2002年7月27日(土) Mの志望校の学校説明会に行ってきた。説明会で感動のあまり涙ぐむ人のいる学校ってのもあんまりないんじゃないかなぁ。早く着きすぎたと思ったけど開始30分前には1500人ぐらいは入れる講堂の半分が埋まってて(開始時刻にはもちろん満杯)「早くから来られてお待ちの方のために!」と吹奏楽部が熱演してくれるし。その辺の配慮がいかにも学園だぁ。合唱団の歌う愛唱歌「この道」やら現役学園生の合格体験発表とか聴いてたらうるうるきちゃったさ。学園長の「ここがどんな学校か、私が多くを語る必要はありません。生の生徒たちの姿を見ていただくのが一番だと思います!」というシンプルな挨拶に誇りと愛情が溢れていた。また「『この道』を歌う時、女子卒業生は歌に込められた思いに感動して泣きます」とおっしゃっていた。あ、泣いても許されたか……とちと安堵した。懸命に堪えてたからさ、こんなトコで泣いたら変だと思って。北海道から鹿児島まで国内各地のみならず、遠くポルトガルからみえてた方もいたなぁ。教育環境もますます充実してきて、「記念受験」なるものをしたくなる気持ちも分かると思った。35度-25度
2002年7月22日(月) NTTから間違い電話がかかってきた。いいのか?そんなことで……。33度-24度
2002年7月9日(火) PTAの社会見学で京都市市民防災センターとアミタ本店に行く。これはなかなかヒットです。防災センターでは、消化器を使っての消火体験、煙の充満した室中を逃げる避難体験、風速32mの強風体験、震度7までの地震体験なんかをしてきました。論より証拠というか百聞は一見に如かずというか訓練の大切さを痛感。特に天災って抗いようがないとただひたすら恐怖心を募らせていたけど、やっぱりある程度の「備えあれば憂いなし」は事実だわ。 アミタでは京七宝作りを体験。子どもの頃七宝焼きってやったことがあるんだけど、その頃とはお手軽さが随分違ってる。七宝焼きクラブとかある小学校もあるんだって。面白い。
帰り道、公園で突然「誰のお母さん?」と男の子たちに呼び止められた。何と答えたもんかと躊躇していたら「Jのお母さん?」と。何で分かるねん……。ってこの話を家でしたら「だってるっちゃん有名だもん」ってMJに言われた。なにそれ。しかし知らないおばちゃんに声かけるなんてやっぱり大阪の子は人懐っこいというか度胸があるというか。28度-24度
2002年7月4日(木) 生まれて初めて救急車を呼んだ。外を歩いてたらたまたま目の前で交通事故が起こってしまったもので。こういう時に自分の苦手ってやっぱり出るもんで。「怪我をされている方は何歳ぐらい?」と訊かれて「そんなの見ただけじゃ分からないよぅ」と思ってしまった(私は人の年齢を読むのがすご〜くヘタクソなのだ。同い年の人だけはピンとくるんだけど)。今から思えば適当に「若い」とか「20代ぐらい」とか言っとけばよかったのに機転が効かないっちゅうか。痛くてそれどころじゃないだろうに、怪我してる人に「何歳?」ってきいちゃった。ごめんなさい。人だかりの中で大声で自分の年齢言われたくもないだろうし。もう二度とこんな現場に鉢合わせたくはないけど、これからは他人を見てもパッと「何歳代」と当たりをつけられるようにならなくちゃ、です。 あと電話をかけてから自分がそこの地名を知らないことに気づいて焦った。街区表示板が運良く見えて助かったけど。ストレンジャーだというのはこんな時言い訳にならないっす。それと、やっぱり時間によゆうをもって外出しなくちゃな。救急車は5分もかからずやってきたけど、なんだかんだで授業参観に遅刻しちゃいました。見た目は大した怪我じゃなさそうだったけど、あの人、ホントに早く良くなってますように。29度-22度
2002年7月3日(水) いちごちゃんに貸してもらったガムランCDを聴いている。う〜ん。やっぱガムランってカッコいい。ドキドキしてくるわ。血が騒ぐってこういうことね。これを自分が弾けるっていうのもまた感動的だ(正確には「自分たち」が弾けるんだな。一人じゃどうしようもないのが実証済み)。よく2年も何もしないでいられたなぁ……。31度-22度
2002年7月2日(火) いちごちゃんと江坂でデートした。おほほ。東急ハンズの前でばったりMと出会った。彼女のお友達に「日本人?」って聞かれた。あはははは。子どもってストレートねぇ。いちごちゃん曰くエレベータに一緒に乗っていたお客さんからも私はジロジロ見られていたそうな。 ミスドでお茶してた時、私は外の道に面しているガラスに背を向けて座っていたんだけど、いちごちゃんが「こっち(外に顔を向けている方)に座ってたら『うわ〜ガイジン』とかって指さされるんちゃう」と言った。江坂を行き来する人はそんなに田舎モンとちゃうと思ったが、その直後に私の背後のガラス窓をドンドンと叩く輩が。誰じゃいと思ったらまたしてもMがいた。一日に二度も外出先で娘と顔を合わせるというのはちょっと楽しいことではある。でも窓ガラス叩くなよ……指さされるよりびっくりしたやん。30度-22度
2002年6月28日(金) CAPの大人ワークショップに出た。こういうの学校でやるっていうのが有り難いなぁ。日本全国どこでもそうなのかしらん。それともここが頑張ってるのかなぁ。呼ばれたい名前で呼ばれる、っていうのは自分として存在するために大切なことなんだと実感。そしてまた「前から知っているような人」に出会った。単に親しみ深い顔立ちってことなのかもしれないわね。 関係書籍を2冊ほど熟読したもんで分かっているつもりになってたけど、やっぱりスペシャリストのお話を聞くというのは大切なことだ。今日の発見は告げ口の定義かな。自分は困ってないのに人の悪さをエライ人に言ったりするのが告げ口で忌むべき行為。一方、侵害されたorされそうな自分の権利を守るために力のある人に事態の説明をするのは「相談」で奨励されること。こういうの子どもの頃に教えてもらってたら気が楽になっただろうに。抱え込むタイプだっただけに。あと暴力を受けた「イヤな思い」ははき出して癒されるものだけど、「もう全然平気!」って言えるようになるまでは何回も聞いてもらわなきゃならないってこと。「もぅえぇやん、そのことは」って言いたくなるほど話を聞いてあげてって。逆に言えばいっぺんにへん話して癒されなくても「私ってばこだわりすぎだろうか」なんて引け目を感じることはないのら。それと「暴力に使われる武器とは?」って質問に対して親のワークショップでは「手・足・言葉」ぐらいしか出ないけど、子どもに聞くと「棒、ナイフ、バット、原爆……」とごつ生々しく恐ろしい単語が並ぶそうな。だから何、ってことじゃないけど、意識がそこまで違うのだと。いろいろ興味深いお話満載でした。28度-19度
2002年6月25日(火) 携帯を買ったら早速変なメールを受け取った(っていうか、こういうの体験するまではオリジナルアドレスとか設定するの待っとこうと思ったんだ。好奇心)。20歳男性、メル友になりませんかという内容なんだけど、「絶対いたずらとか迷惑メールじゃないんで」って言っておきながら番号は適当に打ったとか。それが既に迷惑なんだってのに……。21度-17度
2002年6月20日(木) 飛び込みの営業に遭遇した。大変だねぇ、ああやって一件一件回っていくんだ。でももうちょっと注意深かったらうちが同業者だってことはピンポン押す前に分かっただろうに……。26度-22度
2002年6月11日(火) やっぱりやってしまいました。タクシーのドアを自分で閉めようとしちゃった。あとねJが「モノレール」って看板を見て「モルール?」って読んだのを情けなく思っていたら、私も今日まちなかで看板を見て「『感重力がある』って、どんな力や?」とちょいと悩んでしまった。ええ、「感動がある」って書いてあったんですけどね。フォントが手書き風でまぁ見難かったんですわ(←言い訳)。29度-22度
2002年5月23日(木) バレエ教室でまで、はからずも送別会。教室やお母さん方をあげてこういう接し方をしてくれるとは思ってもいなかったので、すんごい嬉しいかも。さすがの私もウルウルきそうだな〜。インドネシアを発つ時は、ちょっとぐらい(飛行機で7-8時間なら「ちょっと」だわな)離れてもその気になればいつでも会えると思っていたし、8年もいる間にいろんな人と「会えなくても大丈夫な何か」がお互いの中に築けていた気がする。でもチリはさすがにちょくちょく来られないしね。ここで「じゃあ、さようなら」ってお別れした人とは一生会えないかもしれない。なんて思うとやっぱり切ないものが(あ、いずれも生粋の現地の人相手の話ね。日本をベースに会える可能性のある人にはこういう感情は起こしません。でないと心がもたない)。 特にバレエの先生っていうのは、たった2年のつきあいでも、やっぱり親みたいな存在になっちゃうしなぁ。サラはバレリーナのペンダントをMJと私3人にくれた。銀かなこれは……。もっとクールで去る者は追わず的な人だと思っていただけに感慨もひとしお。世界的なバレリーナになって恩返しするわ!とは誓えないけど今後もバレエ人生を諦めないようにだけはしたい。朝、晩と2回も地震があった。19度-6度
2002年5月22日(水) なんか変だと思ったらパンツを横向きに履いてた。ヒップが入ってしまう足ぐりっていったい???っていうかJとやっぱ親子だったのねってカンジ(「MJ」1998年3月1日参照のこと)。23度-5度
2002年5月10日(金) バタバタと船便が出ていった……。あれもこれもそれもなにも色んな人にあげたりして、棚やら楽器やら大物を含めてすごい荷物を減らしたつもりだったのに結局80箱になんなんとしている。この2年で(逆に増えたものもあるにせよ)30箱分しか処分できていなかったというのはちとショック。こんな荷物はいったい日本のどこにキープしておけるというのだ??? 後日談だけど、ちょっと興味深かったのが作業にあたった人に「荷物に生き方が出ていますね。見習いたい」的に言われたこと。そんな印象を持たれてしまうぐらいには他の海外駐在邦人家庭とは持っているモノの種類が違ったらしい。一般的には圧倒的に食器や台所周りのモノが多いんだって。食器も文化だからね〜。特に和食にこだわる人はたくさん必要なのは頷ける。私はその点、現地で買えるモノを使って置いていく方針だからなぁ(それでも茶器ぐらいは持って歩いてる)。特殊な器具が必要な料理も作らないからこれは誉められたもんじゃない。
服も一人一箱ぐらいで収まっちゃったよなぁ。バレエやバリダンスの衣装なんてもので独立した箱ができちゃったとはいえ。あと(私のはあるけど)子どものマンガやゲームの類も皆無だな。
逆に何が多いかって、まずは10箱に及ぶ楽器の類ね。グランドピアノやらドラムセットやらコントラバスを運ばないだけマシやんね。でも何で私、こんな嵩張る楽器ばっかりやってんだろう???。あとは心を鬼にして徹底的に処分したつもりでもやっぱり多かった書籍。辞典だけでも本棚一列分あったりするし……。それと資料とかCDとかコンピュータ関連のものとかかな。でもまぁどれをとっても仕事絡みだったりして、デジタル化が間に合わなかったにしろ無くてはならないものだから仕方ない。カッコつけるためじゃなくて必要だからあるわけで……なるほど、だからこそ「生き方」という風に見られるんだねぇ。
どの家の引っ越し荷物にも(もちろん住んでいる段階でだって)生き方は出るでしょう。そういう意味では引っ越しのプロに入ってもらうってちょっとコワ面白い。うちだって「なんやねん、この家」って思われた部分があったって、そんなことは胸にしまわれてるんだろうし。23度-5度
2002年4月22日(月) 床暖房入る。天界である〜。20度-6度
2002年4月20日(土) 日本人学校でチリ国花コピウエを見て、デエサのゴルフクラブでのんびりし、ごんちゃん帰る。気をつけてー!22度-6度
2002年4月19日(金) テヒドに一緒に行きました♪映画館の前でスペイン料理を食べ、アプマンケのアルテサニアでお土産買い。夜はポワントクラス。やっぱり前よりきちんと立てるようになっている気がする。今まで躊躇してたんだけど、更衣室のシャワーが使えて嬉しい。ヴァレンティ○○も以前テアトロ・ムニシパルでプリンシパルを勤めていたようだ。待合室に置いてあった雑誌に、ちょうど昔の市立劇場の演目が出ていて、それを見ていた誰かが「あ、ヴァンレンティ○○!」と叫んだら当人も「おやまぁ懐かしい!」とさらっと流す。誰も偉ぶらないところが偉いよなぁ、ここの人たち。しかし、その雑誌に売り家広告が出てたんだけど、サンティアゴって広い庭にプール付き・サウナ付きみたいな豪邸が3千万円で買える世界なんだよなぁ。日本でせこせこ働くのが辛くなっちゃうね。晩ご飯は「さくら」で食べたんだけど……だぁりんは同じボルデリオの中で飲み会。行ったり来たりと二股かけられる。21度-7度