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この作品では映画の表示を特殊な方法で行っている。たくさんの映画のシーンをMovieとして取り込むことは所詮不可能だったからだ。そのためにとった対応だったが、今見直すと本の中に映像を取り込む際の一つの方法として極めて効果的であったのではないかと思われる。ないものずくしのなかで考えた窮余の一策だったのだけれど、決して侮ることのできないアイデアであったかもしれない。
映画『浮草』のラストシークエンスでこれを体験していただきたい。 シークエンスの各カットからコマを抜き構成した。カットの長さは正確なものであり、音声はそのまま使われている。 長いシークエンスのカットに対しては、時おり複数のコマを入れている。例えば、近景と遠景に人が動くようなカットにはこの手法が使われた。注意して御覧いただくと、随所に発見できるだろう。 『浮草』 詳細Movie(18.7MB)→ここをクリック!
<関連文章>
「小津のほとんどすべての作品は列車の場面を取り入れており、多くの作品の最後のシークエンスが、列車内あるいは列車の近くで展開する。『浮草物語』『父ありき』『彼岸花』『浮草』などの作品は、列車内で終わっている。『東京物語』『早春』などでは、終わりのほうのシーンに列車が登場している。その理由の一つは、小津が列車をまさに好んだからであり、別の理由は、仮に私たちにとってそうでないとしても、日本人にとって列車は今もなお、変化と神秘の運搬具であるからだ。遠くを走る列車の悲しげな響き、どこかで新しい生活を始めるために運び去られていく人たちへの想い、旅への憧れとノスタルジア……すべてこれらは、今なお日本人の感情をゆさぶる力を持っている。」
「映画の中の日本 小津安二郎の美学」ドナルド・リチー著 山本喜久男訳より
米国でおこった電子出版の活動は、日本の私たちに多くの刺激を与えました。私たちはことあるごとにボイジャーのサンタモニカオフィスを訪ねて、起こりつつある胎動を自分のこととして受入れることに必死でした。そこは米国においてさえも特殊な変わった連中の巣窟だったわけで、日本の常識からはさらにまたかけ離れていたことは想像に難くないことでしょう。
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