続・有志によるオーディオ知識集
前回のエントリ
に関して、黒川さんから
とても丁寧なお応え
をいただいたので、続編。といっても、なかなか考えがまとまらないのですが、皆さんのご意見を読んでいると、どうも私一人が勘違いして早合点していたのでしょうか。私が「各自が自己の責任において書いたものを持ち寄れば良い」と言ったのは、物理的な知識は別として、その現実における経験は決して普遍的ではないと思うからです。もちろん、オーディオも自然の物理法則が複雑に絡み合った結果、さまざまな現象を生じていることに疑いはないでしょう。そして、それを解き明かし、数式化することも不可能ではないとは思います。テーマである「音の根幹にかかわる基本的なこと」となると、それはつまり、そのように普遍化された、誰が、いつ、どこでオーディオをやっても当てはまるような内容です。そこまで大仰でないにせよ、方向性としてはそうなるはずです。しかし、そのためには、あらかじめ決まった法則から押し広げて普遍化していく(演繹的)か、多数の個別的な事実から抽象化していく(帰納的)かしか方法がないでしょう。演繹的方法は、この場合、適切ではないと思われます。一人ひとりのユーザーは、物理法則がオーディオにおいても実証されることを知りたいのではなく、いま自分が直面している問題を解決する方法を知れば足りるからです。帰納的方法ですが、そのためには非常に多くの事実が必要です。普遍的な理論に至らないまでも、1つのサンプルよりは10のサンプルの方が「精度」が上がります。加えて、メインストリームからもれた例外的事例も、ある人にとっては非常に有用な情報かもしれず、サンプルが増えていけば「これこれの条件が揃うと期待した結果に繋がらない」という法則を見つけることが可能になります。そこで、帰納的方法をとる場合ですが、これは1人の人間でなしえるものではないでしょう。それが商売(つまりオーディオ販売業やオーディオ評論家)ならいざ知らず、個人ユーザーのレベルで実現するのは極めて困難と言わざるを得ません。現状においても、個人サイトのオーディオネタは(もちろん私を含め)、けっきょくは「私の場合はこうなった」という個別的体験談にとどまっています。そのような人が執筆者になったところで、広い妥当性を有する情報にはなりえないでしょう。それをチェックする人についても同様です。チェックする人が普遍的な視点を備えていない以上、内容の個別性に踏み込むことはできません。もちろん、露骨な表現や荒唐無稽な話、他人の名誉を傷つけるような内容については一定の規制が働くべきでしょうし、その記述内容が論理的でなかったり、意味が不明瞭であったりする場合にはそれを補正してもらうことも必要であると思われますが、それ以上のことは不可能でしょう。これに対する可能性の1つが、ポータルを利用した「場の提供」です。つまり、場の提供者は、オーディオに関する話題の中で、特に重要と思われるトピックを整理し、カテゴライズします。そして、情報提供者は、それぞれが自分のブログなりサイトなりでそれぞれの経験談を語り、見る人に何を伝えたいのかを書きます。これを、トラックバックシステムなどを通じてポータルからたどれるようにリンクを張ります。つまり、場の提供者がすることは、カテゴリーを分けておくこと、必要に応じて新しいカテゴリーを作ること、明らかに不適切なリンクを排除することの3つで、記述内容には一切タッチしない、いわば中立的な空間を提供することに限られます。これは、Wiki
プロジェクトのように複数の情報提供者が各自のもてる知識をひとところに集約し、その総意が閲覧者に提供されるのとは異なり、あくまでも個々の情報はその提供者の手元に分散したままである状態を作り出します。なぜ情報を集約しないのかといえば、上で述べた通り、その情報に科学的客観性を持たせることが困難だからです。したがって、「音の根幹にかかわる基本的なこと」が何であるのかは、情報の提供者や場の提供者が示すのではなく、あくまでも情報を見る人が、多くの個別的経験談を閲覧し、自ら実施し、自分独自のものとして理解してもらうわけです。もちろん、その体験談をリンクしてもらえれば、さらに充実して発展していくことができるでしょう。もう1つの可能性は、Wiki
と同様、情報を集約して「個」を消却することです。そのためには、執筆者・校正者というだけでは足らず、多人数で討議し、個別の経験の中から抽象的な部分を切り出していかなければなりません。しかし、そのためには、時間的にも拘束が大きく、そこで汲まれなかった意見を持つ人には、やはりわだかまりが残ってしまう危険があります。特に、オーディオや音楽に関する話題は主観的意見や感性による部分が大きく、意見をすり合わせれば客観化できるとは言い難い、むしろ個々人の自由な意見だからこそ意義があると思われる部分も大いにしてあると思われます。その点、各自が書きたいように書けるのであれば、その心配は大きく減らすことができるのではないでしょうか。もちろん、情報の質は大きくバラつくと思われますし、記事が特定の分野に集中したり、過疎化する部分も出てこざるを得ないという懸念はあります。その場合には、足りない部分を補ってくれるよう、情報提供者に呼びかけて回るなどの配慮が必要でしょう。記事内容の質に関しては、閲覧者が判断すれば良いことだと思います。もし、集合型・集約型のプロジェクトを進めるなら、最も大事なことはメンバーが離れていかないようにすることでしょう。つまり、メンバーが見返りを求められること、あるいは(全体意見には含まれないまでも)自分の意思を貫徹できる余地を残しておくことが重要です。見返りとは、金銭的な報酬や利益という意味ではありません。たとえば、オープンソース・ソフトウェアは、派生プロジェクトによる産物をも自由に配付できることを担保しています。つまり、自分の意見が採用されなかったメンバーでも、独自のビルドを配付して、どちらが優れているか世に問うことができるわけです。Wiki
でも、その著作権は放棄され、執筆者はもちろん、すべての利用者が自由に再利用することが認められています。また、分散型のプロジェクトであっても、同様に見返りは必要でしょう。たとえば、Creative
Commons License
に基づいて公開された著作物は、ライセンスの内容にもよりますが、改変が認められたものであれば、それ以後のすべての派生・改変著作物についても改変・再配布の自由が与えられます。したがって、いずれ、自分が創作したものがさらに良くなって自分の手元に返ってくる可能性があるわけです。加えて、クレジット表示が義務づけられていれば、最終的な成果物にも自分の名前が入ります。世に高く評価されるようになった作品に、自分も関わったという名誉が得られます。もちろん、これですべてが上手くいくとは限りません。ウェブ自体は性善でも性悪でもありませんが、匿名性のゆえに、いい加減な言動をとったり他人を中傷するようなことをしてまわる人も確かにいるでしょう。しかし、逆に、Wiki
のように、改変の履歴を残しておき、他の執筆者や閲覧者が問題を指摘することで、悪用を食い止めることができ、加えて校正作業の透明性を確保することも不可能ではないはずです。1人ではできないことだからこそ、多くの人が集まって意見を出しあわなければなりません。オーディオにおいても、それはおなじだと思います。それゆえ、より普遍的な情報を求めれば求めるほど、何らかの形で意見のすり合わせを行うか、それができないなら「何が大事か」は読む人それぞれの判断に委ねる形でしか実現できないと思うのです。そして、オーディオを趣味として楽しむ以上、多大な労力をかけて意見のすり合わせお行うことはできませし、そうすることによってメンバーの誰かの意見を汲めなくなるのは、コミュニティーとしては致命的だと思います。であればこそ、私としては、分散型の「緩い」プロジェクトこそ、そういった要求を満たすことができるのではないかと考えるわけです。
Posted: 金 - 6月 2, 2006 at 08:17 午後
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