海外でのとこや体験 海外から日本に来ている留学生が、日本での生活体験談を語るとき、最も いやだったことは何かと聞かれたとき、銭湯に連れて行かれた時だと話してく れた事がある。日本人も海外に行ったとき、短期の旅行でなく、そこで或る程 度、長期に滞在する時にはやはり避けて過ごせないいろいろな体験をすること になる。上記の留学生ほどではなくても床屋に行くの事も必要になってくる。 私も東南アジアでの滞在生活中、何回かの「とこや体験」をした。 もちろん、そこでは日本語はほとんど通じない。私のように床屋に入った ら「前と同じでいいよ」とだけ云ってすべてをまかせてしまう人間にとっては 何も話す必要はない。だけど、はじめてのお店ではそういうことではすまされ ない。最低でもいくつかの会話は交わす必要がある。シンガポールのラッキー プラザの前のビルに入った時の事だ。そこの床屋での会話は今でも良く覚えて いる。散髪台に腰掛けて二言みこと話し終わったあとで、その理容師の男性が 「失敗したらごめんなさいね」と日本語で云ったのには驚いた。私はどこの国 でも床屋ではそこの理容師を全面的に信用して、まかせてしまう事にしている が今までのところそれであまり失敗した事はない。 それでも散髪の途中では日本との違いが感じられることはときどきある。 今の台北駅は新装なってとてもきれいになったと聞いているが私がいた頃は駅 舎はまだ工事中であった。そこの二階の一角に何度か通った床屋があった。家 族ぐるみでやっているようでときどき昼食時間にぶつかることもあった。そう すると子供も含めて家族全員で店で食事をしている。そうすると、そこの主人 は私にも食べるようにとすすめてくれた。でも私は何時も遠慮してそのすすめ にはのらなかった。今考えてみると良い思い出になったものをと残念に思って いる。そこの床屋で日本とは違うなという二つの小さな体験をした。 まず一つは首筋をかみそりで剃った後にそこのおやじがした事である。日 本では剃る前にその部分にシャボンをぬって、それから剃る。剃った後は濡れ タオルでふき取るのであるが、そこでは次ぎのようにやった。まずシャボンも 何も使わずいきなりそのまま剃る。次ぎに肌に残っている毛髪の切り屑は自分 の口から首筋に勢いよく息を吹きかけて吹き飛ばす。初めにこれをやられた時 にはびっくりした。この方法はその後のマレーシア、タイなどでもときどき経 験した。 次ぎは散髪後、頭を洗うときの事だ。日本とは違って散髪後、頭を洗って もらう人が少ないのであろうか、要は下手なのである。シャンプーをつけてか ら指を毛髪の中ですべらせて洗うという事がうまく出来ない。指で頭を突くよ うにして押すのである、時には手のひらで押される事もある。頭がぐらぐら動 かされて気持ちの良いものではない。その点、日本の床屋さんはどこにいって も上手だと思う。シンガポールでニューオータニの入っているビルに同居して いる予約制の床屋が有ったが、そこは「日本式理髪店」という事で宣伝してい たので行ってみた事がある。さすがこの点、訓練されているようで上手であっ たが料金もそれなりではあった。 床屋で待たされるのが好きだという人は余りいないとは思うが、ものは考 えようでそこを異文化の接点と云うことで活用を考えるのも一つの手だ。現地 のテレビは床屋でなくても見られるが床屋にはその国の新聞のほかに雑誌や、 日本にもあるような大型の写真週刊誌などがいろいろ置かれている事がある。 ときにはマンガなどにも出会える。マレーシアに住んでいた頃、毎月行ってい た床屋ではそれらを読むというよりは見るのを楽しみにしていた。「GILA− GILA」というマレー語のマンガ雑誌は文章は全く読めなくても絵を追って いればストーリーが或る程度分かるし、マレーシアのカンポン(田舎と云った らよいのか)の生活が描かれていたりする。そこからマレーシア人のものの考 え方も見えてくる。 マレーシアは複合民族国家で中国系の人たちも大勢生活している。そのた め中国語のものもたくさん有る。こちらはなじみの漢字であるから中国語の勉 強にもなる。床屋の椅子に座ってそこに出入りして来る現地の人達を観察した り、置かれているさまざまの出版物をながめるのも海外生活のひとつの楽しみ 方である。 次ぎに散髪料金についてふれて見たい。何時だったか初めてのバンコクに 行った時の事である。床屋にそろそろ行かなければという時期にそれが出来ず に日本を出てしまった。次ぎの日曜日に床屋に行くことにしたが、バンコクの 地図は有ってもはじめてのバンコク市内ではどこに良い床屋が有るのか全く分 からない。仕方がないので料金は高いと承知していたがホテルの床屋に入った。 私と前後して子供連れの夫婦も入ってきた。話からオーストラリア人だと分かっ たがそのような人も来る所だから理容技術も問題なかろうと思った。やがて私 の番になって散髪が始まったがどうもその理容師はおっかなびっくりで人の髪 を切っているようだ。切り落とされてくる髪の毛もいつもよりかなり短い。そ れでもされるようにしてやがてそれなりの時間後、散髪は終わった。結果は散 髪前とほとんど変わっていなかった。ホテルの散髪なんてこんなものなのかな と妙に自分を納得させて料金を聞いたが、それは洗髪をせずに250バーツで あった。私が後悔したのは云うまでもない。次ぎの週にあるソイ(バンコクの 行き止まりになっている路地のこと)に入った所で一軒の床屋を見つけた。そ の店の前に台を出してそこで女性の理容師と思われる2人が早めの昼食をとっ ているようすだ。私が散髪して欲しいのだがと云うとその内の一人が食事を中 止してすぐにやってあげるとの事だった。私はそれに直ぐ応じた。手つきはあ のホテルの時より数倍上である。料金は100バーツであった。ホテルの半分 以下ではないか。ところがその後があった。その斜め前にそこより一段きれい な理髪店が有るのを後日、散歩の時知った。勿論、つぎのチャンスに私はそこ を訪ねた。店の内部もきれいで日本のどこかの町の床屋と同じようであった。 料金は60バーツである。どうやら前の床屋は外国人料金を適用したようだ。 それにしても日本の床屋は高いと思う。 (当時1バーツ4円ぐらいだった。 但し、すべて洗髪なしの値段) 最後に今は再開発で取り壊されてそこには無い床屋について話したい。シ ンガポールのオーチャード通りである。二階建ての古い建物の一階部分に有っ た。中に入ると天井がすごく高くこれが赤道直下の建物なのかなと思った。意 外に広い部屋に散髪台が4台ぐらい有ったように覚えている。いつも2人の年 輩の男性が仕事をしていた。その内の70才を越えているかと思われる人が何 時も私の受け持ちのようである。彼は中国語とかたことの日本語、私もあやし げな中国語をまじえていろいろと話しをした。あの太平洋戦争のころは日本の 兵隊たちと一緒に働いた事があるという。ときどき体操をやらされたと云って 散髪台の脇で実演をやって見せてくれた。笑顔の絶えない、いい老人であった。 最後に行った時にはここも取り壊されて今度、ホテルのなかで営業するのだと 云って名刺をくれた。今もあるオーチャード通りのはずれにある有名なホテル だが私はそれ以後そのおやじさんには逢っていない。戦争でかなりつらい事も 有っただろうに日本人の私にやさしく接してくれたのをときどき思い出す。東 南アジアにいる間に全部で20人以上の床屋さんにはあっただろうか。そのど こでも日本ではもう触れる事の出来なくなった生活のにおいと郷愁のようなも のが感じられたのが懐かしい。(macky)もどる