きょうのるっちゃん99その1
BACKHOME

OLDNEW


1999年6月11日(金)
ポストペットパークで知り合った「あきっち」のお兄さまがサンリオにお勤めで。ピューロランドにご招待いただきました。ありがとうございました。うちの子はもう大きくなり過ぎちゃっているけど、幼稚園とか小学校低学年ぐらいまでの女の子は楽しくて仕方ないだろうな(あ、今はむしろ大人もキティちゃん好きなんだっけ)。いや、うちの子も大はしゃぎでしたよ。キティちゃんのおうちだぁ〜!って。でも乗り物とかはどこまでも低刺激だから、???という表情をしていました。私も一度行ってみたかったのでとても嬉しかったです。


1999年6月7日(月)
インドネシアでは総選挙の投票日。取りあえず大暴動なんかが起きなくて一安心。



1999年6月3日(木)
かっちょんたち同期の女の子とお食事。

同窓の集いの時って参加人数がむちゃくちゃ多くって、結局一人一人とちゃんと話しができないんだよね。私はそれでなくても自分の正規の期で参加できることが少なくてみんなに会えないことが多かったし。学園卒業後、こんな風に話せたのはもしかして初めてかも。久しぶりにあったみんなはとっても綺麗&たくましくなってました〜。楽しかったなぁ。話しが尽きないってこういうことよね。



1999年6月2日(水)
夫と母校を訪ねる。

同級生が教師になっていたり、在学中にお世話になった先生がわんさといるのでいつ行っても楽しい。去年はK田君のクラスでインドネシアの暴動や国際協力やら何だかんだについて話しをさせてもらったんだけど、中1だったせいか、反応がぽわ〜んとしていて、内心ハラハラしました。今年はK藤先生と、I田君のクラス(両方とも高1)のホームルームにお邪魔しました。相手も進路やら使命やらをあれこれ考える年代で受け皿も整っていたのに、1年経っても去年とあんまり変わった話しができる自分でないことに気づいてちょっとショックでしたね。

職員室でK藤先生は他の先生から「勉強ちゃんとしろって話しでしたか?」って突っ込まれて「いや〜全然そういう話しじゃなかったなぁ」って答えてました。げ。確かに、目的を達成するためにはしっかり勉強しよう!じゃなくって、今の成績が悪くて思うような大学に行けなくても目標は諦めないで努力し続けること!一念が強いとそこから思いもよらない道が開ける!みたいな話しをしてもうたから……。先生としては困っちゃったかな?ま、いいよね、いろんな先輩がいて。



1999年6月1日(火)
スワ・ギタ・プルティウィOG会in大阪!

私がガムランを習い始めた時にお宅を会場として提供して下さっていた大々先輩のM口さんとお会いできて感動でした。ギータ・クンチャナのメンバーになっているY田さんとこのななちゃんもむっちゃ可愛かった!人数は少なかったけどやっぱ関西のメンバーは迫力が違うね。ははは。ガメリちゃんを中心に、7月にはガムランを演奏する集いもやったみたい。偉すぎ。



1999年5月31日(月)
去年Mが体験入学させていただいた吹田南小学校へご挨拶に。

でも校長先生が新しい方になっていて、お互いにドギマギしてしまいました……。公立の学校ってこれが頻繁だからね〜。



1999年5月29日(土)
大阪です。MJが奈央ちゃんちでお泊まりするので送りに。

母のT美さんは、小学校の教師が天職!というような人なのに、退職してジャカルタにきていたので復職できないのは日本教育界の損失だ!と私は思っていたのです。が、なんと今は教育委員会で働いているというから感動しました。やるなぁ〜。



1999年5月23日(日)
新国立劇場で牧阿佐美バレエ団の公演。

国際電話でチケットを取った例のやつです。ちびすけJが途中で「トイレ〜」なんて言っても大丈夫なように、との係りの方の配慮で4人掛けのボックス席をとっていただいてました。まぁそんな心配は必要なかったんですが、知っている曲が出てくると踊らないまでも歌いだしちゃうMJでした。シャブリエ・ダンスのコミカルな感じが二人には印象的だったみたいで、帰り道は真似して踊ってました。アルルの女もコクトーのも、おっしゃる通り子ども向けって感じじゃなかったけれど、子どもの姿も多かったです。草刈さんがやっぱり綺麗かった〜。



1999年5月22日(土)
新宿で地下室(怪しすぎ……よく行くチャットです)オフ

去年は「6時間前に召集がかかった」らしくて(よく覚えてない)一生言われそうなので、今回は自称るしマニア(なにそれ……)を豪語するてつさんに幹事をお願いして一応24時間より前にはオフ開催を発表してもらいました。はるか長野からトラックで駆けつけてくれた方もいたりして。集まってくれたみんなに感謝です。楽しかったけど、やっぱり話し足りないね〜。



1999年5月21日(金)
以前勤めていた会社に遊びに行く。

辞めちゃって8年ぐらい経つわけだけれど、みんな相変わらずだったなぁ。この会社ってのは、私がインドネシアに行くっていう時にも、もう退職していたのに送別会開いてくれたり、こんなご時世にあって「人の心」に重きを置くような不思議で素敵なところ。その良さが相変わらず全開!って感じで嬉しかった。直属の上司だった人たちには会えなくて残念だったけど、関連新会社の取締役になって本来だったらこのオフィスにはいないKさんにも会えて(っていうか今回の訪問はKさんがセッティングしてくれた)大満足。

実は、ちょっと前に、私はふとしたきっかけからこのKさんの下の名前をどうしても思い出したくて苦心していたのです。で、あの会社なら今時HPの一つも持っているだろう、と思いつき、検索したら案の定 ちゃんとHPができていて、社員名一覧なんてのもあったのでした。で、当時OA委員長でHPの管理をしていたKさんとメールのやりとりが始まったのです。ネットがなかったら今回の訪問も実現しなかっただろうな〜と思うと感慨深い。

夜にはガメきちたちと「山城組」の公演を観に行きました。後半の現代劇のようなものに関しては私は門外漢なので良く分からなかった、としか言えませんが、前半のガムランに関してはあれこれ考えました。私たちも演奏していると「顔がコワイ」と言われることがあります。あまりに真面目すぎるのね。ジャワ・ガムランはそれでもいいのかもしれないですが、バリ・ガムランである以上、もうちょっと炸裂する雰囲気ってものが欲しかったかな〜。日本でガムラン演奏を聴く人たちがよく言うことですが「きれいにまとまりすぎている」ってところでしょうかねぇ。ご存知のようにガムランはわざと楽器のピッチをずらして音にうねりを生じさせたりするんですが、それすら機械で計られたような、計算ずくのような居心地の悪さを感じてしまいました。やっぱり大地に音を共鳴させるためには、楽器の故郷で演奏するのが一番なんでしょうか……(この感想は自分たちが日本で演奏するとしたら、ということを念頭に置いていますので厳し目です)。



1999年5月20日(木)
スワ・ギタ・プルティウィOG会in東京!

新宿のヒルトンでね。ちょっと遅れて駆けつけて、お店の入り口で「あれ?いったい誰の名前を言えばいいのだろう???」と躊躇していたら「ジャカルタ???」とお店の方におそるおそる言われました。「〜の方ですか?」とか「〜の集まりですか?」という言葉もなかったなぁ。ワタシはいったいナンだと思われたわけ?と中に入って聞いてみたら、ハッタさんの名前で取っていたのだけど「ジャカルタ・ジャパン・クラブ・ガムラン部」とも伝えていたそうな。なるほどね。しかし、そんなん普通の人に覚えられるかい……。

ま、それはともかく、95年だっけな?に帰国したOさんを始め、懐かしいメンバーが勢揃い。そしてはるばる大阪から現部長の毛利ちゃんやサリーちゃんもやってきて、そりゃあもう大騒ぎさ。私にとってはみんなずぅっと一緒にガムランをやってきた仲間なんだけど、みんながみんなを知っている訳じゃないというのが不思議な感じだったなぁ。20人ぐらいいたから、話し足りないのなんの。今度はお食事だけでなくって、ガムランに触れる何かを企画したいね〜。

夜は夜でゆりかもめに乗って、M君とお母さんと、J以外の家族とで、M君の後輩が勤める日航ホテルのお寿司屋さんでお食事しました。今まで食べたお寿司の中で、最高に贅沢だったなぁ。もちろん美味しかったし。やっぱり料理って心だよね。また行きたぁい。



1999年5月15日(土)
JJS最後の日……ってあくまでも休校前のって意味ですけどね。

夜のJALで日本に向かうのだけど、2時半にMはバリダンス、4時にはピアノ。その後はどうしても買わなければならないものを買って、家に舞い戻り、結局出発間際にならないとできないパッキングを終えたのでした。ふ〜。



1999年5月14日(金)
あの暴動からはやくも1年。いろいろ感慨深い。

前にここでも相談したけれど、腎臓病で排尿が自分でできないインドネシア人の男の子のための援助のお金をようやく渡してこられました。チャットでよくお話しするTさん(まだ実際に会ったことはにゃい)が賛同してくれて日本から振り込んでくれたお金と、(振り込んでもらってからかなりレートの変動があったんで)当時のレートでどうしても渡すのだと決めてしまった私が不足分(半分くらい?)を足してってことで、たった二人からなんですけどね。

その腎臓病のM君ちがあるのはグロゴール地区。暴動の引き金になったトリサクティ大学の学生射殺事件の あった辺り。12日はそれから1年ということで集会もあり、できれば近寄るなと親方日の丸から指示が出ていたけれど。今日を逃すと明日から一ヶ月ほど日本だし、またなんか起きちゃったら本当に一ヶ月後に帰ってこられるか分からないし、話しを持ってきたドクターに預けてしまうこともできたけれど、それ(寄付先の状況を確かめないの)は寄付をする者とその代理人としてはあまりに無責任だし。ちょっと無謀かなと思ったけれど胃痛になりながら決死の覚悟で行ってきました。

M君は排尿のことを除けば健康で、学校にも通えるほどに元気になっていました。台湾で受けたジョイント部分を作るための手術の時の写真も見せてもらいました。で、そういう騒ぎの中心の地区に住んでいる事もあり、何かあった時に備えて、薬や尿のバッグを多めに買ったばかりだ、ということでした。私たちが資金援助するそれらの物資についても見せてもらいました。

元気そうな彼と、彼の妹、弟、そしてお母さんの姿を見られてとっても嬉しかったんだけど、なんだか考えてしまうことも多くありました。まずは彼らはバッグを買うのが苦しいと言いながらも自分たちの家を持てる状況であること。「経済危機の前に思い切って買ってしまった。この家がなかったら、こんな病気の子どもを抱えて私たちは路頭に迷うところだった」とお母さんは語っていましたが、家が持てるっていうのは(その家だって、私の知り合いの中では、まさに「中」ぐらい。うちの運転手の家とそう変わらない感じです。私の知り合いには共同トイレのそば、ようやく壁と屋根がある程度の家に住んでいて、狭いのでお父さんは夜は外で寝るような人もいます)かなり裕福なのでは。

病気で苦しんでいるのは彼だけではない。お金がなくって十分な治療が受けられず命を落とす人は彼だけではない。そんな現実にはいくつもぶちあたってきて良く分かっています。それに寄付や募金というやり方は私は元々賛成してきませんでした。でも、たまたま知ってしまった一人の病に苦しむ少年を自分にできる範囲のことで手助けしたかったから、みんなに声もかけたし、運び人も買って出たわけです。でも、本当にこれで良かったのだろうか?もしかしてこのお金はもっと渡すべき人がいるのではないか?と疑問はふくれあがりました。

ここからは後日談ですが。「よろず」にこの日の訪問のさわりを投稿した時に、Aさんから「いつ自分も誰かから援助を受ける立場になるかもしれない」みたいなレスをもらいました。その時気づかされました。私は自分が圧倒的優位にいつまでもあり続けるのが当然と感じていて、彼らというのはいつか私を援助する可能性もある、同等な人間であるって意識がすっぽり抜けていたんでしょう。だから何となく生活基盤のしっかりしている彼らを援助することに違和感を覚えたんじゃないでしょうか。それってかなり奢っていることではないでしょうか。

私は自分の中で、「貧困層」の人でないと寄付をされるに相応しくないとでも決めつけていたんでしょうか。M君の家族が自力で家を建てられる努力をしてきた人であることを正当に評価してなかったんじゃないでしょうか。人間と人間ではなくって、インドネシア人と日本人、それも経済的な力の差がバックボーンにある立場という先入観で彼らに接していたんじゃないでしょうか。私にとっては自分がそんな考え方をするなんて許せないことですが。

いろいろ考えさせられました。やっぱ行って良かった。



1999年5月3日(月)
巷では晴れやかなこの日に(わかる人だけわかってくれればいいや)。

ふぇ〜い。情けない。ヒジョ〜に忙しかったので、お昼はマクドナルドを買って家へ帰る車の中で食べて、家についたらお金だけとって(途中すっかんぴんになってしまったので)速攻病院行くつもりでした。んで、マクドナルドでお釣りをくれるお姉ちゃんがやけにニコヤカやなぁと思いつつも袋をつかんで車に乗って、中身をあけたら、にゃい!食べ物がにゃい!コークふたあつしか入ってへんやんか!あ〜お姉ちゃんは「バーガーはもう少しお待ち下さいね」と言ってはったんかぁ〜!ガァ〜ン!あんまり焦ってたんで、都合のいいことしか聞く耳持ってなかった。車動き出しちゃったし。恥ずかしがり屋だから(マジでマジで)戻れない〜。一挙に空腹感倍増!

そんな時に限って家に帰っても白いご飯なかったりするのよね。ラーメン作っている暇もなかったので、お餅焼いて食べました。はい。

しかもあれですわ、メバチコ治ったか見てもらうだけで12万ルピア。ひぇ〜!1分も先生と話ししていないのに……。頭グラングランします……。



1999年4月28日(水)
いや、参りました。例のメバチコ。なんと切開手術したんです。先月から調子が悪いと言っていたお腹ですが、起きあがれなくて完全オフにした時も痛くはなかったのに、昨日どうにも痛くなってきて薬だけでももらおうと思って病院に行きました。で、ついでに目薬もと思って眼科に行ったら「すぐ切りましょう!」とのこと。もともと切ったり貼ったりするのは好きじゃなく、ガラスでざっくり足を切った時も親に黙って治しちゃうような子だったんで、ちょいショックでした。切っている最中も先生は「luar biasa(普通じゃない)」や「kuat(強い……この場合「ひどい」)」を連発するし。よっぽど膿がたまっていたんでしょうかねぇ。それでもって切って出したモノを後で見せてくれるって約束してたのに捨てられちゃうし。切られ損って感じ。

おかげで悪いモンはすっきり出た……という気はするのですが。やっぱり帰国前にはこういうことが起きるのかしらねぇ?



1999年4月24日(土)
めばちこできて目カイイ。久しぶりに自分のために薬を買いに行ったら、あら、抗菌目薬ってやっぱり売ってないのね〜。普通の目薬も使用期限が今年の7月までの売ってるし……。放散は?放散……それすらないもん。やれやれ。日頃からきちんと揃えておかなくちゃね〜。学習。


1999年4月21日(水)
今日はカルティニの日。大学でもお料理コンテストしていたわ〜。

ところで、どこだと思います?去年の「きょうのるっちゃん」を完成させようと思ったら、生ダイアリーがみつからん。いったいどこにしまっちゃったんだろう???



1999年4月15日(木)
日本人学校が始まりました。Mは3年生に進級。コンプレックスに5台来ていたバスは2台に減りました。でも学年のクラスは1クラス減っただけだったなぁ。クラスメートは30人弱はいるそうです。

髪を切りましてね。ばっさりやったのは先週のことなんだけど。フェスタ・ガムランが終わったらショートにしようと思っていたのにバタバタしていて一ヶ月以上遅くなっちゃいました。昨日ハイライト入れてもらったんで、前髪を自分の好きな型に切って、ようやく完成っちゅう気分です。あ〜さっぱりした。



1999年4月8日(木)
何週間かぶりに空腹を感じました。

めったにないことなんだけど、お腹壊しちゃっていて、ここしばらく食欲がまったくなかったんです。空腹という意味ではおなかはグ〜と言いもしませんでした(ゴロゴロならずっといってたけど)。おかげで朝も昼も食べないで済んじゃったりして楽だったんですが、さすがの私も「食事を『したくない』と思うなんて 不健康だなぁ」と感じていたのです。で、久方ぶりの空腹感。なんだか嬉しかった。こっこれよ!生きているって感じ!でもまた食べなきゃ何もできないニンゲンに逆戻り。面倒くさいのも事実です。



1999年4月7日(水)
ああ嬉しい……。5月中旬から一ヶ月ほど帰国することになりまして。それが嬉しい訳じゃないんだけど、 せっかく日本にいるんだから、こっちで経験できないことやりたいな〜と思ってたんです。で、泊まりがけで ディズニーランド行こうとか、あれこれ考えてたんですが、今日!取れたんです、バレエのチケット。

ジャカルタでバレエを観られたのは8年いてたったの2回。しかもJの年齢をごまかして(小さい子は入れてもらえない)グドゥン・クスニアン〈芸術劇場〉に入った覚えがありますからかなり何年も前のこと。そしてそれも頑張って見に行ったわりには、ぷしゅる〜って感じだったのです。この頃のMJのバレエ好きは親の私も驚くほどだから、何とか良いものを見せてあげたいと思っていたんです。

そしたらまぁありがたいことに、私たちが日本にいる間にちょっと縁のあるバレエ団が公演するというじゃありませんか。超がつくほど電話の苦手な私が、しかも親の誕生日ぐらいにしかかけない国際電話でチケット予約してしまいました。

で、案の定「小さいお子さまにはうんぬん……」ってのがいろいろあったんだけど、こちらの事情をわかってくれたみたいで、あの手この手を考えてくれて、ようやく納得できるシートの予約ができたっちゅうわけです。

日本にいられる間にバレエが観られること。それが望んでいたバレエ団のものだったこと。ちゃんとチケットが手に入る算段がついたこと。日本でも「規則ですから」の一言ですまさない「臨機応変」とかいう言葉を知っている人がいたということ……それぞれがすんごく嬉しくって。涙ちょちょぎれそうでした。



日記ツール
日記のupが面倒くさいなぁ〜、書いたらすぐupできる掲示板を手に入れるためにジオにもう一個HP作ろうかなぁ?なんて思っていたら、日記ツールなんてものができていました。便利なんだか面倒くさいんだか、まだちょっとよくわからないけど、これで少しは「きょうのるっちゃん」がまめに更新できるんじゃないかと思います。

しかし……なんでこういうのの初期設定ってドギツイ色なんでしょうね?これじゃあどんなに頑張ってもセンスのいいHP作りがどんどん遠のいていっちゃいそうな気がするんだけど……。まぁ別に品の良さが全てだとは思わないけれど個人的には目のチカチカするようなのはあんまり見たくないんで……。若者受けを考えているとしたって、今の若い人たち、原色系よりも微妙な色合いに敏感なんじゃないかなぁと思うんだけど……。これだけのサービスを提供してるんだからジオももうちょっと考えたらいいのに……。って文句あるなら自分でやれってか。

99年04月06日 11時20分03秒


OLDNEW
TOPBACKHOME