Home>変形性股関節症>2004年左臼蓋形成術入院記録>雑感

雑感は新しい投稿が上にくるようレイアウト変更しました 2006.1.13
今思えば」2006.7.7
一時は足のことは過去のことだと思っていた私だが、今思えば予兆と思えることはいくつかあった。「昔足が悪かったから」、そう思い込んでいただけだったんだよね。

今思えば 其の一:
写真屋さんなどで写真を撮ってもらうと必ず姿勢を直されていた。単に姿勢が悪いんだと思っていたけれど、常に直されていたのは片方の肩が下がることだった。どっちの肩だったか正確な記憶はないけれど・・・。実際は肩が下がるという問題ではなく、股関節から来ていたものだと思われる。そんなこと、微塵も思うことのなかったお気楽な私は「写真屋さんってどうしてこううるさい人が多いのかしらねぇ。」と思っていた。(笑)

今思えば 其の二:
小学2年生の5月から体育はずっと見学だった私。昼休みの縄跳びやボール遊びはしても授業は受けていなかった。体を動かす経験が少なかったせいか、大人になって遊び半分で球技をした時に体が動かなかった。球を追おうとはするんだけど体が動かない。前へ出ることは何とかクリア出来るんだけど、左右やバックは体がフリーズしてしまうのだ。「体育やったことないから」と思い込んでいたけれど、どう考えても足の動きが悪くてとっさに動くことが出来なかったとしか思えない。それくらい気付くだろ?・・・今はそう思う。(笑)

今思えば 其の三
私が初めての子を出産したのは25歳の時。内診台に足が届けば自然分娩可と言われ喜んでいた私。でも・・・陣痛が来てやっとの思いで分娩台に上がったら足が届かなかった。他動でも全くダメ、それ以上は1度も開かないのだ。(笑)仕方なく両足の固定を狭めてくれたけど、その時も私は「足が悪かったので開かないんです」と説明した。私の中では過去形だったのだ。しかし・・・個人的に思うんだけど、産婦人科と整形がほんの少しでも連携してくれていたら、もっと早く異常が見つかるんじゃないかな?初産だと骨盤のレントゲンを撮るから、モロ患部が写る。分娩台だって、足が届かないというのは明らかにどこかに異常があるはずだし、過去に脱臼歴があるのであれば整形にまわしてくれたら早期発見出来そうなものだけど・・・。お産と育児で負担をかけてしまい、若いうちに悪くなってしまったという話しを聞くといつもそう思うのです。


憧れのRAO(笑)」2006.1.15
ヘンテコリンなタイトルでごめんなさい。(笑)この頁にいらっしゃる方は変形性股関節症の方が多いと思うのでわざわざ書かなくてもお分かり頂けると思いますが、RAOとは臼蓋回転骨切り術という手術のこと。(RAOにもいくつか方法がありますが、今回はそれにはこだわらないでいきます)変形性股関節症において一番メジャーな手術で、この手術をすることで解剖学的な正常に近い股関節を作ることが出来、理想的な病期でRAOを受ければ一生に一度の手術で済む可能性もある!という、非常に魅力的な手術なのです。(注:他の術式がこれに劣るというわけではありません。お間違えのないようお願いします!)

変股症と分かり初めて手術の話しを聞いた時に、大学から地元病院に来ていた先生(多分整形外科専門医の資格を持たない若い先生)から聞いた手術名が臼蓋回転骨切り術でした。家に帰ってから検索をかけてみると、大変な手術だが良い手術と書いてあり「そんなすごい手術が受けられるなんて嬉しいわ〜」とほんのちょっとだけ喜んでいた私。(笑)紹介状もらって大学病院へ行って、その時にRAOまたは臼蓋形成術になると専門の先生に言われ、半年後の診察では「RAOは無理かもしれない」という表現に変わり、手術予約をした時には「RAOは無理、臼蓋形成術になる」になった。理由があってそうなったのだからもちろん文句は言わなかったけど、その時の私の気持ちは・・・「なんでそんな古くさい手術なの?(涙)」だった。(笑)同病の方々のサイトを見ても
RAO・RAORAO・・・、だ〜れもそんな手術してないじゃない!(今でも臼蓋形成術を受けた人のサイトは少ないです)患者向けの本見ても「昔はやったけど最近はやらない」とか「今後やらなくなる手術」という書き方がしてある。そんなの見ちゃったら手術前からテンション下がりまくり。(笑)そこで私がとった方法は臼蓋形成術のよいとこ探し!

だが探すと言ってもそう簡単な話しではない。RAOであれば体験談は豊富だから、良い結果もそうでない結果もたくさんネット上で拾えるが、臼蓋形成術はやっている病院自体が少ないので患者の声もほとんどない。結局私が情報源としたのは医学書と医学雑誌。変形性股関節症についての本ではどうしてもRAOに情報が偏ってしまうから、臼蓋形成術の成績や予後についての発表だけが載っているものを探しました。私の解釈が違っているといけないので内容は書きませんが、いろいろな本を読んで、臼蓋形成術をすることに納得が出来ました。ただ・・・実際に本を探して読み納得出来るようになったのは退院後で、入院前や入院中はそれどころではありませんでした。終わったことを蒸し返すという部分に私の粘着体質が出ている気がします・・・。(苦笑)

いつ手術を受けるか、どこで受けるか、どんな手術をするかによって予後が変わってしまう可能性もあるから、RAOだろうが他の手術であろうが悩むことに変わりないのでしょうね。全ての手術を受けて一番結果の良かったものだけ残すなんてことは出来ないし、どんな手術でも100%の成功は約束されない。それでも後悔しない選択をしなければいけないのは大変なことなのかもね。

RAOは無理で臼蓋形成術を受け、その結果も比較的良いものが出ている私。それでもね・・・やっぱりRAO出来たら良かったな〜って思う。だって、格好良くないですか?臼蓋回転骨切り術と言う名前。(笑)


「無題
変形性股関節症になったことが分かって一番悩んだのは、親にどう伝えるか・・・でした。親孝行ではない私でも、両親が今までどんな気持ちで娘である私に治療を受けさせて来たかは想像出来ます。最後の手術から20年以上経って、また再び昔と同じ気持ちを味あわせてしまうことを申し訳なく思いました。

手術をすることになった時に決めたこと、それは絶対に親の前では痛いと言わないことと泣いたりしないこと。(実際は泣く程痛いことはほとんどなかったのですが・・・手術前だと悲壮な覚悟しちゃうものです(笑))術前説明は主人と二人で受け、手術当日も見送りは主人のみ、手術室から出てくる頃を見計らって親と子ども達には来てもらうようお願いしました。「説明には来んでもいい。当日は見送るな。子ども連れて来て欲しいから手術が終わる頃きて、顔見たら帰って。付き添いは要らないし通わなくていい、たまに子どもと見舞いに来てくれればいいから」そう言った私に母は腹が立ったでしょうね。親の気持ちを何だと思ってるんだ?って。(さすがにこの文章のまま言ったわけじゃありません。要約するとこういうことという意味です。さすがに私もそこまで人でなしにはなれませんから(苦笑))

親としての立場であれば「とんでもない娘」の私ですが、患児(って年ではないが(汗))としての私の気持ちはまた違って来ます。親に心配かけたくないというのもあるけれど、一番強く思ったのは「今の私は自分自身を支えるだけで必死」だということ。先生の説明を親と一緒になんか聞いたら・・・多分まともではいられない。(笑)先生のことだから親を労う言葉が口から出るだろう。そしたらうちの親は100%泣く。その横にいる私が一人で診察受けているときのようにへらへらしていられるだろうか?・・・無理に決まってる。(笑)親に涙ながらで手術室へ見送りされたら私は平気でいられるだろうか?・・・それも無理。(笑)今回はとにかく自分で頑張ろうと決めていた。そのためには「娘を心配する両親の親心」を無視するしかなかったのだ。ほら・・・やっぱり親孝行じゃない。(笑)

「世の中、面倒みてもらう人間と面倒みる人間といる」、そう母は言う。当然だが母は「面倒見る」ほうの人間で私は「面倒みてもらう」方の人間。(笑)だとしたら・・・私の最期はとんでもなく迷惑なものになるのだろうか?(汗)とんでもなく迷惑を人にかけないためにも、自分の足で歩き続けられるようにしたいですね。


あなたはあなた 私は私」
私は今までに11回の手術を受けています。うち2度は抜釘、2度は感染なので、積極的な治療としては7回手術を受けたことになります。私の年代には股関節脱臼の人が多いのですが、それでも手術を受けた人の数となると極端に少なくなります。その数少ない脱臼の手術を受けた人の中で複数回手術を受けた人となるともっと少ない人数になります。私は股関節脱臼→臼蓋形成不全→変形性股関節症となりました。変形性股関節症の患者さんはたくさんいらっしゃいますが、たいていの方は幼児期ギプス固定で治療が終わった方です。私のような人は割と少ないのではないかと思います。

今からみれば当時の治療はまだ未完成で、そのため多くの患者さんが股関節症へ移行してしまいました。私もその一人ですが、結果として股関節症になってしまったとはいえ、今までの治療はひとつとして無駄ではなかったと思っています。出来ないこともいろいろあるけれど、学校に通うこと・仕事をすること・友人と遊ぶこと・恋をすること・結婚・出産・・・自分にとって大事な経験をいっぱいしてこれたのは自分で歩くことが出来たからだと思うから。

家にいながらにして情報が入って来ると、時には自分に不都合なモノを目にしてしまうことがある。手術を受けてきたことは私の誇りなんだけど、それを否定するようなことが書かれているとバカな私はへこんでしまう。同じ症状の人なんかいない、同じ考え方の人なんかいないって分かっているのに、やっぱりへこむ。「手術すると何回も繰り返すことになるからこのまま経過観察の方がいい」そう考える先生がいるのは当たり前。手術適応のグレーゾーンの患者さんがそういう先生にかかっていたら同じ考えを持つだろう。残念ながら私はグレーゾーンどころか完全な手術適応だったし、「要所要所で正常な関節に近づけて、その後順調に関節が形成されていくのを待つ」という考えの先生にかかっていたから、必要な治療は可能であれば受ける、その時出来ることはしていくという考え方を持っている。私にとってはそれが唯一正しい治療だったのだけれど、それが全ての患者さんにも同じかと言われたら答えはNo。誰一人として同じ症状ではないのだから、それぞれの選択を認めつつ、同じ病を持ち似たような気持ちを持つ仲間として励まし合っていけたらいいなぁ・・・と思っています。

あなたはあなた、私は私。でも、股関節症と付き合って生きているのはあなただけじゃない。みんな悩みながら・・・迷いながら、自分に一番だと思える選択をしているの。いっぱい悩んで、いっぱい迷おう!みんな一緒にね。


私の感じる負荷」
術後1年近く経って、杖を持っていなければ周りの人から見て私の足が悪いことは分からなくなって来ていると思う。家事は普通にこなせるし、重い物だって持てる。遊びにも行ける。傍目にはもうなんともないようにしか見えない状態である。

しかし・・・もう本当になんともないのか?そんなはずはない。(笑)確かに日常生活において著しく困ることはない。でも、回復してきたとは言えやはり普通にはいかないのだ。普段は歩くことに全く抵抗のない私が苦手なコト・・・それは負荷。それまでどんなに平気に歩いていても、負荷がかかった途端足が「歩きたくない」と言い出す。

私のキライな負荷その1:長距離
長距離ってどのくらいのことなのか・・・?私の場合、自分の足が嫌がって来たらそれはもう長距離と呼べる。(苦笑)術後11ヶ月現在、杖なしで30分歩くと足は控えめながら主張を始める。足はあがらなくなりスピードが落ち、だるくなる。歩けなくなることはなく歩き続けることは可能だけど、足は「嫌だ、嫌だ」と言っている。(笑)まめに休憩をとれば案外長い時間動き回ることも出来るが、その時の状況(疲れ具合や行動パターン、混雑具合など)によってかなり歩けたりすぐ疲れたりするので今どのくらいの距離なら大丈夫なのかまでは分かりません。ごく近場でない限り杖も外していないから、杖なしでどこまで可能かは未知数です。(笑)

私のキライな負荷その2:重量物
「股関節症の人は重いものは持っちゃダメ」・・・はい、知っています。でも、持っちゃダメなんて言われなくても、今の私は重いものを持つ力が全くないので心配無用です。(^^;10キロ未満のモノであればちょっと動かすくらいなら余裕。でも10キロ超えると途端に持ち上げることが出来なくなる。20キロを超えるともう全く歯が立たず引きずるだけで精一杯。抱えて持つなんて芸当は絶対に出来そうにない・・・。重いモノが持てなくなっているのに気付いたのは、ぴのこをおんぶした時・・・17〜8キロのぴのこをおんぶして歩いたら、足は進まなくて一歩一歩地面に潜り込むかと思う程だった。足を交互に出す度体が揺れまっすぐになんか歩けない。普通であれば5歳の子をおんぶしたからと言って死にそうになることはないんじゃないかと思うけど、私にとっては重量挙げしているくらいの苦痛でした。(苦笑)重いモノは持っちゃダメと言われても持てたら持ってしまうから、持てなくて丁度いいのかもしれない。

私のキライな負荷その3:高低差
まっすぐな場所を歩くのは割と楽ちんです。でも高低差は苦手・・・。前後の高低差も苦手だけど、もっと苦手なのは左右の高低差。左右に高低差がある所を杖を持って歩いていると杖が長過ぎたり短すぎたりして歩きにくい感じがします。

今後どの程度まで改善していくのか分からないけれど、負荷をかけた時の足の声をきちんと聞いていくことが大事なのでしょうね。


男性看護師」2005.10.6
私が手術を決めるよりもずっと以前、ネット上で男性看護師さん(以下ナースマンと表記。ナースマンは正式名ではないそうですが、そちらの方が柔らかい印象があるのでこの場ではナースマンと呼びます)の話題になったことがありました。股関節症の患者さんは大半が女性なので、その場も女性ばかり。股関節症で手術を受けた場合、期間の差はあれ寝たきりになります。そういう時にナースマンが担当だったら?という話しでした。細かい内容は忘れてしまいましたが、ほとんどの方が「男性に看護されるのは・・・」ということでした。私も可能なら男性でない方が有り難いとは思いましたが、もしもその時にナースマンが担当になったのなら気持ち良くお願いしたいと答えた記憶があります。異性に看護してもらうのに抵抗があるのは当然のことですが、じゃあ同性なら全然抵抗ないの?(笑)そんなことはありませんよね?相手が若いナースでも、年上のナースでも、ナースマンでも・・・自分の身の回りのことを人にお願いしなければいけないというのは抵抗があるものです。身の回り・・・と言っても着替えや排泄などのことですからね。誰もが進んでやりたいとは思わないような仕事を一生懸命にやっている看護師さん、私としては可能な限り気持ちよくお仕事してもらえるような患者でありたいと思っています。患者の羞恥心や心理的抵抗はよくよく分かった上でお仕事されているのですから、こちらが必要以上にそれを強調することはないのではないかと思います。

股関節症で手術の為に入院した病棟にはナースマンが二人勤務していました。幸運なことに(?)私はナースマン二人がいるチームの担当患者となり、手術直後の24時間余の担当が二人のナースマンで、寝たきりの身で看護してもらいました。(笑)私はものすごく人見知りなタチで入院4日目の手術日の時点ではまだ担当看護師さんと打ち解けてはいなかったくらい・・・。普通であれば直接の担当看護師以外の看護師さんとは話すのもためらわれる、しかも相手はナースマン。(笑)でも、その時の私はそんなことが言っていられる状況じゃなかったのでした。術後で点滴やカテーテルはもちろん、ポンプや機械が巻き付いている状態。(^^;自分から声をかけることが出来なくても、勝手に向こうから様子を見に来てくれます。(笑)術後してもらったことは・・・バイタルチェックはもちろん、出血量の確認(寝間着の下T字帯の状態で、傷の部分のガーゼにしみ出た血液量をチェック=ガーゼにマジックで血の跡をなぞっていました(笑))、水を飲ませてもらう、体位交換、清拭、座薬を入れてもらうことでした。最後2項目は普通の場合であれば抵抗あることだと思いますが・・・私は全然抵抗ありませんでした。ナイスバディだから見せても平気♪という意味じゃありませんよ。(笑)もちろん喜んでしてもらったわけではありませんが、相手はプロなのでなるべく抵抗ないように気を使ってくれますし、どちらかと言えば、ナースマンに看護してもらうのが嫌という気持ちより、こんなことまでしてもらって申し訳ないという気持ちでした。これは性別に関係なく、どの看護師さんにしてもらっても同じでした。

でも、中にはナースマンだと・・・という患者さんもいました。特に入浴介助。私は現場は目撃していませんが、どうしても嫌!と拒否した患者さんもいたそうです。嫌な人に強制してもいけませんから、そういう時はナースに代わってもらうしかないと思いますが・・・そのとき拒否されたナースマンは「(自分は)女性とどこが違うんですか?」と言っていたそうです。その言葉を聞いて私は感心しました。拒否した患者さんの気持ちはとても良く分かるし優先されなければいけないけれど、ナースマンの仕事への姿勢がとても素敵だと思ったのです。性別を問わず、良い意味のプライドを持って看護師という職業を選んだ人達なんですよね。「もしナースマンが入浴介助になったとしても、私はちゃんとお願いするぞ!」と覚悟していましたが、残念なことに(?)そういうことはありませんでした。(笑)それに、相手が女性でも入浴介助してもらうのは恥ずかしい部分がありますから、私は浴室の出入りや術後間もないうちの着替え以外は自分でやっていました。

普通に生活していると自分のことは自分で出来るのが当然なので、人に看護されることに抵抗があるのは当たり前。でも、実際にその立場になってしまえばやってもらうしかないのです。何事も経験ということで・・・。

ナースマンについて話したついでに、余談ですが男性助産師についても書きたいと思います。この話題も一時マスコミで出ていましたね。もう私は出産することはないので関係ない問題ですが、自分が妊婦だとして・・・以前は男性助産師は抵抗ありましたが、今はそれも可だと思います。但し、助産師が行う母乳指導だけは難しい気がします。私は自分が母乳だけで子ども達を育てたことからかなり母乳育児に肩入れしています。母乳指導は人によってかなりの差があり、指導内容によっては出るものも出なくなります。女性であっても全然分かっていないな・・・と思う助産師さんもいます。知識だけで母乳は出ません。経験者でないとダメだとは思いませんが、知識以外の部分を埋めることは簡単ではないように思います。母乳でなくても赤ちゃんは育ちます。でも、母乳育児がしたいと願うお母さんが適切な指導が受けられずに母乳育児を断念することがあってはいけないと思います。本当のことを言うとこれは男性助産師の問題ではなく、母乳育児に対しての医療側の認識が間違っている・・・という超個人的な意見に落ち着いてしまうのでナースマンの話しからは大脱線ですね。(笑)


セカンドオピニオン」2005.10.6
インフォームド・コンセントという言葉とともに最近メジャーな言葉になってきたセカンドオピニオン。でも私は自分が通院している大学病院にセカンドオピニオン外来が出来るまで、その本当の意味を知らずにいました。(恥)

股関節症の場合手術に至る患者さんも多いことから、セカンドオピニオンを求めることが多いようです。・・・なんだけど、実情はセカンドオピニオンではなくドクターショッピングになっていることがほとんどです。より良いお医者様を探し歩く=セカンドオピニオンと一般的(医療関係者ではない普通の患者さん)には理解されていますが、本当はそうではないようです。

セカンドオピニオン 【せかんどおぴにおん】
second-opinion(第二の診断)。病気の理解を深めるために主治医以外の意見を聞いて情報収集すること。1.主治医の診断や方針に対する確認ができる 2.治療の妥当性を確認できる 3.主治医の示す治療法以外の治療法が得られる可能性がある 以上3点が効用として考えられる。         
health クリニック 健康用語辞典より

セカンドオピニオン=第二の診断という意味で、セカンドを受けるにはファーストなしはあり得ないことになります。信頼する主治医を持たない患者さんは、基本的にはセカンドオピニオンは受けられないのです。セカンドオピニオンを受けるには、自分の主治医にセカンドオピニオンを希望していることを伝え、資料の提供を受けます。セカンドの病院は保険はきかず自費になるのが普通です。そして、ここが一番重要なのですが、
セカンドの病院は治療はしません。セカンドオピニオンは主治医以外の専門医に主治医の治療方針が正しいのかどうか他に方法があるのかなどを聞く場なので、治療は絶対にしません。セカンドの診断結果は直接主治医に送られ、その後の患者さんの治療に役立てることになります。

ドクターショッピングという言葉はあまり印象の良くない言葉のように私は受け止めていますが、これも時と場合によっては必要なこともあるように思います。今はネットなど情報が簡単に入る時代なので、「あそこの先生は有名」というようなことも家にいながらにして分かります。それ故か、あちこち渡り歩く話しも多々聞きます。自分に合う先生を見つける努力は必要だと思いますが、あまり過度になるとどうなのか疑問です。セカンドオピニオンは自費で受けるので問題ありませんが、ドクターショッピングの場合は保険診療になります。大勢の患者さんが紹介状も持たず、データも持たずにあちこちの病院をまわったら・・・保険の負担だけでもものすごい金額になってしまいますし、その分医療機関の混雑が増します。自分が納得出来る治療を受ける権利とその他のことを比較すると、どの程度までが許されるのか・・・自分のこととして考えると難しい問題だと思います。わざわざ自分のサイトにこの話題を載せるのはドクターショッピングを批判するためではありません。たまたま受診した医療機関がどうしようもない・・・(言葉が悪いですが、そういう所もあります)所だった場合にはドクターショッピングしなくてはいけないと思います。ただ、セカンドオピニオンの意味も曖昧なままセカンドを勧めることは、この先いろいろな問題が出て来るのではないかと、あくまで一患者として心配しています。

本当は患者が路頭に迷わないようなシステムがきちんとされていればこういう問題は起きないんですよね。医者との相性はそれぞれの問題なので置いておくとして、どこで受診しても最低限必要な情報を提供してもらうことが出来れば患者もあちこち彷徨う必要がないのですから。近くの開業医の先生が、「これをやるならこの病院だね〜。あれがいいならあっちかな〜」と教えてくれればベストですが・・・見合いの世話まで出来るか!?という感じでしょうか?(笑)医者の世界は縦割り社会らしいですから、その辺りの影響もあるのでしょう。患者の努力だけでは解決出来ない問題なのかもしれません。

ちなみに、私自身は股関節症に関してはドクターショッピングもセカンドオピニオンもしていません。理由は簡単、近くにそのレベルの病院がないからです。(笑)ただ、もしそういう病院が近くにあったとしても行かないかもしれません。手術の適応は医師によって違うので、情報があればあるほど迷ってしまうような気がするのです。「RAOとキアリと棚とどれがいい?」そう聞かれてもこんな選択、医学知識のない患者に出来るはずがありません。たくさんの情報の中から自分で選択出来るほど私は賢くはないので、敢えて自分が悩むようなことはしなかったということです。(笑)それと、セカンドオピニオンも受ける相手によって答えが違って来てしまいますからね・・・その辺も難しいような気がします。誰もが自分の望むような医療を受けられるようになるといいですが・・・。そのためには患者の努力も大事かもしれません。患者でいるのも楽じゃないですね。(笑)


土偶のようなオンナ」2005.9.29
私は自分のスタイルが嫌いだ。スタイルが良くないのは言うまでもないが、身長に対し腰回りが大きすぎるのである・・・。

その原因は10歳の時に受けた「内反骨切り術」。手術を受けたあと母が一番嘆いたことは、娘(私)の体に4本の傷が増えたことではなく(両足+抜釘)、
お尻の形が変わってしまったことであった。(笑)お母さん・・・そういうこと言ってる場合じゃないのでは・・・。(汗)母曰く、それまできゅっとしていたお尻が横に広がってしまったらしい。当時10歳だった私には「きゅっ」としたお尻の魅力なんて全然分からなかったから、「なんかわけわからんこと言っとるな〜」と思っただけだった。

世間でお年頃と呼ばれる年代になった時、スタイルについてひとつだけ困ることがあった。それは胸が小ちゃいことでも足が太いことでもなく、お尻が大きいことだった。服を買いに行っても、ウエストで選ぶとヒップがきつく、ヒップに合わせるとウエストがゆるゆるだったのだ。どうしても気に入ったスカートなどはお直ししてもらわないと履けなかった。お尻が大きいせいでパンツは似合わないし、タイトやマーメイドスカートも似合わなかった。全ては全てお尻が大きいせいだと思い込んでいた。お尻が大きいのは安産型なのよ♪なんて思っていたんだけど・・・本当はお尻が大きいのではなくて大腿骨が張り出していただけであり、それは
内反骨切り術のせいだった。(笑)

自分の足に何の興味も持っていなかった私は、つい最近まで自分のレントゲンなんて覚えていなかった。(笑)3枚レントゲン並べて「どれがあなたのレントゲンでしょう?」なんて聞かれたら降参したに違いない。(汗)遅まきながら自分のレントゲンをじっくり見るようになって気付いたこと・・・普通の人と大腿骨の形が違うじゃん!?大腿骨が外側へカーブしている。今まで「お尻が大きい」んだとばかり思っていたけれど、実際は「大腿骨が張り出していた」のね?確かに、冷静に鏡を見ると大転子の下部分がぐっと張り出している。これじゃ、ダイエットしても細くなんか見えないじゃん?(涙)こんなことなら内反骨切りしなきゃ良かった・・・でも、してなかったら今頃自力で歩けていなかったかもしれないんだよねぇ。難しい所だ。(笑←そういう問題じゃない)
注:私の受けた内反骨切り術は足の長さが短くなり大腿骨を変形させてしまう術式ですが、今は彎曲内反骨切り術という大腿骨頭の部分だけをお椀状にくり抜いて角度を変える術式があります。この場合は骨頭の向きを変えるだけなので足の長さも大腿骨の形も変わりません。

みっともないみっともないと思っていた自分の腰回り。何かに似ていると思ったら・・・
土偶に似ていました。(苦笑)

念のために書いておきますが、「骨切りのせいにしてるけど、元々あんたは土偶体型だったんだよ!」などという反論は却下します。(笑)「本当の私はもっと腰回りがすらっとしていたんだ!」という妄想を心の支えに生きていますので・・・。(笑)


「無題」2005.4.27
入院日記を書く時に決めていたことがある。他の患者さんの病気については極力書かないようにしよう、本当にヤバいネタは書かないようにしようって。(笑)私は好きで自分のことを公開しているけれど、だからと言って私が他の人のことをぺらぺら喋っていいわけではないから。見る人が見れば個人特定出来てしまうしね。でも、今日だけはちょっと例外。本人に許可得てはいないけれど書いてしまいます。ずっと私が忘れたくない・・・そのためだけにね。

おもしろおかしい入院日記を書いてきました。あれは脚色なしの本当の話。でも、あそこには書けなかったこと・・・というのも多少はある。日記見ると東7階の整形患者はみんなお気楽な患者ばかりに見えるけど・・・当然そうじゃない部分もある。考えてみれば分かるはずだよね?大学病院で手術して入院生活を送るというのは大学病院 の近所に住んでいるわけでなければそうある話しじゃない。(近所に住んでいても3次救急の病院で手術受けるのはそう簡単じゃない)一般的に「整形病棟は明るい」というのが定説で、実際◯大病院もそうだった。でも、その辺で骨折したなんていう患者さんがいるはずもなく、みんな大変な病気と付き合っていた。

実は・・・一緒に入院生活を送った人が亡くなった。彼女と初めて会ったのは私の術後間もない時、彼女が他の人のお見舞いに来ていた時だった。次に会ったのは彼女が緊急入院してきた時。私の退院前日に彼女が自主退院してしまうまでの約20日間、部屋は違うものの一緒に過ごした。自分で歩けず、痛みも薬で抑えきれない、いつ吐き気が来てもいいようガーグルベースを抱えデイコーナーの椅子に倒れ込んでいた彼女・・・。本当なら部屋にいるべきなんだろうけれど、そこにいて私達のくだらない話しを聞くことで彼女の気が少しでも紛れればいい・・・そう思ってた。彼女は体が辛い時の方が圧倒的に多そうだったから、私から彼女の部屋を訪ねたことはほとんどない。少し気分の良い時には彼女が車椅子や歩行器で私のところに来てくれた。痛みで眠れない彼女から「夜寝られるようにお散歩一緒に行ってもいい?」、そう頼まれたことがあった。動いて疲れることで眠れるような状態ではなかっただろう、そのお散歩自体が彼女にとってものすごく大変なことなんだろうとは思っていたけれど、一緒にお散歩に行った。私のリハビリにも付き合ってくれたよね。リハビリ室でいっぱい話しをしたことを思い出します。一緒にご飯を食べる約束した日に急遽外泊を決めた彼女が謝りにきてくれたことがあった。「お詫びに」って、手をつないでダイニングまで一緒に歩いて行った。「手をつなぐのって良くない?好きなの」、そう彼女は言った。末っ子を除き、人と手をつないで歩くことなんて私は久しぶりだった。彼女の柔らかな手はとても気持ちがよくて、誰かと一緒にいるっていいなぁ・・・素直にそう思いました。

彼女が闘って来た15年の中で、私が知っているのは最後のほんの一部分だけ。それがどれほど大変だったのか、私には想像すら出来ないけれど・・・彼女はいつも家族のことを思っていた。娘さんたちやご主人のいる家に帰りたがっていた。変な話しだけれど、私は全く逆で「家に帰りたくない〜。もっとおいてください!」といつも言っていたんだけど、それは私には家に戻れる保証があったからなのだと思う。手術を受けること自体100%という数字はあり得ないんだけど、それでも私はまず間違いなく家に帰れる保証があった。だからこそ、私は自分の我が侭を出すことが出来たのだと思う。「より自分が満足出来るレベルになってから家に帰りたい」という我が侭をね。家に帰りたいと願い続けていた彼女・・・家へ戻ってからも想像を絶する闘いがあったことだろう。でも・・・彼女の希望通り、家族の側で暮らせたことは良かったのだと思う。そうだよね?

昨日、ご主人のご好意で昼間彼女にお別れさせてもらった。通夜では足元暗い上人も多いから、足の悪い3人組には大変だと思ってくれたのだと思う。ちゃんと彼女にお別れ言えるように、赤い杖は持たずパンプスを履いて行った。最後に会った時より元気になった私たちを見てもらえるようにね。私たちの元気な姿、彼女見てくれたかな?でも・・・一人は許可なく杖を外し(これは私のこと)、もう一人は事後承諾で装具外していた不良患者だけどね。(笑)彼女とお別れして、そのままみんなと別れるのは寂しくって・・・3人で久しぶりのブレイクをした。ブレイクしてみんなと別れたんだけど・・・それでも家に帰る気がせず、そのまま彼女との思い出の地(笑 要は病院のこと)へ向かう。私の大好きなKさんに、彼女が安らかな顔で旅立って行ったことを直接報告したかったから。Kさんと彼女の話しをしたかった。Kさんの顔を見たら元気が出て来る気がして、仕事中にも関わらず押し掛けちゃった。(笑)おかげで少し元気が出たよ、Kさんありがとう。

Kさんと話しをしたあと、先週見舞ったばかりの小学生ちゃんと遊んだ。小学生ちゃん&ママも彼女と一緒に過ごしたメンバーなんだけど・・・小学生ちゃんたちには彼女のことは内緒。変な時間(夜)に、いるはずのない私が病棟にいたからかなり驚いていた。近くまで来たから遅くなりついでに来たんだよと説明しておいた。空元気だったけど、小学生ちゃんと楽しく過ごしたことで少し寂しい気分が飛んで行った。

みんなと別れたあと、病院に行ったことを一緒にお別れに行った友人に話したら「私も行こうかと思ったんだけどやめた。行けば良かった」というメールをもらっ
た。同じ気持ちでいる人がいてとても嬉しかった。病院へ行ったところで、彼女を偲んで泣けるわけじゃないんだけど・・・同じ気持ちを持つもの同志一緒にいることで癒される部分ってあるから・・・ね。

Hさん、長い間本当によく頑張って来たね。もう痛くないから、ゆっくり寝られるよ。もう少し時間が経って私達が泣かずにあなたに会えるようになったら、みんなで会いに行くから待っててね。

今日、彼女は家族に見守られながら空へ旅立ちました。彼女の眠りが安らかなものであることを心から願っています。


欲しかったモノ♪」2005.7.2
子どもの頃、私が欲しかったモノ。それは・・・キャラクターのビニール靴。(笑)みんながキャラクター靴を履いているのが羨ましくてすっごく欲しかったんだけど、何度お願いしても買ってもらえなかった。理由は重いから!・・・足の悪い私に重い靴はいけないという親の考えから、買ってもらえる靴は全部布製のものだった。今考えると安っぽいビニール靴なんかより布の靴の方がおしゃれだと思うけど、子どもだった私には布の靴はださくて格好悪く思えた。(笑)

重い靴はダメだったはずなのに・・・高校の指定靴(運動靴みたいな奴)はなぜかすっごく重かった。受験の時に靴の重量までは調べないもんな〜。(笑)大きくなってからはさすがに靴について親にいろいろ言われることはなかったが、自分でもヒールの高い靴・ヒールの細い靴・重い靴には心惹かれることはなかった。私がファッションに無頓着でおしゃれなものを着る習慣がなかったことも一因かな?(笑)

私は生まれるのが少し早すぎたのだと思う。今なら重いビニール靴じゃないキャラクター靴がいっぱいある。(笑)(ついでに先天股脱の治療成績も良い)現在の私は履きたい靴はどんなものでも履いています。サンダルやミュールも履いちゃう。(笑)一日のうちで靴を履く時間はしれていますからね。でも、足下には気をつけるようにしています♪


「上手な先生に・・・(^^;2005.7.1
入院中同室だったおばあちゃん、仮にAさんとしよう。Aさんは手術を受けるために入院してきたのだが、病気のために寝たきりだった。だから本来ならカンファレンスルームで受けるはずの術前説明も部屋でカーテンをひいたままで受けていた。人の話しは聞いちゃいけないと思うんだけどね・・・隣でまじめな話ししているのに騒ぐわけにもいかなくて、自然と話しが聞こえてきちゃう。(苦笑)麻酔科の先生がAさんのところに説明に来たときのこと。唐突にAさんが言った。
「私、
麻酔は上手な先生にやってもらいたい!◯◯病院の先生は麻酔が上手で・・・以下略(笑)。」
ちょ・・・ちょっとAさん、なんて大胆な発言!(汗)・・・って言うか、それ先生に失礼でしょ?(苦笑)◯◯病院じゃ出来ない手術だから大学病院に来たんじゃないの?すごい発言だな〜と私はカーテンの向こうで笑いをこらえつつ感心していたのだが、先生は返答に困ってた。(笑)・・・Aさん、大学病院というのは教育と研究と臨床の3つを兼ねているのよ。もしかしたら経験の浅い先生に麻酔を担当してもらうことになるかもしれないけどそれは仕方ないこと。どこの病院で手術受けたって同じことだと思うけど?

ちなみに私は・・・麻酔科医のいる病院での手術は初めてだったので、麻酔科医という存在に興味津々でした。麻酔科医が麻酔かけてくれるというだけで嬉しかったもん。(笑)←これも変?(^^;


ファザコン(笑)」2005.6.26
ファザコンと言っても自分の父親に対してではない。私のファザコンの相手は元主治医。(笑)私に両内反骨切りしてくれた先生で、今の地に転居してきた7歳の頃からの主治医。(陽性転移といえばそうかも(笑))

内反骨切りをした当時、私は何の症状も感じていなかった。先生は自分の経験から「この関節は悪化する」とふんで予防的に手術したのではないか・・・と思う。ずっと診てもらってた先生だし入院中は病院でのお父さんみたいなものだったから、私は先生が大好きで信頼を寄せていた。足のことは先生に任せておけば絶対に大丈夫、そう信じて疑わなかった。自分の病気について無知だったこともあるが、とにかく先生を信頼していたから、次の手術法が決まらなくても全然気にならなかった。本当に手術が必要なら先生が決めてくれるって思っていたから。

最近になってようなく自分の足に興味を持ち、遅まきながら勉強をした。私の足がどうして今の状態になったのか、それもようやく納得いく答えが出た。と同時に疑問が湧いて来た。こうなることが予想出来たのに、どうして先生は手術してくれなかったんだろう・・・って。変形性股関節症に移行することを先生が予測していただろうと思う根拠はある。内反骨切り後先生が次の手術を検討していたこと。私に対し、「40歳くらいで歩けなくなる」と言っていたこと。そのふたつから考えると、今の状況は予想に難くなかったのだと思う。次の手術が決められなかったのにはいくつか理由があるのだろう。第一に私が成長期であったこと。内反骨切りすることで関節が適合してくる可能性があったから、それを待つ意味もあったんじゃないかな?もうひとつは適応する術式が決められなかったということ。私が通っていた病院は田舎の個人病院。先生はスポーツドクターで腕がいいと評判だったらしいけど、股関節専門医ではなかったらRAOはどう考えても出来なかっただろう。今回受けた臼蓋形成術をするような話しを何度も聞いた覚えはあるが、それも立ち消えになった。(笑)

先日野暮用があり、10何年ぶりに元主治医の外来へ行った。大学病院で手術を受けた報告をしたら、「もっと早くにやならくちゃいけなかったんだけど、いつ、どういう手術をやるかが難しいんだよな。」と言われた。「どうして20年前に切ってくれなかったんですか!」とは言えなかったけど、その思いはまだ残っている。(苦笑)結果として自骨手術出来たのだからいいんだけど・・・どうして先が見えているのに何も言ってくれなかったのか?本当に信頼していて大好きだった先生だからこそ、途中で放られてしまった感じが拭えなくてしようがない。最後まで先生に診て欲しかったし、どうせ大学送りになるのなら先生から紹介して欲しかった。先生に対して怒ってるわけでも恨んでるわけでもないんだけど、なんとなく寂しく感じてしまう。もっとちゃんと先生に私のことを考えて欲しかった・・・って、やっぱファザコンかも。(笑)

この年まで手術を受けられなかったのは先生だけの責任じゃない。ちゃんと私に分かるよう病気のことを説明しなかったこと、通院をするよう言わなかったことは先生の責任。20歳での手術(=将来進行していくであろう関節であること)を言われていながら私に何も伝えなかったのは両親の責任。そして、自分の足に全く興味を持たないでいたのは私の責任だ。当時は知る手段がなかったのも事実だけど、もし私がもっとしっかりしていたら・・・質問すれば先生は全てを教えてくれたはずだ。しっかりって言ったって、小中学生だった私には限界ありそうだけどね。(笑)

もっと早くに手術をしていたとしても、今迄の経過からするとそれで終わりというものではなかったかもしれない。でも・・・やらなかったことで「あの時やっていればもしかしたら・・・」という都合の良い考えも出て来てしまう。結果として自骨で行けたのだからそれで良し!と思うべきなんだろうね。そう思ってはいるのよ、ただ何となく割り切れない部分が残ってしまうんだよね・・・。(笑)そんな気持ちがあったので元主治医の外来に行くのは気が重かったんだけど、今は行って来て良かったと思う。足のことを知れば知る程放られてしまった感があったくせに、「ありがとう」を言う機会がないことが気がかりだったから。先生の手術のおかげで30過ぎまで足が持ったと大学病院で言われたことと、お礼の言葉を伝えました。

私が手術してもらった当時、先生は整形外科医として一番ノッている時期だったと思う。今でもこの地域で自骨手術をする病院はないのに、ちっちゃな病院でやっちゃうなんてチャレンジャーだったな〜と感心する。そんな先生も今はおじいちゃん。(笑)この先、足のことで先生にお世話になることもないだろうし・・・いい加減親離れせねばと思う。(笑)先生は未だに私をちゃん付けで呼ぶけど、私だってもういい年なんだしね。(^^)これからもずっと股関節症と付き合っていく以上、割り切れない気持ちはなくならないとは思うんだけど・・・そう思うくらい信頼出来る先生と出会えたことはLuckyだったのだと思う。先生が手術してくれた足、大事に使っていくからね。先生、ホントにありがとう。(^^)


手術を決めたわけ」2005.5.20
先に書いたように「もう絶対整形外科にはかからない」と決めていた私でしたが、2001年に再び受診することになりました。その日、以前手術を受けた地元病院の整形外来には大学病院の先生が来ていました。大学病院の若い先生は、私のレントゲンをみると何の迷いもなく「手術」と言いました。その先生がどのくらいの先生なのか、何を専門にしている(もしくはしようとしている)先生なのかは分からなかったのですが、とにかく簡単に「手術」という言葉を出しました。もちろん、そのあと大学病院に紹介して専門医の診察を受けさせるのですから、その先生が手術するわけじゃないんですけどね。手術以外の選択肢は提示されませんでした。(私が保存療法を強く希望していたら先生も違う答えを考えたのかもしれません)

紹介状を持って行った大学病院。専門の先生に診てもらった結果も同じでした。ここでも手術以外の選択肢は提示されませんでしたが、当時ぴのこがまだ1歳になったばかりでとても入院出来る状態でないことを話すと、早く手術した方がよいが暫くは様子をみるということになりました。ただ、進行がみられるようになった場合は先生の方から私に手術を強く勧めると言われました。

手術申し込みこそしなかったけれど、その時にはいつか大学病院で手術を受けることを決めていました。先生が私の話しを聞いたあとで「大変だったね」と言ってくれたこと、ずっとずっと答えを出してもらえずにいた「手術」について即決してくれたことで先が見えた気がしたから・・・。私は足以外の病気で医者に途中でさじを投げられた経験があります。「うちではもう治療できないから」と紹介状も書かずに自分で病院探すように言われたり、自分の状態をいくら話しても私の望む治療をしてくれずに「悪いなりに状態維持」とだらだら治療されたり・・・。だから、どういう状態になっても(悪化しても)最後までちゃんと診てくれる先生(病院)でなければもうかかりたくなかったんです。股関節専門のお医者様がいることもそのときまで知らなかったのですが、正直「もうこれで迷子になることはないのね」とほっとしました。手術と言われてほっとしている場合じゃなかったんですけどね。(笑)

手術ということへの恐怖は全くありませんでした。うろ覚えながら過去の手術の記憶がありましたから、どういうことが起こるのかも分かっていました。「また手術なの!?」と思う部分もあったけれど、もともと言われていた手術でしたからね、やっぱりやるのか・・・という程度。手術を受けてこなかったら、私には「歩く」ということが許されていなかった。今までも手術をすることで普通に近い生活をしてこられたのだから、手術を受けること自体への迷いは全くありませんでした。ただ・・・「親にどう言おう」、そっちの方が重荷で落ち込みました。

実際に手術を受けることにしたわけは・・・子どもが大きくなり末っ子が保育園へ入園したこと。入園以降3年間は昼間末っ子の保育は心配がいりませんが、入学したらまた子どもの面倒をみる人手が必要になること。末っ子が高学年になる頃には上二人がどのような状態か見当がつかないこと、そして変形性股関節症と診断されて以降、徐々に歩行能力が落ちていくのを自分が自覚していたこと。今を逃したら今度はいつ無理を押し通す機会があるか分からない・・・そう思い手術申し込みをしました。無理を、わがままを押し通すくらいでないと、「お母さんが2ヶ月いなくなる」という事態は許されませんからね。(苦笑)


整形外科なんて・・・」
変なタイトルですね〜。(笑)手術を受けた私が言うのも何ですが、本当は整形外科なんて行くつもりはありませんでした。「整形なんてもう行かない」って決めたのは20代の頃だったかな?

今回受けた「臼蓋形成術」ですが、実は20年以上前にやらなくてはいけないと言われていました。前回受けた両内反骨切り術の抜釘が済んだ後そう期間を置かないうちに、「今度は屋根をつけるかだなぁ」と先生に言われました。病気のことなんか何にも分からなかったし、先生が「やる」というのならやるつもりだった私。ですが、結局先生は手術法を決めてくれませんでした。どんな問題があったのかは知りませんが、臼蓋形成術に絞りきれなかったみたい。先生はいつも私のレントゲンとにらめっこしながら「今度大学で相談してくる」と言うばかり。(この「大学」は今私が通院している大学病院の大学)でも、何度行っても「大学で相談してきた結果」が示されることはありませんでした。私の方も、手術した方がいいんだろうけど先生が大学で相談してこないということはそのままでも構わないということなんだと勝手に判断し、中学か高校の頃を最後に診察を受けることはなくなりました。今考えると私もバカだったと思うし、先生もなぜ「何ともなくても年に1回は来なさい」って言ってくれなかったのかなぁとも思います。両親は先生から「20歳にはまた手術が必要」と言われていたともいいますし・・・
。そんな話し、私全然聞いてなかったぞ!両親も両親・・・って感じ?(苦笑)中学生の頃だったかな・・・先生から「40歳くらいで歩けなくなる」って言われていたのにすっかり忘れていた私も相当なモノだけど。(笑)先生の言葉を聞いたその時は、いつか目覚めた時クララのように歩けなくなるのだと思っていました。クララだってある朝起きたら歩けなかったわけじゃないだろうに。(笑)だんだん痛みが出て歩けなくなるなんて・・・全然知りませんでした。(笑)

それでも初めて足に痛みを感じた時(20代)、もしかしたら・・・と思い整形外科へ足を運びました。でも、返ってきた言葉は「寒いからだね」・・・。今思えば、この時点で「臼蓋形成不全」は分かっていただろうし、「変形性股関節症」も分かるかもしくは高い確率で予想出来ていただろうから、そのことを伝えて欲しかったけど・・・。思い切って行った病院だったのに、ちょっと痛いくらいで行くなんて堪え性がないって言われたみたいな気がして(←これは私が勝手にそう感じただけです。怒られたわけじゃありません)・・・今度痛くなっても絶対に病院には行かないと心に決めました。だから、30代になってからものすごい痛みが出て来た時も病院に行く気は全くありませんでした。2ヶ月激痛が続いて、3ヶ月おいてからまた激痛が来た。それでも病院に行かなかったんだけど・・・。当時ぴのこの貧血治療で通っていた病院の看護師さんに「お母さん、足痛そうですね」と言われたのをきっかけにもう一度整形にかかる決心をしました。看護師さんにそう言われた時はもう痛みもかなり治まっていたのですが、その状態でも他人から見て痛そうに見えるのなら病院へ行った方がいいのかもしれない・・・そう思ったんです。もし何ともなかったら「看護師さんにそう言われたものですから〜」っていいわけ出来るし。(笑)

ぴのこの病院を出てすぐに以前手術を受けた整形へ行って・・・そこで言われたことはもうみなさんご存知でしょう。(笑)絶対に病院へは行かないと思っていた私が手術を受けることにしたわけは・・・次回またお話ししたいと思います。(笑)

誤解のないよう書いておきますが、ここに書いたことは文句じゃありません。多分この病気の大半の方が同じように病院への通院をやめてしまったことがあると思いますが、当時は股関節専門ではない医療側にもその程度の認識しかなかったのではないか・・・と思います。そうでなければ・・・患者は救われないです。(^^;


股関節脱臼のオンナ」2005.5.18
雑感は自分のいろいろな気持ちを書く場所にしようと思っていますが、あんまり素直な気持ちを出しすぎると私の我が侭さが出てしまうようで、何度書いてもup出来ずにいます。(笑)取りあえず、笑いのある軽めの題から始めたいと思います。不定期更新ですので気長にお付き合いくださいね。

あれはMICと付き合い始めた時のこと・・・。縁あって交際を始めた私達でしたが、私には「彼氏」にどうしても伝えておかなければいけないことがありました。それは足の傷のこと。幼児期から何度も手術してきた私の体にはたくさんの傷が残っています。自分では全然気にならない傷も、他人にとってどういう存在なのかは分かりません。「傷のあるオンナは嫌」なんてオトコはこっちも願い下げなので何とも思いませんが、付き合ってる彼氏にどう思われるかは女の子にとっては重大事。ある日思い切ってMICに伝えてみたのですが・・・。

私:「実はね、私股関節脱臼で・・・」
M:
「えっ?あんたもか!?」

あんたもって・・・何?だいたい、こっちが必死で話しをしているのにその態度は何なの〜?何だかよく分からなくて事情を聞くと・・・MICは今までにも何人かの「股関節脱臼のオンナ」と交際したことがあるというのです。(笑)・・・確かに、私の年代には「股関節脱臼のオンナ」は多いとは思う。でも、私は同じ病気の人と出会ったことはないのよ。「股関節脱臼のオンナ」でも手術経験のある人は確率的にそんなにいないはずなんだけど、MICの過去の「股関節脱臼のオンナ」の中には手術経験のある子までいたそうで・・・。頑張って告白した私は何だかあほらしくなってしまったのでした。(笑)

変股症と分かって・・・普通だったら主人に申し訳ないって思うかもしれない。でもね、MICは誰と結婚してもお嫁さんは変股症になる可能性が高かったのよ。(笑)だから私は謝んないわよ。(笑)
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