2001年5月29日(火) ハリー・ポッターを読んでいるからかもしれないけど、バレエ学校って魔法学校みたいだなと思った。「足」であり「シンボル」である箒(私たちのトゥシューズ)は先生の許可がないと使い始めてはいけないとか、いろいろな呪文(パ)を勉強するけれど、それをうまく使いこなせるかどうかは個人の技量にかかってくるとか……。優雅に舞うバレリーナって妖精みたいだったりするし、魔法としか思えない技をもって夢の世界を展開させることができるし……まぁ私はそんな魔法使いにはほど遠いけれど。サラがちょっと魔女っぽいからよけいそういう風に感じてしまうのかしら。20度-2度
2001年5月26日(土) 木曜日の取材の放映が今日だというのでTVを見てた。いや〜、面白い番組があったもんだ。まぁ毎週見ようとは思わないけど……昔日本でもあったような「イカ天」ダンスバージョンみたいな……踊りの勝ち抜き戦。メレンゲとかグループダンスとかいろんなジャンルがあるにせよ2時間近くこんな番組を放映して人気があるってんだから、やっぱり踊るの好きな国民なのね……。私たちが踊っている姿ってのはほんの数秒だったけど思ったよりしっかり写されていたな。例の彼女の陰に入っていたつもりの私、そして「写りたくない」ってよけていた子が他の人より長く写っていた……っていうか顔つきで出ていたのは私たち2人だけだったかも。もったいない。あのクラスではその2人こそが進級したばかりの小僧っ子なのに。サラが番組の審査員だったし、それ以外に何かやたら知り合いがTVに出ているらしいことを発見。チリって人間の数少ないしね、特に芸能・芸術関係は一人何役もこなさないと回っていかないのかも。20度-2度
2001年5月24日(木) またしてもレッスン中にTV局の取材だ。今回は前に遊びに行ったcanal13が。取りあえず携帯用のライトとかもあって前に取材にきたところよりはマシだとは思ったんだけど、(先生にはさすがに話は通っていたにせよ)どうやら飛び込みだったみたいで「私は写りたくない」って横によけちゃう子もいた。私にしてもいつも通りすっぴんで機能重視のカッコだったから「その他大勢にしろ言っといてくれたらもうちょっとマトモな服にしたのに」って思わなくもなかった。まぁいずれにせよ目的は、例の体から「踊れます」とアピールしている彼女だったようで(もしかしたら彼女はゲーノー界の人なのかもしれない。売り出し中のタレントとか、元タレントがバレエ界に参入とか。とにかく特別なオーラを放っているヒトなのだ)私は彼女の陰になっていれば良かったので助かったけど。音声が入ってなかったとかで撮り直しもあって、ますますcanal13って……って思いが強まった。 いやいや、それにしても。この日じゃないんだけど斬新なカッコをしている人がいて驚かされる。70代に近いんじゃないんだろうか?と思えるご婦人(大学で統計教えてるとか。カウントの数とかは絶対間違えないわよ!って言ってたそうな)。かつてはかなり良い線で活躍した踊り手だったようで、複雑なアンシェヌマンも間違えたとこ見たことがないし、ポワントのクラスにもしっかり参加している。体力的な問題でできないことはたくさんあるけど、技術的にはさすがだなぁと思うことばっかり。でもこの人のファッションにはいつもびっくり。去年午前中のクラスにいた頃も何度か顔を合わせたんだけど、なんと首に長いスカーフを巻いていた。ネックレスとか大きいピアスとか腕時計とかアクセサリーの類をはずさないのは誰しもそうなんだけど、私は今まで「なるべく裸に近い形」でレッスンを受けるのが当たり前の世界にいたのでとっても驚いた。転んだり人にぶつかったりしたら危ないし壊れちゃうかもしれないからアクセサリーなんか絶対はずせって言われてきたし。首を含めて体の線を隠すようなものは極力身につけるなって言われてきた。まぁここでも子どものクラスはそうみたいなんだけど。
そして最も度肝を抜いたのが「パンツ+ストッキング」スタイル。もともとみんなパンツがレオタードから見えたりするのに無頓着ではある。それも私には不思議な感覚だったんだけど、この日の彼女には参った。全部黒だから違和感なくて最初気づかなかったんだけど、ビキニタイプのパンツの上に(ダンス用のタイツではない普通の)ストッキングをはいただけのパンツ丸見え状態でのレッスンだった。上半身はニットを着ていたからどうなっているのかよく分からなかったけど……。そういえばいわゆるババシャツでレッスン受けてた時もあったっけ。レオタード持っていない訳でもないからよく分からない。このクラス、たまにだけど男の人もくるし、例えば今日の取材みたいなことがあったらその姿が全国に放映されちゃうわけだけどいいのかなぁ?
あ、ついでだからもう一つバレエのファッションのことを書いておこう。今のクラスは高校生が多くて彼女たちの色彩感覚にも感服する。紫や水色や赤のタイツに銀色のレオタードなんちゅう組み合わせをするのだ。って書くとサーモンピンクのタイツが常識の人たちには「???」かもしれない。私も最初そのパーツをそれぞれ見た時は我が目を疑ったんだけど、それを着てみると案外まとまった感じなのよね。最終的には黒いラップとかレッグウォーマーとかタイツの色に合った短いTシャツとかを着てレッスンするのでクラシックバレエのカッコとしてもそんな変な感じではなくなるのだった。自分でやろうとは今は思わないけど、初めて見たときの驚愕は遠くなり「ピンクでも黒でもないただのタイツ」としか感じなくなってきているし、何年か経ったら何の違和感もなく着ちゃうかもな。そんな自分がコワイ。20度-1度
2001年5月18日(金) でがけに電話を頂いた方を別の知り合いと勘違いしてやたら親しげな口をきいてしまった。勘違いを謝る暇もなく電話を切ったのでちょっと落ち込んでいた。その電話の件以外にも2-3懸案事項を抱えているので「う〜ん」と考えながらエレベータに乗っていたら、4階の人が「どうしたんだ?悲しいことでもあったのか?」と声をかけてくれた。あらら、そんなに落ち込んだ顔していた?あんまりそういうの表情に出ない方だと思っていたんだけど。それにしても優しい人もいたもんですな。16度-1度
2001年5月17日(木) バレエ教室は授業参観シーズン。Mのクラスが去年よりそこそこ進んだ内容になっていたのは当然と思ったけれど、苦節数年(?)の「プレバレエ」からようやく「1年生」になったJのクラスがすんごくバレエらしくなっていて感動。というか、普段のストレッチとか私も使えそうなものがいっぱい。見せてもらってよかった。 自分のクラスでは生まれて初めてフェッテ・ロン・ドゥ・ジャンブ・アン・トゥールナンをやった。どうしたわけか今日はクラスの途中でどんどん人が帰ってしまって、最後は私とマリアンだけ。そりゃあ彼女にレベルを合わせるのが筋なんだけど……。私は「できなくてもいい人」だからやり方を教えてもらえる訳でもない。で、見よう見まねでやってみたら、思ったより(思うレベルが低いから)できたから嬉しかった。でも、これこそは家で練習できないパの最たるものだな、危険だもん……。17度-4度
2001年5月11日(金) やった!ポワントのクラスで初めて「その調子」みたいに言ってもらえた。もちろん全然なっちゃいないことは自分が一番分かっているんだけど、やっぱり嬉しかった。お世辞やお愛想で誉める先生じゃないから、どこかしら評価されるところがあったんだろう。ふぅ。これは、あれだね。つれない憧れの人に気に入ってもらおうと懸命にあれこれ努力するティーンエイジャーの心境だな。私は意中の人(バレエ)に振り返ってもらえることがあるんだろうか? それにしても体が「私は踊れるんです」と主張している人ってたまにいるよなぁ。今日のクラスに新しい人が来ていたんだけど、彼女がそのタイプ。同じ人間なのにどうしてこう差が出るかな〜と見とれてしまうような美しい体つき。私もアジア人の中では落ち込むことはあまりないけど(でも最近の人や選りすぐられた人はやっぱ綺麗だ)、ああいう絶対的な差を見せつけられちゃうと、いやはや何とも。これで私が上手ければ「技術で対抗!」とか思えるけどな。今は同じクラスにいさせてもらえるだけ有り難いです。14度-3度
2001年5月5日(土) 子どものことで(正確には子どもに対する自分の態度が情けなくて)悩んでいれば「悩みになる子どもがいるだけあなたは幸せ」と不妊症の人に言われ、眠いとボヤけば「そんな風に感じられるあなたが羨ましい」と不眠症の人に言われ。大勢の人と接すればするほど、自分が意図しなかった言動で傷つく人は多分絶えないに違いない。気を付けようと思ってはいるけど、どうしようもない部分もあるかなぁと思わなくもない。 この頃ちょっとお世話になっている人の子がいわゆる私生児だと知った。チリ人なんだけど、なぜか子どもは日本の名前で呼ばれていて、ちょっとしょうゆ顔。母親である彼女は日本の血をひいているように見えないので、お父さんが日系なのかなとは思っていたんだけど。でもいずれにせよちっともお父さんという人をサンティアゴで見ないなぁって感じだった。そしたら子ども達の父親は家庭のある日本からの駐在員だから彼女は結婚してもらえないまま子どもを産んで育てているのだそうな。何だかなぁ。彼女は一人でも穏やかで安定した愛情で子どもを育てていて、それは子どもを見れば分かるし、そういう人生を選択した彼女のことをただそれだけの理由で「かわいそう」だとは決して思わない。だけど家族ぐるみでつきあっている我が家や国際結婚してここに住んでいるよその家庭を見て、彼女が何も感じないとも思わない。彼女の胸に「五円玉」のペンダントが揺れていたのを見て何だか切なくなった。やっぱり人間だもん、縁のあった彼と暮らしたいんじゃないのかなぁ。こういう話はジャカルタでもサンティアゴでもどこでも聞くもんだけど、こうして現実に「残された人」を目の当たりにすると複雑な心境だ。23度-2度
2001年5月2日(水) 本屋で辞書を選んでいたらイスを勧められた。「こちらでごゆっくりお選び下さい。ご用命はあちらのデスクにSra.だれそれが、奥の部屋にはSr.だれそれがおりますので何なりとお申し付け下さい」と下手すりゃお茶でも出てきそうな雰囲気。私は運動靴にミニスカートとナップサックという出で立ちだったから間違っても金持ちのマダムには見えないだろうに……。立ち読みお断り!とハタキかけられちゃうよりどれだけマシか分からないけど、こんだけ丁寧にされると「今日はやめときます」とも言えず(欲しかった辞書は分厚くてやっぱり重いので車のある時にしようと思った)目的とは違う本(まぁどのみちそれも欲しかったから良いんだけど)を3冊も買ってしまった。それが手か。ぐりぐり。20度-1度
2001年4月29日(日) 5.3記念総会。 鼓笛隊と音楽隊の出番というのでここんとこ土日は練習にかかりきりだった。ランカグアからはるばる来ている子もいるので一日の練習時間がどうしても長くなっちゃう。お昼前に集合して4時5時までとかね……。でもみんな頑張りました。昨日はフェリペがみんなにケーキを焼いてきてくれた。男の子なのに???と思ったら菓子職人になるべく修行中なのだそうだ。本当はこういう心配りって年長者の私がするべき事なんだろうなぁ。
新アレンジの「Siempre junto a sensei / 今日も元気で」と「Himno de la alegria / 喜びの歌」をステージで披露。いつもよりたくさんの隊員がいたし、私は演奏しなくて大丈夫だよね?って言ったら「いや、私たちにとってあなたと一緒に演奏することは大切なのだ」と責任者ジェシカがやたら力説する。そんなら先に言っといてよ……人前に出るつもりの服じゃないのにと思いつつステージに立つ。そしたら「今日も元気で」を演奏し終わった後に「いつもお世話になってます」と壇上で花束を贈呈されてしまった。びっくり。昨日ロサが「明日は『びっくり』することがあるよ〜」と言っていたのはこれだったのか、とようやく分かった。私ゃてっきり音楽隊が私の教えていない派手なドラム演奏することだと思っていた。嬉しいような、もっと地道な活動をしている人に申し訳ないような。でも少なくとも、ここにいる間は力の限り教えさせていただきますです。この頃ちょっとずつ精神的なことも言えるようになってきたし。私がいなくなっても曲に困らないようにできるだけのアレンジ&見本作りもしていこうと決意も新たっす。はい。2001年5月3日をチリで迎えようとは子どもの頃は(5年前とて)想像もしていなかったけど、その記念式典で鼓笛隊から花束もらうことになるとはもっと意外な展開。人生って不思議。13度-7度
2001年4月27日(金) 久々のポワントレッスン再開。 書いたと思ったら書いてなかったので今書くけど、3月に新年度が始まってバレエのクラスも進級した。去年までは子どもの最上級クラス「5年生」に入れてもらっていた。おかげで中学高校生の可愛いお友だちがたくさんできてそれは嬉しかったのだけど、一番最初に入った大人の初心者クラスがあまりに簡単だったのでそのクラスへ移させてもらった時に、人の踊りを見もしないで「あなたはここよ(≒大人の経験者クラスはあなたには無理よ)」と決めつけていた事務の人の態度がちょっと悔しくもあった。実際には「5年生」できっちりやることもとても大切だとは思うんだけど(先生も仲間も大好きだったし)、年末公演を終えて、やっぱりもうちょっと手応えのある振りを付けてもらえるクラスに行きたいなぁというのが正直なところだった。でもそれは自分から言えることじゃあない。新しい時間割の紙をもらって「果たして私はどこのクラスに入ればいいのかなぁ?」と悩んでいたら主宰の先生が「Luciは上級クラスに入りなさい」と事務の人の前で言ってくれた。これはかなり嬉しいことだった。おかげでうちのアカデミアでは一番上のクラスに入れてもらうことができた。身に余る光栄ってやつだ。
それから一ヶ月ちょっとレッスンが進んで。元から上級クラスにいた人たちとの実力の差に落ち込んだり、ちょっとついていけるようになってまた気持ちが浮上したり、ついこないだは「プロだね!」って人がやってきてやっぱり自分の未熟さが情けなくて穴があったら入りたい心境になったり。このクラス担当の主宰の先生に「Luciをこのクラスに入れたのはやっぱ早計だった。下のクラスに戻りなさい」って言われちゃうんじゃないかなぁとけっこうビクビクしていた。
そしたら昨日「明日からポワントのエクストラクラスをするから来てね」って言ってもらえた。そんな風に声をかけてもらえる程度には見放されてはいないんだなと取りあえずほっとした。しかも本当だったら金曜日の夕方はスペイン語のレッスンがあるし無理だぁと思ったんだけど、バレエをしてからダッシュして帰れば間に合う感じなので頑張ってみることにする。
今日のできはボロボロだった。「5年生」のクラスでもちょっとだけポワントをしたこともあったけど、すぐに公演の練習に入っちゃって、ジャカルタ時代から実質1年半ぐらいポワントのブランクがあったので立てないこと甚だしい。少しは脚も強くなった気がしていたんだけどやっぱり気のせいだったみたい。ちょっちマジで体を鍛えること決意したわ、私。19度-0度
2001年4月21日(土) やった〜!セントラルヒーティングが入った。夕べは寒くていくら重ね着しても爪が紫色になるし、とうとう今シーズン初の使い捨てカイロを開けてしまったのだけど。これで少なくとも10月中旬までは暖かく快適に過ごせるのだ〜。でも、半年も暖房が必要な土地柄っていうことはやっぱり寒いとこなのかしら、ここは。この何日かは家の中でもひまわりのように日向を求めて動いてたもんな、私。 Y家のSちゃん親娘と公園で遊ぶ。のどが渇いたと思ったら売り子さんが来るし、帰り道ではだぁりんに会うし、何だかついていた一日だった。18度-4度
2001年4月20日(金) ド(やハ長調)が赤、ソ(やト長調)が青、みたいなイメージを持っている理由が分かった気がする。 Rちゃんちでカワイかどこかが出しているハンドベルを見せてもらった。このベルは子どもが演奏しやすい(見ただけですぐ何の音だか区別がつく)ように音別に色がついているんだけど、これがまさに私がどうにも離れられない音と色のイメージと一致するみたい。きっとどこかで刷り込まれたんだな〜。この感覚、けっこう鬱陶しいんですけど。20度-5度
2001年4月15日(日) だぁりんがゴルフの大使杯マッチプレーで準優勝した。おめでとう。19度-9度
2001年4月14日(土) ニノスカの家に行った。というか、L宅を訪ねたらそこがニノスカんちだった。親子関係が今いち分かっていない。日本で言ったら市営住宅みたいな感じなのかな〜。まさに団地って感じなんだけど部屋の中に入るとやっぱり綺麗。その巨大な敷地内には公園もいくつかあって子ども達も自由に遊べるし、今の家もとっても気に入っているけど、ああいう家もいいなぁと思った。ガイジンは住ませてくれないのかもしれないけどね。23度-7度
2001年4月11日(水) 市立劇場にバレエ「真夏の夜の夢」を観に行く。はっと気づいてチケット取りに行った時には一週間前とかになっていたんだけど、行ってみたらチケット売り場で見た感じよりまぁまぁな席だった。人気がない演目なのかしらん?。確かに「今まで見た他のものに比べたら盛り上がりに欠ける(夫談)」と言われたらそれまでかなぁって気はするけど。やっぱりルイスの踊りが安定していてカッコいい。妖精役で子どもがたくさん出てきてそっちが気になっちゃった。26度-5度