Beautiful Japan
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ビューティフル・ジャパン 1910年代に製作された映画を通して見る大正時代


江戸東京博物館で開催の『美しき日本ー大正昭和の旅 展』(2005,8/30〜10/16)にて行われた講演会の記録を公開いたしました。

本展覧会では、1910年代に日本を紹介するために制作された『Beautiful Japan』という映画が展示されました。1980年代に米国スミソニアン博物館……ここに文章が入ります。

岡田正子さん紹介:



 

は じ め に




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ご紹介する映画『ビューティフル・ジャパン』は、関東大震災前の1917、8年、大正にすると6、7年に日本紹介映画として、北は北海道から南は九州までの日本各地で撮影された海外向けの作品で、外国向けであったため、撮影現場であった日本ではその後話題に上ることもなく、だからといって外国でも上映された記録もないまま約60年ものあいだ埋もれていました。

1980年に入って、サラ・マクホルド夫人という女性が、自宅にあった35ミリのプリントをアメリカのスミソニアン協会人類学フィルム・アーカイブに寄贈し、寄贈に寄与したNHKもそのビデオコピーを所蔵することになりました。以来、NHKでは大正時代をテーマにしたドキュメンタリー番組等に、数十秒、数分単位の資料映像として幾度も部分使用しています。

このマクホルド夫人由来の現存版は、二時間を優に越す長編の作品なのですが、シークエンスの繋ぎ、つまり画と画の繋ぎに大きな問題がある不完全版で、そのままでは通しの上映には向きません。それでも震災前の映像は現在残っているものが極端に少ないところから「貴重な、古くて懐かしい日本の映像」というわけで重宝に部分使用されてきたのです。人の目に触れるのが数十秒、数分単位だということもあって、なぜこの作品が作られ、なぜ埋もれ、なぜ不完全版が残ったのか等といった点に目を向ける人はいませんでした。


しかし、この作品が製作された周辺を調べてみると、今まで気付かなかった大正時代の日本が映像の向こう側に透けて見えます。その辺りのことを、映像を交えながらお話して見たいと思います。
私がこの映像について興味を覚えたのは、この作品に「長い」とか「繋ぎ方がおかしい」とかいった問題の他に、幾つか気になる点があったからです。

一通り目を通してまず奇妙に思ったのは、日本観光を誘発する目的で作られたと思われる映画に複数の外国人俳優が登場していることです。外国人俳優をわざわざ日本に呼び寄せ、拘束し、映画に出演させることは、それだけでとんでもないお金が掛かることは自明の理と言えるでしょう。貧乏性の私には、大幅な利益が望めないこういった類の作品では考えられないことのように思いました。また、この映画に工場の作業風景が多い点、あるいはヨイトマケとかサーカスの呼び込み行列等のシーンのように、長さが限られた作品の中で、美しい日本を示すのに相応しいのかどうか疑問に思われるような場面が多い点も不審に思いました。しかしそれより何より、画面上に一瞬姿を現す製作者らしい人物が一体どういう人なのかということに興味をそそられたのです。