きょうのるっちゃん2001その4
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2001年7月23日(月)
私はみんなが思っているほど純粋でも良い人間でもない。子供を産んでからはそれでもむちゃくちゃ善良になってきたなとは感じているんだけど、やっぱ悪魔やなぁと自分でもゾクッとすることがまだある。

得意な抽象的路線になって申し訳ないんだけど、とある夢を見た。何で今更、みたいな。でもよく考えたらなるほど、今回の一時帰国ではソレが正夢になる可能性もあるのかぁと気づかされた。夢ってすごいねぇ。っていうかニンゲンの脳ってすごいねぇ。当人全然意識してないことも、与えられた材料を組み合わせて起こりうる現実として指し示すことができるのね……。

ってまぁ、それはそれとして、結果的には夢の中でもさほど葛藤することもなく、人の道を外れないでちゃんとしていられた自分に安心したのよ、今回はね。15度-4度



2001年7月22日(日)
SGICH女子部総会。

鼓笛隊がM指導の下花笠音頭を踊ることになっていたのでここでも大打撃。昨日の今日じゃどうにもならず、急遽Jが「先生」になって前列中央で踊ることになる。彼女たちにとってはそれでも「大先生」って感じだったみたいだけど、Mは端から見ていて「あっ、また間違った。あ、このタイミングじゃ遅れてる」と怒りっぱなし。でも2年生のJにしては健闘してたと思うよ。

それにしても内容が。最初はメッセージとか研究発表とかまぁごく普通だったんだけど、第二部的後半はまぁ、大演芸大会だわ。鼓笛が踊りたがるのも無理はない。でも若い世代がそうやって元気いっぱいっていうのは良いことだわよね。15度-1度



2001年7月21日(土)
動転するということ。

MがPTA主催のスキー教室で転んで骨折した。顔も打ったらしくてゴーグルのレンズが外れてそれで目の横も切ってしまった。救助隊のソリで運ばれてくる血だらけのMはとっても痛々しかった。

幸い命に別状がある怪我ではなかったし、意識もしっかりしているし大丈夫と私自身も落ち着いていたつもりだったんだけど、やっぱりこういう時って苦手なことがより苦手になるんだろうか。電話番号を聞かれたんだけど何回考えても思い出せない。最後にはMに訪ねる始末。手術も終わって支払いのために病院のATMの前に立ったら暗証番号が思い出せない(けっきょく付き添ってくださっていたKさんに小切手切っていただきました)。カードの裏にマジックで大きく暗証番号を書いておく人の気持ちが分かったっす。動転するってこういうことなのね。緊急連絡先とかを書いておけってのはそういう重要性があるのかと改めて思い知りました。

それにしても自分が「本部」とかいってみんなのトラブルに対応すべきところにいる係だったのに、一番迷惑をおかけする結果となってしまって申し訳ありませんでした。11度-3度



2001年7月14日(土)
「くるみわり人形ミニコンサート」当日。自分で言うのもなんだけど楽しかった!

最初この企画を思い立ったのはS君やYちゃんなどMJのお友だちからサンティアゴではピアノを習っているものの発表会がない子達が多いという話を聞いた時だった。日本人学校では個人発表をする場が学年によってはあるものの、とっても短い時間しか割り当てられないし(Mのバリダンスなんかは披露できる時間がないっす。最低でも8分とかかかるし)ちっちゃい子たちはそんな機会すらない。ならば自分たちでやってしまえばいいじゃんっていうのがスタートだった。

もう一つ思っていたのが子どもの娯楽の少なさ。これはサンティアゴに限らず海外どこでもそうなんだけど、日本に比べてホンモノの音楽とかに触れる機会は少なくないしバカ高い料金もかからないから恵まれているんだけど、実際問題子どもが楽しめるイベントがあるかっていったら「工夫の日本」には敵わない。特に母国語である日本語のものは皆無。ならば自分たちで……ってのが二つ重なった。

前にジャカルタマザーズクラブでやったファミリーコンサートがすぐ思い浮かんだ。あの時のピアノ演奏は「プロ」によるチャイコフスキーオリジナルだったけど、その部分を簡単アレンジで子ども達にやってもらってもきっといける。幸い連弾譜はうちにあるし。それに影絵芝居をくっつければいいだけの話だ。これはお絵描きにしろ声の出演にしろBGM作成にしろ私の得意分野だし……と私がここまで「思いついて」しまったらそれは理論的には実現可能ということ。幸い快く出演を引き受けてくださる方にピアノ以外にも多数恵まれて無事開催のはこびとなった。

ジャカルタ日本人学校なんかと比べてサンチャゴ日本人学校は学校施設を貸すことに若干閉鎖的だったりしたのだけれど、最終的には理事会のご厚情により講堂をお借りでき会場も無事確保。ただ防犯の関係上、公にPRできなくなったことと入場者数が60名に限定されてしまったことはちと辛かったけど(出演者の家族を連れてきたらそれだけで60になっちゃう……お世話になった先生方をご招待するのも必死の調整)。

諸般の事情によりリハーサルができなかったり、パソから直接スクリーンに映像を映し出そうと思っていたのに本番5日前に使わせてもらうはずだったビデオプロジェクターが「盗まれ」て、急遽OHP用紙に印刷しての投影となったりとハプニングもあった(強いて言うなら一ヶ月練習しただけの私がフルート演奏をしなきゃいけなくなったのも突発事故の一つかな)。でもみんな本番に強いんだな〜。良い出来だったと思うわ!いらして下さった方々からも「学校の授業に取り入れたらいいってぐらい良いイベントだった!」って誉めていただけたし……。

最後にははからずもお花を頂いてしまったりしてびっくりしました。みなさんありがとね。久々に自分も楽しくて人様に喜んでいただける催しができて感動しました。18度-10度



2001年7月8日(日)
ランカグアで鼓笛の練習。今日は誰かの車に乗せてもらうんじゃなく、自力で(と言ってもMはじめ同伴者はいるけど)ターミナルから長距離バスに乗ってのお出かけ。これで行きたい時に他人を頼らず遠出もできるな〜。

往復3000ペソで行けてしまうってサンティアゴ市内の主な路線バスが一律290ペソであることを考えると安いのか高いのか。ふむ。高等部のオケで民音に通っていた頃を考えると、まぁこんなもんか。往復3時間電車に乗ってたもんなぁ。演奏会とかあると毎日練習だったし……。金額的には日本の方が倍ぐらいだな。でもやっぱりここの子がそうやって通ってきてくれていると思うと抱きしめたくなる。

あいにくの雨降りでむっちゃ寒かった。でも練習としては充実していたっす。1日で(私にとっての)新曲も一つ仕上がったし。なんでか日本の踊りまで教えて欲しいと言われ、M得意の花笠音頭を教えて大受けする。Y先生ありがとうございます、って感じ……。昼休みにはメレンゲとかマジョネッサとかクエカとかみんなが得意な踊り大披露大会になるし。あはは……(汗)。13度-4度



2001年7月4日(水)
新たなインドネシア雑貨屋さんみつけちゃった!店番してた人はチリ人だったけど、バリの傘とかも置いてあってなんか落ち着いた。くるみ割り人形にもモールにも出会えたしラッキーな一日だった。うん。14度-7度


2001年7月3日(火)
びびった。目が覚めたら7時39分。スクールバスに乗るために家を出る時間の3分前!4時半まで眠れなくて「このまま起きているか?2時間だけでも眠るか?」と考えたあげく2時間眠る方をとった結果なんだけど……。こんな日に限ってラジオの目覚ましは接触が悪くて音が鳴らないし、子ども達も爆睡してたし。でもしっかりもう一個の時計は止めちゃってたなぁ。いやはや、徹夜ができなくなってきたとは思っていたけど、こういう眠り方もできなくなっちゃうかなぁ……とほほ。17度-9度


2001年6月30日(土)
今日はランカグアで出張公演で〜す。車で2時間ほどの街。どこかで見たことあるな〜と思ったら、インドネシアにいた頃、月に一回ぐらい通っていた、やっぱり車で数時間のチアンジュールにそっくり。町並みといい、人の雰囲気といい……。またここにも通う日々がスタートする気配。こういうところから近づいていくと、これでもサンティアゴも都会なんだな〜と思う(失礼)。15度-5度


2001年6月27日(水)
きゃ〜、洪水よっ!って私んちだけだけど。洗濯機が水漏れするってメイドちゃんが言っていたんだけど、前にもあったように水量をmaxにすると溢れ出ちゃうパターンなんだと思ってた。もんで「じゃメイドちゃんが来る前に小分けして少ない水量で洗っておいてあげよう」なんて親切心を起こしたら、あらら、それでも水が漏れるじゃないの。お弁当は作り始めちゃったし、洗濯機からはとめどなく水が流れ出て部屋の中に入り込みそうだし体が足りないよ〜状態。チリ全般にそうなのか分からないけど、うちは洗濯機の置いてあるベランダに排水溝みたいなものはなく、洗濯機から出る水はポンプで一度蛇口の高さぐらいまで上に汲み上げて部屋の外に流し出す。ベランダの床とそこに隣接したキッチンは一応タイルになっているけど、自然に任せていてはどこにも水の逃げ道がないからどこかにかき出さないといけない。ってな訳で、お弁当は子ども達に任せて、朝っぱらから50分近く水かきに追われました。流れ出てくる水を雑巾に吸わせて、絞る!また絞る!こうやって洗濯機何杯分かの水を処理しましたさ。冬にしては暖かい日だったのが唯一の救いかな。一息つけるのは脱水している数分だけ。さすがに筋肉痛になっちゃったよ。

以降、Y家に洗濯機を借りる日々がスタート。お世話になります。洗濯物を抱えてデパルトの中を移動するのは寮時代を思い出すものの、ちと情けのうございます。19度-0度



2001年6月24日(日)
SGICHで婦人部結成50周年記念総会。みんなで出身地の踊りを披露するという企画があってクエカはもとよりブラジルのサンバあり(鼻血の出そうな衣装だった……良かった、ああいうの着ろって言われなくて)マプチェの踊りあり(アナサジ風)、私も浴衣を着て炭坑節踊ってきました。しかし……そんな格好をしていても「チリの人ですか?」って言われてしまう私っていったい???。14度-5度


2001年6月19日(火)
サンチャゴ日本人学校は創立20周年だとかで、それを記念して歌を作るとな。今日がその公募の締め切りだった。目の前に山があるとつい登ってしまう体質ゆえに親子で歌作りにチャレンジ。ここ数日はみんなして何でもかんでも7-5調で考えちゃってた。さらに「音頭」がお題だったので妙なところで合いの手を入れてしまったりする。「お腹空いたよ、ご飯なに?ソレ!」とか。悪い事じゃないんだけど、どうしても7-5で言葉を収めようとする自分の思考がちょっとうざったい……早く普通に戻りたいゾ〜。16度-3度


2001年6月16日(土)
授業参観で学校に行った。

今年から家庭科が始まったんであろうMのクラスに名前の縫い取りやボタン付けをやったモノが掲示してあった。「きれいに縫い取るコツ」ってところには「ペチャンコにしてから縫う」というMのコメントがあった。確かにビロビロしている布じゃ縫いにくいもんね、平にしないと。とはいえ、どの子のコメントにもそれっぽいことが書いてある。はて?そこまで強調するようなことだろうか?それに、うちの子がペチャンコっていうのは分かるけど、他の5年生がそろいも揃ってそんな言葉を使うって幼稚じゃない?と思ってよく読むと「チャコペンで書いてから縫う」って書いてあった。だ〜、失礼しました。14度-1度



2001年6月15日(金)
その辺に積まれてた本の山の中でちらっと昨日見かけた「デジタル・パラサイト」ってのを読もうと思って探したら、なんかどこかに片づけられちゃったみたいでなかなか見つからない。こういうのって一番イライラするっ!と思いながらもやっと見つけた本のタイトルは「デジタル・パラノイア」。あれ?覚え間違ってたかな……?でも、ぱらぱらっと見た限りでは私の探しているのはちょっとシリアス&ハードな外国モノのはずなのに、すごく内容が軽くなっている……字も大きいような気がするし。変だなぁ……と思っていたら意外なところから「パラサイト」の方が出てきた。なぁんや、二冊あってんね。しかし紛らわしい名前が付いとること……。しゃれ?そうなると「デジタル・パラノルマル」とかありそうね。どれとってもヘビーユーザーのケのある人は「自分のこと?」って思っちゃうんだろうな。13度-8度


2001年6月13日(水)
生まれて初めて「腰痛」ってものになった。トシなんだなぁ(治るのに10日かかった)。

他愛のないことでなるものなのね。湯船をまたいでお風呂に入ろうと思ったら「ぴき」っときた。首の筋を違えた時みたいにその時痛いだけなのかと思ったら案外長引く。バレエができなくなっちゃうんじゃないかとハラハラもの。だましだましやってはいるけど……。ついでに悩みすぎると熱が出るパターンがまたぶりかえしてて、珍しく寒気を覚えて熱を計ってみたら37度8分だった。例の事件のあとは子どもを見るだけで涙が出てくるし何だか心も体もボロボロ……。15度-7度



2001年6月8日(金)
アンシェヌマンの難しさに引っ張られて綺麗に見せて踊ることを忘れていたような気がする……。

久しぶりにM・ホセに会った。とにかくこの子の踊りは雰囲気があって美しいのだ。でもキャラクターとしてはバレエマンガに出てくるような「尊大なお嬢様」タイプ。実力があるからいいんだけど、自分がそのクラスで一番上手だと確信しているし一番上手じゃないと許せない!みたいな。お手本を示すにしても例えばマリアン(育ちの良いお姫様タイプ)なんかは「ね、こうやると簡単でしょ?」と笑顔までついて、教えてもらった方も(できるできないはともかく)「良いモノを見せてもらった〜」って幸せな気分になるんだけど、M・ホセの場合は「どうよ、綺麗でしょ?で、こんなこともできなくてこのクラスにいるわけ?」と、もちろんそんな事は言いはしないんだけど、最後に「フン」ってか「ツン」ってかそういう態度になっちゃう。そうは思ってなくてもそう見えてしまう非常に損するタイプなのかもしれないけど……。いずれにせよいつも自分が特別扱いされる存在じゃないと気が済まないんだろうな〜と端から見ていて思ってた。

そんな彼女、どこかから今日の無差別級ポワントクラスの情報を入手してやってきたんだろう。でも今までの「5年生」でやってたバーにしがみつきっぱなしのポワントレッスンとは訳が違う。(人のことは言えないけど)しょっちゅう落っこちるし、アンシェヌマンも棒立ち状態になっちゃった。かなり悔しかった様子。でも、さすがだなぁと思ったのはプレパラシオンやできるパの美しさ。私なんかだと苦手なパが入ったとたんに「とにかくやり終えること」に重点をおいちゃっている気がする。とてもできる部分の美しさまで神経がいっていない。でもそれじゃいかん。M・ホセよ、ポワントには乗ってるかもしれないけどバタバタ走り抜けているだけのおばさん達よりも、最初と最後のぴちっと決まるあなたの方が、ちゃぁんと「バレエ」だったぞ。がんば!

ところで昨日はコピウエ会(JJC婦人部のようなもの?)の親睦会があったのだけど。私のことを「ダンサー」だと思っている人がいたという話を聞いて笑えてしまった。どこからそういう噂って広まるんだろう……。ここを読めば私の悩みは踊りのプロのものでないって一目瞭然だろうにな……。

だぁりんの誕生日なので職場の人たちとアサード。19度-3度



2001年6月5日(火)
マネーチェンジャーにて友だちと日本語でバカ話をしていたら前に並んでいた人が「くぷ」って感じで笑ったのでびびった。チリのスラングについてちょっと疑問があるという流れだったので、笑ってくれたついでに(我ながらどんな理屈やねん)その人にスペイン語で質問しようとしたら(人使い荒すぎ?)、「僕、日本語が話せます」と言ってきたのでおったまげた。ほっといたら「スキンヘッドにピアスで怪しい人だね」とか言っちゃってたと思う……。あぶあぶ。日本語圏外にいて、この辺の人には分からないだろ〜という頭があってけっこう好き勝手な事を日本語で言っていたりする友よ、その認識は改めた方が身のためかも。それにしても、日本に行ったこともないのに、5年勉強したぐらいでこんな流暢に日本語しゃべれるようになる人もいるのねぇ。彼は読み書きもできるそうだし。う〜ん。大学で日本語教えていたニンゲンとしては自分の学生のこと考えると愕然としちゃうよなぁ。12度-3度


2001年5月31日(木)
昨日だっけか一昨日だっけか、子どものお見送りをしていたら救急車系の緊急車両が我が家の前で止まって助手席にいた人がうちのデパルトに駆け込んでいった。何事だろうと思ったらしばらくしてミカンを2-3個持って出てきた。???。

そいで今朝は覆面パトカーが2台やってきた(なぜ分かるかって?実は警察マニアだったりするのです。この車は取り外し可能なパトライトつけてやってきたし)。一度はうちの真ん前に乗りつけたものの、一台はちょっと離れた場所に止め直して無線系の通信機でどこかと連絡を取り合っている。そしてダークスーツを着たオジサンの一人がやっぱり小走りでデパルトに入っていった。離れた場所に止めてある車の後部座席には深々とコートをかぶった高校生ぐらいの子どもが乗っている。事件?。なりゆきを見届けたい気もしたけれど、またミカンを持って出てこられたら気が抜けるのでおうちに引き上げた。あるいは出勤のついでに子どもを学校に落とそうと思っているパパ警察官、忘れ物を取りに我が家に立ち寄るの図っていうだけの話かもしれないし。ありがちだからなぁ、そういうの。18度-6度


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