きょうのるっちゃん2002その2
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2002年4月18日(木)
今日もいい天気。ごんちゃんの持っていた本(誰だっけ、イタリアかどこかのデザイナーの家の写真が載ってた)に触発されてパブロ・ネルーダの家を見に行くところからスタート。コピアポ方面で大きな地震があったらしく、サンティアゴも若干揺れたんだけど、そうとは気づかなかった(秋休み中の地震はかなり長くてドキドキしたけど)。壁掛けが揺れていたのは見えてたけれど前の見学者が揺らしていったのかと思ったし。こうなるとごんちゃんと同時に見た津波の夢が天災の予知夢かなと思ったり。夢分析的にはいろんな解釈はあるけど、お互い環境が激変する(であろう)状態の渦中にあるからこういう夢も当然かという気もするし。それはともかく、前に来た時はそれほど感じなかったけど、彼のメインの家がある(コレクションも豊富らしい)イスラ・ネグラに行ってみたくなった。

ベジャビスタの「コモ・アグア・パラ・チョコラテ」が通りかかった時間に開いていたのでお昼を食べる。夜しか行ったことなかったし、その時はユカタン・ディッシュなんて特殊なモノ食べたりしたから不安だったけど、他のもいけるじゃん。とにかく量が多くて参ったけどマリネーラのパスタみたいなのの味は良かった。

その後ずっと気になっていたキンタ・ノルマル公園前の「アルテキン」へ。パリの万博かなんかの時のチリのパビリオンとして使われたものらしい。1階に飾られている絵はセレクションとしては面白いけど、いかんせん模写でもない(そっちの方が問題か)ただの印刷なので「いかんよぉ、ホンモノを見なきゃ」とごんちゃんと意見が一致する。全然感じるモノが違うもんね。2階はいろんな美術教育が行われるところらしく、構図や光の仕組みや画材の違いなんかについて展示されてたり、マッキントッシュを使ったタッチパネル式の美術プログラムが走ってたりした。これは興味深かったんだけど、時間切れで退却。帰りに中央駅も見る。夜はバレエ。22度-7度



2002年4月17日(水)
やっとすっきり晴れたかな。ごんちゃん来てからずっと上着が手放せなかったけど、ようやくノースリーブとかで出歩ける天気になってやれやれ。家の前のフェリアとパルケ・アラウカーノを散歩。ビタクラショッピングとお隣のアルテサニアにも行ってみた。見せてあげたかったアンデス方面の雪山も見えて一安心。23度-5度


2002年4月16日(火)
国立美術館からアルマス広場を通ってプレコロンビーノ美術博物館へ。うっ、名前をど忘れした……クーデターの銃痕が残るというホテルの上のレストラン「ルーフガーデン」でイチゴリゾットを食べる。

ピルエットがなんかうまくできないなぁと思ったら先生が「大丈夫?足がどうかしてるんじゃない?」と言った。そのとたん何だか異物感を覚えたのでバレエシューズを脱いでみたら何かがタイツの中に入っている。引っ張り出してみたらステープラーの針だった。???。いったいこんなものがいつタイツの中に?しかもセンターも終わりのアンシェヌマンまでどうして気づかなかったんだ???……ふとインドネシアのドゥクンを思い出してしまった。いろんな面で不調な人が訪ねていくと「頭痛の原因はこれですよ、ほら。あなたには呪いがかけられていたんです」とお客さんの額とかから五寸釘を抜き出してくれる。そんな物がそんなところにある訳はないんだけど、その日から気分スッキリ。そうか五寸釘があったんじゃ頭も痛くなるわね、と誰もが納得しちゃう。直接目の前で見たことないからそんなの信じられないと思ってたけど、まさに今日ヴァレンティ○○のやったことがドゥクンみたいで(針を取った後は確かにピルエットもバランスも楽になった)。ますます魔女っぽい。23度-4度



2002年4月15日(月)
チリらしい料理をということでベロニカさんにカスエラとペブレを作ってもらう。Yさんもお招き(?)して一緒に食べてからアルト・ラスコンデスへ。帰ってからYさんのスペイン語家庭教師・マルタちゃんの大学の宿題を手伝う。意外と難問で現役日本人のごんちゃんも苦労してた。夜はボルデリオのザンジバルへ。お気に入りスポットフルコースやなぁ。19度-6度


2002年4月14日(日)
ごんちゃんには鼓笛の練習にもつきあってもらった。練習は今までで一番充実してたかも。うーん、ツボがつけるようになってきたところで移動しなきゃいけないのは辛いなぁ。サン・クリストバルの丘に登った。上のレストランでお食事。意外といけるのよね、ここ……。ロス・ドミニコスでお土産をいろいろ見た。カリンバ作りにさらっと誇りを持ってる人とか、売り物の笛を思わず買いたくなるように上手に吹いてくれちゃうような渋い職人さんたちがたくさん。いいなぁ、ここは。22度-8度


2002年4月13日(土)
なんだかんだ言って激しく筋肉痛……ポワントレッスンのせいですね、情けな……。ポルティージョとビーニャ・デル・マールにチリ横断ドライブ。インカ湖が青くて驚いた。もっとエメラルドグリーンだと思ってたんだよね。途中の川の水も春・夏来た時とは色が違うし、またまたびっくり。小豆色の川とと緑色の川が混ざり合う部分があったり、透明な青緑の川があったのに……今は全体に濁り気味?ポルティージョのホテルのレストランは案外いい雰囲気で美味しい。ごんちゃん来てから久しぶりに晴れたかな。21度-9度


2002年4月12日(金)
今日もごんちゃんともどもヨガのクラスへ。Yさんも加わってセントロへ。KIL MOKでお決まりの石焼きビビンバを食べる。国宝建築・中央市場とマポチョ駅跡を見学に。建物とかにも興味がある人で良かったわぁ。

ポワントクラス開始。思ったより踊れた。調子に乗ってる場合じゃないけど。せっせとGOスパに通った成果が出ただろうか?

夜はアストリッド・イ・ガストン♪相変わらず美味しい!安心して食べられる。19度-9度



2002年4月11日(木)
MJ学校スタート。ごんちゃんとGOスパのヨガのクラスに一緒に出る。身体堅いんだと言ってたけど、そんなことないー。ごんちゃんってほわほわと冷静に何でもできてしまうから不思議な人。その後だぁとワインのお店「Vino del Mundo」に行って滞在中に飲んでもらうワインを物色する。お昼はその向かいにあるスペイン料理のお店へ。パエリアが美味しいかった!

バレエでは今年度もポワントクラスに声かけてもらえた。嬉しい。19度-7度



2002年4月10日(水)
午前中はGOスパに行って、ピラーティスとアクアビクスのクラスとスチームサウナを堪能しました。アタカマ帰りにも思ったけど、旅の疲れを癒すのにこういうのはよいです。秋休み最終日だったので、お昼はMJも一緒に映画館の前のマリスコスのお店で食べて、アプマンケでMが欲しがっている「瓶」探しにもつきあってもらいました。アタカマのお土産の砂を小ビンに入れてお友達に配りたいんだってさ。日本だと東急ハンズとかで簡単にみつかるんだけどねぇ。イメージ通りのものをみつけるのは難しいと思ったけど、けっこういいのに巡り会えた。

夜は市立劇場にバレエ「リーズの結婚」を観に行く。こんなにおもしろい話だとは思わなかった。これで市立劇場にバレエ観にこられるのも最後かと思うと何回かジーンときちゃった。ちょっとぐずついた天気なのが残念でしたぁ。20度-6度



2002年4月9日(木)
ごんちゃん着。空港に着いたら予定の時間より30分早い掲示が出ていてびっくり。早く着くなんてこともあるのね……。そしてごんちゃんの身軽さにもびっくり。デイパック一個で来たよ?すごいなー、自分に不必要なものをそぎ落とせる人なんだろうな、きっと。

ちょっとでもいろいろチリを見てもらおうと、疲れてるだろうに空港からコウシーニョ宮殿へ直行。博物館同好会に混ぜてもらって見学。その後いま日本で話題になってるらしいアニータのレストランを見てメキシコ会館で食事。夜はバレエのレッスンにつきあってもらっちゃった。パルケアラウコで薬局巡りもしました。24度-8度



2002年4月7日(日)
約1年間わが母校に語学留学していたCが帰ってきた。日本語はそれなりにできるようになってるんだけど、どうして妙なお辞儀を身につけちゃうかな。時折アメリカ映画とかで面白おかしくニホンジンの真似をしてるシーンがあるけど、まさにああいう忙しない過多なお辞儀をしちゃう人多い。つまりそういう人ばかり周りにいたんだろうし、そう見えちゃうんだろう。同じ和式のお辞儀でも優雅にやりようはあるんだけどねぇ。24度-8度


2002年4月5日(金)
ようやく時間の都合がついてGymno Terapiaのクラスに出る。肩こりや腰痛など不調なところをインストラクターに告げると各々に必要なおうちでできるエクササイズを組み立ててくれるっす。それをその場でやってみるんだけどね。確かに私は何をしても肩に不要な力が入りすぎていることを認識。これじゃ肩も凝るし踊ってても上半身がかたいわけだ。28度-9度


2002年4月2日(火)
サラってベン・キングスレーに似てる。顔立ちだけじゃなくて仕草まで。サラが恋しくなったら彼の映画を見ることにしよう。しかしさすが俳優さん、ガンジーの役作りは何度見ても凄いよなぁ。その印象があんまり強烈だったもんで、今まで彼と気づかないで見てた映画もあったのだった。

もう一つテレビがらみで気づいたことが。名探偵コナンの放送時間枠がどうして毎日微妙に違うのかなと思ったら、エグい現場のシーンがカットされてるのね。血を生々しい色にしなかったりとかオリジナルも配慮は見られるんだけど、こんなのが子ども向けの番組として放映されてる日本はなんだかなぁ、と思っていたのだ。やっぱりね。でも、ああバッサリ切られちゃうと話が見えなくなったりもする……。26度-6度



2002年3月28日(木)
キューバのサーカス芸人という人がスタジオにやってきた。研修中なのかな。サーカスの人だけあって、まぁ体の柔らかいこと……。180度開脚どころか200度ぐらい開いちゃうもんね。でも本人も言ってたけど、やっぱバレエは難しい。私は小さい頃からカラダ固くて。バレエ下手くそなのをカラダ固いせいにしてたかも。体さえ柔らかかったらあれができる、こうなれるって今日までは夢想してた。でも違った。当たり前だけど体が柔らかいだけじゃバレエにはならないっす。逆に言えば体が固くても美しく踊ることはできるのです。柔軟も大切だけど私はどっちかというとそういう方を頑張らなくっちゃあな。26度-8度


2002年3月26日(火)
名残惜しくもイギリス湾をあとにし、406km走ってラ・セレナ到着。ラ・セレナのちょいと北辺りは砂漠といえどサボテンのゴロゴロ具合も表情豊かで走っていても面白い。ラ・レコバ市場でお昼を食べてお土産購入。客引きっていうのかな。「うちの店で食べて!」「買って!」というお兄さんお姉さんに囲まれちゃってお断りするのが大変。エントランスで車を降りた瞬間「俺!俺!俺が運ぶよっ!」とわらわらと群がってくるジャカルタのゴルフ場のキャディを思い出しちゃう(私はあれが苦手で結局ジャカルタではゴルフをしたいと思えなかった……)。

一路サンティアゴへ475km(あれ?行きと距離が違う気が……)。途中スピード違反にひっかかっちゃったりしたけど、何が悪かったのか・どうしたらいいのかよく分からないまま(本当にスペイン語分からないし)無罪放免してもらえて助かった。峠を越えてすぐ街に入るような地点では要注意。制限速度が急に50km/hになってたりするし。とにかく事故もなく無事におうちに帰り着けて何よりでした。

何だか価値観が変わっちゃったなぁ。特に距離感が。サンティアゴは狭い狭いと思っていたけれど、そして確かに私が今まで住んできた東京やジャカルタに比べたら10分の1にもならない規模の小さな街には違いないんだけど、チリ国内の色んな街を通過してきた今となっては一国の首都なりの貫禄を感じる。物も豊富だしね。ここに住んでる今でも十分窮屈なのに、他の地方都市に住めって言われたら苦しむだろうなぁって感じ(自然は豊かだろうけど……私はアウトドア派じゃないし)。

と同時に距離全般に関して、やっぱり感覚が違ってきた(戻ってきた?)。50kmぐらい離れてるだけなら近所じゃんね。100km弱離れているランカグアに毎月鼓笛の練習に行くにしたって、路線バスに乗って中央バスターミナルまで行って、長距離バスに乗って、という手順がめんどくさいだけで、自分の車で行けるんなら大した負担じゃないなぁ。ここはジャカルタと違って大した渋滞もないしね。3700kmを5日間で移動してさほど疲れない良い道を造る技術もある国だし。

全体を通して「ある程度の責任を果たせば、型にはまらず自由に生きることに罪悪感を感じなくていいんだ」って思うに至った旅だった。何がそういうことを考えさせる切っ掛けになったのかは自分でも不明だけど。本日の合計走行距離は約881km(カラマの気温:最高22度-最低16度、ラ・セレナの気温:最高20度-最低12度、サンティアゴの気温:最高25度-最低8度)。



2002年3月25日(月)
この辺はかつてボリビアとの戦いでたくさん埋められた地雷がまだ撤去し切れてないそうな。アタカマ辺りに行くんだと言ったら夫の仕事仲間が「だから勝手にあちこち歩いちゃダメだよ」と教えてくれたって。その気になって見るとそれらしい看板が出ている。恐ろしいこった。

さて、お次は白い砂浜探しの旅。パン・デ・アスカル国立公園を目指す。サン・ペドロ・デ・アタカマから723km。幾つも候補があってここか?ここか?と降り立つたんびにさらに白くなる砂浜を発見。結果的にはチャニャラルに一番近いところが一番白さを感じたかしら。チャニャラルの街の海岸も十分白い(行きは気が付かなかったんだけど)。車が海岸近くに停められなくて、夫を車に残してMJと3人で大きな岩を越えていくアドベンチャー体験。途中で大好きな石コロや珍しいサボテンとか見られて大満足。最高楽しい〜。

126km走って夕方にイギリス湾到着。青い海、白い砂浜とはこのことね。泳げるシーズンじゃないのが残念!これまたNさんお勧めの素晴らしいホテル「ロカス・デ・バイア」に一泊。その辺では有名なんだろうけど、隠れ家的にこぢんまりした規模で、でも設備も新しく洒落ていて気持ちがいい。温水プールでまたしてもカッパしてしまった。ご飯もむちゃくちゃ美味しい。チリで二番目に美味しいお料理を出すレストランだな、ワタシ的に。お風呂もジャグジーで4人が一緒に入っても大丈夫な広さだった。しかもお安いとくる。食事代を含めてもアタカマに泊まったのより安かったって。旅のご褒美もらった気分。もっと泊まりたかったぁ。本日の合計走行距離は約849km。



2002年3月24日(日)
朝4時出発でタティオの間欠泉へ。サン・ペドロ・デ・アタカマの村は夜11時過ぎたらホテルから外に出ちゃいけないとか、夜はホテルの電気も消しちゃうとか聞いてたんだけど、12時過ぎても電気がついてたから油断していた。起きてみて愕然。やっぱり夜中は電気が点かないんだ。部屋にロウソクは置いてあったんだけど夜明け前の闇の深さにはかなわない。パッキングは前日のうちにしておくべきぃ(いつも子どもには「前の日のうちに準備しときなさい!」って言ってるくせにね)。

標高4320mのタティオまでは直線距離で100km弱(地図帳のデータによると道のりは221km?)、車で約2時間だけど、これはツアーじゃないと行けない道。悪路っていうより道無き道で、真っ暗な荒野の中を目印も何もなく、よくたどり着けるモノだと感心した。夕べの指圧とかがちょっとは効いたのか出発時には起きあがってきただぁだけど、タティオに辿り着く前に気分が悪くなって、以降ずっとバスの中で寝てた……マテ茶もコカ茶も酸素マスクも効果なし。かわいそうに。でもバンとかじゃなくて横たわるスペースのある大きなバスだったから守られた。乗り物にも弱く、富士山でさえ高山病になってしまった私が大丈夫だったのが意外。MJも気持ち悪がって特にJは吐いたり下したり大騒ぎだったけど、温泉プールは「入る!」といきなり元気になった。カッパめ。

凍えるほど冷えるのかと思って寝袋まで用意していったけど、パタゴニアみたいに風を意識した防寒じゃなくてOK(たまたまだったのかな?)。それに太陽が出てくるといきなり暑くなる。間欠泉は確かに見物で、アタカマ旅行の目玉と言われるのも頷ける。こんな蒸気の柱の側まで行ってしまっていいんかい?という感じ。陽が昇るとぱったり出てこなくなる自然の摂理も感動的。それにしても、 トイレはどこ?って聞くと「見えないとこだったらどこでもOK」と当然の顔して答えるガイドさん。う〜ん、いきなりそれに適応できちゃう自分もコワイ……。

途中寄った村でむちゃ人なつこいナディアナちゃんという4つぐらいの子に会った。連れて帰りたいぐらい可愛かったなぁ。後から見たら彼女と撮ったデジカメ写真だけがBad dataになっちゃってびっくり。やっぱああいう子は何か神様に護られていて外の世界と隔絶されてるのかも。

夕方から根性で復活した夫が運転してアタカマ塩湖へ(往復140km)。なるほど、白い。これ全部塩かと思うと不思議だね。「私、キレイでしょ?」とポーズを取る、すましたフラミンゴがいて面白かった。おまけのような気持ちで行った月の谷(往復22km)は思いの外ナイス。私には月というより火星って感じがしたけど、見事な形の巨岩が並んでいたり、鳥取砂丘より広いんじゃない?って感じの砂の山があったり、水晶みたいな大粒の塩の結晶がそこら中にあってキラキラ光ってるし、半日ぐらいここで遊びたかった〜。本日の合計移動距離は最長で約604km、最短でも約362km。走行距離は162km。


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