備を進め
ていました。 ギターを教えてくれそうな人が知人にいないか、また地域のフ
リー・ペーパーや音楽情報誌の「教えます」欄もさりげなくリサーチしていま
した。すると運良くクラスメートの知人にプロのギタリストがいて、レッスン
をしてもらえることになったのです。楽器は中古を探そうと思っていたので、
その先生になる人に相談すると、行きつけの楽器店にあたってくれ、その店に
中古の出物があるとの情報を得たのです。中古とは言え、$195。来豪以来、
最も高額な買い物です。私は、こちらで一番信用を置いている友人に同行を依
頼しました。その$195のヤマハの中古は見映えこそしませんでしたが、店
主が他の新品でもっと高価なギターと弾き比べるのを聴くと、なんとなく音に
深みがあるような気がします。長くピアノを習っていたと言う友人も、「もし
今後これを売ることになっても、同じかそれ以上の値で売れる」と言います。
私は、この子を手に入れることにしました。

  そして、ギターを習おうと思い始めてから約3ヶ月後。期末試験が全て終
了した日の翌日、初レッスン日を迎えました。「全くのゼロからのスタートな
んです」 ( I have to start from scratch.)と、少し心配しながら言うと、
「みんなそうだから」( Everyone stars from scratch. )という頼もしい答え
が返ってきました。しかし、ドレミからのスタート、彼も大変な生徒を引き受
けてしまったものです。ストレスを解消できるレベルに達するまでには、まだ
しばらくかかりそうですが、好きな曲の弾き語りをする日を夢見てぼちぼち練
習していこうと思っています。

  そうそう、実は身内にいたのです、ミュージシャンが。
  マッキーの妹、
      「たけうちたけのこ」の次回ライブの予定が決まりました。

       9月7日(日)
           「よるのひるね」(阿佐ヶ谷駅より徒歩2分)
           17:00 オープン 17:30 スタート
           電話 03−6765−6997
       http://members.jcom.home.ne.jp/yoruhiru/index.html

  ボサノバを中心とした十数曲を予定しているそうです。声に透明感があり、
  高音部には思わず引き込まれそうになる、などと書いたら少々誉めすぎで
  すね(笑)。しかしなかなか聴かせてくれます。いつかはマッキーも腕を
  上げて、たけのこと姉妹共演といきたいところです。お時間があったら、
  ぜひお出かけください。                       
                       (7月1日)

          
11    朝 の 風 景 
  期末試験が終わったすぐ次の週から、シティにある会社でワーク・トレー
ニングをすることになっていました。 これは、裁判傍聴と同様、 Practicum
(実習課目)の授業の一環として、大学側から義務付けられているものです。
外部の企業や団体に赴いて、通訳あるいは翻訳の業務を10日間体験するとい
うもので、私はある人材派遣・ビザコンサルタント(移民手続きに関するコン
サルタント) 業を専門とする企業で特に移民関係の書類の翻訳をすることに
なっていました。この研修の中身については、また別のお話としたいと思いま
す。

  これはもちろん無給での研修ですが、私はこの機会を大変楽しみにしてい
ました。実際の仕事についても、まあそうですが(笑)、毎朝電車に乗ってシ
ティに通えることがうれしかったのです。3ヶ月も片田舎にこもって歩いて大
学に通っていれば、少しは都会の空気が恋しくもなるというものです。

  オフィスは、一番の目抜き通りジョージストリート沿いにあり、まさにシ
ティの中心部に位置していました。ここに9時に着くためには7時少し過ぎに
家を出ることになります。朝、玄関のドアを開けると、まだ外は薄暗く凛と静
まり返っています。頬にひやりと冷たい初冬の空気が触れると、なんとなく身
が引き締まる思いがします。バスで最寄駅へ。乗客はいつも同じメンバーのよ
うで、私も2日目からはお馴染みとなり挨拶をするようになっていました。シ
ティへは空港を経由して電車で約40分。大抵は始発なので座れますが、終点
のセントラル駅近くになると通勤客や高校生等がどっと増え、立つ人も出てき
ます。しかしそれもさほど多くはなく、日本の殺人的な通勤ラッシュとは雲泥
の差があります。

  タウンホール駅で下車。シティーのランドマークの一つであるクイーンビ
クトリア・ビルの地下街を通ってオフィスを目指します。が、朝早くから多く
のカフェが既に営業を始めていて、たいていはその良い香りに誘われて、その
日一杯目のカプチーノを手にすることになるのです。通りを慌しく行き交う人
々を眺めながら、1日の流れを思い描いたり、この原稿を書いたりして過ごす、
20〜30分が1日で一番好きな時間でした。

  オフィスはクラシカルかつゴージャスなビルにありました。 エントラン
ス・ホールでは凝った装飾の施された時計が時を告げていて、荘厳な雰囲気を
醸し出しています。と同時に築40〜50年は軽いだろうと思われる程の年代
物のビルでもありました。ロレインもこのビルのことを良く知っていて、なん
でも彼女が19才で単身クイーンズランド州の田舎から出てきた際、二度目に
勤めた会社がこのビルに入っていたそうなのです。ロレインは既に還暦を迎え
ていますから、ビルの歴史の古さにもうなずけるというものです(ロレイン、
ごめんなさい)。

  エレベーターで9階まで上がると約一時間半の通勤の旅が終了です。ただ
このエレベーター、上昇が滑らかでなくいつもガクンと急に止まるので、毎朝
胃がむかむかする思いをしなければ事務所に辿りつけないのでした。私は「恐
怖のエレベーター」と名付けていましたが、これさえなければなかなか快適な
朝の通勤だったと言えるでしょう。
                (7月3日)

      
12    裁 判 傍 聴

    
  通訳と聞いて皆さんが思い浮かべるイメージはどんなものでしょう。一言
で通訳と言ってもその活躍の場は多岐に渡ります。国際会議等の会議通訳、海
外のニュースを同時、あるいは短時間の加工時間の後に通訳する放送通訳、ビ
ジネスの場での通訳、観光ガイド通訳、スポーツ通訳、ボランティア通訳、そ
してコミュニティ通訳。 多文化国家であるオーストラリアではこのコミュニ
ティ通訳の需要が最も多いように見うけられます。移民としてこの国にやって
きた人々が、この国で生活の基盤を築いていこうとする時、先ず直面するのは
言葉の問題でしょう。そうした彼らの言葉の壁を取り去ってやるのがコミュニ
ティ通訳の任務であり、主なものとして司法通訳(裁判所での通訳)、医療通
訳(病院での通訳)が挙げられます。そして私が現在学んでいる、西シドニー
大学通訳・翻訳グラジュエート・ディプロマ・コースでは通訳の一般的な理論
や技能に加え、「司法通訳」、「医療通訳」という講義があり、コミュニティ
通訳を重点的に学んでいるといった按配なのです。

  「司法通訳」は先学期、「医療通訳」は次学期の履修となります。「司法
通訳」はレクチャーと呼ばれる全語学合同で受ける講義と、チュートリアルと
呼ばれる語学別のゼミ形式の授業から構成されていますが、そのチュートリア
ルは、今学期の全ての授業の中で間違いなく、最も予習に時間を割き、最も授
業中に胃がキリキリし、最も授業終了後の疲労感が激しかった科目でした。翻
訳のようにたっぷり時間をかけ質の高いアウトプットを要求される仕事とは一
線を画し、瞬時に適切な訳出をしなければならない通訳は、非常な集中力を要
し、その精神的な消耗にはすさまじいものがあります。3時間のチュートリア
ルが終わる頃にはいつもぐったりしているのが常でした。加えて、この国の司
法制度は元より、自国のそれについてもかなり貧弱な知識しか持ち合わせてい
なかった私です。毎回授業で扱う題材を下調べする度に、いかに日本の制度あ
るいは現状に関しても無知であったかを痛感することになったのでした。日本
について知らない−このことは日常生活の様々な場面でも感ずることでした。
よく言われることですが、外国に出るとあらゆる場面で自国の代表者のように
見なされ、何かにつけ「あなたの国ではどうか」との意見を求められるように
なります。日本にいた時より、日本人であることを意識するようになったのは
そのためでしょう。ある日の授業で、犯罪者の更生問題を扱ったことがありま
した。犯罪者の更生に長年携わってきた元大学教授をゲストに迎え、質問をし
貴重な経験をお話いただき、そのやりとり全てを交代で通訳することになって
いました。もちろん通訳役は大変です。ですが、それと同様に苦労したのは「
何を質問したらいいか」ということでした。この国の犯罪者更生問題を質問す
る上でヒントになるはずの、自国での状況についての知識が皆無であったから
です。頭を抱えた私は、高校の同級生で少年鑑別所で法務教官として勤務して
いる友人に電話をかけ、なんとか質問の手掛かりを得たのでした。

  そんな折、裁判の傍聴に行ってきました。これは実習課目の課題のひとつ
で、最低5日間裁判所に見学に行くというものです。5月の下旬のこと、クラ
スメートと共にキャンベルタウンにある治安判事裁判所(Local Court)へ行っ
てきました。

  ここで少しだけ豆知識。オーストラリアの裁判所制度は連邦最高裁判所を
頂点に、連邦系列と各州系列とに二分されます。前者には連邦裁判所と家庭裁
判所があり、後者には州最高裁判所、地方裁判所、治安判事裁判所があります。
よって今回傍聴したのは、各州系列の第一審レベルの裁判所と言うわけです。

  この治安判事裁判所では比較的軽度の犯罪を取り扱います。 連日多くの
ケースが取り扱われるので、法廷には開廷前から審理を待つ人々でごった返し
ていました。一部を除き、法廷は一般公開されていて、関係者や私達のような
学生が傍聴できるようになっているのです。法廷に入廷すると治安判事が正面
を向いて座っています。中程には治安判事に向かって、公訴局検事と被告ある
いは被告の代理人(弁護士)がいて、起訴の内容を読み上げたり証拠を提示し
たりします。その他に法廷内には、書記官、事務職員、保安官らがいてそれぞ
れの役割をこなしています。傍聴人の席は入り口近くにあります。また、オー
ストラリアには陪審制度がありますが、治安判事裁判所には陪審員はいません。
陪審制度は一段上級の地方裁判所からとなります。また判事や弁護士らがかつ
らとウイッグを身に着けるのも地方裁判所からです。これは権威付けのためと、
昨今判事に対する怨恨から殺傷事件が起きているため、人相を判りにくくする
ためとの説もあります。さらに、場合によっては証人がいる場合があります。
そして、被告や証人が英語の話せない人であった場合、通訳の出番となるわけ
です。残念ながら、今日は通訳付きの審理を傍聴することはできませんでした
が。

  さてさて、法廷に足を運んで実況中継さながら実際を目の当たりにすると、
今までの文献のみによる平面的な知識が、色がつき形となって生き生きと現れ
出でてくるのがわかりました。これぞ、百聞は一見にしかず、でしょう。法廷
は、次から次へと休む暇なく審理が続き、深刻なケースも多く、なんとも重苦
しい雰囲気が立ち込めています。司法通訳は被告や証人の発言を文字通り正確
に訳すことはもちろんのこと、彼らの話振り(Register)をも訳出することが要
求されています。メモを取っている時間的余裕もなく、また裁判が長時間に及
ぶことも往々にしてあります。それも立ったままで。司法通訳はかなりの3K
労働であると言えるでしょう。クラスメートの、「仮に司法通訳ができる能力
があったとしても、自分にはこの仕事ができるかどうか、、、」という意見に
私も賛成でした。幸か不幸か、オーストラリアでは日本人の通訳者が必要な裁
判はあまりないようです。
                      (7月6日)
13    映 画 へ GO !

    
  関係者の方々には大変申し上げにくいのですが、、、言ってしまいましょ
う。「この大学にはナイスガイが少な〜いッ!!」そうなんです。常にさりげ
なく目を光らせているものの(笑)、いないんですね、マッキーをうならせる
ようなイケメンが、、、。クラスメートのよしえさんとは、「大学内王子絶滅
説」をしばしば嘆き合っていました。ましてや通訳・翻訳コースは女性比率が
約70%以上。事態はもっと深刻です。

  そんな危機的状況の中にあって、キラリと異彩を放っていたのが、フェデ
リコでした。彼は同じコース(スペイン語)の学生で、授業中も良く発言し、
また背も高く目立つ存在でした。なんとなく挨拶程度は交わすようになってい
たものの、皆同じ言語グループで行動する傾向が強く、話をするチャンスはあ
りませんでした。そんな中、よしえさんと私の、「フェデリコと友達になりた
い」との願いが天に届いたのか、期末試験の最後の課目が終わった日の午後、
どういうわけか、とんとん拍子でフェデリコとよしえさん、わたしの三人で映
画を見に行くことになったのです。試験が終わった開放感、そして続く5週間
の学期間休み、願いが叶ってフェデリコと友達になれ、おまけに最高のお天気
の中、映画へGO!というわけで、私達はかなり上機嫌でした。

  折しも、国際映画祭であるシドニー・フィルム・フェスティバルが開催中
で、私達は出品作の一つである、フランス映画「フライデー・ナイト」を見る
ことに決めました。私は普段から映画はまっさらな状態で見たい性質なので、
極力レビューは読まないようにしています。だから、この映画についても恋愛
映画という位にしか認識していませんでした。

  さてさて、3人でシティに繰り出し、会場のステイト・シアターへ。驚い
たのが、仮にも国際映画祭だというのに、その看板があまりにもささやかで目
立たないものであったことです。しかも、その入り口の小さな表示以外に、こ
の映画祭の存在を知らしめるものは見当たりません。このひっそり感にはちょ
っとびっくりでした。

  そして本編上映。思えば、来豪以来初の映画でした。やっぱり映画は良い
な〜と、嬉しくて仕方がありません。ただこの映画、恋愛映画以上のものだっ
たようで、、、。一人の孤独な女が、金曜の夜一人の男と出会って、お互いを
求め合い再び離れて行く、といういたってシンプルな筋書きのものだったので
すが、ほぼ全編が愛し合うシーンでした。それもかなり濃厚な、、、。そして、
これがその濃厚な恋愛映画を見終わった直後の3人です。


From left, Yoshie, Fedelico and Macky
  何か起こりそうで大した事件が起こらないまま、ひたすら愛の行為を繰り 返して終わった作品でしたが、画の切り取り方が巧みで添えられている音楽も 相応しく、退屈はさせられませんでした。また主演の女優、男優ともに上手く、 それぞれ独特の雰囲気を持っている役者さん達で、絡むシーンにいやらしさを 感じさせませんでした。マッキー的には、65点というところでしょうか。   映画の後、カフェへ。フェデリコはメキシコ・シティー出身で、なんと現 在キャンベラ大学の修士課程の学生でもあるとのこと。この二足の草鞋には、 か〜な〜りびっくり。恐るべしフェデリコ。さすが私達が目をつけただけのこ とはあります。フェデリコ曰く、メキシコ・シティーは、人工増加が激しく、 それに伴なう土地の価格急騰、水不足、水質汚染、大気汚染など、住環境が大 変悪化しており、また役人の汚職、賄賂も横行しているとのこと。自分は、そ んな住みにくいところで家族を持ちたくない、自分の子供に汚れた水を飲ませ たくない。というわけで、オーストラリアでの永住を目指してこの国にやって 来たそうなのです。   メキシコ・シティーという遠い場所について、今まで何も知りませんでし た。考えたことすらあまりなかったかもしれません。留学の財産の一つは、こ うして様々な国々から来ているクラスメートと知己になれ、知らなかった場所 を身近に感じ、見識を深めることができるということなんですよね。
                       (7月7日)

          
14    チャリンコに乗った王子様

    
  マウンテンバイクを手に入れました。ブレットが連れて行ってくれた近所
のKマートで、激安セール品を$70でゲット。型落ち品ですが、どこから見
てもまともなマウンテンバイク。変速も18段付いています。それで$70と
は何とも安いではありませんか。盗難防止のカギ、夜間走行用のライト、そし
てこちらでは法で着用が義務付けられているヘルメットをオプションで購入。
ヘルメットがあまりにも不似合いで、鏡を見て自分で吹いてしまいましたが、
法令なので致し方ありません。罰金を取られるよりましです。

  自転車はずっと欲しかったのです。Uniへも早足で20分かかっていま
したし、シティへ行くのも、先ずは約1時間に一本のバスで最寄の駅に出なけ
ればなりませんでした。マウンテンバイクなら、Uniへは5分とかかりませ
ん。これからはいつでも好きな時間にシティに行けますし、最終バスの時間を
気にすることもありません。馴染みとなった運転手さん達と会えなくなるのは
少し寂しいですが、ぐっと自分の行動範囲が広まったようで嬉しくなってきま
した。

  先ず、シティに出る時は自転車をどうしようかと考えました。駅には州が
管理している自転車ロッカーがあります。自転車を中にすっぽり入れて施錠す
るもので、安全な上、雨風もしのげますが、3ヶ月で$100(内、$50は
敷金なので戻ってきますが)。そんな大金、とても出せません。それで駅近く
の、これはと思う家を“米助の夕食ばんざい”よろしく、突然訪ね、裏庭に自
転車を置かせてはもらえないかと頼んでみました。幸いな事に、扉を叩いた家
の老婦人は、不意にやってきた見知らぬ日本人の申し出を快く受け容れてくれ
たのでした。

  自転車で行動するようになると、今まで常用していた肩掛けバックの代わ
りに、久し振りにリュックサックの登板となりました。こちらに来たばかりの
頃はまだ暑かったこともあり、殆ど毎日ワンピースを着、ミュールなど履いて
いましたが、今では毎日ジーンズにセーター、リュックサック、靴はワラビー
。すっかり、学生のいでたちです。あっ、そうそう、髪も短くしました。セミ
ロングのワンレングスだったのですが、今は超ショートです。カットした時、
切り落とされた髪で足元は一面真っ黒な絨毯のようになっていました。あまり
の髪の量に、美容師さんと、「この髪、何かの役に立たないもんですかね」と
笑ったほどです。かなり印象が変わったようで、髪を切った日に図書館でかつ
てナンパしてきた学生とすれ違ったのですが、先方は全く気付かずでした。

  風を切って走っていると、走っている自分の姿が、外見も内面も約10年
前の日本での大学生の頃の自分と重なり合うのを感じます。当時玉川近くの世
田谷に住み、白金台の学校へも(学校の近くに住んでいた先輩の家に自転車を
置かせてもらい、というのも似ていますね)、銀座のバイト先へも自転車で通
っていました。今思うと、なんとタフだったかと思います。自分が求めている
ものがあるはずの、新しい世界の扉を開け続けるのが楽しくてたまらない、そ
んな時期の自分でした。10年経って、自分の前にある扉はかなり少なくなり
ました。自分にはどう頑張っても開かない扉があることもわかりましたし、い
つの間にか消えてしまった扉もあります。開けられる扉は本当に少なくなった
けれど、ほんの僅かですが扉を開けてその中身を手の中につかんだものもあり
ます。あの頃と状況は似ているようで実は同じでないことは自分が一番良く知
っています。なにせ、10才も年を取りましたし。ただ、風を切って走ってい
ると、ひとつのことに思いが及びます。「私は、扉を開けるためにこの場所に
立ったのだ」と。

  などと瞑想にふけりながら家路に向かっていたところ、突如ガクッという
衝撃に続いてガラガラと不快な音。見ると、チェーンが外れているではありま
せんか。そういえば、ギアの切り替えもスムーズに行かないし、グリップはす
ぐ外れそうになるし、やはりこの子は$70なりの働きしかしてくれないのか
しら。それにしてもどうしよう、チェーンなんてどうやってかけたらいいのだ
ろう、と途方にくれていた時です。「大丈夫?」と後方から声がします。まさ
にこれは、ゲレンデで転んだ女の子のもとにナイスガイがシュプールを描いて
颯爽と駆け付け「お嬢さん、大丈夫ですか」と助け起こすといったシチュエー
ションです。しかし振り返った先に見たものはスキーヤーではありませんでし
た。当たり前ですが。かといって、ベンツに乗った王子でもありません。

  自転車というより、チャリンコという表現がぴったりな小型の自転車に乗
った小学校低学年とおぼしき少年が立っています。「それ、直せる?」と少年
。「だめ、できない。どうしようかと思っていたところ」と私が答え終わらな
いうちに、少年の手がささっとチェーンに伸びています。「家の父さんも上手
よ」見ると少年の背後には妹らしき女の子もいます。あっという間にチェーン
が元通りになりました。「名前、何て言うの?」と訪ねると、「アンディだよ
」「アンディ、本当にありがとう」とお礼を言うと、「いいんだよ。じゃあね
!」とアンディはにっこり笑って、妹と共にびゆんと走り去って行きました。
とても気持ちの良いお天気の日でしたが、アンディが笑うと日差しが一段と輝
を増したような感じがしました。なんとも爽やかな王子様の登場でした。

  私が住んでいる辺りは田舎だからでしょうか、子供達も素朴で、私が自転
車で普通に走っているだけでも、「Hi!」などど見知らぬ子供が声を掛けて
来たりします。ギターのレッスンはギターを背負って自転車で行くのですが、
その時は声が掛かる倍率が5割増しとなります。子供はギターに興味を覚える
ようなのです。日本ではそんなことはありませんよね。声を掛けることはなく
ても、路上でチェーンが外れて困っている外人を親切に助けるアンディのよう
な爽やかな子供が日本にもいることを願います。
                        (7月28日)
15    ギター・レッスン 続編

    
  先学期の終わり、6月の中旬に始めたギター・レッスン。コードやポジシ
ョンを少しづつ覚えながら、 かつ楽しみながら学べるよう、先生のジェフは
「3コードで弾ける名曲シリーズ」を次々と伝授してくれています。レパート
リーは、ビートルズの Twist & Shout、 Love me do それにエルビスの Love 
me tenderと増えてきました。勉強時間より長いとまではいきませんが(そう
なったら問題です)、この頃は朝夕2回はギターに触れています。

  そもそもギターを始めたのは、主に勉強から来るストレス解消のためでした。
何か気晴らしになるものを見つけようとは、かねてから考えていたことでした。
勤めていた会社を辞めた時のことです。秘書としてついていた役員が送別会の
席でこんな話をしてくれました。彼は数十年前、三十代前半で社命によりドイ
ツへ留学しました。渡独後、語学の上達が面白いほど順調で、「自分はひょっ
として語学の天才なのではないか」と思うこともしばしばだったそうです。元
来聡明な人物です。それもさもありなん、といったところでしょう。しかし、
そんな彼でも時に、スランプとでもいうのでしょうか、がつんと厚い壁にぶつ
かったかのような停滞を感じることがあったといいます。始めは自信を失った
りしたそうですが、そのうち彼は停滞期をうまくやり過ごす術を見つけました。
ドライブが好きだった彼は、ドイツで運転免許を取得し(この運転免許試験の
話もまた興味深いのですが今回は割愛します)、休日にはドイツのアウトバー
ンを思いきり走ったそうです。語学うんぬんとは全く別の世界に一時身を置い
て、他のことは全く考えずドライブを楽しんだそうです。それがとても良い気
晴らしになったのだと。 だから、君も本業の勉強とは全く関係のない趣味を
持って、 上手に精神面の管理をすることだよ、というのが彼がくれた最後の
メッセージでした。

  残念ながら、私は彼のように「自分は語学の天才か」と感じたことは一度
もないのですが、今こうして楽しみながらギターに触れていて、彼の言ったこ
とが本当に良くわかります。「練習しなければ」「覚えなければ」「うまくや
らなければ」といった切迫的な義務感から無縁の、自己を解放できる世界、純
粋に自分の楽しみだけのための世界とはこれほど心地よく甘美なものかと実感
します。そうした解放された世界を生活の一部として持つことは、本来の世界、
緊張感を持って戦うべき世界での自己に、非常に効果的に働きかけます。先ず、
前期感じたような慢性的なストレスをあまり感じなくなりました。感じたとし
ても、ひとたび解放された世界に身を置くと、いったん体にまとわりついたス
トレス粒子が消失するように感じます。ギターという強い味方を得た今学期は、
ちょっとやそっとのストレスには負けないことでしょう。

  ジェフ直伝の「3コード名曲集」ばかり練習しているのに少し飽きた頃、
シティの楽器店 Allans Music に足を運びました。大きな店だけあって、様々
な楽器・ジャンルの、初心者向けからプロ用のものまで、ありとあらゆる楽譜
が揃っています。当初「誰でも弾けるギター」的な、やさしい練習曲が入った
ものを考えていました。しかし、こういうところに来た時、ひととおり棚を全
て見て回らないと気が済まない私の習性で、この日も他の書棚を見てぷらぷら
と歩いていました。すると、見慣れた写真が目に止まりました。イブライム・
フェレールがくわえ煙草で街角を俯き加減で歩いている、あの写真です。もう
おわかりの方もいらっしゃるでしょう。それは、映画「ブエナ・ビスタ・ソシ
アル・クラブ」(監督ヴィム・ベンダース)の全曲が収録された楽譜でした。
この映画が日本で公開されたのは確か2000年の夏だったと記憶しています。
イブライム・フェレール、 コンバイ・セグンド、 ルベーン・ゴンザレス、
オマーラ・ポルトゥオンド、 エリアデス・オチョアら、キューバの老ミュー
ジシャン達を追ったドキュメント。彼らのそれぞれの人生と、彼らが奏でる、
それはもう素晴らしい演奏の数々。映画館で直ぐに買い求めたサントラCDは、
その後もずっとお気に入りの一枚で、シドニー行きの荷物にも迷うことなく収
められました。そしてまさにその時もウォークマンで聴いていたのでした。こ
の瞬間、「やさしい、、、」は却下され、「ブエナ・ビスタ、、、」購入が決
まったのでした。収録曲が果たして自分に弾けるのか、というかなり重要な点
についてあまり考慮せずに買ってしまうところが、いかにもマッキーの性格を
物語っています。

  支払いのためレジへ。前の客が concession( 学割)を受けていたので、
私も「学生なんですけど」と言ってみると、レジにいた彼は「学部は?」と聞
いてきました。つまり、音楽をやっている学生でないとだめなんですね。残念。
「どこの学校?」「UWS」「ああ、僕もUWSだったんだよ。どこのキャン
パス?」レジの彼は話し好きなのか、会話が続きます。「ブエナ・ビスタ、、
、」を見て「最高の音楽だよね。最近、ピアニストが死んじゃったけど」と彼。
何だって〜っ!!!イブライム・フェレールの美声も、コンバイ・セグンドの
ギターもいい。でも私が一番魅了されているのは、まさにそのピアニスト、ル
ベーン・ゴンザレスです。なんて表情豊かなピアニストなのだろうと。軽やか
でかつ力強く、少女のようだと思うと、時に妖艶で。まぶしいほどの陽気さと
うらぶれた寂寥感との対比もそれはそれは見事です。その彼が。そんな、、、。
何も知らなかった、、、。

  やはり、田舎にいていろいろと情報に疎くなっていたのだわ、反省も込め
つつ訃報の詳細を知ろうと、ユニに戻ってネット・サーフィンを始めたのです
が。形跡がないのです。氏が亡くなったという形跡が。彼ほどの音楽家です。
もしそれが事実なら必ずメディアで報道されているはずです。さてはレジの彼
の「ガセ」だったのか。それならそうであって欲しい。あの素晴らしい才能が
まだこの世にあることを祈って。
                            (8月10日)

  PS:本当のところ、どうなんでしょう。私はまだ、事実を確認していま
せん。ご存知の方、マッキー宛てにお便りください。

      
16    日 本 語 の 力

    
  外国に暮すメリットはその国で話されている言語に全身どっぷりと浸かれ
ることだと思います。新聞雑誌に始まって、無料のカタログ、パンフレット等
読むものはいくらでも周りに溢れています。テレビ・ラジオをつければいつで
も英語が流れてきます。一歩表へ出ればそこは教材の宝庫。電車に乗れば乗客
の世間話でヒアリングの練習ができます。買い物をしたり、食事をしたりとい
った単純なサービスを受けるだけでも会話の練習になります。ましてや不運に
も交渉事やトラブルなどに見舞われたりなどした日には、話も込み入ってきて
口調も早くなるでしょうから、上級レベルの会話練習になるでしょう。できる
ことならあまり経験はしたくないですが(笑)。つまり、外国に住むというこ
とは「英語学習館」とでもいうテーマパークに24時間いるようなものなので
す。日本では洋書の入手もネイティブ・スピーカーの友人を作るのも困難でし
たので、シドニー滞在9ヶ月になろうとしている現在でもなお、「自分は今外
国にいるのだ。英語のお風呂に入っているんだ」という事実が嬉しくてたまら
なくなると同時に、この好機をもっともっと利用せねばという気持ちになるの
です。

  ただ、通訳・翻訳の勉強をしている私にとっては、英語の運用能力だけを
磨くのでは不十分なのです。通訳・翻訳は対応する2言語に秀でていなければ
ならないからです。そうなんです、日本語力、なんです。日本語力を磨く−こ
のことは、通訳・翻訳の勉強を始めた当初はその重要さに気付かず見落として
いた点でした。特に問題となるのは時間をかける分、高い質を要求される翻訳
の勉強をしている時です。英語から日本語に訳出している時、自分はなんと日
本語の表現力がないのだろう、手持ちの語彙が少ないのだろうと頭を抱えてし
まいます。実際、辞書を引くのも英和辞典より広辞苑の方が多い時もあったり
します。

  前述したように、「英語のテーマパーク」にいてその恩恵を受けている分、
日本語に接する機会は各段に減っているわけです。日本語力が日に日に衰えて
行くことを感じていた頃、シティのタウンホール図書館で久し振りに和書と出
会いました。シティの中心部に位置するこの図書館には、 日本語の図書コー
ナーがあるのです。蔵書の殆どは、恐らく滞在者の寄贈によるものなのでしょ
う。殆どが古本ですし、図書の顔ぶれには明かに偏りがあります。しかしその
偏りある蔵書の中から、私は大好きな夏目漱石の作品を数点選び取りました。
帰宅するなり、私は「坊ちゃん」を声に出して読んでみました。何年か前、斉
藤孝氏の「声に出して読みたい日本語」という本がベストセラーになりました。
私はこの書を読んでいませんが私は斉藤氏がその著書で言わんとしたことがわ
かるような気がします。なんて美しくて力のある日本語なのだろう。なんて論
理的で判りやすい日本語なのだろう。わけても、坊ちゃんが、やまあらしと共
に宿敵赤シャツと野だを成敗し、四国を後に再び上京。鉄道技師となり、下女
の清の最後を看取ったくだりが語られている結びは瑞々しさとリズム感に溢れ、
何度も読み返してしまいました。漱石の名文は、あたかも枯れた砂漠の大地に
染み入る恵みの雨のようにマッキーを潤してくれました。「坊ちゃん」に続き、
私は「こころ」「それから」「三四郎」「彼岸過程」といった作品を次々と借
りることになりました。声に出して読むことで日本語の美しさが改めて実感さ
れ、初めて読んだ時以上の感銘を受けることになったのです。100年程前に
書かれた書なのに、1ミリたりとも古さを感じさせない漱石の筆力。それは、
英語的思考による論理性がひとつの要素だと思います。皆さんご存知のとおり、
漱石はロンドンに留学しており英文学の造詣が深く、翻訳もかなりこなしてい
ますから。そしてもう一つ重要なのが、確固とした内なる真理への確信です。
時代や他に動じない個人主義を貫いたからこそ、漱石の作品は世紀を超えてな
お新鮮さを保っているのでしょう。最近は漱石の作品を教科書から消す動きが
あるそうですが、残念なことです。いやあ、漱石はやはり素晴らしい。漱石は、
ジョン・レノン、小津安二郎と並んで、マッキーにとってアイドル的存在なの
です。ちょっとメンバーが古かったですかね。

  というわけで、今回は翻訳には日本語力が肝要であるというお話でした。
しかし翻訳に必要なのは今回書いたような言語力だけではないのです。トピッ
クにまつわる背景知識、専門用語、最新情報。リサーチはいくらやっても「こ
れで十分」というラインはありません。つまり、気力・体力も必要になってく
るわけですね。リサーチと気力・体力については、また別のお話にしたいと思
います。まだ入り口に立ったに過ぎませんが、翻訳の奥の深さにようやく気付
き始めたマッキーです。翻訳の神様は望みが高く、そう簡単には微笑んではく
れないようです。                  
                                                     (11月29日)
     
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