■1998年5月17日(日)
騒ぎは取りあえず落ちついたとはいえ、日本人の大部分が一時避難あるいは本帰国をする状況なので、ガメラン部のバリ行きは中止となりました。ショック。に、追い打ちをかけるように夫を残して私と子供も一時避難することに。大変な時だからこそ家族一緒にいたいんじゃありませんか?愛する国に踏みとどまって一大事を共に乗り越えたいじゃないですか?帰国を決めた時には思わず涙がこぼれてきました。敗北感がありました。何に対してだかわかりませんが。
でも、私はこれぐらいの騒ぎは覚悟の上でここに来たとはいえ、子供達はどうでしょう?篭城用の備蓄食糧・飲料水を減らしたくないがために、食いしんぼうのJの「お腹すいた〜」「喉かわいた〜」にストップをかける権利は私にはないのです。逃げ場がないならともかく、私がGOサインを出しさえすれば彼女達は日本に帰れるんですから……。「子供がいるから○○できなかった(≒子供のために○○してあげた)」という言い訳がましい生き方はしたくありませんでしたが、今回ばかりは信条に背きます。
状況が2転3転して、結局夫も含めた家族全員で一時避難することになりました。あ〜よかった。一気に帰国がポジティブなことに思えてしまう私はゲンキンなやつです。
■1998年5月14日(木)
民主化運動を求める学生のデモを鎮圧するために発砲した軍=政府への怒りを爆発させた市民による暴動……ということになっているようですが……事の真偽はともかくとして、街中、略奪・放火でえらい騒ぎです。夫は無事に帰ってきましたが、問題は長女です。下校途中の道が封鎖されバスが通れないので今日は日本人学校に泊まりです。一晩や二晩会えないぐらい、どってことないです。とにかく無事に帰ってきて下さい。
■1998年5月7日(木)
授業参観でした。1年生の時は授業中とて「Mちゃん」と下の名前を呼ばれていたMも、今や「Mさん」に格上げ(げ、名字と名前の頭文字が一緒……)。授業中にぼんやり掲示物を眺めていた私は、先生がMを指名したのに、「Mさん」の声に思わず「はい」と反応しそうに。あー危なかった。新学期から飛ばすところだった。
■1998年4月30日(木)
一時帰国中に受けた健康診断で貧血と尿潜血があったので、再検査の指示を出されました。血液検査のために3時間も待ってしまったわ。本が読めてよかったけど。待合い室ではMの知り合いの子供が次から次へとやってきて、本人のいない同窓会状態。みんな〜体には気をつけてね〜。私はあれ以来、調子悪いよぉ。病院で風邪もらってしまったパターンかも。
■1998年4月27日(月)
何のお祭りなのか今ひとつ不明なのですが、ガムランの先生がヒンズーの式典で演奏しないかと誘ってくれたので、RAWAMANGUN地域のADITYA JAYAというPULAに行って来ました。踊りや歌やガムラン演奏とで何かをお祝いするのです。ジャカルタに住むバリの人が一堂に会する感じなのでしょうか……いろいろな所で知り合っていたバリの方々に久しぶりに会えて嬉しかったです。
ぶっつけ本番では困るだろうということで、前日練習に参加できた牧ちゃんと私が、ホンモノのガムラン奏者の中にまざって演奏させてもらいました。とはいえ前日も「3時集合ね」なんて言われて実際は5時ぐらいに人が集まったし(でもその間ジャヌールの作り方を教えてもらって面白かったけど)、私たちも早く帰らなくっちゃいけなかったしで、ろくな練習はできなかったんですけどね。GONG KEBYARはなんとなく回りに合わせてうまくいきました(と思える自分の性格が好き)。知らない曲の時も演奏している人が「一緒にやろうよ!」と誘ってくれて楽器の中に座っていられる雰囲気だったし。私たちとは交代で演奏した女の人だけで編成された全く見ず知らずのグループの人達も「何で私たちの時には一緒にやってくれないの?」なんて言い出すし。
問題は誰が言ったのか「この日本人はJOGED BUMBUNGも演奏できるんだよ!」なんて声が出てひくことになったBUMBUNGです。発表会の時だって別な曲に混ざっちゃったりするブンブンを、果たして一回の練習もなしにひけるのか?客席にいるなおりんの所へ行って口ブンブンしてみたけれど、やっぱり「あれ?別の曲だ……」という心許ない結果に。「何でもいいからやってみなよぉ」と、まあバリニーズの陽気というか強引なこと。もうどうにでもなれ!と演奏を始めると、要は騒ぐ理由が欲しかったんでしょうねぇ、やんややんやの大喝采。舞台で踊る人まで出てくるし……。さすがです。ひいてる本人はどうしても終わり方が思い出せなくて冷や汗タラタラだったんだけど、どうしたものだか終わることもできました。ふう〜。今度からいつでもブンブンぐらい演奏できるようにきちんと練習しよう(と毎回決意はする)。
まあできはともかく、むっちゃ楽しかってん!
■1998年4月18日(土)
お恥ずかしい話ですが、これだけ長いことインドネシアに住んでいて初めてジョグジャカルタに行きました。夫の父と叔父にボロブドゥール遺跡を案内するのが目的だったのですが、やっぱり本で見るのとは違いますね。感動しました。暑さでばてている私以外の人を置いて「これがあの仏話のレリーフか!そしてこれが隠れた基壇!」なんてバタバタ走り回ってHERITAGEしていた私でした。案内するとか言いながら一番楽しんでいたのは私です。すみません。
■1998年4月17日(金)
昨日からM新学期!親子共々はりきって乗車地点に行ったら、どうしたことかスクールバスがもういない!いや〜ん!おいてきぼり!たまたま近くのバスがまだ発車していなかったから乗せてもらえたけど……。去年は寝過ごして2回乗り遅れてるからな……。先が思いやられる。
■1998年4月14日(火)
ジャカルタに戻ってきました。こんなご時世だから、いつ渡航禁止令が出るかと思って冷や冷やしていました。無事に戻れて良かった。
■1998年4月5日(日)
今回、日本には「雪」と「桜」を見ることを大目的に帰って参りました。桜はさすが国の花というだけあって、どこにでもありますね。山の中にも咲いてたりして感動。Mぐらい大きくなった子供が「あれも桜?これも桜?きれいだね〜」なんていちいち言って、回りの人に変な顔されるのには参りましたが。
さて、雪の方はいっくら寒いと言ったって東京・神奈川では限度があるので、2泊3日で草津に行くことにしました。いや〜いいですなぁ。温泉!旅館のお食事!お布団を4つ並べて敷いてゴロゴロして遊んだり(子どもがです)、雪山でやっぱりゴロゴロして遊んだり(だから子どもがですってばぁ)楽しかった!私も「雪を見ながら露天風呂で泳ぐ」というかねてからの願望(どんなんや)が成就してゴキゲンです。次は「海を見ながら温泉で酒を酌み交わす」やな(まだあるんかい!)。
■1998年4月1日(水)
牧ちゃんのパソを求めて秋葉原にお出かけ。しかし!南国モードの私たちに喧嘩売ってんのかぁ!というぐらいの寒さ。ガタガタ震えがきて参りました。結局牧ちゃんには今うちにあるパソを使ってもらうことになりました。はい。
■1998年3月31日(火)
今日は今日とて、(当時)東京メトロポリタンテレビジョン(MXTV)のプロデューサー戸羽克徳さんにお会いしました。なーんて書くと何事?と思われる方もいらっしゃるでしょうが、彼とはとあるチャットルームで出会ったのです。いわゆる「オフ」というやつですな……小規模ですが。昨日の蝶野さんもそうでしたが、ネット上だけでの知り合いが現実の生身の人間として登場するのは感動的です。特にチャットなんて、いくらでも嘘がつける世界ですから、知っている通りのプロフィールの人が現れると、世の中まだまだ捨てたもんじゃない……という気分になります。
MJに(局は違うけど)かつて私の仕事場でもあったテレビ局というものを内側から見せてあげたかったので、ご無理を言って局の中を案内していただきました。やっぱりあの子達、カメラでお互いを撮し合いっこしたりで盛り上がっちゃうんですねぇ。恐ろしかったです(戸羽さんもでしょうが)。蟹もたらふくごちそうになってしまったし(レッドロブスターでもMJはロブスター触らせてもらったりして……日本も案外、子供に大らかな人たち、いるんですねぇ)。その他諸々のことも含めて、ありがとうございました。
近々るっちゃんは戸羽さんのお手伝いをすることになりそうです(2000年、鳥羽さんは別の局に移られました)。
■1998年3月30日(月)
ジャワガムラン・グループランバンサリの練習にお邪魔させていただきました。4月13日に行われるミニ演奏会「ランランガムラン」の前で、本当にお邪魔だったとは思うのですが暖かく迎えていただいて嬉しかったです。
そもそもランバンサリには誰一人として私の知り合いはいないのですが、HPをリンクさせていただいた関係でメールをやりとりしていた蝶野さん(彼とてメンバーではない。99年注:現在はメンバー)が間を取り持って下さったおかげで見学が実現したのです。ネットの上でしか知らなかった人格が体温のある人間として目の前に現れるという体験は初めてだっただけに、表現しきれない不思議〜な気持ちになりました。
■1998年3月27日(金)
6年ぶりの春の日本!そして4年ぶりぐらいかな?ひさびさの高円寺です。お店はまぁ多少かわったりしてますが、肝心な人たちにはしっかり会えて嬉しかったです。けさ日本についたのよ?え?でも今日中に写真出さなきゃ一時帰国終わるまでに新しいのが出来上がらないの?何だかなぁ……というめんどくさい制度のもと発給されているパスポート申請のために入った写真屋さんまで名前を覚えてくれていたのでびっくりです。料金をおまけしてくれた上に、MJにお土産まで買ってくれたりして……商売になっているのだろうか?「辛い時期を支えてくれたお客さんのことは忘れないよ……」と語ってくれた洋服屋のお兄さんの言葉は胸にしみました。
■1998年3月14日(土)
またまたショック……。HPのコンテンツが削除されてしまいました……。バックアップがあるのはいいんだけど、直接ジオにあるファイルを更新していた掲示板と「きょうのるっちゃん」は復旧不可能と判明……。るっちゃんまたも脱力状態。ホワイトデーやいうのに……だから真っ白ってか?しゃれにならんぞー
■1998年3月4日(水)
ショック……。クラウンプラザホテルで開催される予定だった帰任教師送別会が中止になってしまった……。∵大統領などを決める国民会議が行われる3月1日〜11日とその前後1週間は政治集会をひかえるようにお達しがありましたからねぇ。でもそんなのうーんと前から言われていたことやのに……なんで3日前に中止にせなあかん?送別会をどう見たら政治集会に誤解されるのかも分かりません……。せめてあと一日 早くわかってれば、寝ないで作業することもなかったのに……(そんなギリギリまで作業しなかったあんたが悪いという声も)。とにかくるっちゃん脱力状態。
■1998年2月15日(日)
呼出音のメロディーが自分で作れる携帯電話を買ってしまった!ガメラン部の牧ちゃんと、彼女がメラで私がヒタムという分担でガムランの曲を一節入力し、二人で同時に鳴らすと一つの曲に聞こえる、という遊びがしたかっただけなんだけど(なんのことやらさっぱり分からん?という方は「電脳ガムラン部」へGo!)、そういうおバカなことをする自分が結構好き……(おいおい)。
■1998年2月12日(木)
(♪この日のテーマ曲は「Blood Line」by浜田省吾) 不覚にも学級懇談会で泣いてしまった。自分でもびっくり。インドネシア人のお母さんが「自分がこうだから子供も差別される。自信をなくしている」みたいなことを言ったので「差別なんかするような奴は、そんなことしかできないしょうもない人間だ!すておけ!Jangan kecil hati!」と言いたかったのだけど、思わず涙が出てきて最後まで言えなかった。本当に自分に自信がある人間というのは、人と自分の違いをきちんと受けとめられるし、その上で相手を尊重した行動がとれるはずだ(世の中同じ人間ばかりだったらどんなにつまんないか!)。人を蔑むようなことばかりしている人は、本当は自分と同じレベルまで相手を引きずり降ろしたいだけなんだ、と私は思う。人を蔑んだ時点で、蔑まれた方より蔑んだ方が下のレベルにきちゃってるの。
決して外国籍の(でも本当は国籍的には彼女の方が「この国」の人のはずなんだけど。それはまた難しい問題だ)お母さんが強い立場でいられない日本人社会の中で、なおかつ彼女達の自信をなくさせるような行動がとれる日本人がいるなんて悲しい。いつも人の輪(和)の中に入っていく努力を怠らない(見ていて本当に偉いなと思う)、明るい彼女がそんな事で苦しんでいたとはショックだった。
またもゲーテより。「すぐれたものを認めないことこそ、即ち野蛮だ」
■1998年2月1日(日)断食明けのお正月休みで久々の完全オフになったので、HPを作ってみることにする。HTMLを初めて知る。暗号を解読すると画像になって答えが返ってくるようで面白い。が、突然思い立ったので、もう中身はごちゃごちゃ。とりあえずぼちぼち更新するのだ。