「ポストモダンの経済学 資本主義のコモンセンスをどう読むか」 
エヴァン・ワトキンス=著 嶋矢昌三=訳 ダイヤモンド社 


たまたまこの本の訳者が会社の先輩であることから読み始めたが、うーんこれは読みにくい。
消費は需要としてそこに介在するというコモンセンスによる解釈では、個人が消費において何を手に入れるかということの認識が成り立つ余地はない。そこに市場という概念の再定義を促す動機がある、と要約的に言うことができるだろう。

という訳者はしがきにうなずいて読み始めたのですが、いやいや難解。ところどころにおもしろい記述があるのですがコンテクストを理解するのに時間がかかりすぎます。こりゃあ先輩には申し訳ないけれど売れないな。 


それはともかく、ワトキンスが引用し議論の対象としている文章に、情報の本質を上手に表現しているものがあったので、孫引きする。本書における引用箇所は192P。
「情報は、木がテーブルの原材料であるのとまったっく同じように、知識の原材料である。……情報を知識と峻別する際に認識すべき重要な点は、情報は本からコンピュータのディスクまでさまざまな生物ではない物体の中に発見できるが、知識は人間の中にしか発見できないということだ。……情報は、知識を持った人間がいて生産的な目的に利用しない限り、無用なものである」(Crawford, Richard, In the End of Human Capital: The Emergence of Talent, Intelligence, and Knowledge as the Worldwide Economic Force and What It Means to Managers and Investors, New York, 1991. 10P )

ワトキンスはこれを引用しながら、こうした情報生産の様式は、分業や、メディアの分割を生むといっているようなのだが、わかりにくいのなんのって。嶋矢さんもそうとう苦しんだに違いない。 


Posted @ 水 - 12月 3, 2003   01:38 午後
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