世代間遺産相続としての年金制度 


熱いtOmori さんのコメントを読みながら、年金問題が持つ世代間相互扶助の問題を考えました。
tOmori さんはiBlogのユーザーの間では有名なお助けマンです。"相互扶助"の精神を具体的に実践している人です。
そんないい人ですら、年金の"相互扶助"効果を信じていないのかなあと知りました。
年金問題は幅が広い。
僕は、年金のスペシャリストでもなんでもないのですが、人それぞれに年金の機能についてイメージが違うのだなあと思いつつ、そして、tOmori さんのコメントをかみしめながら、以下のようなことを考えました。
未熟な論点ですが、是非、ご意見をください。年金問題を、政治家たちの未納問題だけでリードするのは、どう考えてもおかしいと思うからです。 


年金問題の一部を構成している大きな問題点は、年老いた結果としてもたらされる体力的、知力的限界点を超えた後、誰が面倒を見るのかという問題でもあります。元気なときは、ほっといても誰かの役に立つかもしれませんが、それができなくなったときに誰が面倒を見るかという問題です。

僕たちの親の時代は、恩恵を受けた元気な子どもたちが面倒を見るというのが原則でした。しかし、なぜか負担がかかるのは長男とか長女でした。家を継ぐのがその人たちであることに何の疑いもなかったからです。そしてその代償として、遺産相続が長男・長女に有利に働くように法律的規範はコントロールされてきた。

でも、いつの頃からか親の面倒を見るのは必ずしも長男・長女の問題ではなく、兄弟・姉妹の問題となり、誰がそれを負担するかの問題になってきた。ほんとうは、お世話になった全員でそれをシェアするべきだと思うのですが……。

それぞれの家族によって違うのでしょうが、だいたいにおいてはそんな雰囲気が生まれてきた。そして、トラブルが増えてきた。つまり、お世話になった親の面倒を支える経済的負担を遺産問題とトレードオフにする際のトラブルが増えてきた。

年金制度は、こうした家族問題と実は裏腹になっているのだと思います。国あるいは社会自身の自己再生産性を維持するためには、あるいはそれを促進するためになんらかの策を講じる必要を感じて年金という制度を打ち出してきたのだと、僕は考えています。年金制度には世代間遺産相続的な側面があるのではないでしょうか。

それぞれの家族には、それぞれの事情があり、またその構成員には生活力、経済力に凸凹があります。年金制度を考えた官僚はそれらを仕分ける基準をすべてお金に換算して配布方式を考えたと思われます。

たとえば、年金受給額には上限があります。これは、多分、元気だった人とあまり元気ではなかった人と年金受給額の格差拡げると問題がおこると考えたからなのでしょう。金持ちは自分自身が元気だったときのストックで生きていけるけど、たまたまなんかの原因で不幸にも貧乏人で終わった人はストックそのものが少ないか、ない。それを同列にして過去の年収金額で格差をつけたら、ちょっとまずいんじゃないのと考えたのだと思います。

どこがまずいのかって? 多分、格差が拡大するとストックが少ない人たちの労働意欲を減じるのではないかと考えたのではないでしょうか。命から命へという生命の連鎖反応にブレーキをかける事態になりやしなかと考えたのではないでしょうか。結果至上主義だけでは、社会を維持できないと官僚たちも考えたのだと思います。

たまたま貧乏に終わったとしても、それなりに頑張って家族を支えてきたのだから、ご苦労さんで年金を払いましょう。そして、どうぞ老後は、家族を扶養する義務から開放されて、安心してお暮らしください、というのが僕がイメージする年金の基本的な役割です。憲法がいうところの「健康で文化的な生活」とは具体的に何を示すのか、いまだにわかりませんが、ひょっとするとこの文言を具体化したのが年金制度なのかもしれません。それくらいのことをしなければ、社会の構成員は反乱を起こす…。

所詮、弱肉強食の世界で暮らしている以上、格差は生じると僕は思っています。でも、社会的動物と進化してしまった僕たちは単なる弱肉強食の論理だけではすみません。弱肉強食でありながらも共存共栄を考えていかなければ、自身の生存は維持されない。そのことを僕らはなんとなく意識しているのではないでしょうか。生存を維持するために、金持ちは貧乏人を必要とし、貧乏人は金持ちを必要としているのです。

なんていうか、社会は基本的に持ちつ持たれつのリンク関係で構成されているのです。たまたま金持ちはリンク関係が大きい結果としてお金のやりとりが多く金持ちになっている。貧乏人はリンク関係が少ない結果としてお金の行き来が少なく貧乏人となっている。社会はその総体として成立しているのだと僕はイメージするのです。

年金制度は、実はそんな社会の円滑油なのではないでしょうか。リンク数が大きいから、少ないからではなく、全体としてのリンク力を失わないためのリンク促進剤として年金制度を捉えることができるのではないでしょうか。前回「年金問題は運用方法についても議論するべきだ 」と書いたのは背後には、こんなイメージがあったのです。

年金問題は受給額の問題や受け取り開始時期の問題だけではなく、その機能にも注目すべきなのです。世代から世代へと変動していくなかで、リンクしたりされたりの関係が断絶して社会がぎくしゃくしないようにするためにも、年金問題はもっと議論を深めるべきなのです。

とりあえず問題なのは、その考え方を実施するにあたっての世代間の不公平感です。年金制度がいけないのではありません。人口構成が逆ピラミッド化しはじめているとき、若い世代の年金負担率が大きくなることは冷厳な事実です。しかし、その結果として旧世代と新世代が対立しリンク率が下がることは社会総体としては望ましいことではありません。知恵や知識は上手に相続されてこそ全体の効率を高めるのです。年金制度は世代間遺産相続の促進をも意識して議論されるべきだと僕は思っています。

たしかに、tOmori さんのコメントにあるように、「現状の日本の年金制度は「相互扶助」の看板を掲げながら、○○年収めないともらう権利を失いますよ、または保険料が下がってしまいますよ、と半分脅しつつ、ニンジンをぶら下げている所になんとも言えない胡散臭さ」があります。しかし、その胡散臭さとは別に、機能的側面への注目を忘れてはならないのだと思います。

つい、tOmori さんの "熱さ"に刺激されて思わず書き込んでしまいました。
 


Posted @ 水 - 5月 19, 2004   03:14 午前
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