コミュニティ放送の妄想に取り憑かれてしまった
1週間ほどBlogのエントリーをおろそかにしていたらその効果てきめんで、あれよあれよという間にサイトメーターのカーブは右肩さがりになってしまった。訪問者が1万人を超えたあたりでちょっと一息のつもりでいたが、ちょっぴり残念だ。 エントリーがおろそかになった理由はさまざまあるが、最大の理由はある妄想にとりつかれてしまったことだろう。"ある"なんてもったいぶったが、タイトルに書いたとおりことだ。コミュニティ放送のイメージに取り憑かれてしまったのだ。
コミィニティ放送って何だと思われる方は多いと思う。言い切ってしまえば、"地元専門FM放送局"のことだ。出力20W。いわゆる広域とか県域とかよばれるFM放送局が1KWから10KWであることを考えればミニコミだ。でも僕には小さく狭いが故に潜在力は大きいと感じられるのだ……。だが、おそらそう思う人は多分まだ少数だろう。 少なくとも僕の世代にとって電波は、果てしなく遠く、場合によっては”地球の裏側"まで届く可能性を意味していた。だって電波だから……。 あらためて資料を紐解くとマルコーニが情報伝達の時間と距離を一挙に縮める無線技術を発明したのは、1895年だった。そしてその6年後の2001年には大西洋を横断する無線通信に成功し、通信システムとして実用化への道を開いた。いまだに、どうして線がないにどうして情報が伝わるのか不思議だが、その不思議さが逆に少年だった僕の夢をかき立てた。"地球の裏側"の人とも無線を通して友だちになれるかもしれないと。XMLを使ったFOAF(Friend
Of A
Friend)の提案に心を動かされるのも、ひょっとするといまだに少年時代の夢から醒めていないせいなのかもしれない。 有線は線がつながれたところにしか伝わらない。有線を引くにはとてつもなく費用がかかる。まずは電柱を敷設し、それに電線を架線しと、考えただけでも費用がかかる。今だってそうだ。それに比べて無線は線を引く必要がない。野を越え、山を越え、電離層に反射して、電波は地球の裏側まで届く。ただし、有線に比べて安定してではないが。また、すべて帯域の電波にそれが可能ではないが。それでも、インターネットが当たり前のような時代となった現在でも電波はそれなりの役目を果たしている。"相対的貧乏人"のメディアとして。 電波は、それを受信する道具のコモディティ化に支えられている。一方的情報受信マシンとしての電波メディアの安さは、パソコンやプロバイダーを必須とするインターネット・メディアと比較しようがない。いくらパソコンが安くなったとはいえ、それは万単位の価格で販売される。また、通信料を徴収される。しかし、電波メディアであるFMカードラジオは今や1000円を切る値段で販売されているのだ。しかも受信料は無料。TV受信機だって同じようなものだ。TVですら万を切る値段で売られている。 受信機だけじゃない。送信施設だって同じだ。さすがにBlogほどは簡単に開局できないが、それでもマスメディアに比べれは月とスッポンだ。一方がウン十億の投資を必要とするなら、こちらは数千万円だ。それでも高いけれど、なんとかならない金額ではない。 そんな時代だからこそ僕は、"相対的貧乏人"のメディアとしてのラジオにある可能性を感じてしまったのだ。 「別に、遠くまで電波が届かなくてもいいじゃない」。 「自分の住んでいる街だけを相手に電波を飛ばしてもいいじゃない」。 「インターネットで検索して主体的に情報を探さなくてもいいじゃない」。 「おまかせで安心できる、気楽なメディアがあっていいじゃない」。 「ニュースを聞いて悲憤慷慨しなくてもいいじゃない」(別に、報道番組を否定しているわけではありません)。 「技術は手段であっていいじゃない」。 「さまざまなことどもが自分の身体的感覚を超えて進む時代には、逆に身の丈サイズの情報の方が時にはうれしいかもしれないじゃない」などなど。 ほとんど論理性のない、天の邪鬼で感覚的な話で申し訳ないのだが、僕は散歩の時にPDAを持ちたいとは思わない。あれはバリバリ仕事をするときのメディアだ。少なくともPDAの現在の値段は散歩の携帯メディアとしては設計されていない。近所の散歩に必要なのはぶらぶら歩きを楽しくしてくれるような情報だ。 また、僕はたまに台所に立つときパソコンを必要としない。必要とするのはそのときの気分にあった音楽と、少々のお酒だ。もし可能なら、上品な会話を聞きながら、ぼんやりとシチューをかき回していたい。落語でも、漫才でもかまわない。できれば、そのときの食材はちょっといいものを冒険したいが、あれこれと考えるのではなく、作ってみたいなと思う程度に美味しそうな話に刺激されてみたい。できればその素材はわざわざ遠くまで出かけなくても近所のスーパーで手に入るようなものであればもっとよい。そして女房や子どもたちに喜んでもらいたい。たまには犬の散歩仲間を呼んでパーティをして料理自慢をするのもいいだろう。 そんな生活の楽しみを上手に伝えるメディアにコミュニティ放送局がなることはできないだろうか。ようするに僕は今のメディアに欠けている身の丈感覚を求めているのだ。汝の隣人はBlogの世界にもいるが、すぐ隣にもいる。そのことをもっと楽しめるような安価なメディアをつくることはできないか? 今、僕はBlogと携帯電話とコミュニティ放送をミックスしたローカル・メディアづくりの妄想に取り憑かれている。そしてそれは、僕自身の第2の人生の夢なのだ。
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月 - 3月 1, 2004
05:49 午後
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