きょうのるっちゃん2001その5
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2001年8月10日(金)
人間総合科学大学の夏期スクーリング開始。第一日目は「生命科学概論」。「生命」ってどんなもの?ってことが大きな柱ね。眠くならない素晴らしい授業だぞっ。自分でテキストを読むんじゃ3日じゃ読み切れないだろうに、かみ砕いて話してもらうとスルスル頭に入ってくるもんなぁ。そういう話ができるこの先生は本当に頭が良いね。それに辛抱強い。いろんな素養の学生がいるってことを一時たりとも忘れずに(でも学生の質はいいなぁ。一般的に通信制の大学は本当に学びたい人が来るからフツ〜の学生よりもやる気はあるんだけど、この学校は看護婦さんはじめ医療従事者が多いから、生物・化学系の話は他よりやりやすいかも)、平易に話し、質問ないですか〜とことある毎にふってくれる。

にしても……彼が話すことはみんな理解できる。っていうか、知らないことがない。先生は「カルチャーセンターの趣味の講座じゃないし、理解しやすさは大事にするけど大学レベルの話をします」とおっしゃっていたが……。こういうこと言うとまた嫌われるかもしれないけど、DNAの塩基が何だとか、ペプチド結合がどうだとか、これって大学レベルの物事なの?一個目の大学での英語の授業でも「それって高校で習ってこんのかい?」と思ったけど、実はうちの高校のレベルって高かったのかしらん?受験クラスだったから寄り道している余裕もさほどなかったはずなんだけどなぁ。

昔の人って何でもやらせてもらえたんだなぁ。科学者で哲学者で服屋、とか、建築家で芸術家で物理学者、とか何でもありじゃん。今みたいに「ご職業は?」って縛り方をしないし。現代はそれだけ一つの事への専門性が深まっちゃって、あれもこれもは両立し得ないのだろうか?(私ゃそれは呪縛のうちだと思うけどね)あるいは、どこかで手に入れた、誰かが認めてくれた「専門」という鎧に護られた自分の領域に誰かが侵入してくると、自分が危うくなるとでも思う人が多いのだろうか?

ところで、面白いことに大宮乗り換えの人の歩調はゆっくりだったよ。決して歩くの早い方ではない私が「あれれ?」ってつっかえちゃうほど。夏休みだから?急いで仕事に行く必要がない人の群だったから?いずれにせよ、都内の駅で降りて乗り換えに急ぐ人たちはこんなゆったり歩いてないな〜(というか、私はいつも波に押されるようになっちゃう)。大学からの帰り道にはナスが落ちてるし。のどかだ。そういえば大宮に輪をかけてのどかな大学周辺なのにバレエ教室が100メートルの間に二軒もあった。不思議だ。

乗り換えといえば、乗り継ぎのロスが多いこと……。新宿発の埼京線もかなり待つし、30分しかかからない通勤快速ってのはもぉっと待つし、大宮からの宇都宮線も10分は待つもんね。しかも、大宮駅で埼京線と宇都宮線は思いっ切り離れているし、新宿駅でも京王プラザ側(西口)から埼京線のホームまでは一番離れているのよね〜。駅の中を歩くだけで汗だくだ……。それだけで既に大学までの15分どころじゃなく歩いているかも……。新宿〜大宮30分、大宮〜蓮田10分、駅から大学まで徒歩15分、という書き方は嘘じゃないけど、それを信じて1時間半あれば着くかな?と思ってきた私は駅からタクシーに乗らないと遅刻しちゃいそうだった。

ホテルに着いたらMが開口一番「友だちできた?」と。あなたにとって「学校」ってそれが命なのね〜。確かに学校は出会いの場、素敵な仲間ができるところだとは思うけど、これぐらいの年齢になってくると仲間と連むというのは大して魅力的ではなく、「友だち?できたらできたでいいや〜勉強するのが目的だし……」ぐらいの感覚になっちゃうんだなぁ。それとも私が薄情すぎるの?東京35度-21度(サンティアゴ24度-4度)



2001年8月8日(火)
これまたお久しぶりのGONちゃんに会う。お互いに知らない場所で待ち合わせをしたもんで、一瞬会えないかしらんと焦ってしまった。私とも既に3年ぶりとか?MJとはもしかしてジャカルタに来てくれた時以来なんじゃなかろうか。ということは6年とか経ってるってこと?う〜ん、光陰矢のごとし。仕事の都合がついたらチリにも遊びにきてね〜。

その後なおちゃんちへ。Mも体の成長の割りに幼くて参っちゃうことが多いんだけど、なおちゃんはMより一個上級生だというのにハダカでお出迎えしてくれました。あはは……(って笑ってる場合かいっ?)。なおママは相変わらずバイタリティに溢れ、普段のお仕事の合間をぬって、あれこれ知識を深めたりアンクロンの訪問演奏したりと大忙し。こういう人の存在は励みになります。MJはお泊まりさせてもらう。大阪36度-27度(サンティアゴ19度-8度)



2001年8月7日(火)
お祖父さまの初盆だとかで鳥取へ。裏庭になっているキュウリの味が充実していること!やっぱ人が食べるものってこうでなくちゃね……とこういうものを食べた瞬間は思うんだけど……普段それを追求するだけのこだわりを持ち続けられない私。となりのトトロを地でいく世界だよなぁ。心が温まります。大阪35度-27度(サンティアゴ18度-8度)


2001年8月6日(月)
お久しぶりのnesに会う。ピンクの髪の毛してた。う〜ん、いい色や。次回挑戦してみよう。

これはまた別件で得意の覚え書きパターン。なんかさぁ、ホントに不可解な行動をする人っているんだよねぇ。人の心を逆なでするのに天才的っていうかさ。今やまさにその「人の心」を扱う仕事をしてるっていうから向こうにその気はない、私に良かれと思ってしたことと信じたいんだけど。それとも私がこんなに傷つくってことは予想済み?そこまで嫌われるようなことしたかねぇ。私は努めてニュートラルに受け止めようと思ってるけど、いちいち理解不能な反応を示してくれると考えちゃうよ。とにかく、「告知(をしないということ)」に関する医師の判断で私にプラスに働いた例は今までないぜ、まったく。世界中の人にお願いだ。私に隠し事をする時は万全の体勢で臨んでよ。距離に関係ない感知能力が私にあるってことを前提にね。大阪34度-26度(サンティアゴ18度-8度)



2001年8月5日(日)
わこさんがいる兵庫教育大でのガムランの練習に押しかける。車がないとなかなか行けないところなんだけど、やっぱり大学の中っていいなぁ、楽器も完璧だし、気兼ねなく音も出せるし……。練習していた曲が私のレパートリーにある曲だったので、とってもエンジョイできた。といってもうろ覚えのマヌクのレヨンは参ったけど……こんなことならもうちょっときちんと覚えておくんだった。トカンさんに合わせて叩いてただけだったからなぁ。マジで練習している皆さんにはちょっと申し訳なかったかも。マジで練習といえば、偉いよなぁ、みんな。口うつしというか耳うつしというか、当然ながら楽譜も使わないバリ方式で曲を覚えていくんだけど、これって大変なことよねぇ。元々曲を知っていて、それを解体していくor膨らませていくバリ人と違って、日本人なんてバリの曲は最初は誰でも初めて聞くんだしさ……拍の取り方なんか納得するのにゼロどころかマイナスからのスタートになるのにねぇ。根気強くってよっぽど好きでなきゃできないよな……。わこさんから特製パングル・キーホルダーを頂く。これ傑作。大事にしますぅ。

兵庫教育大に行く前にお義姉さまの家へ(これまた奇遇なんだけど、大学ともの凄く近くて助かった)。去年建築中の時にも見させてもらったんだけど、Mなんか「これはマンション?」と言って一軒家だとは信じない。それもそのはず、大人の私が見ても「ん?何階建て?」と困惑するほどの相当な大豪邸にできあがっていた。玄関は下手なホテルより立派な吹き抜け空間になってるし(前の神戸のおうちも十分立派だったと思うんだがな……)、お庭だけでも都会の公園よりは広いわな。手作りシーソーはあるし、その他にプールを作っちゃうぐらいの余裕はあるし、しかもいろんなトコが自動制御のオートマになってたりしてハイテク〜(そんなことばっかり言ってるな、私)。またまたMの夢が膨らんでしまっただろうな。親に期待せず自力で建ててねっ!ああいうお家は。大阪34度-27度(サンティアゴ20度-12度)



2001年8月4日(土)
つるのとこへ髪を切ってもらいに行く。会うのは高校卒業以来かな〜。イラストレーターとして数々の賞を受けたり個展を開いたりと脚光を浴びている彼女。忙しい中時間割いてくれてありがとう!

つるとの話の中で印象的だったのは「そぐ」ということ。私自身そうだったんだけど、子どもの頃って女でいるのがイヤだった。歳を取ることもイヤだった。でも、早くに結婚して子どもを育てて、ふと我が身を見つめてみると「オンナ30代って最高やん?」という心境。うん、確かに。誰でもそうなるとは限らないから相手を選ぶけど、結婚や出産を躊躇しているコには、やってみぃよ、産んでみぃよ、すごい世界が開けるから……って言いたいかも。同じように感じている人がいるとは意外だった。っていうか、そういう風に今の自分を肯定的に思えるってのは幸せの証だよね。あ、「そぐ」から話がズレている。無我夢中でやってきた時代を抜けて、最近彼女は余分なものをそぎ落として、本当に自分が描きたいテーマというものが見えてきたのだという。それこそ私のまだ至れない境地だ。もったいなくって余分なものを捨てられずその中に埋もれまくっているものなぁ、ワタシ。とか思ってしまった。大阪36度-27度(サンティアゴ19度-12度)



2001年8月3日(金)
なかなか夕方の時間帯が空かず、公園で遊びたいというJをずっと我慢させてたので、エイヤの勢いで連れて行ってあげる。なんて珍しい親心を発揮したものだから効果覿面で雨が降ってきた。多少の雨でめげるJじゃないのでしばらく遊んでいたんだけど、ものすごい土砂降りになってきて雷でも落ちたら怖いので雨宿りすることにした。いやしかし、日本の夏って感じ〜。降りの割りには天気雨だったので、もくもくした入道雲の向こうにはちょっと黄昏つつある青空が覗いているし、大粒の雨に打たれる濃い緑の葉っぱはキラキラしているし……。思わず見とれてしまった。お父さんのお迎えというオマケまでついて、ちょっと幸せだったよね?>J

Mのギプスが新しくなった。サンティアゴでやってもらった時も石膏がみるみる固まっていって「すごいっ」と思ったんだけど、日本の若い先生に言わせたら「僕は石膏のギプス扱うのは初めてです」ってことになっちゃうらしい。新しいギプスはテープをぐるぐる巻きにするようにしてそれで固まってしまう更に進んだタイプ。しかも軽いんだって。こういうところでは確かに日本の技術は先進的なのね〜って言えるわね。

夜は町内会で盆踊り。大阪の盆踊りって考えてみたら初めて見るのかもしれない。関東方面のより振り付けがハードな気がする。曲も面白いし。日本各地の盆踊りを見てみたくなった。それにしても何で2で割り切れる拍子の曲に3が単位の振りがつくんだろう?

去年も一瞬の気合いでXファイルの続きを見ようと思ったんだけど、シーズン6の3話目を見ようとするとど〜しても眠ってしまって結局先に進まなかった。今年こそ!と思って同じのを借りてきたんだけど、やっぱり眠くなる……。今年も既に3回はチャレンジしたぞ。呪いでもかかってるの?大阪35度-27度(サンティアゴ18度-10度)



2001年8月2日(木)
映画帰りに阪急でだっけな?買い物してたっけ、マレーシアに行ってるはずのHさん母子達に出会う。一時帰国中だったんだって。奇遇だな〜。

「千と千尋の神隠し」を観たのだけどね。うん。いいなぁ、ああいう世界。居心地いい。千尋は子どもだし、親を助けなきゃって気持ちがあるから人間界に戻りたいのかもしれないけど、私だったらあそこで一生暮らしても構わないと思っちゃうかもなぁ。色も形も音も綺麗だった。う〜ん。綺麗って言葉じゃありきたりだわねぇ。すご〜く懐かしくてぴったりハマるというか……。見つけた瞬間にドキ〜ンと胸をつらぬくような魅力的な宝石や景色がそこら中にちりばめられているというか……。

まぁ毎日毎日暑いこと。今日は今年一番の暑さだったらしいわ。体温より高い気温ってのは初めて体験したかも知れない。

レストランで食事をしたらレジで代金を支払うという習慣をすっかり忘れていた(席を立つ時には支払いが済んでいるもの、と体が思っている)。なもんで、「ごちそうさま〜」と席を立ったらお店を出て、お金を払っている家族を置いてすたすた歩いていってしまった。ふと気づいたら一人。やばいやばい。大阪38.4度-27度(サンティアゴ21度-15度)



2001年7月31日(火)
大阪に着いて。いやぁ〜暑い!猛暑ってこういうのなのね。外にいる間は気づかなかったんだけど、家に帰ってきたら気持ち悪くって動けなくなった。なるほど、これは死人が出るわ。

大阪ってね、やっぱり人間味のある街なのよね。Mの腕を診てもらいに市民病院に行った時にも、待ち時間が長かったら看護婦さんが「夏休み……いや冬休みやのん?腕痛まへん?」とか声をかけてくれるし(もちろん私達に特別馴染みがある訳ではない)、道行く見知らぬおばちゃんも「どないしたん?その腕?」と話かけてくる。これを鬱陶しいと思う人にはこの上なく鬱陶しいんだろうけど、私は好きやなぁ。

なんと、お義父さまも「るっちゃんち」を見て下さっていることが判明。っていうかお義姉さまがページをプリントアウトしてお義父さまに届けてくれたらしいんだけど……。「うちの娘こんな活躍しとんのやと自慢しとるんや♪」とな。いやはや自慢できることばっかりならいいんですけどねぇ……赤面。「笑っていいとも」の時も思ったけど、こういうメディアはどこで誰が見ているかって本当に分かりませんねぇ。

人間の慣れってすごいね。「車は左側通行」ってことは一生懸命意識している私達、例に漏れず夫はウィンカーを出そうとしてワイパーを動かしたね。道を曲がるときにも左側に行ってると「あっバカぶつかるぅ〜」って思っちゃうし……。これが一ヶ月もしたらまた右側通行に違和感覚えるんだろうなぁ。

長野は東京より、東京は大阪より2度は低い。大阪35度-28度(サンティアゴ13度-8度)。



2001年7月29日(日)
J誕生日。長野のH家にお邪魔しています。噂通りの豪邸で、しかも家の目の前に小川が流れていて子ども達は小魚を捕まえたりして一日中飽きずに遊んでいる。Cちゃんなんかは「田舎だ田舎だ」と気にしているけど、子ども時代に思いっ切り自然の中で遊べるって幸せだと思うなぁ。特にジャカルタでのびのび育ってきた子は日本のせせこましい環境に押し込められたらすんごく息苦しいと思うよ……。私も川の中の石に座って山の木々が運ぶ風の声を聞いていたら何かが溶けていくのを感じたし。私達にはない「『田舎(故郷)』で過ごす夏休み」ってものが体験できてうちの子ども達もとってもハッピーだったわ。ありがと〜。


2001年7月26日(木)
電車に乗ってロングビーチのルータンに会いに行く。なんとまぁ彼女は昔スペイン語を学校でやったとかで、Mの腕を見て「Que paso?」ときたもんだ。私達がスペイン語圏にいるというので、復習しといてくれたらしい。愛だな〜。そして更になんとなんと、彼女はネットを始めたのだと。NY州とはいえこんな郊外に一人住まいしているおばあちゃまでさえ楽々パソを操ってしまう(それを支える環境がある)とはさすがUSA。

こっちに来る前にだぁりんが「英会話簡単フレーズ」みたいな本を見てたから「こんなの必要ないじゃん?」と思ったが(だって出てきているのはWhere is my baggage?みたいなレベルの文章だった)彼は彼なりに英語が苦手という思いがあったらしい。でもでもルータン達の「今回はどんなお仕事しているの?」との質問に、まぁ喋るわ喋るわ。まるで演説聞いているみたいだった。確かにその辺は普段の仕事の中で繰り返し使っている単語で守備範囲だったのかもしれないけど……。私だって原稿なしであんな長い時間英語喋り続けたことないよ(日本語でもか……)。やられたね、って感じ。ニューヨーク23度-16度(サンティアゴ10度-マイナス1度)



2001年7月25日(水)
セントラルパークをお散歩してメトロポリタンミュージアムへ。それだけで既に汗だくだわ……。前に来たのは15年以上前だし、こんなんだったっけなぁ……と見るモノ全てが新鮮&濃厚。やっぱジャカルタの国立博物館がスタンダードになってちゃあなぁ。

フィリピン出身の警備員さんと話がはずんでしまった。タガログ語は6割方スペイン語に影響されているとかで、彼とも多少ならスペイン語が通じてしまう。すごいことだ(ちなみに彼は日本語もちょびっとできた)。

ここのお土産でMは今凝りまくっているヒエログリフのペンダントやらスタンプやらを手にして嬉々としていて、それは子どもとして普通だと思ったんだけど、Jは展示も何が見たいって「服飾研究所」だったし、Tシャツとかよりもデザイン靴のカタログ集みたいなモノを欲しがるもので輪廻を感じた。

夜はSGPアメリカ支部「篠田」さんの案内でインドネシア領事館でガムランの練習を見学……といいながらちゃっかりやらせてもらっちゃったけど。久しぶりに分厚いガムランに触れて幸せだった。英語の中に「サンシ」とか「ポロス」とかいう言葉が出てくると笑える……。ここでは久しぶりにインドネシア語が話せて嬉しかったけど、やっぱり切り替えがうまくいかなくて返事は「Si / No」になっちゃう。「Terima kasih」と言ったつもりが「Gracias」になっていたらしいし(自覚なし)。練習そのものはバパが演奏するのをひたすら聞いて覚える式で、さぞかし時間がかかるだろうなぁ。でもみんなそれを覚えているんだからエライよなぁ。約10人集ったうちの半数がバリの人っていう数の多さにも感動だ。サンティアゴじゃこうはいくまいて。ニューヨーク31度-21度(サンティアゴ11度-6度)



2001年7月24日(火)
1年ちょいぶりぐらいのマンハッタン。こないだは5月末とはいえ冬みたいに寒かったので私にとっては初めての夏なんだけど……暑い。夏ってこんなに暑かったっけ?今年は異常に暑いらしいんだけど……。日本の夏の厳しさが思いやられるわい。

早速バレエのレッスンに。去年はバレエそのものに何ヶ月かブランクがあったから「手も足も出ない!」って感じだったけど、今年は立ち往生することもあったもののかなりついていけたので嬉しかった。でも叔母ちゃま曰く「今回はそんな難しくなかったでしょ?前回よりシンプルにしてみたのよ!」。……やっぱそんな簡単に上手にはならないよね。とほ。ニューヨーク32度-23度


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